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利用者:Days for archaeology/記事について

新規[編集]

  • 東高野街道錦織一里塚 大阪府の史跡になっていますが、あまり情報がありません。市教委の広報記事に記載がありますが、内容に錯綜が見られます。新聞報道や市議会の議事録でもう少し補完できるとは思いますが、読者の参考になる資料や見解はほぼ提示出来たと思います。
  • 平古墳群 まったく知られていませんが、富田林市の文化財保護行政におけるターニングポイントとなった遺跡です。惜しくも遺跡は破壊されましたが、高校生らによる保存運動がその後の市全域を対象とした分布調査に繋がりました。いまのところ南河内で唯一の後期の前方後方墳ですが(たぶん)、考古学的にどのような位置づけになるのか私はよく知りません。個別の資料はほぼ提示出来たと思いますが、保存運動の当事者だった竹谷先生の論文は未読ですので、ご覧になられた方は訂正をお願いしたいです。
  • 浅川堤 (富田林市) 石川西岸に築堤された堤防です。小学校社会科資料集に取り上げられるなど、富田林市内では粟ヶ池に次いで著名な水利事業です。何故か市史に記載がなく、市誌には記載されています。関係諸家な資料では異なる主張が見られますが、故人の名誉を傷つけない範囲で記述を行いました。争論の内容につきましては参考資料に詳述されていますので、ご自身で判断していただければと思います。特筆性タグが貼られましたので、一定の特筆性が認めうることを証明するような編集を行いました。
  • 桜井町 (富田林市) 近世の喜志村を構成した喜志七郷のひとつです。桜井屯倉の富田林説と桜井遺跡で水増ししています。加賀屋新田を開発した加賀屋甚兵衛の出身地としても有名です。地名の由来「ちやくらへ」を書きたかったから、勢いで書きました。
  • /蓮華心寺 富田林市彼方にかつて存在した真言宗の寺院です。そのうち立項予定。
  • 粟ヶ池 富田林市中野と喜志の間にある南河内でも有数の規模を誇る溜池です。仁徳期の和珥池とされますが、伝承を裏づけるような調査成果は出ていません。南河内では狭山池を始め、大和朝廷による活発な水利事業が行われています。果たしてここはどうなのでしょうか。狭山池と違い、行基や重源といったスターが不在なので、関心の低さが寂しいところです。
  • 金胎寺城 (富田林市) 長野の説明文にあるのは知っていますが、wikiで喧伝されてしまった楠木七城の元ネタは何でしょう。まだ読めてない『大楠公奮忠事歴』とかかなあ。「楠十七支城」のほうがまだ一般的な気がします。頭痛が酷くて、スタブ放置m(__)m
  • 南旭ケ丘町 1960年代に開発された住宅地です。真名井古墳宮前山古墳群はこの開発によって調査後に消滅しました。宮前山1号墳は石棺が阪大の文法経本館中庭に移築され、大阪府の有形文化財(考古資料)に指定されています。
  • en:Tondabayashi Jinaimachi 時制がめちゃくちゃ
  • 新堂大工組 とりあえずスタート。吉田先生と富田林側の資料はだいたい揃いましたが、幕末期の組頭であった松原村新堂利助や丹南村与兵衛の資料は集めきれていません。また専門外なので、中井家文書も詳しく読んでいません。寺院建築は興正寺別院の報告書に一覧と特徴が記載されています。民家は杉山家酒蔵をはじめ支配域のかなりの数を手掛けていると思われますが、新堂組としての悉皆的な調査は行われていないと思われます。地車は各保存会のwebを参考にするしかないでしょう。
  • 西大寺山古墳群 寛弘寺古墳群北方の丘陵上に位置する前期末から後期にかけての古墳群です。かがり台開発以前に認識されていた古墳は西大寺山○号墳、かがり台の開発時に発見された古墳は山中田○号墳としてナンバリングされています。うち山中田1号墳は中期に属し、短甲、鉄器、石釧、600個を超える玉が出土したことで著名です。遺物は常設展示されています。報告書は残念ながら未刊行ですが、一定の報告がなされています。
  • 夫婦塚 (富田林市) 富田林市山中田に存在したとされる古塚です。西大寺山古墳群との関係から先行して記述します。河内鑑名所記に載っていますので、江戸の半ばには大伴黒主の墓もしくは夫婦塚としてそれなりの知名度があったのでしょう。これだけ載ってて特筆性がないと言われたら困ります。
  • 西野々古墳群 富田林市大字伏見堂にある古墳群です。段丘面の平地上に立地する5つの古墳から構成され、道路から墳丘がよく見えます。道路脇に立つ市教委の看板ですと、1号墳を明八塚、2号墳を千代塚としています。混ざっていますね…。明八はその形状からつけられたもので、人名ではありません。千代の伝説は嶽山北方の山中にあったとされる別の古墳のものです。
  • /河内十二坊 中河内・南河内地方における浄土真宗の有力寺院十二ヶ寺である。西証寺(顕証寺)の門徒らとともに、蓮如の息子である実順、その息子の実真が相次いで没した西証寺に、本願寺教団の有力者で実順の兄であった蓮淳を招いた。江戸時代は顕証寺の支配下にあった。
  • /オガンジ池瓦窯跡 新堂廃寺所用瓦を供給していた瓦窯です。お亀石古墳とともに、新堂廃寺の附として国の史跡に指定されています。登窯の1号窯、平窯の2号窯の2基が発見されています。1号窯は飛鳥時代から白鳳時代まで、2号窯は天平時代に操業していました。飛鳥寺瓦窯と同様に消費地近接型瓦窯であり、新堂廃寺創建時所用瓦には飛鳥寺「星組」と全く同様ではないものの強い影響が見られます。補修・再建時には、山田寺式・川原寺式・平城京系など、同時期の中央の流行を反映した瓦が製作されます。また、窯体内や灰原から須恵器は見つかっておらず、瓦専業窯だったと考えられます。
  • /川西古墳 石川西岸に位置する古墳時代中期の前方後円墳です。石川東岸の将軍塚(彼方丸山古墳)と相對して、無露塚と呼ばれていました。病院建設時に破壊されましたが、甲田南遺跡の調査では周濠が見つかっています。周辺では小型の古墳や土壙墓が複数見つかっており、川西古墳群を形成しています。場所が判明しているなんとか塚シリーズは、荘司の塚(板持古墳群板持丸山古墳)だけかな。鍋塚古墳、ガマ塚(宮神社裏山古墳群1号墳)もそうか。
  • /大日山古墳古墳じゃなかった墳丘状地形です。錦織公園管理事務所が建っています。大日山古墳、大日山前方後円墳、錦織前方後円墳とはここのことです。調査前は中期の前方後円墳と考えられていました。特筆性は、…ないですねw
  • /野村豊 (地理学者) 1940年代から1950年代にかけて、多岐にわたる重要な研究をされていた方です。寒天や漁村についての研究は今でも多数の論文で言及が見られます。また、研究の過程で河内屋可正旧記や錦の織物名跡考を見いだし刊行された方でもあります。郷里の先達である末永先生と親しくされていたようで、いくつかの刊行物に先生が序文を寄せられています。1960年代以降の活動が見られず気になっていたのですが、訃報を見つけました。お名前の読みがndlでは「のぼる」となっていますが、ご本人と交流があった方は「ゆたか」と仰っていたので、どちらが正しいか分かりません。
  • /錦の織物名跡考 明治時代に今道万造氏によって書かれた錦部郡の地誌です。錦部郡の名所旧跡山川社寺が網羅されています。私家版として書かれたものですが、錦部郡誌や郷土史の研究に転載されました。出版されたものは、戦後に今道氏の原典を野村豊氏が校訂したものです。地元には現代語訳したものもある模様。
  • 坂井秀弥 坂井さんです。秀弥先生です。
  • /中野遺跡 ありふれた地名に由来するので、全国各地に存在します。小字由来ですと、自治体内に同名の小字が複数ある場合、先頭に大字名等がつきますので、そういう遺跡名を加えるとさらにたくさんあります。早々に書くつもりはありませんが、他所の自治体、とりわけ某市にこの記事名を使われたくないため、純粋な悪意で曖昧さ回避を作ります。
  • /河内ふるさとのみち 南河内地域広域行政推進協議会によって設定された散策ルートです。協議会が計画策定を行い、説明板や道標の設置などの事業実施は各自治体によって行われました。平成22年の推進協議会解散によって、華やいで大阪・南河内観光キャンペーン協議会へ継承されましたが、現在はキャンペーン協議会のwebサイトから無くなっています。設置物の維持状況は各自治体によって異なっています。

