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燧石銃兵(すいせきじゅうへい)、他に火打石銃兵(ひうちいしじゅうへい)、燧発銃兵(すいはつじゅうへい)は、フリントロック式(火打石点火方式)マスケット銃(先込め銃)を装備する歩兵を示した名称で、起源であるヨーロッパでこの用語は1680年に始めて使われ、そして後には連隊などの名称として発展している。

歴史[編集]

燧石銃兵の登場はフリントロック式マスケット銃の出現と銃剣の発達が関連している。16世紀半ばに開発された燧石点火式撃発機構を持つマスケット銃の他に、数種類の小火器にも適用された。この燧石点火式撃発機構は撃鉄先端に燧石(欧州言語では英語のフリントに相当する)を取り付け、金属可動部(銃本体)で構成され、火薬燃焼を引き起し、弾丸を発射する構造であった。17世紀に入り、マスケット式小銃の先端部に短剣を取り付けた、いわゆる銃剣の登場により小銃自体をの一種として使用できるようになった。まず最初に、小銃の銃口に銃剣が取り付けられていたが、後に改良され銃口の外側に装着されるようになった。なお、銃剣自体は予め射撃前に装着させていた。燧石点火式撃発機構と銃剣の組み合わせにより単なるマスケット銃は燧石式銃に進化した。一部の国の用例を見るに燧石銃は「先込め銃(mosquete)」と呼ばれ続け、他では「燧石銃(fuzil)」として知られるようになった。

火縄銃に替わり燧石銃が普及するまで、ヨーロッパの軍隊ではパイク兵と火縄銃兵によって編成されていた。第一に、古い火縄銃に取って替わった。火縄銃兵は標的に対しての射撃を担当し、パイク兵は無防備になっている火縄銃兵の弾薬装填動作を守るための近接戦闘を担当した。

一瞥したところ、最初に「燧石銃兵(ポルトガル語で言うところのfuzileiros)」を称される部隊はフランス王ルイ14世によって編成された騎馬中隊で、燧石銃を装備し、同伴する大砲と規律により成っていた。従来の火縄銃では灯心を維持する火縄は火口近くに置いて点火しなければならず、火薬そして弾丸にまつわる問題は燧石点火式撃発機構の登場により解決される。1671年、大砲随伴燧石銃兵中隊は王室燧石銃兵連隊(Regiment de Fusiliers du Roi、fr:6e régiment de cuirassiers)になる。この部隊は既に燧石銃を装備するも、連隊は後に砲兵連隊に改編される。しかし、「燧石銃兵」の名称は小銃を装備する兵士を持つ他の部隊に適用される。

17世紀から18世紀に移り変わる頃、銃剣と組み合わされた燧石銃の運用は拡大してゆき、次第にパイクと火縄銃は陳腐化して全ての歩兵が同じ用途に変革されている。兵士達は新式小銃が射撃後の近接戦闘でも、パイク兵のごとく着剣状態で旧来の槍のように戦えることを好んだ。ヨーロッパの大半の軍隊ではフランス式の軍制を採用し、燧石銃で武装した正規兵は「燧石銃兵(Fusilier、fuzileiros)」として知られるようになった。ほとんどの歩兵連隊では燧石銃兵中隊を戦列の中央に配していた。その名が示すようにこれらの中隊は着剣し彼我の距離を縮めた上で連続した一斉射撃を実施、密集隊形を維持したまま銃兵達が敵方へ前進する戦法で構成され、歩兵連隊における戦闘隊形の中核を担った。また、連隊は燧石銃兵中隊のみならず「狙撃兵」や「猟兵」や「擲弾兵」を戦列側方に配し連隊の戦闘隊形を構成していたが、彼らはその名称の違いにも関わらず、通常装備する小銃は燧石銃であった。もっとも、彼らは卓越した訓練を受け戦列正面を受け持つ燧石銃兵とは異なる戦術で運用されていた。

燧石銃兵という用語は全ヨーロッパの軍隊で均等に適用されていないことが見受けられる。例えばプロイセンロシアの軍隊では戦列歩兵連隊の中核中隊には「マスケット銃兵(mosqueteiros)」と呼称され続け、「燧石銃兵」は軽歩兵連隊の特定部隊の兵士に適用されていた。イギリスの軍隊では既に「燧石銃兵」について、幾つかの部隊に対し名誉呼称として適用されるようになった。

19世紀間、彼らはライフル(腔線式)小銃の普及により、従来の戦術と密集隊形は旧式化し、やがて廃れていった。燧石銃兵は散兵方式の分散戦術を採用し、従来の狙撃兵や軽歩兵部隊の様な運用がなされた。19世紀後半、実質的に狙撃兵と燧石銃兵の区別は消滅していた。このように、大部分のヨーロッパの軍隊では1860年から1870年の十数年で正式にその区別を廃止していった。しかし伝統保持のため、一部の国の軍隊ではこの用語を特定の部隊や、あるいはそこに属している一部の兵士、場合によっては歩兵部隊全体を示すために使用し続けた。ただし、新たな燧石銃兵はその名にも関わらず普通の小銃手として戦闘に参加するようになった。

