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利用者:9PgUp/作業室3

オードリーのオールナイトニッポン
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 2009年10月10日 - 現在
放送時間 土曜25:00 - 27:00(120分)
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ オードリー
若林正恭春日俊彰
公式サイト 公式サイト
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オードリーのオールナイトニッポン』は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン」枠で、お笑いコンビオードリー若林正恭春日俊彰パーソナリティを担当しているラジオ番組

概要[編集]

2009年2月28日オールナイトニッポンR枠の単発番組として「オードリーのオールナイトニッポンR」を放送、同年5月6日にはオールナイトニッポン枠で単発番組が放送された。7月22日にはオールナイトニッポンモバイルが配信開始し、それらが好評だったことで10月10日よりレギュラー化した。 テレビではベビーフェイスで通っている若林のネガティブで腹黒い部分、寡黙だと思われている春日の饒舌で変態な部分が聴けるとあって評判である。

番組の構成[編集]

  • 1時の時報直後、春日が「ジーニアス英和辞典プレゼンツ!」とがなったあと(大修館書店がメインスポンサーであるため)、2人でタイトルコールをする。(「ジーニアス英和辞典プレゼンツ!」と言っているのは第2回から)
  • タイトルコールの直後にテーマ曲「ビタスウィート・サンバ」が流され、イントロ終わりで若林「こんばんは、オードリーの若林です」→春日「土曜の夜、カスミン」→若林「よろしくお願いします」→春日「ひとつよしなに」という一連の流れを言う。その後は若林が「いやー春日さん」と話題を振り、春日が「なんじゃいこら」と応答して若林が話し始めるというスタイルがほとんどである。オープニングトークは10分未満で終わる回もあれば25分を越える回もあったりと、長さがまちまちである。オープニングトーク後に若林が提供を読み上げ、曲を流す(流さない場合もある)。
  • オープニング後はフリートークの時間である。2人が話す順番は若林→春日春日→若林を週ごとに交替で行う。それぞれのフリートークの終わりにはCMが挟まれる。2人合わせて約1時間ほどになる。なお、2人とも2時の時報には全く触れず、トークの途中で鳴っても無視して話を続ける。
  • 2人のフリートークが終わり、CMが明けるとコーナーが始まる。コーナーの順番は大まかにしか決まっておらず、たまに順序が変動することもある。
  • 番組最後の提供読みは春日が担当しており、その際に「ニッポン放送を“keystation”に、全国36局“net”でお送りしました」と横文字をネイティブに発音するのが恒例。なお、「ネッツ」を「ナッツ」と言っているが、「ナッツ」がアメリカスラング睾丸を意味するということが発覚し、それ以来は睾丸のことを「ナッツ」と呼んでいる。
  • エンディングでは若林「オードリー若林でした」→春日「このあとまた、夢でお逢いしましょう。アディオス!」のやり取りで締めくくられる。

エピソード[編集]

  • 春日はこの番組でのみ、自らのことを「カスミン」と称しているが、[1]。これはかつて土曜日の同時間帯に放送されていた『松任谷由実のオールナイトニッポン』のパーソナリティ・松任谷由実の愛称「ユーミン」から来たものである。第1回放送時に勝手に名乗り始めたものだが、後に春日が松任谷本人に会い「ミン」の使用許可を得た。また、第34回(2010年5月29日)の放送で新曲の宣伝を兼ねて、本人直々のメッセージも寄せられた。開始当初はラジオでの一人称を全て「カスミン」に統一しようと意気込んでいたが、ついつい忘れて「春日」と言ったり、若林が「お前」と呼んだのにスルーしてしまうことが指摘されたため、現在ではオープニング以外はほとんど言わない。
  • 春日は毎回、水色のタンクトップを着て本番に臨む(第1回と春日が入院していた第16回以外)。水色を選んだのは「マイクの色とお揃いにした」というのが理由だが、番組DVD(後述)のジャケットのマイクの色は黄色で、リスナー以外には意図が全く伝わらなかった。のちにテレビ東京ゴッドタン」の「第2回 芸人ラジオサミット」(2010年9月29日放送)という企画で初めてテレビにて水色タンクトップが披露された。なお、このタンクトップは最初に着用してから一度も洗濯していない。
  • いわゆる「中学生男子が、学校に行っている間に母親に部屋を掃除され、隠していたエロ本がバレる」という趣旨のあるあるトークの際、ごく自然にオナニーという言葉を口にしたことに対して出待ちの女性リスナーから「若林さん、オナニーの話面白かったです」と言われたため以降配慮し、春日の提案で「自分磨き」という隠語で呼ぶようになった。
  • このように、番組ではしばしば春日独特の言い回し いわゆる「春日語」が誕生する。若林は春日語を「気持ち悪い」と忌み嫌うが、たまに気に入って使うこともある。番組中に多用される春日語には「自分磨き」のほかに「~でごんす」、「オーマイ(感嘆の意)」、「ムズ(難しい)」、「失敬劇場」、「勘弁して蝶」などがある。春日語は毎週のように春日の口から繰り出される。
  • 第1回の放送の様子などを映像として収録したものをDVDとして発売されることが第2回で発表された。このような映像作品の発売はオールナイトニッポン42年の歴史の中で初。

