利用者:漱石の猫/sandbox14
歴史
[編集]新潟県で造り酒屋を営む小林傅四郎が、1878年(明治11年)札幌のすすきの近くに息子・米三郎(のちの初代)とともに創業した[1]。のち製造量増加に伴い夕張川の豊富な水と広大な土地を求め、1900年(明治33年)または1901年(明治34年)に栗山町の現在地に工場を移転し、現在に至る[1]。道内屈指の生産量と品質は初代米三郎の時代に構築された[1]。『北の錦』が主力商標であるが、その名は「北の地で錦を飾る」という初代、小林米三郎の意気込みから来ている。
2代目米三郎の時代、北海道博覧会で優良清酒などの賞を受賞[2]。2代目は第二次世界大戦後の早い段階で経営や酒造技術の近代化を進め、産業・経済・金融にも着手した[2]。第1回参議院選挙で当選し、政界進出も果たす[2]。
1968年(昭和43年)、2代目が没する[2]。跡を継いだ3代目米三郎は道内の他の酒蔵に先駆けて地産米での酒の試作に着手し、1979年(昭和54年)にキタヒカリで醸造した清酒が初めて一級に認定された[2]。
生産に用いる主力米は道内初の酒造好適米とされる「初雫」や「吟風」[2]。ほか、「きらら397」なども使用する[2]。
杜氏は脇田征也[2]。
2020年代、もとは事務所棟として使用していた石造建造物の1棟を「蔵元北の錦記念館」として公開している[2]。この記念館は1944年(昭和19年)に建造された鉄筋コンクリート造2階建で、建築面積は200平方メートル、寄棟造、桟瓦葺でタイル貼りの外壁を持つ[3]。1階は丸柱2本を立てるのみの広く間仕切りの無い空間を持ち、背面と側面に階段室が突出する。この記念館では、新潟時代から収集していた酒器や什器、酒造道具など約5,000点を収蔵する[2]。酒造蔵は赤レンガ造の一番蔵・二番蔵・三番蔵、石造の四番蔵・五番蔵・六番蔵があり、事前予約により見学することができる[2]。このほか、蔵を改装したコンサートホール「酒の郷なつかしホール」や、レストラン「蔵」などを経営する[4]。なつかしホールでは、1999年(平成11年)の加藤登紀子による「ほろ酔いコンサート」をこけら落としに各種行事に利用されている。
2006年(平成18年)10月18日、築100年になるレンガ・石(札幌軟石)造りの蔵は造り酒屋としては全国でも珍しく、蔵をはじめ住宅を含めた13棟が国の登録有形文化財に登録された[5]。日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~」の構成文化財のひとつとして「小林酒造建造物群」として選出された[3]。