各国の燧石銃兵[編集]

フランス[編集]

フランス語Fusilier。音写はフュズィリエ小銃兵射撃兵[1]

伝統的にフランス陸軍では戦列歩兵など一般歩兵部隊の役割を示すため「燧石銃兵」の名称を使用していた。これは精鋭部隊、例えば擲弾兵、軽歩兵、騎銃兵あるいは猟兵と対照的であった。現代のフランス陸軍連隊のいくつかは燧石銃兵を起源としているが、こんにち単に「歩兵」として知られている。

現代のフランス海軍フランス空軍ではこの名称は生き残っており、海軍ではコマンドー・海軍小銃兵海洋部隊(FORFUSCO)隷下の海軍小銃兵Fusiliers Marins)が、空軍では空軍コマンドー・小銃兵Fusiliers Commandos de l'Air)が知られている。また海軍では普仏戦争第一次世界大戦時に海軍小銃兵旅団(BFM)インドシナ戦争で海軍小銃兵准旅団(DBFM)を編成している。

イギリス[編集]

カナダ[編集]

ドイツ[編集]

ドイツ語Füsilier。音写はフュージリアー火打ち石銃兵[2]

他のヨーロッパの軍隊では一般的であったのと違い、プロイセンや他のドイツ諸邦では戦列歩兵の名称に「Füsilieren」は使用されなかったが、代わりに類似の軽歩兵の一種であることを示す名称として「猟兵(Jägers)」や「狙撃兵、散兵(Schützen)」が使われた。1787年に独立した大隊を編成し、緑色の軍服に統一される。

1808年のプロイセン軍の改革で戦列歩兵連隊の燧石銃兵は集約され、第3大隊となり青色とfardar destinguindoの軍服に黒皮のベルトを着用した。

1870年のプロイセン軍には11個の燧石銃兵連隊が存在し、これらの部隊は近衛兵連隊として機能した。残り総ての戦列歩兵連隊第3大隊は近衛兵および擲弾兵であったものの「燧石銃兵大隊」と呼ばれていた。燧石銃兵はFüsiliergewerで武装しており、後により軽量化された機種であるドライゼ銃Füsilier-Seitengewehr(燧石銃サーベル銃剣)の代わりに通常の銃剣が用いられた。そうであるにもかかわらず実際には彼らは狙撃兵(散兵)であり、総て戦列狙撃兵の戦闘隊形からなり、燧石銃兵は残りの歩兵と相違していた。

1880年10月に「燧石銃兵(Füsilier)」の名称は実質的な意味を失うも、単に精鋭部隊と名誉を結合させる手法として存続された。実際には全ドイツの歩兵はドイツ語の意味するところやや異なる形で燧石銃兵となった。すなわち総ての歩兵部隊は燧石銃兵の特徴、すなわち短小銃、サーベル、銃剣、黒皮のベルトと各種装備を採用していた。

第一次世界大戦の勃発でドイツ軍の連隊では燧石銃兵を識別できる単一の衣類や装備を保有していなかった。一部の連隊は燧石銃兵に関連して、近衛燧石銃兵連隊の隊員が式典用軍服に着用する黒い羽が付いた特徴的なバッチがあった。1918年時点で14個の燧石銃兵連隊が存在していた。これらの他に守備(または射撃)連隊(Schützen )が存在していた。これら、ザクセン燧石銃兵連隊は対に分類され、猟兵(Jäger)の変種とみなされ緑色の軍服を使用する連隊もあった。

第二次世界大戦中、グロースドイッチュラント師団隷下に装甲燧石銃兵(または軽歩兵)連隊(Panzerfüsilier Regiment)の名が与えられた部隊もあり古くから続くドイツ燧石銃兵の伝統が維持された。現在のドイツ軍では燧石銃兵の名称は使用されていない。

スイス[編集]

ドイツ語Füsilier歩兵[3]フランス語Fusilier小銃兵射撃兵[4]

スイス陸軍では最も現代的な歩兵部隊に対しても燧石銃兵の名称が与えられている。歴史的にスイス連邦軍の創設の前に、州軍の存在があったことが関連している。

オランダ[編集]

ベルギー[編集]

ベルギー陸軍では一般的に全歩兵部隊の兵士は強襲燧石銃兵(オランダ語stormfuselier、フランス語:fusilier d'assaut)と指定される。しかし、一部の部隊名を除き燧石銃兵の名称を持たなくなっている。

ベルギー海軍では海軍基地防備隊の名称に使用されていたが1990年代に解隊されている。

ポルトガル[編集]

ブラジル[編集]

メキシコ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「ディコ仏和辞典」、第3版2008年、白水社。
  2. ^ 「新現代独和辞典」2004年、三修社。
  3. ^ スイスでの場合。「新現代独和辞典」2004年、三修社。
  4. ^ 「ディコ仏和辞典」、第3版2008年、白水社。

関連項目[編集]