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名東区(めいとうく)は、名古屋市を構成する16区のうちのひとつ。
名古屋市東部に位置し、丘陵地帯に広がる住宅地である。社宅やマンションが多く、県外から来た人も多く住む。
地理
[編集]河川
[編集]- (未整理)
小牧・長久手の戦いのおり流された血で流れが赤く染まり「血流れ川」の転化と云われますが、一帯で行われていた「鉄穴流し(かんながし)」という水を利用した選鉱のため、赤く染まっていた事に由来すると思われます。(※香流川は野田川とも呼ばれ、天保14(1843)年に刊行された地誌「尾張志」に、長久手村にあり金連(かなれ)を金流(かなれ)とも書ならへり…の記載あり。)
昔、町内の大草の権道寺という寺が戦で焼け落ち、そのがれきを川に捨てたところ、その川から芳香がただようようになり、村人が調べると川底から黄金の仏像が現れた。それからいつしかこの川を「香流川」と呼ぶようになった(※注)。 ※注 参考文献:小林元著「香流川物語」
湖沼
[編集]隣接する自治体
[編集]歴史
[編集]古代
[編集]この地域には、縄文・弥生時代より人が住んでいたと推測されている。松井町近辺より、矢じり、石やり、石おのが大量に出土しており、高間町からは甕棺(かめかん)が発見されている。(瓶井(かめい)遺跡) この地域は、古墳時代から鎌倉時代の初めにかけて一大窯業生産地であった。これは、東部丘陵一帯が猿投山(?)からの花崗岩が変形し、良質な粘土を有する地形であったことによる。区内各地でも古窯が発掘されている。しかし、時代とともに、瀬戸へと主生産地は移っていった。
中世・近世
[編集]多くのかんがい用ため池が点在し、畑、稲作の他、養蚕や葉煙草も栽培する田園地帯であった。 集落は、植田川水源・天白川上流の高針、香流川流域の猪子石・藤森、一社村・上社村にのそれぞれにあった。
集落
[編集]高針
[編集]高針の「はり」は、開墾を意味する「はり(墾、治)」である。
高針は中馬街道の拠点のひとつであった。中馬街道は、尾張国から奥三河の足助宿を経て信濃国伊那谷へと荷を運ぶ街道であった。近世には、呼続の塩が出来町から
なお中馬とは、一頭の馬に荷を積んだまま運び通すやり方であり、「中継馬」、「賃馬」から転じた名称である。そのようなこともあって、馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれ、中馬街道筋には、あちらこちらに石の馬頭観音が残されている。
一社
[編集]猪子石
[編集]城
[編集]- 高針城 - 城跡は高針字古谷、新屋敷の境。室町時代中頃、土豪の加藤信祥が築城。別名は前山城。
- 一色城 - 一社三丁目付近、神蔵寺の東側の宅地辺りが城跡である。築城、城主は柴田源六勝重という。勝重は文亀三年(1503年)7月2日に没した。城の歴史などはその後伝わらない。
- 上社城 - 上社四丁目付近。交差点北東辺りの丘陵が城跡である。城主は「森本家文書」によると本能寺の変のとき主(信忠)を失った上社城主加藤勘三郎。
- 下社城 - 陸前町の明徳寺が城跡と伝わる。山門前右側に城址碑が建っている。この城は天正三年、勝家が北ノ庄に移ったときに廃城になったという。
- 猪子石城 - 城跡は猪高町猪子石神月町の月心寺隣、または、神明社の辺りと言われている。小牧・長久手の戦いで、徳川勢に焼かれて廃城となる。
- 藤森城 - 猪高町藤森付近で正確な場所は定かではない。城主は小関三五郎といい、池田恒興の将であった。小牧・長久手の戦いで敗れた池田隊の三五郎はこの地に落ちて、この付近に隠れ住んだ。やがて、藤森城と称するまで再興したが、戦での傷のため再起とまでは行かず、家来も少しずつ減っていった。やがて失意のうちに天正17年(1589年)没した。
近代・現代
[編集]明治39年の町村合併により、近辺の村は、猪高村へと統合された。これが現在の名東区の母体となっている。
産業は農業が中心で養蚕・葉たばこの耕作が行われていた。昭和30年に猪高村は名古屋市と合併して名古屋市千種区猪高町となる。一部は千種区に残り、千種区猪高町となる。この頃も、合併前と同様に、農業が産業の中心でしたが鶏や乳牛を飼う農家も多くなり、また都市向けの野菜の栽培も行われるようになりました。
