利用者:I7man/sandbox5
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新敷島 | |
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基本情報 | |
建造所 | I7man横須賀海軍施設一番ドッグ |
運用者 | I7man帝国 |
艦種 | 戦艦 |
級名 | 新敷島型戦艦 |
前級 | 大和型戦艦 |
原型艦 | 敷島 |
次級 | 新河内型戦艦(河内は沈没) |
建造費 | 約123,290,000円(1941年8月 I7man艦政本部試算) |
母港 | I7man海軍横須賀港 |
所属 |
第四艦隊第二重装高速艦隊旗艦⇨ 第二艦隊第一戦隊戦艦⇨ 第二艦隊第一戦隊旗艦⇨ 第二艦隊第一航空戦隊旗艦⇨ 第二艦隊第一大艦隊旗艦⇨ 第二艦隊第一大艦隊⇨ 第二艦隊第一大艦隊旗艦(復帰)⇨ 一級予備艦⇨ 大動位勲章艦 |
艦歴 | |
計画 | 第五次海軍軍備拡張計画(1941年度) |
起工 | 1941年5月27日 |
進水 | 1942年12月25日 |
竣工 | 1943年8月12日 |
就役 | 1944年9月4日 |
退役 | 1995年12月4日 |
最期 | 2006年解体 |
除籍 | 2007年3月31日 |
要目 | |
排水量 | 70,845トン⇨74,855トン(基準)71,000トン⇨75,000トン(公試)75,385トン⇨76,955トン(満載) |
全長 | 242.2m⇨275.8m |
水線長 | 236.6m⇨259.2m |
幅 | 42.2m⇨43.4m |
吃水 | 11.9m⇨12.1m |
ボイラー | ロ号艦本式缶16缶 |
主機 | 艦本式タービン4基4軸 |
出力 | 180,555馬力⇨220,340馬力 |
最大速力 | 38.5ノット⇨40.8ノット(公試成績) |
燃料 | 石油8925トン |
航続距離 | 38ノットで8000海里(14,816km)燃料4800トン時であり、最大の8925トン時は14,564海里(26972km) |
乗員 | 竣工時:2,800名 最終時:3,225名 |
兵装 |
新造時 主砲 50口径41cm三連装砲4基12門 準主砲 50口径31cm二連装砲19基38門 副砲1 45口径18cm二連装高角砲10基20門 機銃 45mm三連装機銃14基28門 魚雷 65cm水中魚雷発射管6門 最終時 主砲 55口径48cm三連装砲4基12門 準主砲 50口径38cm三連装砲2基6門(取り外した50口径38cm三連装砲を流用) 副砲1 50口径31cm二連装砲20基40門 副砲2 45口径21.5cm二連装高角砲14基28門 機銃 45mm三連装機銃24基72門 魚雷 65cm水中魚雷発射管10門 |
装甲 |
最終時 舷側 600mm+15mm(傾斜20度) 対水雷防御隔壁 160mm~130mm 最上甲板 60mm~45mm 主甲板 200mm〜155mm 合計甲板装甲 260mm〜200mm バルクヘッド 300mm 主砲防盾 480mm 主砲側面 210mm 主砲後面 100mm 主砲天板 250mm 主砲バーベット 250mm~220mm 司令塔 420mm~400mm 最終時 舷側 630mm+60mm(傾斜20度) 対水雷防御隔壁 200mm~130mm 最上甲板 80mm~45mm 主甲板 240mm〜210mm 合計甲板装甲 320mm〜255mm バルクヘッド 350mm~300mm 主砲防盾 620mm 主砲側面 280mm 主砲後面 150mm 主砲天板 300mm 主砲バーベット 400mm~380mm 司令塔 480mm~430mm |
搭載機 | 8機(カタパルト4基) |
新敷島(しんしきしま)は、I7man帝国海軍の戦艦。 新敷島型戦艦の1番艦でもある。 艦名は日本全体の美称の一つにちなむ。戦艦新敷島は敷島の船体を拡張、近代化改装を施した戦艦である。当時の技術を全て結集させて作られた艦である。「大和」と装甲をほぼ同一化させ50口径31cm二連装砲など兵装を改良増設し、三本煙突を一本に統一した。また機関を充実させたことにより高速戦艦になった。レイテ沖海戦やハワイ島上陸作戦、マリアナ諸島海戦、ゴールデンコーブ島海戦や、インターネットエクスプローラー島反乱などで活躍した。
また解体された後は各務原市役所の壁の素材になったりしている。
現在は、レプリカが岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の地下2階に置かれている。
また1/8スケールのものが各務原市役所の地上12階に置かれている。
経緯