放送時間[編集]

レギュラー化前[編集]

  • 2009年2月28日 27:00 - 29:00(番組タイトルは『オードリーのオールナイトニッポンR』、ニッポン放送は28:30まで)
  • 2009年5月6日 25:00 - 27:00

コーナー[編集]

現在のコーナー[編集]

(開始が古い順)

アメフトの小部屋[編集]

第1回(2009年10月10日)〜

BGM:「Born in the U.S.A」/ブルース・スプリングスティーン

第1回から行っている企画。もともとはアメフト経験者のリスナーから送られてきたメールから始まった。オードリーが高校時代にアメリカンフットボール部に属していたことで、リスナーからのアメフトに関する質問について語り合うコーナー。第2回(2009年10月17日)にて、若林からWikipediaにコーナー名が『男はアメフトだ!』であるという誤った情報が書いてあると指摘を受けた。2人はいちいちアメフト用語などの解説をしないため、多くのリスナーは置いてけぼりになる。あまりに専門的になりすぎると、スタッフの判断でジングルが打たれて強制終了させられる。2010年10月23日の「小部屋祭り」の回から8ヶ月ぶりに復活。

未来辞典[編集]

第24回(2010年3月20日)〜
未来の明鏡国語辞典に載るであろう言葉と意味を募集するコーナー。読み上げるのは若林。「転じる辞典」(後述)同様、採用者全員に1000円分の図書カードと「受験をトオースお守り」が贈呈され、採用者の中から春日が毎週1名選出する「ベスト未来辞典賞」には明鏡国語辞典とジーニアス英和辞典の2冊が贈られる。タイトルコールでは若林が「未来…それは、遠い先のことではない。いま私たちが暮らしている日常が未来の常識をつくるのだ―」と言ったあとに「未来辞典をつくろう!」とがなるが、2010年6月頃から雑なタイトルコールをするようになり、春日が「集中集中!」と喝を入れていた。しかし、スポンサーである大修館書店が喜んでいると知ってからは春日も一緒になってふざけている。このコーナーはどんなに時間がなくても毎週行っており、過去には2通しか読まれない週もあったが最近では5~7通が読まれている。

死んでもやめんじゃねーぞ[編集]

第24回(2010年3月20日)〜

BGM:「浅草キッド」/ビトタケシ

通称「死んやめ」。番組の打ち上げで春日が提案したコーナー。その際スタッフには無視されたが、そのエピソードを番組で話したところ、リスナーからの投稿が殺到したためコーナー化した。ショーパブに出演していた若林が、芸人をやめようと思っていたとき、ビトタケシビートたけしのモノマネをしながら、「あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ」と励ましたというエピソードが由来。春日がビトのモノマネをしながら、リスナーから送られてきた、「おい〇〇!、□□すること、死んでもやめんじゃねーぞ!」という投稿を読んでいく。BGMはビトタケシが歌う「浅草キッド」(このコーナーの直前には同曲が使われているジングルが流れるのが恒例)。春日が『アウトレイジ』を見て触発され、映画内の台詞をモノマネしたところ若林が相当気に入ってしまい、2010年6月12日の放送で春日に何度も言わせていた。そこで、アウトレイジ公開に合わせて翌週から「死んでもやめんじゃねーぞ!」の後に「ぶち殺すぞコラ!」という言葉が追加されるようになった。第47回(2010年8月28日)のスペシャルウィークではゲストのビトタケシとコラボレーションし、春日「死んでもやめんじゃねーぞ!」→ビト「ぶち殺すぞコラ!」という特別編をお送りした。なお、「ぶち殺すぞコラ!」はこの週で終え、翌週からは「死んでもやめんじゃねーぞ!」のみになっている。

