利用者:江戸ラー/ソ連崩壊後のロシア史の人物
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ソ連崩壊後のロシア政治家一覧
ゴルバチョフ政権
[編集]保守派
[編集]- ゴルバチョフ時代の保守派領袖。反アルコールキャンペーンを主導。88年、農業政策担当に異動させられ、事実上の左遷。
- 元化学者。ゴルバチョフ時代末期の共産党第一書記。リガチョフ後、ギダスポフとともに保守派の領袖。ロシア共和国にあっては、急進改革派のエリツィン、中間派、穏健改革派(ゴルバチョフ派)のシラーエフ首相と並んで三頭鼎立状態を形成。8月クーデターを支持。
- ゴルバチョフ時代末期、レニングラード州・市の党第一書記。ポロスコフとともに保守派の領袖。8月クーデターを明確に支持することはなかったが、急進改革派のサプチャーク市長は反クーデタを打ち出す。
- ソ連元帥。90年からゴルバチョフ大統領軍事顧問。8月クーデタ失敗後、自殺。
- 検事総長。
- ラトビア人。「黒い大佐」
穏健改革派
[編集]- 外相。ゴルバチョフの後ろ盾。
- グロムイコの後任としてソ連外相に抜擢。「新思考外交」を推進。ペレストロイカの片腕となる。90年、ゴルバチョフの「独裁の危機」を唱え、電撃的に辞任。ゴルバチョフとは旧知の仲だった。
- ペレストロイカの設計者。
- ゴルバチョフの相談役。『新世界』誌(『収容所群島』などを出版)編集長。共産党とロシア正教会の和解に尽力。
急進改革派
[編集]- アンドレイ・サハロフ:ペレストロイカの父。
- ボリス・エリツィン
- ゲンナジー・ブルブリス:エリツィン側近。91年6月ロシア大統領選挙時、選挙参謀。
- ミハイル・ポルトラーニン:エリツィン側近。元ジャーナリスト。90年出版・情報相。
- アナトリー・サプチャーク:レニングラード市長。
- ガブリール・ポポフ:モスクワ市長。
- セルゲイ・スタンケーヴィチ:歴史学者。人民代議員大会・最高会議議員。
- ユーリ・アファナーシェフ:歴史学者。人民代議員大会議員。
- その他
- ポポフ市長のもと、モスクワ市執行委員会議長に任命。
8月クーデター
[編集]国家非常事態委員会(クーデター首謀者)
[編集]- ゲンナジー・ヤナーエフ:副大統領。
- ウラジーミル・クリュチコフ:KGB議長。
- ヴァレンチン・パヴロフ:首相
- ボリス・プーゴ:内相。
- ドミトリー・ヤゾフ:国防相。ソ連邦元帥。
- アナトリー・ルキヤノフ
- 最高会議議長。非メンバーだが委員会とは密接な関わりがあった。ゴルバチョフとはモスクワ大学、共産青年同盟活動でも先輩に当たる。
反クーデター側
[編集]- ボリス・エリツィン:
- アフガン戦争の英雄。ホワイトハウスを防衛。ゴルバチョフを救出。クーデター後副大統領。
- ゴ ルバチョフ系。急進派と保守派の中間派だったが、クーデターではホワイトハウスに立てこもり、クーデター失敗後にルツコイとともにゴルバチョフを救出。ソ 連最後の首相、経済政策を主導。クーデタ粉砕直後、ルツコイ、ブルブリスとともにトロイカ的なエリツィン側近ブレーン。直後に解任。
- アナトリー・サプチャーク
- レニングラード市長。事件後に市の名称を「サンクトペテルブルク」の旧称を復活。
- サプチャークのもとで副市長、第一副市長。プーチンと同僚。サプチャークの後任市長に当選。プーチンは大統領府入り。一時プーチンによる選挙不正追及で関係粗悪に。
- エドゥアルド・シェワルナゼ
- エリツィン支持。ゴルバチョフを救出。後にグルジア大統領。
- クーデター失敗後、ソ連国家保安委員会のあるルビヤンカ広場のフェリックス・ジェルジンスキー像を倒す市民を組織化、活動停止命令を受けたソ連共産党中央委員会ビルの閉鎖と党中央委員会機構の立ち退きを実施。
- 改革派の立場からエリツィンを支持。91年ニジニ・ノヴゴロド州行政長官、後に知事。
エリツィン政権
