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谷崎潤一郎の作品一覧[編集]

1910年代から1960年代にかけて健筆を振るった文豪谷崎潤一郎1886年7月24日 - 1965年7月30日)の作品一覧。


小説[編集]

初期作品:デビューから関西移住まで[編集]

題名 初出 初収 備考
誕生(戯曲) 新思潮
1910年9月号
『恋を知る頃(現代傑作叢書 第五編)』植竹書院
1913年10月5日
習作を除いた谷崎のデビュー作だが、掲載された『新思潮』創刊号は3日で発売禁止処分となる。
象(戯曲) 『新思潮』
1910年10月号
『刺青』籾山書店
1911年12月10日
The Affair of Two Watches 『新思潮』
1910年10月号
『悪魔』籾山書店
1913年1月20日
刺青 『新思潮』
1910年11月号
『刺青』 『誕生』よりも先に書き上げていた第一作。
麒麟 『新思潮』
1910年12月号
『刺青』
信西 スバル
1911年1月号
『刺青』
彷徨 『新思潮』
1911年2月号
少年 『スバル』
1911年6月号
『刺青』 「谷崎潤一郎氏の作品」(後述)において、永井荷風をして「自分の疲れきった想像力ではこれほど力のこもった作品は書けそうにもない」といわしめた。
幇間 『スバル』
1911年9月号
『刺青』
飆風 三田文学
1911年10月号
この作品が風紀壊乱に当たるとして『三田文学』が発売禁止処分を受ける。しかし同誌翌月号では永井荷風が評論「谷崎潤一郎氏の作品」で『刺青』や『幇間』などとともにこれを取り上げて絶賛し、谷崎を「当代稀有の作家」と評した。
秘密 中央公論
1911年11月号
『刺青』 新進作家としては破格の一枚一円という原稿料で主筆滝田樗陰の依頼を受け、この作品で初めて商業誌へ進出。
悪魔 『中央公論』
1912年2月号
『悪魔』
あくび 東京日日新聞
1912年2月
『恋を知る頃』
朱雀日記 『東京日日新聞』『大阪毎日新聞
1912年4 - 5月
『悪魔』
『東京日日新聞』
1912年7 - 11月
『羹』春陽堂
1913年1月1日
悪魔続篇 『中央公論』
1913年1月
『悪魔』 のちに『続悪魔』と改題。
恐怖 『大阪毎日新聞』
1913年1月
『恋を知る頃』
少年の記憶 『大阪毎日新聞』
1913年4月
恋を知る頃(戯曲) 『中央公論』
1913年5月
『恋を知る頃』
熱風に吹かれて 『中央公論』
1913年9月
捨てられるまで 『中央公論』
1914年1月
のちに『捨てられる迄』と改題。
憎み 『甍』鳳鳴社
1914年3月21日
同左(書き下ろし) のちに『憎念』と改題。
春の海辺(戯曲) 『中央公論』
1914年4月
饒太郎 『中央公論』
1914年9月
金色の死 東京朝日新聞
1914年12月
お艶殺し 『中央公論』
1915年1月
懺悔話 大阪朝日新聞
1915年1月
創造 『中央公論』
1915年4月
華魁 『アルス』1915年5月 発禁処分を受け、未刊に終わる。
法成寺物語(戯曲) 『中央公論』
1915年6月
お才と巳之介 『中央公論』
1915年9月
独探 『新小説』
1915年11月
神童 『中央公論』
1916年1月
鬼の面 『東京朝日新聞』
1916年1 - 5月
恐怖時代(戯曲) 『中央公論』
1916年3月
発禁処分。同年5月に「発売禁止に就きて」を『中央公論』に発表して抗議する。
亡友 『新小説』
1916年9月
発売禁止。
美男 新潮
1916年9月
発売禁止。
病蓐の幻想 『中央公論』
1916年11月
人魚の嘆き 『中央公論』
1917年1月
『人魚の嘆き』春陽堂
1917年4月20日
初収の単行本『人魚の嘆き』はエロティックで耽美的な挿画のため発売禁止となる(のちに挿画2枚を削除して再刊)。再録の単行本『人魚の嘆き・魔術師』もやはり発禁。
魔術師 『新小説』
1917年1月
既婚者と離婚者(対話劇) 『大阪朝日新聞』
1917年1月
鶯姫(戯曲) 『中央公論』
1917年2月
玄奘三蔵 『中央公論』
1917年4月
詩人のわかれ 『新小説』
1917年4月
或る男の半日(戯曲) 『新小説』
1917年5月
異端者の悲しみ 『中央公論』
1917年7月
前年7月に脱稿していたが、これも発禁になることを怖れた中央公論社によって発表が先送りになっていた。
晩春日記 『黒潮』
1917年7月
十五夜物語(戯曲) 『中央公論』
1917年9月
女人神聖 婦人公論
1917年9月 - 1918年6月|
ハッサン・カンの妖術 『中央公論』
1917年11月
ラホールより 『中外新論』
1917年11月
仮装会の後(対話劇) 『大阪朝日新聞』