どんだけ~の小部屋[編集]

第28回(2010年4月17日)〜

BGM:「『どんだけ~!の法則』」/IKKO

若林がIKKOになりきり、リスナーから送られた「どんだけー」な投稿を読みあげる。IKKOと共演した際の「これLUSHのバスボムですぅ~」という発言が脳裏に焼きついた若林がモノマネを習得したというエピソードがきっかけで始まった。BGMは

言えないよ~の小部屋[編集]

第49回(2010年9月11日)〜
2010年8月14日の「全国調査」のコーナー内で春日が次週のテーマを発表した瞬間に郷ひろみの「言えないよ」が流れ、それに合わせて春日が歌詞を知らないのに歌ったことがきっかけ。翌週の全国調査テーマ発表の際にも同曲が流され、春日が同じように歌った。さらに9月4日の放送でも流され、春日がその度に適当な歌を披露するのでエンディングでリスナーから歌詞の募集を呼びかけ、翌週から正式にコーナー化した。「言えないよ」のワンフレーズだけが流され、そのあと春日が送られてきた歌詞通りに歌う。

クロ林とシロ春日[編集]

第50回(2010年9月18日)〜
「全国調査」が2010年9月11日の放送で終了したため翌週から始まった。テレビなどでは決して見せない淀んだ性格をラジオで呈していることから、若林の裏の黒い一面「クロ林」。一方、白ワインを嗜好したりキャバクラ通いにハマっていたりと、かつての節約キャラが崩壊していることから、真実の春日の姿「シロ春日」の目撃情報をリスナーから募集するコーナー。クロ林情報は春日が、シロ春日情報は若林が交互に読み上げる。タイトルコール後に流れる曲は「鬼警部アイアンサイド」のテーマ曲「Ironside」。

春日の小部屋[編集]

第55回(2010年10月23日)〜

BGM:Shangri-La/電気グルーヴ

漫才でスタンドマイクの前に立った春日が発するセリフ「安心してください、彼女はいませんよ」、「夢でお会いして以来ですね」、「本物の春日ですよ」の類をリスナーから募集するコーナー。「皆さん」以後の言葉を考える。春日のセリフのあとに若林がアドリブでツッコミを入れるので、さも漫才のツカミのような雰囲気になる。

若林の小部屋[編集]

第55回(2010年10月23日)〜

BGM:「キセキ」/GReeeeN

~ですけれども」を語尾につける若林独特の「けれどもツッコミ」を募集するコーナー。ツッコミしか送られてこないので、ボケを想像する必要がある。

トータルテンボス藤田さんの小部屋[編集]

第55回(2010年10月23日)〜

BGM:「Because We Can」/ファットボーイ・スリム

若林が先輩芸人トータルテンボス藤田憲右が使う独特のツッコミ方が好きだと話し、直々に企画の許諾を得たことで実現したコーナー。「なぜ○○だ!」を基調とした藤田ならではのツッコミを楽しむ。読み上げるのは若林。

辛口バイト・今村くんの小部屋[編集]

第55回(2010年10月23日)〜

BGM:「ヘビーローテーション」/AKB48

ニッポン放送内でアルバイトをしている今村くんが、年上の春日に対して「トーク力:1点」などと辛口な評価をするため、今村くんの辛口な春日批評を募集するコーナー。読み上げるのは若林。


過去のコーナー[編集]

春日のケチエコ検定[編集]

単発特別番組初回に実施。

転じる辞典[編集]

第1回(2009年10月10日)〜第22回(2010年3月6日)
日常の出来事から新たなことわざや格言を作る。採用者全員に図書カード1000円分と後期からは番組オリジナルノベルティ「受験をトオースお守り」がプレゼントされ、毎週1名に「ベスト転じる賞」として明鏡国語辞典とジーニアス英和辞典の2冊がプレゼントされる。
定番は前田健をいじった「マエケンの下ネタ」。リスナーからの投稿が盛り上がりすぎた結果、本コーナーでは、2人は前健についての投稿を禁止にし、その後 本コーナーは「未来辞典」(前述)へとリニューアルスタートした。

キャスティング王[編集]

