利用者:Ahya15

Ahya15(あひゃ じゅうご)とは、日本人ウィキペディアン

「Ahya」はなんとなく。「15」は当時好きだったスポーツ選手の背番号。

IPアドレスで投稿していた時代、荒らしをして編集禁止を受けたことがある。そのとき、こんなことしていいのだろうかという良心の呵責と、ウィキペディアの思ったよりも広い世界に感銘を受けアカウントを作成し、現在に至る。

まあ、最早学生でもないし、荒らしだなんて社会人の精神年齢としてどうなのか、と思った部分も多少はある。

プロフィール[編集]

  • 本籍地
  • 現住所
    • 本籍地と同じ。親と同居ですか
  • 年齢
    • 30歳より下。つまり20代で親と同居だね恥ずかしいもんだ
  • 性別
    • 男性
  • 職業
    • 貧乏です
  • 趣味
    • 読書、ゲーム、ビデオ(DVD)鑑賞。
    • 天気が良ければ日曜日は往復6時間程度サイクリング。だったけど運動熱が冷め休日は引きこもりの日々
    • 2ちゃんねる、とくに東亜ニュース+板とハングル板。だったけど最近は政治熱が冷めニュース速報+にタムロする。
  • 好きな食べ物
    • 刺身や寿司などの生魚。
    • 麺類
  • 嫌いな食べ物
    • いわゆる肉。牛も豚も鳥も全部!!
  • 興味があること
    • 政治(金もコネもない)
    • 経済(興味があるが苦手)
    • 旅行(金がない)

編集メモ[編集]


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斜行進(しゃこうしん)とは文字通り、隊列を組んだ人々が正面に対して斜めに行進することである。フリードリヒ大王が用いた斜行進を用いた戦術を特に指すこともある。本項ではそれについて説明する。

概要[編集]

フリードリヒ大王が古代より使用されていた戦術を七年戦争で現代風に実用化させたものである。原理は単純で、戦場では縦に対して横が圧倒的に長細い陣形で戦いに挑むことから、敵軍部隊の横に自軍が展開できれば敵と接触する部分では数的に有利であるため、前衛部隊が敵軍と戦闘し敵軍の移動を困難にしている合間に、斜行進部隊が敵軍の横隊に対して自軍は斜めに行進をして敵軍の翼に展開し、その数的有利を利用して戦いを挑み、接触した敵軍部隊を順に各個撃破するというものである。

ただ行進をするだけでは敵軍の的になってしまうので、行進前から砲兵による援護砲撃があり、軽騎兵による隊列の援護もあった。斜行進をしても敵軍が方向展開して真正面に向き合ってしまえば火力の差がものをいうことになってしまい元も子もないので、前衛部隊が敵軍と向き合い戦いを挑み、敵軍がそれに拘束されている合間に後方の斜行進部隊が斜行進をするという形が取られた。

斜めの行進とは通常の前進行進に比べて難しいとされている。何故ならば横隊各列の移動距離が違うため厳格な規律のもと行進をする練習を積んでおかないとすぐに隊列が崩れてしまう。斜行進部隊は時として一万以上もの人数になることがあり、その僅かでも各部分で隊列を崩せば部隊全体の移動計画を乱すほどの混乱へと発展する場合もある。斜行進は兵力分割の為敵軍に対し不足になりがちな(七年戦争ではプロイセン軍そのものが敵軍に対して数的に不利であった)前衛部隊が敵軍を食い止めている合間に敵軍翼に展開する迅速な機動が肝心であり、隊列が乱れ混乱が生じることは時として致命的なダメージになる。

七年戦争開戦当初、大王は迅速な機動の為に斜行進中は一発も銃撃を認めなかった。これは敵軍による射撃の大雨の中をまったく無抵抗で規律正しく行進しなくてはならないことを意味している。また、斜行進が完了し部隊が展開した後も銃撃よりも突撃に重点をおき戦いを進めていった。

厳格な規律と積み重ねられた訓練によって育成された兵士は、一人一人が莫大な軍事費を掛けた貴重な兵力である。当時の軍隊は外国人や傭兵が多くを占めていた為、脱走兵も多かった。その為大王は森林などの兵士が逃げやすい状況に軍隊を進めるのを嫌い、斥候部隊もあまり前に行き過ぎないよう厳しく監視した。下士官は脱走兵が出ないか厳しく監視し、脱走兵には躊躇なく兵士に発砲させることが要求された。

元々人口の差から人的資源が少なく、また兵士一人一人に掛ける軍事費が高いプロイセン軍が、犠牲の大きい戦いを進めるのは戦略上難しかった。大王の当初の計画では、敵軍を迅速に壊滅させそれによって敵国を講和につかせるというものであったため、犠牲の大きい戦いもやむを得なかったが、実際の戦争は文字通り七年続くプロイセンにとって常に劣勢が続く長期戦となった。

また、戦争も中期に差し掛かると敵軍も斜行進に対応する術を見出し始め、陣形の翼が敵軍の接近し難いように常に配慮するようになっていき、また戦場の後方にいる予備部隊も斜行進に迅速に対応できるように戦術が改良されていった。


その為斜行進の途中で射撃することも許可されていき、斜行進と迅速な機動と共に運用する為プロイセンの小銃は射撃と射撃の間の時間を短くすることに特に改良が加えられていった。