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創成期[編集]

1934年 発足
同好会として発足する[1]
1935年 創部 連盟加盟
同年創部[2]。メンバーの中心は日系二世の留学生たちで、ハワイ出身日系二世保科進らが創設に携わった[3]。創設者の一人、若林忠志プロ野球殿堂入りを果たしている名投手である[4][5][6]
前年に立教大、明治大早稲田大の三校により設立された東京学生アメリカンフットボール連盟(当時は東京学生米式蹴球競技連盟、現在の関東学生アメリカンフットボール連盟)に慶応大とともに加盟する。同年はリーグ戦4位、同年12月、関西大と対戦し43-0で勝利した。
1936年 関西大学との定期戦開始
第1回となる関西大学との定期戦が東京の芝運動公園で開催され、39-0で勝利した。
同年はリーグ戦3位
部員24人中、日系アメリカ人7人[7]
1937年
関西大学との第2回定期戦では55-8と敗北した。
同年はリーグ戦5位
1938年 日本アメリカンフットボール協会の結成
立教大、明治大早稲田大慶應大関西大と共に日本アメリカンフットボール協会(当時は日本米式蹴球協会)を結成した。
同年はリーグ戦3位

甲子園ボウル初優勝[編集]

1972年  甲子園ボウル初優勝
日大を破りリーグ戦初優勝。
甲子園ボウルでは関西学院大学を破り甲子園ボウル初出場初優勝を成し遂げる[8][9]

1990年代[編集]

1991年  「フリーズオプション」の導入
安田秀一が主将に就任したこの年、OL安田とともにQB今手義明が、法政二高時代からのフリーズオプション[10](当時アメリカカレッジで一世を風靡したシステムであり、法政二高コーチであった宮本氏が1年間休学し発祥の地であるシラキュース大学に留学、持ち帰って来た物)を導入し、独走タッチダウンを連発する[9]。同年、春の第23回定期戦で10年振りに日大を破る。
関東リーグ戦でブロック2位
1992年 甲子園ボウル出場(20年ぶり)
関東リーグ戦を全勝してブロック1位となり、第13回パルサーボウルにて日本大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
甲子園ボウルでは京大に敗退、関東リーグにおいては日大に代わり、関東学生リーグに「法政の時代」が到来する[11]
この年より2001年まで8年連続して甲子園ボウル出場を果たす。
関東リーグ戦で日体大戦で敗戦するもブロック1位となり、第15回パルサーボウルにて日本大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
甲子園ボウルでは立命館大学に2点差で敗退する。
ヨコハマボウルにて関西学院大学に勝利する。
関東リーグ戦でブロック1位となり、プレーオフ決勝戦にて東海大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
甲子園ボウルで関学と対戦し、引き分け、史上4度目の両校優勝という形で、25年ぶり2回目の甲子園ボウル優勝を果たす[12]
ライスボウルでは鉄壁ディフェンスの鹿島ディアーズに敗退 [13]。同試合は国内のアメフト観客最多動員記録となる約47000人を集めた。

2000年代[編集]