昭和30年、猪高村は名古屋市千種区に編入される。そして昭和31年に名古屋市が実施した西山地区の区画整理事業を契機として、民間の多くの土地区画整理組合が設立され広大な地域で宅地の造成が行われました。以降、道路、上下水道、学校、公園などが整備されていった結果、緑豊かな丘陵地と多くのため池に囲まれた田園地帯は住宅地へと大きく変化する。 名東区独立当時は、名東区猪高町字○○だったが、猪高町の各地域は区画整理により町名が独立し、区画整理地域外の周辺各地に残る。
中心区に比べて周辺部を抱える千種区では人口の増加が著しく、行政区間の住民サービスの不均衡を是正する必要が生じたため、1975年(昭和50年)2月1日の千種区猪高町は昭和区梅森坂学区を加えて、名東区と分区独立。
区の名称は、「名古屋市の東部に位置し、区内に東名高速道路名古屋ICを有し、名古屋の東玄関にふさわしい名称」ということから「名東区」と名付けられた。区のシンボルマークも、「め」の字を名古屋ICのイメージを盛り込んでデザインされている。
沿革
[編集]- 江戸時代 - 現在の名東区の大部分は、東春日井郡猪子石原村、愛知郡猪子石村、藤森村、上社村、一色村、下社村、高針村であった。
- 1878(明治11年)年 - 一色村と下社村が合併し一社村となる。
- 1889年(明治22年)12月 - 藤森村、猪子石村、猪子石原村が合併し猪子石村に、上社村、一社村、高針村が合併して高社村となる。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 猪子石村と高社村が合併し猪高村となる。村役場は上社の観音寺西堂を借用。
村名は、山田荘であったところから山田村とするという案と、猪子石村と高社村の最初の文字を取って猪高村にすると言う案があったが、話し合いの結果「猪高村」と決定した。
- 1914年(大正3年) - 村役場が上社字丁田に作られる。
- 1950年(昭和30年)4月5日 - 愛知郡猪高村を名古屋市千種区に編入
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 千種区猪高町(旧猪高村)が名東区として分区独立(北西の一部を除く)
区勢の推移
[編集](1)転入・転出の割り合いが大きいこと。人口面、世帯面。 (2)人口の構成、年齢比(幼児、小学生、中学生、高校生、勤労世代、老人)、男女比。
行政
[編集]名東区役所
[編集]- 名東生涯学習センター(社が丘三丁目802)
警察
[編集]消防
[編集]名古屋市の機関
[編集]国の機関
[編集]- 独立行政法人 国際協力機構(JICA)中部国際センター - JICAの中部地区の拠点。1971年(昭和46年)3月に現在地に開設。
(未分類)
[編集]- 交通局猪高営業所
- 名東郵便局
地下鉄駅サービスコーナー 名古屋市の住民票の写しと 印鑑登録証明書の申請、交付の取次ぎをいたします。
経済
[編集]産業
[編集]地域
[編集]医療
[編集]- 1963年(昭和43年)9月 - 旧国立療養所梅森光風園と旧国立八事療養所が統合し、国立療養所東名古屋病院として発足
健康・福祉
[編集]文化・芸術・学術
[編集](未分類)
[編集]- 昭和51年6月15日 - 名東図書館開館
- 平成9年10月7日 - 名東スポーツセンター開館
- 平成10年6月16日 - 上社レクリエーションルーム開所
教育
[編集]1872年(明治5年)の学制の公布により、それまでの寺子屋にかわって、高針村東勝寺太鼓堂に「啓迪(けいてき)学校」が開かれた。開校は1873年(明治6年)年10月30日。高針村、上社村、一色村、下社村から子ども達が通った。 この啓迪学校が現在の名東区の各小学校の前身となった。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)10月30日 - 啓迪学校を開校
- 1873年(明治10年) - 第2大学区第2中学区第6番高針学校と改称
- 1879年(明治12年) - 第51番小学校高針学校と改称
- 1886年(明治19年) - 尋常小学高針学校と改称
- 1888年(明治21年) - 一社学校と改称、北島に移転
- 1891年(明治24年) - 高社村立高針尋常小学校と改称
- 1912年(明治45年)2月1日 - 猪高村立猪高尋常小学校開校(高針尋常小学校は廃校される)
- 1918年(大正7年)11月 - 猪高村立猪高尋常小学校南部分教場開校(現在の高針小学校)
- 1919年(大正8年)2月 - 猪高村立猪高尋常小学校北部分教場開校(現在の香流小学校)
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、愛知郡猪高村立猪高国民学校と改称
