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Kanbunに御伝言などある方はノートのほうに記載していただけますようお願い申し上げます。

自己紹介[編集]

新米です。

至らない点多いと思いますが、よろしくご指導などお願いします。

またときどき生意気に思えるかもしれませんが、根はいいやつですので勘弁してやってください。

方針[編集]

しばらくは既存記事でスタブっぽいのの書き足しと誤字脱字をなおすのを担当しようかと思っています。

自分から新規記事を増やそうってことは考えてません。

できれば需要っていうのに応えていきたいです。

また記事に加筆した場合、なるべくノートに編集意図を記載するよう心がけたいと思います。

興味分野[編集]

歴史一般。洋の東西を問わずおもに中世史を中心に書いていこうかと思ってます。

Wikiブレイク[編集]

積極的に執筆し始めたのが最近だというのに、2006/4/3 からwikiブレイクに入ります。とはいえ時間を見つけて覗ければと思います。wikiブレイク中は編集量は減ると思われますが、問題提起などがあれば返答いたします。

その前に啓蒙思想イデオロギー世界観などは是非満足できるものを完成させたかったですが。またノート:東ローマ帝国で問題提起したビザンツ史の用語表記問題についてWikipedia:ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記のかたちにすることができたのは幸いです。

公家法日本帝国主義については調べれば調べるほど奥深くなる一方……実際読書が追いつかない状況です(笑)。これについては短期的に満足な完成にもっていくのはおそらく不可能。よって復帰後に期待というところでしょうか。

外部ブログ[編集]

のほほんな毎日

なめたタイトルですが、勘弁してください。

もっとまともなのが思いついたら、そのうち変えます。

個々の記事の詳しい編集履歴なんかはノートにごちゃごちゃ書いてもあれでしょうし、ここに書いちゃおうと思ってます。

まーなんか参考にしたいときはどうぞこちらで。

信条[編集]

対話による合意主義--スウェーデン語に寄せて[編集]

最近シンポジウムで聞いて大変感心した話なのですが、スウェーデン語に「ラーゴム・エ・ベスト」という言葉があるそうです。「ほどほど」というような意味の熟語だそうですが、議論において両者の意見の「ラーゴム・エ・ベスト」で合意を形成していくと案外うまくいくらしい。しかも議論を繰り返した上で歩み寄って合意を形成するのがスウェーデン式だとか。私は多数決による決定よりは当事者同士が歩み寄って両者の中間のどこかで決着する対話の合意形成を重視します。もちろん個人的な意見ですから、多数決を認めないというわけではないですが、議論の仕方としてはこの「ラーゴム・エ・ベスト」な解決が好ましいと思っています。

私の保守主義[編集]

私の信条など多くの人にはどうでもいいでしょうが(笑)、自称漸進主義的保守主義者あるいは議会主義的保守主義者です。現行憲法については非改憲論者で非集団自衛権的な自衛隊存続派です(笑)。市場のグローバル化については必要な範囲内にとどめるべきで、なるべく日本国内の状況を尊重すべきと考えています。郵政民営化には基本的に反対です。とはいえ改革は必要と考えています。なお私自身は「自由主義史観」なるものを「修正主義史観」と呼んで憚りません。だってそのとおりでしょ(笑)。

尊敬する政治思想家[編集]

尊敬する政治思想家はエドマンド・バークトマス・ホッブズジョン・ロックおよびルソーです。一見リベラリストのようですが、頭が硬いです(笑)。なのでリベラル思想に共感を持っているようでも、実際は保守主義者なのでリベラリストと思って接した方はひどくがっかりするでしょう。自分にとって急進的と思える考え方は理解はしますが、共感はしません。

備考[編集]

日本版ポリティカルコンパス(ドラフト3)での測定結果によれば、

  • 政治的な右・左度(保守・リベラル度):1.4
  • 経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派):-3.33
  • 分類は保守左派らしいです。概ね期待通り(笑)。

体系的包摂主義[編集]