2000年 甲子園ボウル優勝(3年ぶり3回目)
関東リーグ戦を全勝し、第1回クラッシュボウル決勝戦で日体大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
関学を下し、28年ぶりに念願の甲子園ボウル単独優勝(関東のチームとして10年ぶりの甲子園勝利)を果たす[14]
ライスボウルではアサヒ飲料チャレンジャーズに敗退した [15]
2001年 甲子園ボウル8年連続出場達成
関東リーグ戦を全勝し、第2回クラッシュボウル決勝戦で日体大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
1994年からこの年まで8年連続(日本大学と並んでタイ記録)して甲子園ボウル出場を果たす。
甲子園ボウルでは関西学院大学に敗退する。
2002年
法大伝統のIフォーメーション、フレックスボーンからのオプション。それに加えてショットガンを採用した。[16]
ヨコハマボウルにてアサヒビールシルバースターに敗退する。
関東リーグ戦を全勝し、第3回クラッシュボウル準決勝で早稲田大に2点差で敗退し、関東リーグ9連覇と甲子園ボウル出場を阻まれる[17]
2003年 甲子園ボウル出場
関東リーグ戦で早大に敗れて10年振りにブロック優勝を逃すものの、プレーオフを制し甲子園ボウルに出場[18]
その甲子園で立命館大学に大敗。
2004年 「ショットガン」攻撃の本格導入
この年、1990年から続いた伝統のオプション攻撃にかわり、本格的にショットガン攻撃を導入した。開幕戦で前年2部校の横浜国大に敗れるものの、第5回クラッシュボウル決勝戦で中央大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
甲子園にボウルでは立命館に敗退した。
2005年 
関東リーグ戦を全勝し、第6回クラッシュボウル決勝戦で慶應大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
甲子園ボウルで立命館17-14で勝利し、5年ぶりの学生日本一。
ライスボウルでは、オービック・シーガルズに17-47で敗退した[19]
2006年  甲子園ボウル連覇(初の連覇、5回目)
春季オープン戦にて関学に(45-3(5/28)、43-7(6/3))と連勝した[20]
関東リーグ戦を全勝し、第7回クラッシュボウル決勝戦で慶應大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。
この年は、「伝統&連覇」スローガンに掲げた。関東リーグ優勝候補の最右翼であったが、日大と早稲田も有力候補に挙げられており、苦戦を強いられるとみられていたが4年連続の優勝を決める。
甲子園ボウルでは5年振りに関西リーグを制した関学と対戦して勝利し、創部71年目にしてチーム初の甲子園ボウル「連覇」を達成した[21]
続くライスボウルではオンワードスカイラークスに敗退した[22]
2007年
関東リーグ戦初戦の帝京大学戦に123-0という記録的得失点差で勝利し、全勝する。第8回クラッシュボウル決勝戦にて日本大に敗退し、5年ぶりに甲子園ボウル出場を逃す。
2008年 甲子園ボウル出場(2年ぶり)
関東リーグ戦を全勝し、第9回クラッシュボウル決勝戦で早稲田大に勝利し甲子園ボウル出場を決める。リーグ戦において3年生エースRBが1043ヤード98回1043ヤード15TDを記録、関東学生史上5人目の1000ヤードラッシャーとなり関東リーグ戦MVPに選ばれた。
甲子園ボウルに出場するが、立命館大に敗退[23]
2009年 甲子園ボウル出場(2年連続)
関東リーグ戦を全勝し、東日本代表校決定戦では早稲田大に勝利し2年連続の甲子園ボウル出場を決める(観衆12,500人)。[24][25]
甲子園ボウルでは関西大に敗退 (観衆25,000人)。[26][27][28]

2010年代[編集]

2010年
関東リーグ戦を全勝するが、続く東日本代表校決定戦にて早稲田大に敗退し、甲子園ボウル出場を3年ぶりに逃す。
丸田喬仁が関東歴代1位となる年間スコアリングキック63点を記録
2011年
関東リーグ戦を全勝し、第1回あずまボウルにて日本大に敗退し、甲子園ボウル出場を2年続けて逃す。
2012年 甲子園ボウル出場(3年ぶり17回目)
関東学生リーグ戦を全勝し、第2回あずまボウル日本大に勝利し3年ぶりに甲子園ボウル出場を決める。
甲子園ボウルでは、関西学院大に敗退[29]、またも関西の壁に阻まれる[30]
2013年
関東リーグ戦を全勝するが、続く第3回あずまボウルにて日本大に敗退し甲子園ボウル出場を逃す。
2014年 関東リーグ戦73連勝
TOP8決勝の日本大戦に1FG差で敗退し連勝はストップしたが、2004年度から続く関東リーグ戦73連勝を記録した[4]
第1回TOKYO BOWL (東西大学対抗戦)で立命館大に敗退。
2015年 創部80周年
創部80周年[31]
同年は、慶応大学との同じ勝率で並ぶも、直接対戦の結果により関東3位でシーズンを終えた。
2016年 チームの変革
春に元監督の不祥事が発覚し、法政大学トマホークスは立て直しを図る必要があった。そこで、同年9月、1991年度に主将を務めた安田秀一が監督に就任。続いて2009年卒の日本代表、現役Xリーグ選手の栗原嵩がWRコーチに就任[32]
チーム・フィロソフィーとして自由進歩のフットボール」 Freedom, Progress, and Football』を掲げている[33]
同年は早稲田大慶応大と三校が同じ勝率で並ぶも、得失点差により関東3位でシーズンを終えた。
2017年 ニックネームの変更
1月に安田秀一が総監督に就任。ヘッドコーチには1994年度主将で元日本代表LBコーチの有澤玄が就任。
同年1月18日、ニックネームをそれまでの「TOMAHAWKS(トマホークス)」が差別的意味合いがあることなどを考慮して「ORANGE(オレンジ)」へ変更した。[34][35][36]。ユニフォームも一新[37]
同年5月、日本版NCAAも含めた「連携によるイノベーション」図る目的で、IBM BigBlueリクシルディアーズ、東京大学ウォリアーズ、筑波大学エクスキャリバーズと共にスポーツイノベーションカンファレンス(SIC)設立に参加[38]
同年は関東3位となり、第4回TOKYO BOWLで春の練習試合で敗戦した京都大学と対戦し勝利(関東勢初勝利)。

