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利用者:Eroica~jawiki/sandbox

1831年の初演を告知するポスター
第3幕第2場を鑑賞する観客(1832年、ペルティエ座)

『悪魔のロベール』 (Robert the Devil)は、ジャコモ・マイアベーアが作曲し、1831年11月21日パリオペラ座で初演された5幕のグランドオペラである。台本は、ウジェーヌ・スクリーブ及びジェルマン・デラヴィーニュで、実在のノルマンディー公で「悪魔公」の異名で知られるロベール1世(初代イギリス国王としても知られるウィリアム1世の父)をモデルにしている。本作は、グランドオペラの傑作と見なされており、特に19世紀は非常に人気のあるオペラ作品であった。

作品成立の背景

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1825年のマイアベーア
ドイツのユダヤ人銀行家の家庭で育ったマイアベーアは、1816年から1825年にかけてイタリアに滞在している。このイタリア時代において、 彼は当時イタリアオペラ界の中心であったジョアキーノ・ロッシーニの影響を受けつつ、自らもイタリア語のオペラをいくつか作曲している。それらイタリア時代の作品は、そこそこ成功を収め、いくつかはヨーロッパの他の国々でも上演がなされている[1]。その中で特に成功を収めたのが、1824年の『エジプトの十字軍』である。この作品は1825年にはパリでも上演され、ヨーロッパ全域で幅広い成功を収めた。この作品のとりわけヨーロッパ随一の都であるパリでの成功は、マイアベーア(すでに33歳を迎えていた)にパリで成功したいという野心を後押しすることになる。以降彼は、パリで成功できる作品を作曲すべく、台本選びを開始する[2]
マイアベーアが、自身の日記の中で「悪魔のロベール」について言及するようになったのは、1827年2月のことである。同年4月19日付の新聞ジュルナル・ド・パリ Journal de Paris 」の記事には、スクリーブとデラヴィーニュのリブレットが、検閲を通過したこと、「音楽は、ドイツとイタリアで輝かしい成功を収め、我が国でもいくつかの作品が成功を収め、名声を拡大しつつあるマイアベーア氏に委託された」ことが記されている[3]

 台本は、ロベール1世が悪魔の息子であるという疑惑に基づいた古い伝説を元に作成されたものである。台本作家たちは、様々なメロドラマティックな出来事を加えてこの話を膨らませた。この作品の筋書きには、1830年代の観客を魅了した「幻想的で伝説的な要素」とウェーバーの『魔弾の射手』(パリでは1824年にRobin des boisというフランス語題で上演された)から発展した「悪魔に助けられて、成功を収める疑わしきヒーロー」という嗜好が反映されていた。[4][5]当初、本作品はオペラ=コミック座のために3幕のオペラ・コミックとして計画されていた。しかし、1827年にオペラ=コミック座が財政難に陥ったため、マイアベーアは作曲を一時中断していている。そして1829年8月に作曲者と台本作家は、この作品をオペラ座で上演するべく、5幕のオペラに手直しすることで合意した[6] 。この手直しによって、ストーリーにおけるいくつかの箇所に重要な変更が生じることになった。特に大きいのは、ロベールをパレルモに探しに来ることになる、ノルマンディーの騎士ランボーの役柄設定から、喜劇的な要素が減らされた点である。この変更によって、オペラ・コミックにおける伝統的なカップリング(すなわち貴族階級であるロベールとイサベル、そして庶民階級であるランボーとアリス)が押しやられ、悪魔の血筋を持つ男ロベールの物語という要素がより強められることとなった[7]1829年12月29日には、当時のオペラ座支配人エミール・ルッベール(Émile Lubbert)との間で「5幕7場のグランド・オペラ」する契約が結ばれた。マイアベーアが作曲を完成させたのは、翌1830年の6月か7月のことで場所はベルギースパにおいてであった[8]。  また、マイアベーアは1831年初頭にさらに作品に手を加えている。すなわち、いくつかの会話部分と初演後センセーションを巻き起こすことになる「罪を犯して亡くなった修道女たちのバレエ・シーン」を含むバレエ・シーンの追加である。また、舞台監督であったアンリ・デュポンシェル

役柄

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役柄 声種 1831年11月21日の初演におけるキャスト
(指揮者:フランソワ・アベネック(François Habeneck))
ノルマンディー公ロベール テノール アドルフ・ヌリ
シチリアの王女イサベル ソプラノ ロール・サンティ=ドモロー
ベルトラム(ロベールの友人だが、実は父親) バスもしくはバリトン ニコラ・ルヴァッスール
アリス(ロベールの乳兄妹) ソプラノ ジュリー・ドリュ=グラ
ランボー(吟遊詩人、アリスの婚約者) テノール マルセラン・ラフォン
騎士アルベルティ バス ジャン=ピエール・ウルトゥー
エラルド テノール ジャン=エチェンヌ=オーギュスト・マッソル
イザベルの侍女 ソプラノ ラヴリー
僧侶 バス
グラナダの王子 黙役
エレナ(罪を犯して死んだ修道女) バレリーナ マリー・タリオーニ


参考文献

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  • Carnegy, Patrick (2006). Wagner and the Art of the Theatre. New Haven: Yale University Press. ISBN 9780300106954.
  • Meyerbeer, Giacomo (1999). The Diaries of Giacomo Meyerbeer. Volume 1: 1791–1839, translated and edited by Robert Ignatius Letellier. Madison, NJ: Fairleigh Dickinson University Press; London: Associated University Presses. ISBN 9780838637890.

脚注

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  1. ^ Conway (2012), pp. 246–248
  2. ^ Conway (2012), pp. 249–50
  3. ^ Meyerbeer (1999), p. 384 & pp. 422–3
  4. ^ Crosten (1948), p. 92
  5. ^ Taruskin (2010), p. 217
  6. ^ Brzoska (2003), p. 190
  7. ^ Heuber (1992), p. 1357. For details of the earlier version see Everist (1994).
  8. ^ Meyerbeer (1999), p. 391