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東武鉄道の気動車(とうぶてつどうのきどうしゃ)は、東武鉄道(東武)に在籍した気動車の一覧である。同社では歴代で27両の気動車が在籍したが、ほとんどは路線買収による承継車両、もしくは他社からの譲受車両で、東武で発注して新製されたものはキハ2000形3両しかない。
キハ1 - キハ3 (初代)
[編集]1937年に上州鉄道(小泉線館林 - 小泉町間に相当する路線を運営していた事業者)から路線を買収した際の承継車両。
キハ4 (初代)
[編集]1937年に神中鉄道(相鉄本線・厚木線に相当する路線を運営していた事業者)から譲受した二軸ガソリンカーだが、元は同社の二等客車ロ12をガソリンカーに改造したキハ20形キハ20である。廃車後は下今市で詰所代用となった状態が確認されている。
キハ11・キハ12
[編集]1942年に神中鉄道から譲受したボギー車のディーゼルカーで、元は同社のキハ30形キハ30・キハ32である。後年エンジンを撤去され客車化された後、以下の通り譲渡された。
- キハ11 - 1956年に上田丸子電鉄(現、上田交通。鉄道事業は上田電鉄へ分社)へ譲渡され、付随車サハ20形サハ27となり、1872年に廃車された。
- キハ12 - 有田鉄道へ譲渡されキハ32となったが、1952年に山形交通(現、ヤマコー)へ再譲渡されハフ6となって尾花沢線に配置された。後にハフ2(2代)となり、1970年の同線廃線時に廃車された。
キハ21
[編集]1937年に鉄道省キハ40300を譲受したもので、元は1933年に日本車輌東京支店で製造された秋田鉄道(花輪線の一部区間を運営していた事業者)のジハ6である。
1951年に上田丸子電鉄へ譲渡された。その際エンジン等を撤去されサハ20形サハ26となり、別所線に投入された。1957年に廃車となったが、車体は丸子線のモハ3220形モハ3224に流用され、1969年の丸子線廃線まで使用された。
キハ53
[編集]鉄道省キハ53を譲受したもので、元は1931年日本車輌本店製の播丹鉄道(加古川線などの前身事業者)の二軸ガソリンカー、レカ9である。
キハ101 - キハ103
[編集]キハ204・キハ205
[編集]キハ301
[編集]キハ1・キハ2 (2代)
[編集]キハ3・キハ4 (2代)
[編集]キサ3・キサ4
[編集]1944年に休止となった成田鉄道多古線で使用されていたガソリンカー、ガ104・ガ105で、東武では付随車として使用した。
キサ11
[編集]成田鉄道多古線で使用されていたディーゼルカー、ヘテ301(ジ301とする資料もあり)を譲受したもので、キサ3・キサ4と同じく付随車として使用された後、寿都鉄道へ譲渡されキハ1となり、1968年の運行休止まで使用された。
キサ21 - キサ23
[編集]鉄道省で1941年に廃車となったキハ5022 - キハ5024を譲受したもので、元は1930年に汽車製造で製造された北九州鉄道(筑肥線に相当する区間を運営していた事業者)初の片ボギー式のガソリンカー、キハ5 - キハ7である。東武では付随車として使用された。
キサ21は1957年に寿都鉄道へ譲渡され客車ハ21となり、後にハ6(2代)に改番され休止時まで使用された。
キハ2000形
[編集]1954年に東急車輛製造でキハ2001 - キハ2003の3両が製造された東武最後の気動車で、また東武唯一の自社発注の気動車である。熊谷線に投入され、1983年の同線廃線まで使用された。
参考文献
[編集]- 花上嘉成、安田理『日本の私鉄 10 東武』保育社〈カラーブックス〉、1981年11月、107 - 108頁。ISBN 4-586-50550-8。