タイトル[編集]

甲子園ボウル(東西大学王座決定戦 -2008)[編集]

優勝5回 (1972・1997・2000・2005-2006)/出場17回
甲子園ボウルの記録[39]
開 催 日 天候 関東/東日本 スコア 関西/西日本 備  考 出 典
 27   1972年12月10日  法政大学  34-20   関西学院大学 初出場初優勝 [40]
47 1992年12月13日 法政大学 7-17 京都大学 [39]
49 1994年12月18日 法政大学 22-24 立命館大学 [39]
50 1995年12月17日 法政大学 17-24 京都大学 [41]
51 1996年12月15日 法政大学 21-28 京都大学 [42]
52 1997年12月20日 法政大学 21-21 関西学院大学 25年ぶりの優勝、両校優勝。ライスボウルはコイントスで法政大が出場。 [43]
53 1998年12月19日 法政大学 17-25 立命館大学 [44]
54 1999年12月19日 法政大学 13-52 関西学院大学 [45]
55 2000年12月17日 法政大学 28-21 関西学院大学 3年ぶり3回目の優勝 [46]
56 2001年12月16日 法政大学 6-24 関西学院大学 8年連続出場 [47]
58 2003年12月21日 法政大学 6-61 立命館大学 [39]
59 2004年12月19日 法政大学 17-38 立命館大学 [39]
60 2005年12月18日 法政大学 17-14 立命館大学 5年ぶり4回目の優勝 [48]
61 2006年12月17日 法政大学 45-43 関西学院大学  初の連覇。史上初めて雷に伴う約30分間の中断(第3クォーター)を挟む。  [49]
63 2008年12月21日 法政大学 8-19 立命館大学 [23]
64 2009年12月13日 法政大学 38-50 関西大学 (「全日本大学アメリカンフットボール選手権大会」の決勝戦へ移行。) [50][51][52]
67 2012年12月16日 法政大学 17-20 関西学院大学 [53][54]
甲子園ボウル                  優勝 5回

甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会・決勝戦 2009-)[編集]

優勝 0回/出場 0回

ライスボウル 日本選手権[編集]