私は包摂主義を支持しますが、Wikiペディアは何らかの体系性を持たなければいけないという意味で無秩序な記事氾濫を嫌悪します。あらゆる記事は既存の記事から派生的でありWikiペディア内でしかるべき位置があるものでなければならず、そのようなWikiペディアの体系性はコミュニティを通じて共有されるものであると考えています。すなわち『という記事は動物の派生記事であり、プードルダックスフンドというような記事を記述する際には必要である。我々は犬という定義なくしてそれらを語ることができない。ゆえに犬が実際生活上どんなに当たり前で他愛なく、意味内容に乏しい上に魅力的な記事など書けそうもなく、すでにどこかで定義された以上の意味内容をWikiペディア上で表現することがおそらく困難であろうと判断されたとしても、プードルやダックスフンドは犬の定義なくしては完全に理解したとは言えないのであるから、しかるべき位置を与えられる』ものと判断します。同様に犬という記事は柴犬オールドイングリッシュシープドッグドーベルマンといった記事を成立させるのに十分な根拠であり、これらの記事はどんなに意味内容が乏しくてもプードルやダックスフンドと等価値と認められるべきと考えます。

つまり簡単に言えば、記事の意味内容よりも既存記事や将来書き加えられると想定される記事との関係性を重視します。記事の意味内容については関係性があれば自然と深まるものと考えています。

WWWを利用したWikiペディアの真骨董はまさにこの関係性にあると私は考えるのであり、記事と記事との関係性がコミュニティに属する人と人との関係をつなぐといいたいです(笑)。よって記事内容的な問題による記事の統合や削除にはあまり好意的ではなく、意味内容の一致についてはリダイレクトを推奨しますが、意味内容での重複の多さによって名辞的に相違を持った記事同士を統合しようとか、短い記事をカテゴリ記事内に合併してしまおうという提案にはあまり好意的ではありません。

Wikiペディアはあらゆる名辞に対して関係性を尊重して何らかの価値を認めるべきであり、Wikiペディアは世界に存在するあらゆる名辞を体系的に記述することが出来ると信じます(とくに哲学的根拠とかありません。信じているだけです)。

とはいえこれはあくまで理想(笑)。現実的にはコミュニティの発展を楽しみながら、一つ一つ興味のある記事を書いていこうと思います。

学問的関心[編集]

学問論としてはマックス・ウェーバーの『職業としての学問』が有名ですが、私はあまりこれは好きではありません。ウェーバーは大好きなのですが、ちょっと執筆当時の政治背景なども含まれた著作ですので、すこし一般向けでない気がします。

増田四郎著『大学でいかに学ぶか』講談社現代新書[編集]

増田は経済史の非常に優れた研究を残した人ですが、増田の学問的態度が非常にすぐれたものであった、つまり十分な問題意識を持って学問をおこなっていたのだという意味で、この著作は増田のそんな真摯な学問に対する期待を自身の体験に基づきつつ書いたものです。ちなみに日常では「増田四郎大先生」などと呼ぶくらい崇拝してますが、ウェーバーをウェーバーと呼ぶように、ここでは増田です(笑)。基本的にこれから紹介する人たちはみんな私の尊敬する人ばかりです。

堀米庸三著『歴史をみる眼』NHKブックス[編集]

堀米はドイツ国家史では有名な人物で、この著作はNHKのラジオ講座か何かをもとに書き起こしたものだそうです。これも歴史学的関心を説いたものとしては非常に優れた書物であると思われます。こちらはどちらかといえば学者評みたいなものも多く、またラジオ放送だったせいかちょっと冗長で読むと眠くなってくるところも…(笑)。増田のほうがたぶん一般向きだと思いますが、興味があったら堀米のこの著作にも手を出してみるといいと思います。

田中美知太郎著『哲学とその根本問題』ほか[編集]

田中美知太郎全集の3巻には哲学的関心をといた一連の著作が収録されています。田中の文章は非常にわかりやすくて、しかも透徹しています。私などは田中の文章にほんとうに憧れているのですが、あのような文章はいつまでたっても書けそうもありません。田中はあまりメジャーではありませんが、日本で哲学者といえば、私はまず田中美知太郎です。私の哲学的関心のほとんどは田中に負っていますし、田中の視点、田中の方法論、田中の問題意識、ともかく全てが私にとって理想の哲学者です。田中自身は哲学をよりわかりやすく、より平易に、より素朴に説明することに苦心していますし、田中がつねに原則論を意識しているようなのもおそらくそのような厳正な態度にあるのだと思います。しかし田中の文章は透徹しているのに非常に優しい。わかりやすい。身体にしみこんでくるようなんです。ともかく素晴らしい哲学者であると思います。

E・H・カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書[編集]