- 1947年(昭和22年) - 学校教育法により、愛知郡猪高村立猪高小学校と改称
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法により、愛知郡猪高村立猪高中学校開校
- 1961年(昭和36年)4月 - 西山小学校開校
- 1962年(昭和37年)4月 - 高針小学校開校(猪高小学校南部分校が独立)
- 1962年(昭和37年)4月 - 神丘中学校開校(猪高中学校から分離独立)
- 1963年(昭和38年) - 千種高等学校開校
- 1965年(昭和40年)1月 - 東邦学園短期大学開学
- 昭和43年4月 - 西山台幼稚園開園
- 1971年(昭和46年) - 東邦高等学校千種区猪高町(現在の名東区平和が丘)へ移転
- 1973年(昭和48年)4月 - 藤が丘小学校開校(猪高小学校から分離独立)、名東小学校開校(西山小学校から分離独立)、猪子石小学校開校(香流小学校から分離独立)、梅森坂小学校開校(植田小学校から分離独立)
- 1974年(昭和49年)4月 - 高針台中学校開校(神丘中学校から分離独立)
- 1975年(昭和50年)4月 - 蓬来小学校開校(香流小学校から分離独立)
- 昭和50年4月-猪高幼稚園開園
- 1977年(昭和52年)4月 - 猪子石中学校開校(猪高中学校から分離独立)
- 昭和52年4月-梅森坂幼稚園開園
- 1978年(昭和53年)4月 - 本郷小学校開校(猪高小学校から分離独立)
- 1979年(昭和54年)4月 - 貴船小学校開校(高針小学校北分校が独立)
- 1980年(昭和55年)4月 - 上社小学校開校(猪高小学校から分離独立)、極楽小学校開校(高針小学校東分校が独立)、豊が丘小学校開校(藤が丘小学校から独立)、平和が丘小学校(蓬莱小学校から分離独立)、引山小学校開校(猪子石小学校から分離独立)
- 1980年(昭和55年)4月 - 藤森中学校開校(猪高中学校から分離独立)
- 1982年(昭和57年)4月 - 前山小学校開校(高針小学校南分校が独立)
- 1983年(昭和58年) - 名古屋市立名東高等学校開校
- 1984年(昭和59年)4月 - 牧の池中学校開校(高針台中学校から分離独立)
- 1985年(昭和60年)4月 - 上社中学校開校(猪高中学校から分離独立)
- 1986年(昭和61年)4月 - 香流中学校開校(猪高中学校・猪子石中学校から分離独立)
- 1987年(昭和62年)4月 - 牧の原小学校開校(前山小学校から分離独立)
- 1988年(昭和63年)4月 - 北一社小学校開校(猪高小学校から分離独立)
大学
[編集]高校
[編集]- 愛知県立千種高等学校(社台二丁目206番地)
- 名古屋市立名東高等学校(大針一丁目351番地)
- 東邦学園 東邦高等学校(平和が丘三丁目11番地)
中学校
[編集]- 名古屋市立猪高中学校(丁田町33番地)
学区:猪高・猪子石・北一社小学校区 - 名古屋市立神丘中学校(神丘町1丁目18番地)
学区: 西山・名東小学校区 - 名古屋市立高針台中学校(勢子坊三丁目801番地)
学区:高針・貴船・極楽小学校区。通称:高中 - 名古屋市立猪子石中学校(千種区千代が丘2番5号)
学区:蓬来・平和が丘・宮根小学校(一部)
猪子石中学校は千種区宮根小学校区に所在するが、宮根小学校区の生徒は特別の許可がある場合を除いて猪子石中学校に通学できない - 名古屋市立藤森中学校(小池町66番地)
学区:藤が丘・本郷小・豊が丘小学校区 - 名古屋市立牧の池中学校(梅森坂一丁目401番地)
学区:牧の原・前山・梅森坂小学校区 - 名古屋市立上社中学校(社が丘四丁目301番地)
学区:上社小学校区 - 名古屋市立香流中学校(猪子石原二丁目1301番地)
学区:香流・引山小学校区
小学校
[編集]- 名古屋市立猪高小学校(丁田町32番地)
学区:猪高台2丁目、上社1~2丁目、丁田町、藤森1丁目、社口2丁目、社台3丁目 - 名古屋市立藤が丘小学校(藤が丘54番地)
学区:明が丘、朝日が丘、小池町、宝が丘、照が丘、富が丘、望が丘、藤が丘、藤見が丘 - 名古屋市立香流小学校 (香流二丁目1201番地)
学区:赤松台、猪高町、香流1~3丁目、香坂、神月町、山の手1~3丁目 - 名古屋市立猪子石小学校(猪子石二丁目1201番地)
学区:猪高台1丁目、猪子石1~3丁目、文教台1~2丁目 - 名古屋市立高針小学校(高針二丁目1103番地)
学区:神里1丁目、極楽5丁目、新宿1丁目、高針1~5丁目、野間町、松井町 - 名古屋市立西山小学校(西山本通2丁目35番地)