優勝0回※/出場5回

※1972年当時は学生オールスターの東西対抗戦のため当部の社会人代表との対戦は無し。



  • 天下茶や駅から徒歩10分の長屋(現存せず)5畳の和室二つ、風呂無しに父母兄弟6人暮らし
  • 6歳上の姉、4歳上 2歳上の兄
  • 両親家の近所で靴の製造工場を経営
  • 高校入部すぐ1年生よりレギュラー 高校三年生に大阪府代表選手
  • スポーツ推薦で入学
  • 元住吉駅から徒歩6分 201号室 6畳1K UB65000円
  • 日本一の超有名IT企業(富士通?)、世界シェア1位大手電気メーカー(IBM) スカウト内定
  • マネーの虎 移動販売クレープ屋 減収300~500万円は稼げる 「クレープ屋さんなら俺にもできる」
  • 開店資金を稼ぐため、ファーストフード店で清掃のアルバイト 深夜0時30分~朝5時 時給950円
  • 東急線沿線の池尻大橋、三軒茶屋の駅構内の補修工事資材ゴミの回収 深夜0時~朝5時 日給15000円 週一日ずつしか入れない
  • 元住吉の自宅から徒歩約10分のコンビニでレジ打ちのアルバイト 時給880円
  • 2年かけて 開業資金40万円がたまったところで
  • 中古車を扱うサイトでワンボックスカーを10万円で買って
  • オークションのサイトで必要な設備を25万円
  • 川崎市役所で営業許可申請2万円に
  • 読売ランド前駅から徒歩約2分 イタリアンレストランの専用駐車場でクレープ屋さんを開店
  • この場所を選んだ理由は、駐車場の前を女子がよく通る
  • クレープの作り方はネットに上がっている動画で独学で覚えた
  • ランチを食べ店長に話しかけ顔を覚えられたところで「駐車場を貸してください」と直談判 場所代はタダ
  • 肝心のお店は大盛況
  • レストランが閉店時でも「ありがとうございました」張り紙
  • 通学路狙いが当たったがクリームをサービスしすぎ(通常の3倍)
  • 1月2万円の赤字 半年で閉店
  • 元住吉駅から徒歩3分のイクミママのどうぶつドーナツ時給900円 男前で女性客が増えるかなと採用
  • 生活は厳しく食パン一枚を細かくちぎって牛乳2回し牛乳の味がするかしないかまで水で嵩増し なんちゃってコーンフレーク
  • 25歳の誕生日に先輩からチケットzeppブルーシアター(閉館)の舞台「舞台に立って歓声を浴びたい」
  • 養成所を経て、大手芸能事務所に所属
  • 小さな舞台(ギャラ2000円)だけ 5年
  • 事務所から呼び出し


関東リーグ戦[編集]