1918年1月
襤褸の光 『週』
1918年1月
兄弟 『中央公論』
1918年2月
少年の脅迫 『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』
1918年2月
前科者 読売新聞
1918年2 - 3月
人面疽 『新小説』
1918年3月
二人の稚児 『中央公論』
1918年4月
金と銀 『黒潮』
1918年5月
前篇のみ。後篇は同年7月に『二人の芸術家の話』と改題して発表。
白昼鬼語 『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』
1918年5 - 6月
人間が猿になった話 『雄弁』
1918年7月
二人の芸術家の話 『中央公論』定期増刊号
1918年7月
同年5月に発表した『金と銀』の後篇を加筆して改題したもの。のちに再度『金と銀』へ改題。
ちひさな王国 『中外』
1918年8月
『小さな王国』と改題。
敵討(童話) 赤い鳥
1918年8月
嘆きの門 『中央公論』
1918年9 - 11月
魚の李太白 『新小説』
1918年9月
柳湯の事件 『中外』
1918年11月
美食倶楽部 『大阪朝日新聞』
1919年1 - 2月
母を恋ふる記 『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』
1919年1 - 2月
蘇州紀行 『中央公論』
1919年2月
秦淮の夜 『中外』
1919年2月
昼舫記 『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』
1919年3月
『蘇州紀行』の続篇。
南京奇望街 『新小説』
1919年3月
『秦淮の夜』の続篇。
呪はれた戯曲 『中央公論』
1919年5月
青磁色の女 『改造』
1919年6月
のちに『西湖の月』と改題。
富美子の足 『雄弁』
1919年6月7月
真夏の夜の恋 『新小説』
1919年8月
或る少年の怯れ 『中央公論』
1919年9月
或る漂泊者の俤 『新小説』
1919年11月
秋風 『新潮』
1919年11月
天鵞絨の夢 『大阪朝日新聞』
1919年11、12月
鮫人 『中央公論』
1920年1、3 - 5、8 - 10月
連載が一時中断することについて「『鮫人』の続稿に就いて」(『中央公論』11月号掲載)で弁明をしたが、再開されることなく未完に終わった。
途上 『改造』
1920年1月
検閲官 『大正日日新聞』
1920年1月
アマチュア倶楽部(シナリオ) 『活動雑誌』
1920年6 - 10月
この年の5月に大正活映株式会社の脚本部顧問(翌年11月に辞任)に就任し、第一回作品として栗原トーマスとともに執筆。
蘇東坡(戯曲) 『改造』
1920年8月
月の囁き(シナリオ) 『現代』
1921年1、2、4月
不幸な母の話 『中央公論』
1921年3月
『改造』
1921年3月
鶴唳 『中央公論』
1921年7月
AとBの話 『改造』
1921年8月
盧山日誌 『中央公論』
1921年9月
のちに『盧山日記』と改題。
生れた家 『改造』
1921年9月
或る調書の一節 『中央公論』
1921年11月
愛すればこそ(戯曲) 『改造』
1921年12月
第一幕のみ。第二、三幕は翌年1月『中央公論』に『堕落』の題で発表された。
堕落(戯曲) 『中央公論』
1922年1月
のちに前年発表の第一幕と併せ『愛すればこそ』と改題。
或る罪の動機 『改造』
1922年1月
奇怪な記録 『現代』
1922年1 - 2月
蛇性の婬(シナリオ) 『鈴の音』
1922年2 - 4月
前年9月に上映された大正活映の第四回作品で、上田秋成雨月物語』中の一篇の脚色。
青い花 『改造』
1922年3月
永遠の偶像(戯曲) 『新潮』
1922年3月
彼女の夫(戯曲) 『中央公論』
1922年4月
或る顔の印象 『鈴の音』
1922年5月
お国と五平(戯曲) 『新小説』
1922年6月
同年7月には帝国劇場で上演され、演出を担当した。
本牧夜話(戯曲) 『改造』
1922年7月
アヴェ・マリア 『中央公論』
1923年1月
愛なき人々(戯曲) 『改造』
1923年1月
白狐の湯(戯曲) 『新潮』
1923年1月
神と人との間 『婦人公論』
1923年1 - 5、7、8月、1924年1 - 4、9 - 12月
この1921年3月に千代夫人をめぐって佐藤春夫と絶交した経緯(いわゆる「小田原事件」)を題材としている。
肉塊 『東京朝日新聞』
1923年1 - 4月

中期作品:関西移住から第二次世界大戦まで[編集]

後期作品:第二次世界大戦後から晩年まで[編集]

評論、随筆[編集]

翻訳[編集]