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利用者:E56-129/サンドボックス

東武鉄道の気動車(とうぶてつどうのきどうしゃ)は、東武鉄道(東武)に在籍した気動車の一覧である。同社では歴代で27両の気動車が在籍したが、ほとんどは路線買収による承継車両、もしくは他社からの譲受車両で、東武で発注して新製されたものはキハ2000形3両しかない。

キハ1 - キハ3 (初代)

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1937年に上州鉄道小泉線館林 - 小泉町間に相当する路線を運営していた事業者)から路線を買収した際の承継車両。

キハ4 (初代)

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1937年に神中鉄道(相鉄本線厚木線に相当する路線を運営していた事業者)から譲受した二軸ガソリンカーだが、元は同社の二等客車ロ12をガソリンカーに改造したキハ20形キハ20である。廃車後は下今市で詰所代用となった状態が確認されている。

キハ11・キハ12

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1942年に神中鉄道から譲受したボギー車のディーゼルカーで、元は同社のキハ30形キハ30・キハ32である。後年エンジンを撤去され客車化された後、以下の通り譲渡された。

  • キハ11 - 1956年に上田丸子電鉄(現、上田交通。鉄道事業は上田電鉄へ分社)へ譲渡され、付随車サハ20形サハ27となり、1872年に廃車された。
  • キハ12 - 有田鉄道へ譲渡されキハ32となったが、1952年に山形交通(現、ヤマコー)へ再譲渡されハフ6となって尾花沢線に配置された。後にハフ2(2代)となり、1970年の同線廃線時に廃車された。

キハ21

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1937年に鉄道省キハ40300を譲受したもので、元は1933年に日本車輌東京支店で製造された秋田鉄道(花輪線の一部区間を運営していた事業者)のジハ6である。

1951年に上田丸子電鉄へ譲渡された。その際エンジン等を撤去されサハ20形サハ26となり、別所線に投入された。1957年に廃車となったが、車体は丸子線モハ3220形モハ3224に流用され、1969年の丸子線廃線まで使用された。

キハ53

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鉄道省キハ53を譲受したもので、元は1931年日本車輌本店製の播丹鉄道(加古川線などの前身事業者)の二軸ガソリンカー、レカ9である。

キハ101 - キハ103

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キハ204・キハ205

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キハ301

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キハ1・キハ2 (2代)

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キハ3・キハ4 (2代)

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キサ3・キサ4

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1944年に休止となった成田鉄道多古線で使用されていたガソリンカー、ガ104・ガ105で、東武では付随車として使用した。

キサ11

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成田鉄道多古線で使用されていたディーゼルカー、ヘテ301(ジ301とする資料もあり)を譲受したもので、キサ3・キサ4と同じく付随車として使用された後、寿都鉄道へ譲渡されキハ1となり、1968年の運行休止まで使用された。

キサ21 - キサ23

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鉄道省で1941年に廃車となったキハ5022 - キハ5024を譲受したもので、元は1930年に汽車製造で製造された北九州鉄道筑肥線に相当する区間を運営していた事業者)初の片ボギー式のガソリンカー、キハ5 - キハ7である。東武では付随車として使用された。

キサ21は1957年に寿都鉄道へ譲渡され客車ハ21となり、後にハ6(2代)に改番され休止時まで使用された。

キハ2000形

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1954年に東急車輛製造でキハ2001 - キハ2003の3両が製造された東武最後の気動車で、また東武唯一の自社発注の気動車である。熊谷線に投入され、1983年の同線廃線まで使用された。

参考文献

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  • 花上嘉成、安田理『日本の私鉄 10 東武』保育社〈カラーブックス〉、1981年11月、107 - 108頁。ISBN 4-586-50550-8