関東リーグ戦の記録[59][60][61]
年 度 勝-負-分 リーグ名 順位 監督 主将 備   考 出 典
1935年 1-2-1 4位 保科進 法政大学加盟 [62]
1936年 2-2-0 3位 [62]
1937年 0-4-0 5位 [62]
1938年 1-3-0 3位 [62]
1939年 1-3-0 4位 [62]
1940年 1-3-1 4位 (日大がリーグ戦に参加) [63]
1941年 2-1-0 2位 日本大と同順 [63]
1942年 1-3-0 4位 [63]
1943-45年 中断 [63]
1946年 オープン戦のみ [64]
1947年 1-4-0 5位 [64]
1948年 0-5-0 6位 [64]
1949年 1-3-1 5位 [64]
1950年 1-4-0 5位 [65]
1951年 2-3-0 4位 [65]
1952年 4-1-0 2位 [65]
1953年 1-4-0 5位 明治大と同順 [65]
1954年 1-3-1 5位 [66]
1955年 1-4-0 5位 [66]
1956年 2-3-1 6位 [66]
1957年 3-4-0 5位 [67]
1958年 3-4-0 4位 [67]
1959年 0-5-0 1部 6位 明治大に入替戦敗退(1部2部制開始) [67]
1960年 2部 3位 [68]
1961年 2部 2位 [68]
1962年 5-1-0 2部 1位 [68]
1963年 2-3-0 1部 3位 立教大、慶応大と同順 1部昇格 [69]
1964年 2-3-0 1部 4位 [69]
1965年 1-4-0 1部 5位 [69]
1966年 2-3-0 1部 4位 [70]
1967年 5-2-0 1部 2位 明治大、立教大と同順 [70]
1968年 5-2-0 1部 2位 日本大と同順 [70]
1969年 5-2-0 1部 3位 [71]
1970年 東京6大学 4位 (第1回関東大学選手権) [71]
1971年 東京6大学 2位 [71]
1972年 東京7大学 2位 川口久 関東選手権 決勝戦 日本大に18-8で勝利 甲子園初出場初勝利 [72]
1973年 東京7大学 2位 関東選手権 決勝戦 日本大と20-20引分(抽選負け) [72]
1974年  東京7大学  [72]
1975年 東京7大学 [73]
1976年 東京7大学 [73]
1977年 東京7大学 [73]
1978年 東京7大学 2位 決勝戦 日本大に0-80で敗退 [74]
1979年 東京7大学 2位 決勝戦 日本大に0-82で敗退 [74]
1980年 東京7大学 (並列リーグ制最後の年) [74]
1981年 1部Aブロック 2位   (リーグ再編:関東大学選手権は1位校同士の対戦に) [75]
1982年 1部Aブロック 2位 [75]
1983年 1部Aブロック 4位 [75]
1984年 1部Bブロック 3位 [75]
1985年 1部Aブロック 5位 箭内 鉄也 [75]
1986年 1部Aブロック 6位 (1部リーグは2校増えて14校に) [75]
1987年 1部Aブロック 4位 順列は6位 [75]
1988年 1部Aブロック 6位 (入替戦導入)一部残留 [75]
1989年 1部Bブロック 5位 [75]
1990年 1部Aブロック 2位 [75]
1991年 1部Bブロック 2位  金井明彦   安田秀一  順列2位 [75]
1992年 1部Aブロック 1位 金井明彦 鈴江貴之 第13回パルサーボウル 日本大に34-20で勝利 [75]
1993年 1部Bブロック 2位 金井明彦 [75]
1994年 6-0-0 1部Aブロック 1位 金井明彦 有澤玄 第15回パルサーボウル 日本大に27-17で勝利 [75]
1995年 1部Bブロック 1位 大森廣行 決勝戦 専修大に58-0で勝利(プレーオフ制度導入) [75]
1996年 1部Bブロック 1位 幡野 決勝戦 日本大に26-21で勝利 [75]
1997年 1部Aブロック 1位 基幸二 決勝戦 東海大に46-30で勝利 [75]
1998年 5-1-0 1部Aブロック 1位 阿部洋介 決勝戦 日本大に44-14で勝利 [75]
1999年 6-0-0 1部Aブロック 1位 丹司利行 関東大学選手権 日本大に28-20で勝利 [76]
2000年 6-0-0 1部Aブロック 1位 志賀隆三 第1回クラッシュボウル決勝戦 日体大に65-23で勝利 [77]
2001年 6-0-0 1部Aブロック 1位 小林桂一 第2回クラッシュボウル決勝戦 日体大に55-42で勝利 [78]
2002年 6-0-0 1部Aブロック 1位 鷲井秀剛 第3回クラッシュボウル準決勝 早稲田大に24-26で敗退 [17]
2003年 5-1-0 1部Aブロック 2位 曾澤俊太 第4回クラッシュボウル決勝戦 東海大に27-10で勝利 [18]
2004年 5-1-0 1部Aブロック 1位 二上雄介 第5回クラッシュボウル決勝戦 中央大に30- 6で勝利 [79]
2005年 6-0-0 1部Bブロック 1位 高橋伸和 第6回クラッシュボウル決勝戦 慶應大に56- 3で勝利 [80]
2006年 7-0 1部Bブロック 1位 青木均 伊倉良太 第7回クラッシュボウル決勝戦 慶應大に49-13で勝利 [81]
2007年 7-0 1部Aブロック 1位 上羽浩平 第8回クラッシュボウル決勝戦 日本大に34-38で敗退 [82]
2008年 7-0 1部Bブロック 1位 影澤司 第9回クラッシュボウル決勝戦 早稲田大に38-11で勝利 [83]
2009年 7-0 1部Aブロック 1位 徳田浩至 東日本代表校決定戦 早稲田大に38-11で勝利 [24][25][84]
2010年 7-0 1部Aブロック 1位 高澤幸平 東日本代表校決定戦 早稲田大に28-38で敗退 [85]
2011年 7-0 1部Bブロック 1位 鵜沼康平 第1回あずまボウル 日本大に17-27で敗退 [86]
2012年 7-0 1部Bブロック 1位 蔀啓介 第2回あずまボウル 日本大に23-22で勝利 [87][88]
2013年 7-0 1部Aブロック 1位 田中喜貴 第3回あずまボウル 日本大に 6-13で敗退 [89]
2014年 6-1 TOP8 2位 小林貴 第1回TOKYO BOWL (東西大学対抗戦) 立命館大に7-41で敗退 [90]
2015年 5-2 TOP8 3位 宮川周平 [91]
2016年 6-1 TOP8 3位 安田秀一 石神宇貴 早大慶大と共に6勝1敗と同じ勝率で並ぶも3校間の得失点差で3位 [92]
2017年 5-2 TOP8 3位 小山克成 第4回TOKYO BOWL 京都大学に24-23で勝利(関東勢初勝利)
2018年 4-2 TOP8 3位 有澤玄 寺林翼
2019年 - TOP8 2位 岩田和樹
2020年 - TOP8 位 山岸 達矢
関東リーグ戦          優勝 17回