加筆[編集]

  • 湧田山古墳群赤坂今井のときに集めた資料がありましたので、若干の修正と1号墳の築造年代をまとめました。
  • 舟形木棺 スタブのまま今風の内容に。
  • 赤坂今井墳墓 少しだけ手直し。あれこれ書けるだけの資料は集めましたが、事実記載に留めました。湧田山1号墳の築造年代如何で、丹後の歴史認識は大きく変わる可能性があり、それからでもいいのかなあと思いました。
  • 石川郡 (大阪府) 郡衙推定地について。
  • 久米田古墳群 ポータルから拝見させていただきました。簡単に概要のみ改稿。
  • 富田林市立川西小学校 教育歴史資料室を加筆して、特筆性タグを消しました。甲田と廿山で、海もないのに岬なのが好きです。昔はいまの金剛地区全域が校区に含まれていたんですよ。
  • 咸古神社 牛頭天王社の由緒を加筆しました。
  • 高安古墳群 高安千塚古墳群と高安古墳群の区分について加筆しました。
  • 嶽山城 発掘調査成果と近年の見解を加筆。『郷土史の研究』と『錦の織物名跡考』で伝承を補完予定。
  • 富田林寺内町 細々と修正。
  • 愛宕塚古墳 (八尾市) ポータルから拝見させていただきました。位置づけの整理と出典の追加のみ。
  • 錦織神社 明治40年以前の水郡(にごり)神社の名称のみ加筆しました。
  • 興正寺別院 富田林のウィキペディアタウンに参加した際に加筆しました。中途半端な加筆ですね。それはともかく、大坂天満別院や高松別院があるのに、富田林別院がこの記事名を使うのはもやもやします。
  • 徳融寺 (奈良市) ならまちのウィキペディアタウンに参加した際に加筆しました。土地勘や前知識がないとつらいと感じました。