[編集]1941年12月16日「大和」が就役した。しかし大和型以降の計画(超大和型、金剛代艦型)は資材、資金不足によりなかなか進まず頓挫しかけていた。そこで「大和」が就役する前にある会議が行われ、現存艦を改装しもう一度就役させるという提案があり、すぐに採用された。手始めに敷島を改装、結果が良ければそれ以降の艦も改装することにした。1941年3月25日敷島の改装計画表が出され承認された。コードネームは「BS-Skisima-r-1」(ビーエスシキシマアールワン)になった。戦後ながらく放置されていた敷島を入江から引っ張り出してI7man横須賀海軍施設の一番ドッグに入れ、1941年5月27日に改装が始まった。まず最初に入江から引っ張り出す際に応急処置していた浸水箇所を修理、そして艦体拡張が始まった。艦体拡張の後、機関を拡張、近代化させた。前後艦橋と各部マスト、煙突を乗せたのち1942年12月25日進水。しかし後艦橋右舷下部に浸水が発生。当時新敷島には誰もおらず、機関の30%以上が浸水した。しかし「大和」から急激に増加させた設備や、大幅な艦体拡張により何か不祥事が起こることが想定されていたためすぐに脱水、修理した。同月31日に再度進水。今度は何も起こらなかった。浸水の原因は処置が完璧ではなかった浸水箇所に海中岩石が当たったことであると思われる。1943年12月8日、横浜湾で主砲テスト中に三番主砲塔が大爆発。死者285名、負傷者62名を出した。原因は艦内でタバコを吸っているものがいたからである。1944年9月4日 竣工。のち同月12日 I7man横須賀海軍施設の一番ドッグから単艦出港。さまざまな海戦で大勝し、1947年9月12日 I7man横須賀海軍施設の一番ドッグに帰港。3年の旅路だった。その後様々な反乱を鎮めるが、時が経てば経つほど大艦巨砲主義が薄れていった。そして、最新機能を載せたミサイル艦や護衛艦が量産され日本もそれに追いつくために廃艦が決定した。仙台条約による排水量の制限により居所がなくなり1995年12月4日に退役し、1996年2月16日に平成天皇から「大勲位菊花大綬章」を授与。のち2006年度に解体。艦歴108歳だった。そして2007年3月31日に除籍。解体したパーツの一部は、各務原市役所の壁の素材になったり、新規艦の製造に使われている。
歴史
[編集]艦体全長 百三十三mカラ二百四十二mヘ
幅 二十三mカラ四十二mヘ
五〇口径三三cm三連装砲五機一五門ト四〇口径二四cm連装砲一四機二八門ヲ搭載スル戦艦ニ改装スル。 ーー戦艦新敷島改装計画表より
5月27日 起工。
1942年12月25日 進水。しかし後艦橋右舷下部に浸水発生。死傷者0名。
同月31日 再進水。
1943年12月8日 主砲テスト中に三番主砲塔が大爆発。死者285名、負傷者62名。(R66⇨R67)
同月12日 I7man横須賀海軍施設の一番ドッグから単艦出港。
10月20日 レイテ沖付近に到着。第二艦隊第一戦隊に編入。旗艦「大和」の左舷側に着く。
同月24日 シブヤン海で武蔵を魚雷から守る。24本中22本を撃墜。2本は回避。
同月25日 米軍護衛空母「カリニン・ベイ」を41cm徹甲榴弾12弾で爆沈させる。
また「大和」と武蔵が米軍護衛空母「ホワイト・プレインズ」と米軍護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈させる。この結果を含めてレイテ沖海戦により、米軍は航空母艦16隻、護衛空母17隻、戦艦12隻、重巡洋艦10隻、軽巡洋艦14隻、駆逐艦138隻、航空機920機、補助艦艇1350隻の損害を受けた。それに対して日本軍は重巡洋艦1隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦6隻の被害に留まった。
戦力 | |
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日本軍 | 米軍 |
航空母艦4
戦艦10 重巡洋艦13 軽巡洋艦6他 駆逐艦34 航空機約600機 |
航空母艦17
護衛空母18 戦艦12 重巡洋艦11 軽巡洋艦15 駆逐艦141 航空機約1000機 補助艦艇約1500隻 |
損害 | |
---|---|
日本軍 | 米軍 |
重巡洋艦1
軽巡洋艦3 駆逐艦6 |
航空母艦16
護衛空母17 戦艦12 重巡洋艦10 軽巡洋艦14 駆逐艦138 航空機920機 補助艦艇1350隻 |
1945年2月2日 レイテ島で改装。これにより第二艦隊第一戦隊の旗艦になる。(R67⇨R68)
7月8日「葛城」、「天城」、「千代田」などを編入。これにより第二艦隊第一戦隊から第二艦隊第一航空戦隊に改名する。
10月16日 マリアナ諸島で第二艦隊第一航空戦隊が太平洋艦隊を全滅させる。
