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利用者:神谷美里/sandbox1

むらやまくらじょ

村山久良女
生誕 慶應2年(1866年
死没 明治2年(1888年)年1月3日
別名 倉女、久良
職業 俳人
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村山久良女 (むらやま くらじょ)は、明治期の俳人。倉女、久良とも。 「北越の生んだ千代女」と[1]、また採花女(さいかじょ)とともに「明治奮派の二才女」と称された[2]

略歴

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慶応2年(1866年)、新潟県刈羽郡高柳町岡野町の素封家、村山家に生まれる。 村山家は代々文芸に通じ、久良女の祖父・9代藤右衛門(号:哲斎 俳号:章嶂、亀石)、父・吉次(号:抱月)もまた俳諧をよくした。 なお、『平家詩史』を著した11代亀一郎(号:亀齢)は久良女の弟に当たる[3]。 久良女は幼少期から俳諧と茶道をたしなんだ。養志軒桑古の寄せた句集の跋によれば、「其器、一を聞て萬を知るの才有り」といわれた[4]明治14年(1881年)、名古屋の羽洲園に入門。後に上京し、小築庵春湖に師事した。 明治17年(1884年)に帰郷し、翌年分家の某と縁組する。家政の合間に句作に励んだが、明治21年(1888年)1月3日に病没した。享年23才。 没後に編まれた『久良女発句集』 には、勝海舟が追悼句を寄せている。

作品

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『久良女発句集』 (村山久良/著 翠浦堂真海/編 勝海舟/題句 松浦羽州女 養志軒桑古/跋)

脚注

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  1. ^ 伊狩章『越佐文学散歩 下巻 上越編』野島出版、1975年、44頁。 
  2. ^ 女子学習院『女流著作解題』日本図書センター、1978年、320頁。 
  3. ^ 牧田利平『越佐人物誌名家系譜』野島出版、1986年、193-194頁。 
  4. ^ 今泉省三『越佐叢書 第7巻』越佐叢書刊行会、1936年。 

参考文献

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『温古の栞』19篇(温古談話会 1891年8月) 「偉人の傳」内 p217-218

『越佐人名辞書』(村島靖雄/編 越佐人名辞書刊行会 1939) p626

『越佐人物誌』中巻(牧田利平/編 野島出版 1972) p955

『明治俳諧史話』(勝峯晋風/著 大誠堂 1934) 「モダン乙彦と才媛久良女」内 p453-457

『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993) p1030

『類聚伝記大日本史』第15巻 女性篇(高柳光寿/編集解説 雄山閣出版 1981) p323