第1回(2010年10月10日)〜第21回(2010年2月27日)
様々なシチュエーションにおいて、リスナーが理想の女優やアイドルを勝手にキャスティングする。第2回放送からは春日と若林に分かれて対決という形で行われ、『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の「タコイカじゃんけん」や、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』の「ツッコミ道場!たとえてガッテン!」のような、スタッフから判定をもらい何連勝かするとご褒美、何連敗かすると罰ゲームというルールになっていた。2009年11月28日放送の第8回で若林が5連敗し罰ゲームを受けた。また、2010年2月27日放送の第21回で春日が5連敗し罰ゲームを受けた。

電話で全国行脚[編集]

第1回(2009年10月10日)〜第31回(2010年5月8日)
どのような状況でオンエアを聞いているのかリスナーに電話をかけるコーナー。春日曰く女性限定だが、最後までオードリーの2人を騙し続けることができれば男性でも可。36局ネットの内ランダムに放送局を選び、毎回その地域のリスナー限定でメールを集る。条件は女性限定であることの他に電話は携帯電話は禁止で固定電話などで生電話をしても大丈夫な人、選ばれた地方局の人気番組もしくはパーソナリティーがいえること、得意のモノマネを披露できることがある。第2回以降、毎回、下着の色をたずねることが決定した。若林曰く、「春日のソフトテレクラコーナー」であるが、第6回は「春日の恋愛相談コーナー」、第8回と第9回は春日が設定したシチュエーションに基づき方言で春日を罵倒するコーナーとなった。
コーナー終了後に2人が次回の地域を話し合って決め、そのネット局名を発表する。その時に発表されるネット局名が正式名称であり、一般に使われている愛称や呼称でないのでリスナーにとってわかり辛いことがある(第3回のラジオ大阪は正式名称の「大阪放送」と発表された。また第5回はSTVラジオの「V」の読み方を間違えていたが、次の週に訂正された)。
ネット局一覧
長崎放送(第1回)、山形放送(第2回)、ラジオ大阪(第3回)、南海放送(第4回)、STVラジオ(第5回)、信越放送(第6回)、山陰放送(第8回)、ラジオ福島(第9回)、熊本放送(第11回)、KBS京都(第15回)、宮崎放送(第17回)、ラジオ沖縄(第21回)、福井放送(第31回)

受験生企画「新・受験生ブルース」[編集]

第5回(2009年11月7日)〜第22回(2010年3月6日)
1968年にヒットした「受験生ブルース」に対し、現在の受験生のための「新・受験生ブルース」を作るため、その歌詞と曲をリスナーに募る。
リスナーから送られた歌詞をまとめた仮詞を公開し、それをもとにリスナーに曲をつくってもらった。その後投票によって2種類が選ばれ、「激励編」と「癒し編」と名付けられた。久保こーじがアレンジ、春日が「激励編」、若林が「癒し編」の曲中のナレーションを担当し、2010年1月9日からニッポン放送の携帯サイトで販売された。

100のギネスを持つ男[編集]

第12回(2009年12月26日)〜第23回(2010年3月13日)
「100のギネスを持つ男」こと春日が、リスナーの「春日さんは〇〇ということをやったというのは本当ですか?」などのメールにアドリブで答える無茶振りコーナー。中には「それはやってない」「それはちょっと事実とは異なるね。実際は~」という返しもある。勿論このコーナーの内容は全てフィクションである。

三つの器[編集]

第26回(2010年4月3日)〜第31回(2010年5月8日)
あるシチュエーションに対する3つの器を募集する。「小さい器」・「大きい器」・「○○な器」の人の行動を紹介していき、三つ目の「◯◯な器」でボケることになっている。2010年5月18日の放送からは番組サイトで募集をかけているものの、コーナー自体は行われなくなり、9月11日分の更新からは遂に番組サイトでの募集が消えた。結果的にコーナーは自然消滅し、合計3回しか行われなかったことになる。

電話で全国調査[編集]

第32回(2010年5月15日)〜第49回(2010年9月11日)
「電話で全国行脚」コーナーの放送スパンが長く開くことがたびたびあったため、このままでは47都道府県を網羅するのは途方もない時間がかかる、という理由でリニューアルしたコーナー。毎回テーマを出し、そのテーマに沿った実際に身近で使われてる言葉をメールで募集し、その中から一名のリスナーの元へ電話をかける。基本的には学生向けのコーナーだが、社会人でも「自分が学生のころはこういう言葉が使われていた」という内容ならばOK。また、「全国行脚」との違いは携帯電話での通話が可能になったこと。基本的には女性リスナーのみだが、一度だけ男性リスナー限定で実施されたことがある。

10年目のプロポーズ[編集]