11月3日 艦隊を拡張。規模が航空母艦4、戦艦10、重巡洋艦13、軽巡洋艦9、駆逐艦102、航空機約600機になり大規模艦隊になる。第二艦隊第一航空戦隊から第二艦隊第一大艦隊に改名する。
第二艦隊第一戦隊 | 第二艦隊第一航空戦隊 | 第二艦隊第一大艦隊 | |
---|---|---|---|
航空母艦 | 0 | 3 | 4 |
戦艦 | 3 | 5 | 10 |
重巡洋艦 | 4 | 7 | 13 |
軽巡洋艦 | 6 | 7 | 9 |
駆逐艦 | 18 | 59 | 102 |
航空機 | 約20機 | 約450機 | 約600機 |
同月29日 ハワイ島に上陸する部隊を援護。(ハワイ島上陸作戦)しかし米軍爆撃機によりカタパルト4基、主砲塔3基が使用できなくなる。第二艦隊第一大艦隊旗艦を「大和」に譲る。
12月17日 レイテ島に寄港し、さらに改装し艦体を拡張、重武装化する。日本最大規模の軍艦になる。(R68⇨R71)
1946年2月13日 サンフランシスコに上陸する部隊を支援。新敷島は空母1、護衛空母3、戦艦2、重巡洋艦1、軽巡洋艦4、駆逐艦19を沈没させる。第二艦隊第一大艦隊全体では、空母6、護衛空母11、戦艦8、重巡洋艦4、軽巡洋艦21、駆逐艦115を沈没させる。一方、日本軍は、戦艦「金剛」が沈没、重巡洋艦「妙高」が沈没。「最上」「高雄」が航続不可、駆逐艦「陽炎」「冬月」が沈没、「秋風」が中破するなどの被害を受けた。
同月28日 仙台条約締結。世界の合計保有トン数を、2000000t:6:5:4:3:3:3:3:2(200万トンに対し:日本8:ドイツ6:イタリア4:諸国3:アメリカ3:ソ連3:中国3:イギリス2)に制限した。
1947年9月12日 I7man横須賀海軍施設の一番ドッグに帰港。
1951年6月14日 マッカーサーがゴールデンコーブ島でゴールデンコーブ島海戦を起こす。これを見事沈める。
1956年11月28日 改仙台条約締結。世界の合計保有トン数を、1000000t:8:6:5:4:5:4:4:4(100万トンに対し:日本8:ドイツ6:イタリア5:諸国4:アメリカ5:ソ連4:中国4:イギリス4)に制限した。
1979年9月24日 アメリカ軍残党によりインターネットエクスプローラー島反乱が起こされる。これを機に大艦巨砲主義が崩壊する。これを沈めるが、これ以降戦役に出されなくなる。
1996年2月16日 平成天皇から「大勲位菊花大綬章」を授与し、大動位勲章艦になる。
1996年11月18日 改二仙台条約締結。世界の合計保有トン数を、500000t:6:5:4:3:3:3:3:2:(50万トンに対し:日本8:ドイツ6:イタリア4:諸国3:アメリカ3:ソ連3:中国3:イギリス2)に制限した。
2006年度 解体。艦歴108歳。
2016年4月1日 解体10周年。レプリカが岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の地下2階に設置される。
2016年11月28日 改三仙台条約締結。世界の合計保有トン数を、800000t:6:5:4:3:3:3:3:2:(50万トンに対し:日本8:ドイツ6:イタリア4:諸国3:アメリカ3:ソ連3:中国3:イギリス2)に制限した。
2017年3月31日 除籍10周年。1/8スケールのものが各務原市役所の地上12階に設置される。
兵装
[編集]当初は扶桑並みの兵装を計画していたものの、大戦の結果の進展により計画を挟むごとに強力な兵装になっていった。
最初は主砲が50口径33cm三連装砲5機15門だったものの、米軍の進化する戦艦を上回るため最終的には速射性があり、とても威力が高い55口径48cm三連装砲4機12門になった。これにより「大和」の戦力を上回り第二艦隊第一戦隊の旗艦になった。それに伴い準主砲も改良され結果的に50口径31cm連装砲20機40門になった。さらにもう一つ砲の種類が追加され、50口径38cm三連装砲2機6門が追加された。もちろん主砲が斉射し全弾当たればどんな艦でも即沈没、半分当たっただけでも離艦直前まで追い込まれるという恐ろしい威力を持っていたため、Godzilla on the sea, Doom Inevitable(逃れ得ぬ災厄、海上のゴジラ)と言われた。
対空設備
[編集]米軍の増加する航空機に対して機銃の数は最終的には最初期の三倍にもなり、高角砲は全てが二連装砲になった。当時装備されていたボフォース40mm四連装機関砲などを圧倒的に上回った。ガトリング方式を採用した機関砲であり、発射速度は0.17秒/1発であった。1秒に約6発も打てるという速射性、また45mmの銃弾を打ち出すため撃墜率も非常に高かった。しかし3連装なため放熱には少し問題があり、30〜40秒ごとに15秒の冷却が必要であった。
魚雷設備