学区:猪高町、植園町、扇町、神丘町、神里2丁目、山香町、代万町、にじが丘、西里町、西山台、西山本通藤巻町、名東本町、名東本通 - 名古屋市立名東小学校(亀の井三丁目134番地)
学区:猪高町、一社1~4丁目、神里1丁目、亀の井1~3丁目、高間町、名東本通 - 名古屋市立梅森坂小学校(梅森坂四丁目201番地)
学区:梅森坂2~5丁目、梅森坂西1~2丁目 - 名古屋市立蓬来小学校(よもぎ台一丁目501番地)
学区:つつじが丘、八前1~2丁目、よもぎ台1~3丁目、若葉台 - 名古屋市立本郷小学校(本郷一丁目237番地)
学区:石が根町、猪高町、上社2丁目、藤森2丁目、藤森西町、本郷1~3丁目 - 名古屋市立貴船小学校(貴船三丁目2301番地)
学区:一社4~5丁目、亀の井3丁目、貴船1~3丁目、勢子坊1~4丁目、高間町、社が丘3丁目、陸前町 - 名古屋市立上社小学校(上社五丁目1002)
学区:猪高町、上社3~5丁目、貴船1~3丁目、小井堀町、姫若町、社が丘1~4丁目 - 名古屋市立豊が丘小学校(豊が丘1501番地)
学区:猪高町、高柳町、藤香町、藤里町、藤森西町、豊が丘 - 名古屋市立引山小学校(引山一丁目1105番地)
学区:延珠町、香南1~2丁目、引山1~4丁目 - 名古屋市立極楽小学校(高針台三丁目901番地)
学区:猪高町、大針1~3丁目、極楽1~4丁目、高針台1~3丁目 - 名古屋市立平和が丘小学校(平和が丘一丁目1番地)
学区:桜が丘、八前3丁目、平和が丘1~5丁目 - 名古屋市立前山小学校(牧の里二丁目1501番地)
学区:猪高町、梅森坂1~3丁目、新宿2丁目、牧の里1~3丁目 - 名古屋市立北一社小学校(上菅一丁目101番地)
学区:上菅1~2丁目、高社1~2丁目、社口1丁目、社台1~2丁目、よもぎ台3丁目 - 名古屋市立牧の原小学校(牧の原三丁目401番地)
学区:猪高町、高針原1~2丁目、牧の原1~3丁目
幼稚園
[編集]- 名古屋市立西山台幼稚園(亀の井二丁目41)
- 名古屋市立猪高幼稚園(丁田町33)
- 名古屋市立梅森坂幼稚園(梅森坂三丁目210番地)
その他各種学校
[編集]- 独立行政法人国立病院機構 東名古屋病院附属リハビリテーション学院
保育
[編集]学童保育
[編集]保育園
[編集]- 名古屋市猪高保育園(上社四丁目262)-開設:昭和28年8月
- 名古屋市猪子石第一保育園(つつじケ丘201)-開設:昭和44年4月
- 名古屋市猪子石第二保育園(文教台一丁目920)-開設:昭和47年4月
- 名古屋市梅森坂保育園(梅森坂四丁目102)-開設:昭和46年4月
- 名古屋市にじが丘保育園(にじが丘3-17)-開設:昭和46年6月
- 名古屋市藤が丘保育園(藤が丘99) -開設:昭和50年6月
- 名古屋市亀の井保育園(亀の井二丁目201)-開設:昭和51年6月
- 名古屋市よもぎ保育園(よもぎ台二丁目514)-開設:昭和52年10月
- 名古屋市牧野池保育園(牧の里三丁目701)-開設:昭和54年10月
- 名古屋市高針北保育園(勢子坊二丁目1302)-開設:昭和55年6月
- 名古屋市藤里保育園(藤里町1003) -開設:昭和58年4月
- 名古屋市牧野原保育園(牧の原一丁目1303)-開設:昭和56年5月
- 宗教法人済松寺 花園保育園(高針二丁目1801)-開設:昭和27年4月
- 社会福祉法人高針福祉会 極楽保育園(大針一丁目266)-開設:昭和56年4月
- 社会福祉法人フジ福祉会 名東保育園(高間町135)-開設:昭和56年4月
- 社会福祉法人香月福祉会 香流保育園(神月町604)-開設:昭和60年9月
- 特定非営利活動法人優全会 優全さくら保育園(宝が丘43)-開設:昭和54年4月
交通
[編集]名古屋中心部から伸びる名古屋市営地下鉄1号線東山線が区の中央を東西に横断する。東名高速道路、東名阪自動車道、名古屋高速道路のインターチェンジやジャンクションがあり、国道302号(環状2号)も整備され、名古屋の東玄関として交通の要衝となっている。
鉄道
[編集]道路
[編集]ゆかりのある人物
[編集]現代
[編集]歴史上の人物
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 明徳公園
- 猪高緑地
- 牧野ヶ池緑地 - 牧野ヶ池は、愛知県第三位、市内最大の広さ。当地を視察した尾張藩の郡奉行、勝野太郎左右衛門が、水不足に苦しむ窮状を知り、村民に働きかけ、1646年(正保3年)から数年かけて堤を築き作った人工のため池である。
- 猪子石(いのこいし)