在籍した主な選手[編集]

在籍した主な選手のリスト
名前 ポジション 出身高校 経歴 備考
1930年代
保科進 初代監督 マッキンレー高校(ハワイ) (1903-1981)創部に貢献し、初代監督兼プレーヤーとして活躍、法政大学監督を計20年務めた。日本アメリカンフットボールの殿堂顕彰者[3])
1990年代
安田秀一 OL 法政二高 1991年度主将、大学全日本選抜主将、三菱商事を経てアンダーアーマー日本総代理店株式会社ドーム設立、現在同社取締役会長 兼 代表取締役CEO、2016年法政大学監督、2017年-法政大学オレンジ総監督、2017年-筑波大学客員教授[93]
基 幸二 OL 仁川学院高 1997年度主将時に甲子園ボウル優勝、最優秀オフェンスライン賞受賞、元日本代表
2000年代
白木周作 RB 日大高 2000年度クラッシュボウルMVP・2000年度甲子園ボウル最優秀選手賞受賞、元オービックシーガルズ所属
中井勇介 LB 追手門学院高 2009年NDJB日本代表、元IBMビッグブルー所属、元オービックシーガルズ所属、競輪選手
西川岳志 OL 法政二高 2009年NDJB日本代表・2010年GJB日本代表、元LIXILディアーズ所属
佐野常実 TE 法政二高 2010年GJB日本代表、パナソニック電工インパルス所属
伊倉良太 DL 法政二高 2006年度主将、2006年関東リーグ戦MVP、甲子園ボウル優勝、2011年日本代表、相模原ライズ所属
丸田泰裕 DL 明学東村山高 2005・2006年 2年連続ミルズ杯受賞、2010年GJB日本代表、元LIXILディアーズ所属
菅原俊 QB 横浜高 日本代表、2011年~2013年史上初3年連続ポール・ラッシュ杯(=ライスボウル最優秀選手賞)受賞者、オービックシーガルズ所属
戸倉和哉 WR 駒場学園高 第3回W杯日本代表、2009年NDJB日本代表・2010年GJB日本代表、アサヒビールシルバースター所属
徳田浩至 DL 大阪学芸高 2009年度主将、2009年度オール関東[94]、アンダーアーマーカレッジボウル2010川崎 敢闘賞受賞[95]ブリリアン/with B コージとしてタレント活動(2016年-) ワタナベエンターテインメント所属)[96]
原卓門 RB 法政二高 2008年関東リーグ戦MVP、2012年ジャパンXボウルMVP、2014年ポール・ラッシュ杯受賞、オービックシーガルズ所属)
栗原嵩 WR 駒場学園高 U19日本代表、2009年関東リーグ戦MVP、IBMビッグブルー所属、2016年-法政大学オレンジWRコーチ
森健太郎 WR 法政二高 大学2年U19日本代表、大学3-4年関東オールスター、オービックシーガルズ所属
2010年代
高澤幸平 DL 県立舞岡高 2010年度主将、2008年度U19日本代表ベストラインマン賞受賞、2010年度オール関東
宮本康弘 WR 横浜高 2008年度U19日本代表、2009年NDJB日本代表、2010年度オール関東、LIXILディアーズ所属
佐藤裕亮 LB 法政二高 2009年NDJB日本代表、2010年度オール関東、LIXILディアーズ所属
海津裕太 OL 横須賀学院高 U19日本代表、2010年度・2011年度オール関東、富士通フロンティアーズ所属
鵜沼康平 LB 法政二高 2011年度主将、U19日本代表、2011年度オール関東、パナソニック インパルス所属
徳永亮介 DB 鎌倉高校 U19日本代表、2011年度オール関東
田中喜貴 LB 法政二高 2013年度主将、2013年度オール関東、日本代表、2015シーズンオールX、ノジマ相模原ライズ所属
小林貴 OL/DL 法政二高 2014年度主将、U19日本代表、2014年度オール関東、アサヒビールシルバースター所属、主将
宮川周平 DB 法政二高 2015年度主将、U19日本代表、2014年度オール関東、IBMビッグブルー所属
恒吉幸紀 WR 佼成学園 U19日本代表、2014年TOKYO BOWL MIP
高橋孝騎 DL 駒場学園高 2016年度カレッジ日本代表、2016年度オール関東