[編集]- 8月クーデタでエリツィンに同調、ホワイトハウスを防衛。シラーエフ解任後、エリツィンの首相兼任を経て首相代行に。ブルブリスとの2頭体制。価格自由化政策を断行。92年首相代行。
- ゲンナジー・ブルブリス
- エ リツィンの最側近であり、参謀核。「灰色の枢機卿」の異名。8月クーデター粉砕、ソ連崩壊、モスクワ騒乱事件鎮圧にイニシアティヴをとる。国務長官として 権力実質NO.2。その後、92年にエリツィンの不信を買い、解任(実際には国務長官ポスト自体の廃止)。聡明ではあったが、強引な手法が周囲の反発を招 いた。
- 8月クーデタ後、ソ連共産党離党。ガスプロム会長。ガイダル、チュバイスの価格自由化によるハイパーインフレを収拾するため92年12月首相就任。モスクワ騒乱事件を鎮圧。一度解任を経て、96年首相再任。
- チェルノムイジン解任後首相。オルガルヒへの徴税・経済改革に挑むが。ロシア通貨危機に際して解任。
- ボリス・ネムツォフ
- 97年3月、第一副首相。「大統領にしたい人物」の第一位に挙げられるまでの人気を得、エリツィンの後継者と囁かれる。98年キリエンコ内閣の第一副首相に任命されるが、ロシア金融危機の結果、キリエンコと共に第一副首相を解任。
- プリマコフ内閣内相。プリマコフ退任後に首相。エリツィン側近を守り切る力量を見せられず、後をプーチンに譲る。
- ステパーシン内閣第一副首相。鉄道相歴任。ベレゾフスキーの後ろ盾を得て、一時はステパーシンを凌ぐ権勢を誇る。プーチン政権では冷遇され、副首相・鉄道相を解任。
- エリツィンの警護役。8月クーデターでは体を張って彼を警護し、全幅の信頼を得る。身辺警護責任者の範囲を超えた権勢を誇るが、エリツィン次女のタチアナやチュバイスらセミヤーと対立し、失脚。
- テニス選手。スポーツ担当大臣・スポーツ担当大統領顧問。
- クーデタ後、クリュチコフの後任としてKGB議長に就任し、KGBを解体。
オルガルヒ
[編集]- 統一エネルギーシステム会長。サンクトペテルブルク市長顧問。ガイダルとともに価格自由化政策を推進。96年エリツィン選対本部長。「摂政」の異名。
- ユコスオーナー。98年脱税容疑で逮捕(ユコス事件)
- ユコス事件後はプーチンに従う。
セミヤー(ファミリー)
[編集]- 大統領府総務局長。アレクサンドル・コルジャコフとのつてでクレムリン入り。クレムリンの金庫番。スイスの建設会社「マクベテス」から贈賄の疑いが持たれ、スクラートフにより捜索を受ける。
- 大統領府長官。ジャーナリスト出身。エリツィン回想録のゴーストライターとして重用。べレオフスキーをエリツィンに紹介。プリマコフによって、長官をボルジュジャに挿げ替えられる。
- セミヤーの保護者。ベレソフスキーからビジネスを教わる。ユマシェフの顧問として97年大統領府入り。98年副長官。ボルジュジャ解任後、大統領府長官。
- 大統領府長官補佐官。
- エリツィンの娘。
反エリツィン勢力
[編集]- 元ジャーナリスト。8月クーデタ後、ワジム・バカーチンと共にKGBを解体。96年外相に就任し、新欧外交からロシア国益外交に転向。通貨危機後、キリエンコの後任として首相就任。ベレゾフスキーを失脚させるなど存在感を増し、エリツィン側近グループの切り崩しを図ったが、99年解任。
- ユーリ・ルシコフ
- ポポフ辞任後の92年6月よりモスクワ市長。98年11月、地方首長を集めて政治ブロック「祖国」を結成、99年8月プリマコフの「全ロシア」と合同し、「祖国・全ロシア」を結成。プーチン政権「国家評議会」幹部会員。
- タタールスタン共和国大統領。ガイダル・チュバイスらの経済自由化改革を批判。ルシコフ、プリマコフとともに「祖国・全ロシア」を結成。プーチン政権とは全面衝突を避け、「国家評議会」幹部会員。
- プリマコフの意を受け、エリツィンファミリーの汚職を追及。1999年、自身のセックス・スキャンダル事件(「セックスと嘘とビデオテープ事件」)。FSB長官のプーチンにより追求。
