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利用者:Bionicbuun/sandbox

カナンシン アドゥン

カナンシン アドゥン
生誕 (1965-04-19) 1965年4月19日(59歳)
タイ王国の旗 タイ バンコク
出身校 東京芸術大学修士課程音楽学専攻
職業 プロデューサー音楽家役者通訳翻訳者タイ語教師
配偶者 既婚
子供 娘二人
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カナンシン アドゥン(かなんしん あどぅん、1965年4月19日 - )は、タイプロデューサー音楽家役者通訳翻訳者タイ語教師

来歴[編集]

バンコク飛行機エンジニアタイ人の父と会社役員の日本人の母の長男として生まれる(他の兄弟は妹二人)。幼児時代当時のバンコク音楽黄金時代で、今でもすばらしいアーティストや作品と言われるものがいっぱいあった。村に自然に流れていた。両親のレコードを聴いたりしていた。父が持っていたレコードはサムクックオティス・レディングなどで、母がもっていたレコードは「東京五輪音頭」、動揺の「汽車ぽっぽ」「喝采」などだ。村の音楽と両親が聴いていた当時のすばらしい音楽はアドゥンの音楽土台となって行く

幼稚園のときに叔父からクラシックギターをもらった。ちょっと弾いたが、よくわからなかったのと大きすぎたので、そのまま放っておいた。けれども、後にこのギターは大きな意味を持った。

小学校低学年のときにバイオリンを勉強したが、けっこう弾けるようになったときに、いつの間にか止めていた。小学校4年生のときに従兄弟の恋人が叔父がくれたクラシックギターでベースを教えてくれた。この時期からはベースに興味を持ち、いろいろな曲をコピーし始めた。小学校高学年のときにバンコクにあるヤマハ音楽学校でクラシックギターを本格的に勉強し始めた。

ボディンデーシャー中高一貫校時代はタイ古典音楽を本格的にやった。学校の正式楽団員になった。同時に友達とバンドを組んだ。ベースとボーカル担当だった。高校時代は作詞作曲を始めた。卒業一年前に飛び級でシラパーコーン大学建築学部に進学した。

大学時代も音楽を続けた。バンドは学科内、大学内でいろいろ組んだ。学校の外では、タイの伝説ロックバンド「バーンズ」のベーシストを務めた。大学通学中にデモテープを作ってレコード会社に持って行く計画も有り、プロに転向する気もあった。けれども、そうこうするうちに卒業して、来日。1988年4月2日(土)に成田に到着した。

アジア文化協会日本語学校で日本語を勉強した。

1989年4月に東京大学大学院工学部建築専攻の研究生になった。

1990年4月に東京大学大学院工学部建築専攻修士課程に入学。日本に来てからも当代に在学中でも音楽活動を続けた。日本でのプロ活動も始めた。

1991年修士課程の2年生のときに、今までずっとやってきた音楽を本格やりたいと思った。現にプロ活動もしているから、ちゃんと勉強した方がいいと思った。

せっかくだから東京芸術大学で勉強した方がいいじゃないかと考え、芸大に受験することを決めた。

1992年4月。東京芸術大学大学院音楽学部音楽学専攻修士課程に入学。

1995年3月。同校卒業。プロ活動を続ける。





大学時代は英語の勉強に明け暮れる(このことが電子辞書を売るきっかけになったと本人は語っている)。

卒業後、京都府内の機械製作会社の株式会社阪村機械製作所に入社し、東欧を中心に数年間海外赴任を経験する。翻訳会社を設立しようと退社したが挫折。1974年から実家のカメラ店の手伝いを経て、1986年1月、佐世保市三川内本町にカメラ店「株式会社たかた」(ジャパネットたかたの前身)を設立。

カメラフィルムの「即日現像・手渡し」を行うことを売りにカメラ販売の業績を伸ばし、ビデオカメラ時代到来とともにソニーの特約店になる。また、カラオケブームでパイオニアのカラオケセットを販売。たまたま知人に依頼されて出演した地元の長崎放送のラジオショッピングにて、数か月分の売り上げを一日で達成してしまったことに驚き、通信販売の分野への進出を決意。1990年3月に同局でラジオショッピング番組を始めると、1999年5月に社名の「たかた」を現在の「ジャパネットたかた」に改めた。

2013年8月の時点では、ジャパネットたかたの代表取締役社長。同社のテレビ・ラジオショッピング番組(ほとんどを佐世保市日宇町の本社屋内のスタジオで制作)で商品を紹介する機会が多いことから、肥筑方言訛りの甲高い語り口で知られている。

ちなみに、ジャパネットたかたでは、2010年12月期に過去最高の売上高(1,789億円)を記録。しかし、売上の6割を占めてきたテレビ受像器の販売が不振に陥るなどの影響で、2011年度から2年連続で売上高が減少した。この状況に危機感を抱いた高田は、2013年を「覚悟の年」と位置付けたうえで、2013年度中にジャパネットたかたが過去最高益を出せなければ同社の社長を辞任することをインタビューや出演番組などで公言している(参照)。

妻はジャパネットたかたの元・副社長で、子供は3人。長男の高田旭人(たかた あきと)は、東京大学を卒業後に同社へ入社すると、2012年から副社長と東京オフィスの代表を兼務している。2013年頃からは、明が出演する番組において、旭人が「次期社長」として紹介されることがある。

出演した番組[編集]

2003年
2006年
2007年
2008年
2010年
2011年
2012年
2013年
  • 2月21日・28日、「仕事学のすすめ」(NHK Eテレ
  • 4月22日、「BSニュース 日経プラス10」(BSジャパン。番組コーナの「トーク+」にて、「最高収益か辞任か? たかた社長が決戦の年を語る」というテーマで出演。)
  • 5月26日。ガイアの夜明け(テレビ東京) 明本人にとどまらず、ジャパネットたかたの東京オフィスと長男の旭人も特集。トークパートでは、ホストの村上龍に対して、「2013年度中に同社が過去最高益を達成しなければ社長を辞任する」と公言した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]