こじふと[編集]

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こじふと(1987年12月20日は、日本のピン芸人、俳優である。大阪府出身(本籍地は石川県)

目次[編集]

  • 1 略歴・人物
    • 1.1 NSC時代
    • 1.2 アメリカンフットボール
  • 2 出演
    • 2.1 舞台
  • 3 外部リンク

略歴・人物[編集][編集]

こじふとという名前の由来は、名前の「こうじ」とアメリカン「フット」ボールのフットを取ってこじふとと命名した。

趣味は筋トレとLEGO集め。特技はモノマネと殺陣とギター。兄が二人、姉が一人の末っ子である。左利きである。

お笑い芸人をやると言った時は、家族全員が反対したものの母親だけは応援してくれたという。

就職活動中、どこの企業に就職しようかと悩んでる時、祖母が夢に出てきて「お笑いをやりなさい」と言われ、これは何かあると思い大学卒業後にNSCに入る。だが、幼少の頃に祖母は亡くなっている為、写真でしか見たことがないという。

幼少時代から、目立つ事が大好きで、よくネタを考えては披露していたという。

小学校の卒業文集の将来の夢に「有名人」と書かれている。

高校時代に修学旅行で行ったオーストラリアに影響され、帰国後すぐに英会話学校に通うが、逆に外国人の講師に日本語を教えていた為一切身についていない。

大の虫嫌いで、大学一年生の時、一人暮らしのアパートに帰宅するとドアにセミがくっついていて一日中家に入れなかった事がある。 幽霊を大学時代に一度見ている。

舞台では殺陣をする事がある。

殺陣を始めて一ヵ月程で千葉真一と舞台で共演し、殺陣の絡みをした事がある。

その際、経験の浅さをカバーする為に必死に稽古をして臨んだが、刀を握っただけで「君、殺陣始めてどのくらい?」と、一瞬で経験の浅さがバレてしまったという。

芸風は、主にアメフトの格好をして、フリップを使用したり、コントをする。 YMOのライディーンの曲に合わせて「ほんまにダンス」で入場するのが定番。

NSC時代[編集][編集]

NSC時代はミッドランドというコンビを組んでいた。 元相方はアレックスという中国系オーストラリア人である。出会いはNSC テレビなどでハーフ芸人で注目されていた時期で、本物の外国人コンビを組んだら間違いなく売れると思ったらしいが、相方の在留ビザが切れた為に解散。 それがトラウマになり、以降コンビを組むのを避けている。

平成ノブシコブシ吉村の友達芸人を探そうという舞台企画で友達芸人として選ばれたことがある。

吉本のYouTube芸人として動画を配信していた事もある。現在は残っていない

アメリカンフットボール[編集][編集]

高校、大学とアメリカンフットボール部に所属し共に主将を務める。 高校三年時には大阪選抜に選ばれ、法政大学のスポーツ推薦入学のキッカケとなる。

大学1年時に日本一を経験し、4年時には主将としてチームを全国2位に導く。

現在は、同じ法政大学トマホークスの先輩である上羽浩平の運転手をしながら芸人活動をしている。

スポーツの中で一番強いのはアメフトであるという「アメフト最強説」を称えている。

出演[編集][編集]