第35回(2010年6月5日)〜第38回(2010年6月26日)
  • オードリーは、若林が春日の両親に挨拶をしないまま、結成10年が経ってしまった、言うなれば「駆け落ちコンビ」である。本来なら大学生の頃からマスコミセミナーに通い、テレビ局に就職して、伝説的なお笑い番組を作りたい、と夢見ていた春日を、「ナイスミドル」→「オードリー」に引き摺り込んでしまった。その為、若林は念頭では常に、春日の両親に申し訳なさを感じていたため(ましてや売れるのが遅かったため)、けじめとして、普段のスタジオも特別に「鶴の間」とし、春日の両親を招いて、「息子さんを僕に下さい!」と、挨拶がしたい。10年越しのプロポーズを成功させようという企画。2010年6月26日放送。
  • 当日限定で、TEAM付け焼刃がTEAM仲人として動き、河口正史をゲストに招いた回レベルの豪華さで、本人たちも改めて聴くと笑ってしまうほどの仰々しい『オードリーヒストリー』をナレーションとして入れ、また、これまでお世話になったバーモント秀樹ビトタケシ、ショーパブ・キサラ店長のコメントなどもオンエアされた。
  • そして日付も変わって、2010年6月27日、友引でお日柄も良い中、スタジオの名前を特別に「鶴の間」と変え、若林が春日の母に生電話をした。
  • 「息子さんはケチで汚くてウソつきですが純粋で人に騙されやすい。だけど腹黒い僕ならば、逆に守ることが出来る。これからも年を取っても一緒にやっていきたい最高の相方なので、息子さんを僕に下さい!」(趣旨)と挨拶をし、OKをいただいた。
  • また、電話での挨拶終了後、リスナーからも、「これからお二人でネタという子供をたくさん作って下さい」等の暖かいメールも寄せられた。

ゲスト[編集]

日時 (回数) ゲスト 備考
2009年12月19日 (第11回) 河口正史
2010年1月23日 (第16回) RN.テラリン
じゅんご
はなわ
[2]
2010年2月20日 (第20回) ビトタケシ
バーモント秀樹
2010年3月6日 (第22回) RN.テラリン
RN.みなみ
佐藤満春
[3]
2010年4月24日(第30回) いとうあさこ
2010年8月28日 (第47回) ビトタケシ
バーモント秀樹
くじら

主な出来事[編集]

2009年[編集]

  • 2月28日:単発1回目を「オールナイトニッポンR」で放送。
  • 5月6日:単発2回目を水曜1部(普段は「小栗旬のオールナイトニッポン」を放送している時間帯)で放送。
  • 10月10日(第1回):レギュラー放送開始。この様子を収録したDVDが、翌年1月8日に発売された。
  • 12月5日:キャスティング王の5連敗の罰ゲームとして、若林の趣味である写真を展示する、「若林正恭のぶってる写真展」を開催した(「ぶってる」は「アーティストぶってる」の意)。開催場所はニッポン放送社屋内のイマジンスタジオ。当日の天候は雨だったが、約1000人が訪れた。罰ゲームのため、若林は全く乗り気ではなく、当日深夜の放送では春日やリスナーからの写真批判にキレていた。写真展を訪れたリスナーに最もひどい写真を5つ選んでもらった結果、壁のコンセントを撮影した「ナンパ待ち」という写真がワースト1位で選ばれ、その写真は、番組HPで公開された。

2010年[編集]

