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利用者:松平義継/sandbox

 
松平 貞幹
時代 江戸時代中期
生誕 安永4年11月8日1776年
死没 文政17年12月18日1824年
改名 與三次郎(幼名)
別名 帯刀(俗称)
諡号 芝陽
戒名 宣正院殿白譽光融居士
墓所 江戸小石川無量院廃寺となり明治期に移設雑司ガ谷霊園、平成9年4月愛知県蒲郡市の光忠寺に移築
官位 但馬
幕府 江戸幕府
主君 亀山藩松平信道松平信志松平信彰松平信豪
丹波亀山藩
氏族 形原松平家
父母 父:松平信直
兄弟 信道信愛(次男)、戸田光弘(三男)、巨勢利和牧野成傑(五男)、直温彦坂重教(七男)、直義、栄子(松平勝全正室)、春子(溝口直舊正室)、八十(太田資承正室)
貞淵
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松平 貞幹(まつだいら さだもと)は、丹波亀山藩の第7代藩主松平信直の9男。

安永4年11月8日(1776年)江戸の公邸で丹波亀山藩々主形原松平家第七代信直公の九男として生まれる.

八代信道 九代信志 十代信彰の三公には宿老の一人として丹波亀山城内で仕えた。十一代信豪公の時、江戸詰城代家老を命ぜられ江戸神田一ッ橋の公邸で藩公を補佐した。

文藝にも秀で、公務の傍ら「芝陽」と號し、本草学を始めとして冷泉家狩野派を学び、瀧澤馬琴大槻玄沢松平定信近藤重蔵シーボルト等との交流を深めた。著書のうち特に「芝陽漫録」は著名なものである。

文政7年12月18日(1824年)江戸公邸で逝く。 行年48歳。 葬地 江戸小石川 薬王山無量院