[編集]追尾されている際や、追尾している際に魚雷を発射できるように最初期は前1門後1門だったが最終的には後4門、前6門になった。
R61(試験型) | R62 | R63 | R65 | R66 | R67(竣工時) | R68(初期) | R71(最終) | |
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主砲 | 50口径35.6cm三連装砲5機15門 | 50口径35.6cm三連装砲6機18門 | 50口径38.1cm三連装砲5機15門 | 50口径38.1cm四連装砲3機12門 | 50口径41cm
四連装砲3機12門 |
50口径41cm三連装砲4機12門 | 50口径44cm三連装砲4機12門 | 55口径48cm三連装砲4機12門 |
準主砲 | 40口径20.3cm連装砲14機28門 | 45口径21cm連装砲14機28門 | ⇦ | 60口径21cm連装砲18機36門 | 55口径31cm連装砲16機32門 | 50口径31cm連装砲19機38門 | ⇦ | 50口径38cm三連装砲2機6門 |
副砲1 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 50口径31cm連装砲20機40門 |
副砲2 | 50口径7.62cm二連装高角砲6基12門 | 50口径12
cm二連装高角砲6基12門 |
50口径12cm二連装高角砲8基16門 | 50口径12.7cm二連装高角砲8基16門 | 60口径12.7cm二連装高角砲9基18門 | 45口径18cm二連装高角砲10基20門 | 45口径20cm二連装高角砲12基24門 | 45口径21.5cm二連装高角砲14基28門 |
副砲3 | 50口径7.62cm単装高角砲12基12門 | 50口径12cm単装高角砲10基10門 | 50口径12cm単装高角砲8基
8門 |
50口径12.7cm単装高角砲6基6門 | 60口径12.7cm単装高角砲4基4門 | 無 | 無 | 無 |
高角砲合計門数 | 24門 | 22門 | 24門 | 22門 | ⇦ | 20門 | 24門 | 28門 |
機銃 | 25mm三連装機銃8機24門 | 25mm四連装機銃10機40門 | 25mm四連装機銃20機80門 | 28mm四連装機銃20
機80門 |
32mm四連装機銃20
機80門 |
⇦ | 45mm三連装機銃20
機60門 |
45mm三連装機銃24
機72門 |
魚雷 | 45cm水中魚雷発射管2門 | 53cm水中魚雷発射管2門 | 53cm水中魚雷発射管4門 | 53cm水中魚雷発射管6門 | 61cm水中魚雷発射管6門 | 65cm水中魚雷発射管6門 | 65cm水中魚雷発射管8門 | 65cm水中魚雷発射管10門 |
コードネーム | BS-Skisima-r-1 | BS-Skisima-r-2 | BS-Skisima-r-3 | BS-Skisima-r-4 | BS-Skisima-r-5 | BS-Skisima-r-6 | BS-Skisima-r-7 | BS-Skisima-r-8 |
備考 | 計画のみ | 計画のみ | 計画のみ | 計画のみ | 試験型 | レイテ沖海戦で大勝 | 第二艦隊第一戦隊の旗艦になる。 | この時に艦体が拡張された。 |
年 | 1941年 | 1941年前期 | 1941年後期 | 1942年中 | 1943年中 | 1944年中 | 1945年中 | 解体まで |
艦長
[編集]- 艤装員長
1.(兼)宮里十徳大佐 : 1941年 (昭和16年) 5月27日 - 翌年5月27日
2.(兼)富士沼勝家中佐 : 1942年 (昭和17年) 5月28日 - 翌年8月12日
3.(兼)宮里十徳大佐 : 1943年 (昭和18年) 8月13日 - 翌年9月4日 (復帰)
- 艦長
1.横須賀天心海将 : 1944年 (昭和19年) 9月5日 - 翌年7月7日
2.五十六権兵衛海将補 : 1945年 (昭和20年) 7月8日 - 11月29日
3.雅誠中佐 : 1945年 (昭和20年) 11月30日 - 翌年1月8日
4.富士沼勝家大佐(昇進) : 1946年 (昭和21年) 1月9日 - 11月18日 (復帰)
5.宮里円徳大佐 : 1946年 (昭和21年) 11月19日 - 1951年 (昭和26年) 8月14日 (再復帰)
6.宮里千徳大佐 : 1951年 (昭和26年) 8月15日 - 1979年 (昭和54年) 11月24日 (譲渡)
7.(不在) : 1979年 (昭和54年) 11月25日 - 1994年 (平成6年) 11月4日
8.宮里万徳大佐 : 1994年 (平成6年) 11月5日 - 2007年 (平成19年) 3月31日 (譲渡)(廃艦)