- 大統領府長官。プリマコフにより大統領府に送り込まれる。ボロジンの疑惑に際し、エリツィンにより解任。
モスクワ騒乱事件首謀者
[編集]- ロシア連邦初代副大統領。
- 最高会議議長。テレビ放送でのエリツィン批判で対立が決定的に。
- ロシア連邦共産党党首。ルツコイ、ハズブラートフに同調してホワイトハウスに立てこもるが、政府軍突入直前に脱出。96年の大統領選挙では、エリツィンに次ぐ2位。
プーチン政権
[編集]- 00年首相代行-首相。プーチン再選後の04年解任。
- 首相。
- 国防相。ズブコフの娘婿。
- プリマコフ首相就任後に外相代行-外相。04年退任。
- 99年大統領府副長官。「灰色の枢機卿」の異名をとる。官製青少年組織「ナーシ」の創設者。プーチン政権のイデオローグ。
- 97年、エリツィンのもと対外経済関係・通産相。03年首相。非KGB人脈。
- フラストコフ内閣副首相。03年下院第一副議長。
- ポスト・プーチンの有力候補だったが、メドベージェフ政権下で大統領府長官に。
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フリステンコ首相
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フラトコフ首相
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ズブコフ首相
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イーゴリ・イワノフ外相
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ラブロフ外相
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セルゲイ・イワノフ国防相
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セルジュコフ国防相
シロヴィキ
[編集]- レングラードKGB人脈
- シロヴィキの代表格。副市長時代のプーチンの下で働く。98年、プーチンに従いFSB内査(防諜)局長。00年大統領府副長官に就任し、プリマコフ派を一掃。
- プーチンのKGB時代の同僚。国防相。シロヴィキ代表格。
- プーチン後任のFSB長官。チェチェン問題に対応。
- プーチンの大学同窓、KGB同僚。FSB第一副長官。現在北西連邦管区大統領全権。
- 01年3月内相。02年-08年「統一ロシア」党首。プーチンの大統領退任・首相就任に伴って党首辞任。
市政府時代人脈
[編集]- シロヴィキ代表格。副市長時代のプーチン個人秘書。00年大統領府副長官。オルガルヒ抑圧、特にユコス事件の黒幕とされる。
- プーチンの大学後輩。市政府時代、法律顧問。大統領府第一副長官。08年大統領。
- アナトリー・チュバイス直 系。94年、サプチャークのもとで副市長。チュバイスの引きで、96年8月大統領府副長官に就任。プーチンが大統領代行に就任すると、00年5月ミハイ ル・カシヤノフ内閣で副首相兼財務相に就任。04年3月ミハイル・フラトコフ内閣でも財務相。07年9月ヴィクトル・ズブコフ内閣で副首相兼務となり、 08年5月のプーチン内閣でも副首相兼財務相に留任。
- サンクトペテルブルク人脈。98-99年ペテルブルク副市長。00年プーチン選対本部参加。03-04年、メドヴェージェフの後任で大統領府第一副長官。
- 00 年市議会第一副議長。サプチャーク市長のもとでプーチンが第一副市長を勤めていた時期、プーチンと緊密に。96年のサンクトペテルブルク市長選挙では資金 面でサプチャーク陣営を支援。00年3月大統領選挙では、サンクトペテルブルクにおけるプーチン陣営の選挙対策本部次長。01年12月ロシア上院議長。就 任直後、「大統領任期延長論」を展開し、プーチン主流派をアピール。