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利用者:江戸ラー/執筆作業中-04

江戸ラー版 南北朝時代の人物一覧は、日本の南北朝時代1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇の践祚から1392年(元中9年/明徳3年)に両朝が合一するまで)を中心とした人物の一覧である。

鎌倉幕府

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北条家最後の得宗。9代執権。元弘の変の際、足利尊氏を六波羅に派遣するが、新田の鎌倉攻めで自刃。
内管領。高時時代、幕府の実権を握る。
赤橋守時。最後の執権。妹の赤橋登子は足利尊氏に嫁ぐ。
最後の六波羅探題(北方)。元弘の変で笠置城を攻める。
金沢貞将。鎌倉北条軍司令官。鎌倉で新田義貞と戦い戦死。
高時の次男。幕府滅亡後、諏訪頼重に擁立され挙兵。中先代の乱を起こす。

南朝

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天皇・皇族

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義良親王。後醍醐と阿野廉子の子。北畠親子と共に奥州多賀城へ。
叡山大塔宮。建武の親政で足利尊氏と対立。後醍醐天皇の不信を買い、鎌倉に幽閉。中先代の乱に乗じ、足利直義によって暗殺。
征西大将軍。九州における南朝の拠点を築く。明から「日本国王」に。
義良親王とは同母兄弟。鎌倉府将軍として、足利直義とともに鎌倉へ。護良親王死後、一時征夷大将軍に。

公家

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日野の両輪。正中の変で罪をかぶり佐渡に流刑。元弘の変後、処刑。
日野の両輪。正中の変で逮捕されるも、処罰を免れる。元弘の変で罪をかぶり、鎌倉で処刑。
正中の乱で、鎌倉へ赴き弁明。新政で雑訴決断所の頭人に。「後の三房」の一人。
宣房の長男。楠木正成の起用を勧める。新政における公家の驕りを諫めて隠遁。
世良親王の養育係。新政では、義良親王と共に多賀城へ。『神皇正統記』を記す。「後の三房」の一人。
後醍醐天皇の乳父。元弘の変の企てを六波羅に密告。「後の三房」の一人。
後醍醐側近。隠岐配流にも同行。「三木一草」の一人。
高時の弟・北条泰家を匿い、後醍醐天皇暗殺を画策。計画の露見後、名和長年の手で処刑。

武家

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楠木氏

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後醍醐天皇に応じて赤坂城に挙兵。

新田家

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足利氏とは同族。尊氏にあわせて挙兵し、鎌倉の戦いで鎌倉幕府を滅ぼす。藤島の戦いで尊氏に敗北。
新田義貞の弟。
義貞側近。斯波高経と奮戦。「新田四天王」の一人。
伊賀守。義貞側近で、「新田四天王」の一人。

その他の武家

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伯耆守。後醍醐天皇の隠岐脱出に協力。「三木一草」の一人。
三木一草」の一人。
六角氏頼
弓の名手。元弘の乱の際、笠置山で奮戦するも、落城後、処刑。
北条高時の命を受け上洛し、楠木正成と戦う。後醍醐天皇の綸旨を受け朝廷側に寝返り、新政に参加。尊氏が離反すると彼と戦うも、破れて尊氏の家臣に。その後、再び南朝方に復帰し、北畠顕家のもとで各地を転戦。

室町幕府

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足利家

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幼名千寿王。母は赤橋守時の妹、赤橋登子。足利幕府2代将軍。
尊氏の弟。観応の擾乱で尊氏・高師直と対立。
尊氏の庶子。直義の養子となる。
尊氏の子。足利義詮の弟。初代鎌倉公方
基氏の子。2代目鎌倉公方。
足利家の執事。尊氏の征夷大将軍就任を画策。

幕府方の武家

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京極高氏ばさら大名の代表格。高時に仕えるも、後醍醐天皇の隠岐配流の際に道中警護を担当。時勢を見て新政に参加。
赤松円心。播磨守。元弘の乱の際、早いうちから反幕府軍として挙兵、六波羅を攻める。新政後は冷遇され、尊氏に接近。播磨守護に任ぜられ、観応の擾乱でも尊氏派として行動した。

細川氏

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元弘の乱後から足利尊氏に仕え、新政期には阿波守。尊氏の新政離反に従う。室町幕府で引付頭人、次いで侍所の頭人となる。
三代将軍義満を補佐。

北朝の皇族

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僧侶・他

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関連

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