舞台[編集][編集]

2014年

  • 女だらけの清河八郎物語
  • ミャンマー日本国交樹立60周年イベント「絆~and For You~」

対戦記録[編集]

  月 日             対 戦           開催地

1935	3/23	  南カリフォルニア大	71	-	7	明治大	甲子園南運動場
   3/25	   全米軍	   73	-	6	全日本	甲子園南運動場
   3/31	   全米軍	  46	-	0	全日本	神宮競技場
1936	1/3	南カリフォルニア高校選抜	19	-	6	全日本	ギルモア・フィールド
           ルーズベルト高	0	-	0	全日本	ホノルル・スタジアム
1964	12/11      	ハワイ大	40	-	0	全日本	ホノルル・スタジアム
   12/18 49ERS(ハワイ大OB)	10	-	28	全日本	ホノルル・スタジアム
1971	12/19	   ユタ州立大	50	-	6	全関東	国立競技場
   12/26	     ユタ州立大	45	-	6	全関西	甲子園球場
1973	1/7	       ハワイ大	31	-	0	全関西	西宮球技場
  1/15	       ハワイ大	43	-	0	全関東	国立競技場
  5/27          グアム大	34	-	14	全関西	西宮球技場
  6/3        	グアム大	15	-	14	全関東	駒沢第二球技場
1974	1/5   ウェイクフォレスト大	28	-	3	全関西	尼崎市営陸上競技場
   1/13	ウェイクフォレスト大	35	-	0	全関東	国立競技場
   3/24      	US All Star	12	-	10	全関東社会人選抜	国立競技場
   3/31      	US All Star	34	-	8	全関西社会人選抜	西宮球場
   12/24  	ノースウエスタン大	48	-	0	西日本	伊丹スポーツセンター
   12/29	ノースウエスタン大	14	-	0	東日本	国立競技場
1976	12/25	コーネル大(軽量級)	9	-	0	全関東学生	国立競技場
1977	1/3 	コーネル大(軽量級)	16	-	17	全関東学生	瑞穂競技場
   12/17	ブリガムヤング大	61	-	13	関東学生選抜	国立競技場
   12/24	ブリガムヤング大	71	-	0	関西学生選抜	瑞穂競技場
1989	1/8 	ウィリアム&メアリ大	73	-	3	日本学生選抜	横浜スタジアム
  12/23 アイビーリーグ All Star	49	-	17	日本学生選抜	横浜スタジアム
1990	12/24アイビーリーグ All Star	47	-	10	日本学生選抜	横浜スタジアム
1991	12/24アイビーリーグ All Star	24	-	0	日本学生選抜	東京ドーム
1993	1/8	アイビーリーグ All Star	68	-	3	学生オールジャパン	東京ドーム
1994	1/8	アイビーリーグ All Star	31	-	14	学生オールジャパン	東京ドーム
1995	1/8	アイビーリーグ All Star	20	-	10	学生オールジャパン	西宮球場
1996	1/7	アイビーリーグ All Star	35	-	16	学生オールジャパン	西宮球場
1998	8/3	   フィンランド代表	7	-	39	オールジャパン	東京ドーム
1999	5/16	 在日米軍オールスター	0	-	84	オールジャパン	横浜スタジアム
   6/28     スウェーデン代表	14	-	24	オールジャパン	イタリア・パレルモ市
   7/1	    オーストラリア代表	0	-	54	オールジャパン	イタリア・パレルモ市
   7/4	       メキシコ代表	0	-	6	オールジャパン	イタリア・パレルモ市
2003	2/23      	韓国代表	0	-	88	オールジャパン	長居競技場
   6/22	在日米軍オールスター	12	-	88	オールジャパン	川崎球場
   7/10	  フランス代表	6	-	23	オールジャパン	ドイツ・ヴィースバーデン
   7/12	  メキシコ代表	14	-	34	オールジャパン	ドイツ・ヴィースバーデン
2005	7/14      	USAハワイ	16	-	20	オールジャパン	東京ドーム

[97]

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