コンテンツにスキップ

利用者:Akipedia0203/sandbox

logo
logo
安濃城
三重県
安濃城全景
安濃城全景
城郭構造 不明
築城主 細野藤光
築城年 弘治年間(1555~1558)ごろ
主な城主 細野藤光
廃城年 天正18年(1580年)
遺構 曲輪空堀土塁屋敷地
指定文化財 なし
位置 北緯34度46分35.3秒 東経136度27分24.5秒 / 北緯34.776472度 東経136.456806度 / 34.776472; 136.456806座標: 北緯34度46分35.3秒 東経136度27分24.5秒 / 北緯34.776472度 東経136.456806度 / 34.776472; 136.456806
地図
安濃城の位置(三重県内)
安濃城
安濃城
テンプレートを表示

安濃城(あのうじょう)は三重県津市安濃町字城山に存在した日本の城山城)である。[出典 1] 主郭跡にある阿由多神社に奉納された大般若経600巻津市の指定有形文化財にもなっている。


概要[編集]

安濃城(あのうじょう)は三重県津市安濃町安濃川からの標高33mの丘陵城山に存在した山城であり、中世末期伊勢国最大の城郭ともいわれる。安濃川に沿った丘陵に築かれ、本丸をはじめ、居館跡家臣館跡などがよく残っている。主郭には阿由多神社が祀られ、その周りを土塁外堀が巡らされている。[出典 2][出典 3]

歴史[編集]

築城[編集]

弘治年間頃(1555~1559年)に長野氏別家である細野氏が、藤光の時代に安濃郡長野村(津市美里町北長野)の細野城から移り、その地に屋敷を構え、その子である九郎右衛門藤敦が城郭として屋敷を拡充したと言われる。東西に長い地形や人々が暮らす所である郭(くるわ)が並べられた形状が長野氏系の城の特徴であり、安濃城跡にもみられる。 現存している遺構は拡充したその時のものであると考えられる。[出典 4][出典 5]

織田信長軍による攻め入り[編集]

北勢地域の諸城を攻略していた織田信長軍は永禄11年(1568年)に更に南に下って、中勢地域の長野氏を滅ぼそうとした。そのためにまずは、長野氏別家である細野氏を滅ぼすことを企てた。その企て通りに細野氏を滅ぼすため織田信長軍は、織田氏宿老であって主君である織田信長に仕えていた滝川一益に安濃城を攻めさせるようにした。しかし、伊勢国最大の城郭とも呼ばれる安濃城の防備はとても固く、容易に落ちるものではなかった。この戦いの後に長野氏と織田信長は和解し、結果として織田信長である織田信包長野氏養子に迎えて収まった。[出典 6][出典 7]

焼き打たれて落城[編集]

しかし、長野氏織田信長和解成立後も細野氏は反信長を貫き、天正8年(1580年2月2日津城にいた織田信包軍の攻撃を受け、藤郭守ることができず城に火をつけて逃亡したため本城は滅びたとされる。[注釈 1] 城主であった藤敦らは一身田(津市)にある専修寺に逃れた後に、近江日野城主や伊勢松阪主、陸奥黒川城主であった武将蒲生氏郷(がもううじさと)や豊臣秀吉らに仕えたといわれている。[出典 8][出典 9]

構造[編集]

安濃城模型

三重県下最大級の中世末期の丘陵城郭であり、高さとしては、最も低いところでは30m、最も高いところでは60mを誇る。東の阿由多神社を中心に居館があったと思われる土塁とによる(くるわ)が連なっており、特に南西の堀は大規模でこの城の見どころとなっている。 城の範囲としては東西に500m以上、南北には300m以上存在し、外堀は非常に深く、10m以上の深さがあったとされている。[出典 10][出典 11]

史跡[編集]

阿由多神社[編集]

阿由多神社

安濃城主郭跡にある神社明治41年(1908年)に、安濃・内多・太田・清水・曽根の5つの村祠を合祀しており、祭神阿由太神[注釈 2]主神とし他に25柱を祀る[出典 12]

明治初めまでは藤塚の奥社付近に建築されていたと考えられ、現在地には合祀明治42年(1909年)に造建されたと言われている[出典 13]が、明治以前の所在地、存在は不明である。 城主細野氏の子孫安濃村から江戸へ出た豪商荒木光品に享保20年(1735年大般若経600巻奉納された[出典 14]平成10年(1998年)に津市の指定有形文化財に登録された。家業の成功を感謝して奉納されたと考えられる。[出典 15]

交通アクセス[編集]

安濃城入口

電車でのアクセス[編集]

近鉄名古屋線 津駅からバスで1時間20分、降りて徒歩12分程度。

車でのアクセス[編集]

津インターチェンジから10分程度。

注釈[編集]

  1. ^ 天正5年であるという説も存在する。
  2. ^ 神社名は阿由多神社と記す。

出典[編集]

  1. ^ 津観光ガイドネット・山城調査プロジェクトチーム『津の城跡50選』伊藤印刷(株)出版部、2016年5月30日、13頁。ISBN 978-4-9907322-1-9 
  2. ^ 福井 健二『三重の城』三重県良書出版会、1979年、84頁。 
  3. ^ 福井 健二・武田 慶治・中井 均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2012年9月23日、83頁。ISBN 978-4-88325-482-8 
  4. ^ 『日本城郭体系 第10巻』株式会社 新人物往来社、1980年8月15日、109頁。 
  5. ^ 福井 健二・武田 慶治・中井 均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2012年9月23日、82頁。ISBN 978-4-88325-482-8 
  6. ^ 『日本城郭体系 第10巻』株式会社 新人物往来社、1980年8月15日、109頁。 
  7. ^ 福井 健二・武田 慶治・中井 均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2012年9月23日、82頁。ISBN 978-4-88325-482-8 
  8. ^ 『日本城郭体系 第10巻』株式会社 新人物往来社、1980年8月15日、109頁。 
  9. ^ 福井 健二・武田 慶治・中井 均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2012年9月23日、83頁。ISBN 978-4-88325-482-8 
  10. ^ 三重県教育委員会『三重の中世城館』三重県良書出版会、1978年11月15日、83頁。 
  11. ^ 福井 健二・武田 慶治・中井 均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2012年9月23日、82頁。ISBN 978-4-88325-482-8 
  12. ^ 安濃町史編纂委員会『安濃町史 通史編』安濃町、1999年10月、909頁。 
  13. ^ 浅生 悦生『続津市とその周辺 知られざる郷土史』光出版印刷株式会社、2019年10月25日、204頁。 
  14. ^ 安濃町史編纂委員会『安濃町史 通史編』安濃町、1999年10月、213頁,315頁頁。 
  15. ^ 安濃町史編纂委員会『安濃町史 通史編』安濃町、1999年10月、318頁。 

参考文献[編集]

  • 津観光ガイドネット・山城調査プロジェクトチーム『津の城跡50選』伊藤印刷(株)出版部、2016年5月30日、ISBN 978-4-9907322-1-9
  • 福井健二『三重の城』三重県良書出版会、1979年。
  • 福井健二・武田慶治・中井均『三重の山城ベスト50を歩く』、サンライズ出版、2012年9月23日、ISBN 978-4-88325-482-8
  • 『日本城郭体系 第10巻』新人物往来社、1980年8月15日。
  • 三重県教育委員会『三重の中世城館』三重県良書出版会、1978年11月15日。
  • 浅生悦生『続津市とその周辺 知られざる郷土史』光出版印刷株式会社、2019年10月25日。
  • 安濃町史編纂委員会『安濃町史 通史編』安濃町、1999年10月。