  • 1月2日(第13回):「オードリーの小声でオールナイトニッポン」と題し、春日が居を構える「むつみ荘」をキーステーションとして放送された。この放送は生放送ではなく前年12月27日の収録放送。そのため、オードリーが出演した「第60回NHK紅白歌合戦」などの話題は翌週に話された。[4]
  • 1月23日(第16回):春日がテレビ番組収録中の事故による骨折の影響で入院していたため、終始病室から電話で出演した。[4]
  • 2月6日(第18回): オードリーが2月7日(現地時間)に行われるスーパーボウル中継のゲストとしてマイアミに行くため録音放送となった。冒頭で若林が「フロリダからお送りしているか、録音か」と発言していたが、「雪が積もっている」と発言したことで録音および日にちまで特定できてしまった。
  • 3月6日(第22回): 番組初の公開録音。当日16時に収録したものを、ほぼ編集無しで放送した。
  • 5月1日(第30回): 当日行われた日比谷公園でのイベント「ラジオパーク」の公開録音の模様と併せて放送した。また、キャスティング王の5連敗の罰ゲームとして、日本通運の協力で日比谷公園の小音楽堂に『むつみ荘春日邸in日比谷』として、同日と翌日5月2日、春日邸が一時移設され完全再現された。この日初めての番組グッズ“春日体操ビブス”(背中に春日が書いた「負けられない戦がある」の文字)と“若林正恭ぶってるキーホルダー”(「ナンパ待ち」の写真が印刷されたもの)が2000円でセット販売された。
  • 5月15日(第32回): 春日が母の日のプレゼントとして、インターネットで注文したカーネーションの鉢植えが、母に届いたかどうかを確認するために、母に電話した。電話した時は届いていなかったが、6月19日(第37回)の放送で、後日になって届いたと報告した。
  • 10月23日(第55回):スペシャルウィークだがゲストは呼ばず、「小部屋祭り」と称して、現行の小部屋コーナーである「どんだけ」、「死んやめ」、「言えないよ」の3つに加え、復活した「アメフトの小部屋」、新コーナーの「春日の小部屋」、「若林の小部屋」、「トータルテンボス藤田さんの小部屋」、「辛口バイト・今村くんの小部屋」といったたくさんのコーナーを時間の許す限り詰め込んだ。

宛て先[編集]

kwは春日、若林の頭文字である。
単発放送時は[email protected]だった。
  • ハガキの宛先:〒100-8439 ニッポン放送「オードリーのオールナイトニッポン」各コーナー

スタッフ[編集]

以下のスタッフは(主に)若林から、『TEAM付け焼刃』と呼ばれている。若林は2010年4月3日放送分(第27回)で「『TEAM付け焼刃』に(ラジオパーク用に)放送作家が5名いるので、メールの奪い合い」と指摘していた。
  • ディレクター:宗岡芳樹(むねおか よしき)
他には木曜日の『ナインティナインのオールナイトニッポン』のディレクターも担当。
  • アシスタント・ディレクター(AD):鈴木賢一
通称『ビーチ』。『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』も担当していた。他の番組ではディレクターやADも担当している。
2010年7月3日の放送で、担当を外れたことが若林から報告された。
かつて『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』などを担当していた。若林は自身初の冠番組で藤井と仕事をしたことがある。
お笑いコンビ『どきどきキャンプ』のツッコミであり、オードリーの二人とは公私にわたって親交が深い。放送2回目からノーギャラでメール処理等の手伝いをしている(第9回目の放送より)。第10回目の放送では番組で発売されるDVDの宣伝大使として任命され、番組にメッセージを寄せた。以降ちょくちょくイベントなどで顔出し(声出し?)するようになる。なお、佐藤は公開収録の度にミニコーナー『どきどきキャンプ佐藤のミニミニオールナイトニッポン』を担当している。「サトミツ」「サトミツボーイ(春日限定)」と呼ばれることが多い。
前原と栗坂ははたびたび春日と行動し、その一部始終を春日がトークのネタにしているため、若林に「大人になったズッコケ三人組」と呼ばれている。

関連番組[編集]

若林は2009年6月と2010年8月に、春日は2010年10月にナイナイANNにゲスト出演を果たした。しかし、若林は童貞卒業の年齢を詐称していたことが発覚し、春日は相槌の多さから「相槌芸人」と呼ばれてしまうのであった。

脚注[編集]

  1. ^ 笑っていいとも!でCM中に「カスミン」と呼びかけた観客がいたらしく、春日は「やめてくださいな、説明面倒なんで…」と困惑していた。
  2. ^ RN.テラリンは、「中くらいの夢 feat.オードリーのオールナイトニッポン 激励編」を歌う素人の歌手(リスナー)でオープニングのみ。病床にいた春日を激励した。じゅんごとはなわは番組後半から出演。
  3. ^ RN.みなみは、「中くらいの夢 feat.オードリーのオールナイトニッポン 癒し編」を歌う素人の歌手(リスナー)。RN.テラリンとともに、生歌を披露した。
  4. ^ a b オールナイトニッポンモバイルで配信

外部リンク[編集]

オールナイトニッポン 土曜
前担当
オードリーのオールナイトニッポン
土曜 25:00 - 27:00
次担当
-
2010年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 城田優
火曜 岡野昭仁 はんにゃ
水曜 小栗旬 吉岡聖恵
木曜 ナインティナイン
金曜 吉岡聖恵 AKB48
土曜 オードリー