これも堀米の著作と同じような体裁です。というよりは堀米がカーのこの著作を意識していたともいえそうですが。それくらい歴史学の学問的関心を論じた書物の中では古典的ですね。しかし私は実際あまり好きじゃないんです。まあなんといいますか、記述に一貫性がないように感じられる。ぶっちゃけカーの歴史観なるものが見えてこないんですよね。ひとつひとつ論じていることはわかるんですが、じゃあ歴史とは何かという部分を読者に放っている。まあそれだからこそいいのかもしれませんが。わたしはあまりおすすめじゃないんですが、よくすすめられます。よくすすめられているのを見ます。なんかバイブルらしい。私はこれは丸山眞男の『日本の思想』だなと思います。『日本の思想』で扱っている問題は、必ずしも『日本の思想』内で完結していなくて、さまざまな問題提起とヒントのような見解が述べられている形式にある(と私は考えています)。『歴史とは何か』も『日本の思想』のようなもので、かならずしもそのなかで述べられた問題がこの著作で完結していない。まあ学問的関心という話題を扱っている以上、完結するはずはないんですが、何かしら方向性らしきものを示すということが感じられない(気がします、私には)。ただためにはなりますし、私のまわりにいる人はだいたいすすめたりすすめられたりしてます。私にはぱっとしませんが、おそらく名著なのだと思います。

学問的方法論、方法哲学[編集]

トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』[編集]

学問的方法論としてはまずリヴァイアサンの国家論は私にとって衝撃的でした。実際「人間は時計仕掛け」とか嘘くさ~とか思うんですが、読んでいくうちにホッブズ自身の冷徹な観察と理論構築にどんどん引き込まれていくんですね。「優越心こそが競争を生み出す」とかたしかに漠然とそう考えるようなことをずばっといいきるうえにつぎつぎ明確に論じていくんですよ。驚きましたね。

ジョン・ロック『人間知性論』[編集]

これはいわゆるイギリス経験論のバイブルです。ちなみに私はデカルトは全然評価してません(唐突)。というかデカルトの言ってることが正直よくわかりません。デカルトを尊敬している人がいたら謝ります。私はデカルト哲学を理解はしますが、共感はしません。ロックの『人間知性論』なんか読み進めていくうちになるほどなるほどとなるんですが、『哲学原理』なんてずっと何言ってるのかわかりません。翻訳が悪かったんでしょうかね。ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』も好きじゃありませんね。経験論のバイブルは『人間知性論』です(断言)。ヒュームの『人性論』のほうが経験論としてはより透徹してるんですが、あれはいきなり読むとおそらくヒューム嫌いになると思いますね。『人間知性論』を読んでからだとヒュームの問題意識が非常によくわかるし、共感で無理矢理説明しようとしている意味もなんとなくわかります。カント入門としても『人間知性論』はおすすめです。

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』[編集]

私はこれでウェーバーを崇拝するようになりました。理念型は私が大好きな学術概念で、いろいろ応用させてもらっています。ウェーバーはいろいろと理念型を使いすぎて失敗もしてますから、私自身もそれについてはかなり注意を払っているつもりですが、しかし理念型は偉大です。学問的研究をするとき、とくに文献学などではふつうに理念型を無意識で使っているものですが、理念型を明確化して使用することにより、学問的問題や限界を明確にイメージすることが出来ます。なにについて考えているのか、あるいは次に考えるものは何かというときに、理念型は威力を発揮します。また論理の検証過程においても有益です。相手から何か指摘を受けたときに、理念型のなかで考えられていなかった要素があれば、それを明確に認知することが出来ます。したがって他人の批評に対して、自分のどこの誤りあるいは失念を指摘しているかを察することが出来ます。また相手から問題提起されたときにどのような情報を参照すべきかということもイメージすることが出来ます。理念型とは非常に的を射た表現で、これは特定の論理のイメージモデルであるといえましょう。実際この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読めば、ウェーバーの社会学がかなり興味深いということがわかるはずです。ウェーバーのほかの著作はちょっといまいちっていうのも多いですが、これだけは文句なく素晴らしいものです。

マルティン・ハイデッガー『存在と時間』[編集]

最近の哲学書で読むべきものといったら、私はこれしかありません。実際イギリス経験論が、またはカントの論じた問題をおそらくもっとも真摯なかたちで継承したのがハイデッガーであり(と私は考えています)、私の頭の中では「ホッブズ>ロック>ヒューム>カント>ハイデッガー」という図式が勝手に出来ています(笑)。彼らは生あるいは存在と認識を非常に緊張感を持った実存意識のなかで論じていると私は考えています。カントのあたりから「ヘーゲル>マルクス>…」のようなものがなにかのびてますが、それは傍流です(笑)。また「カント」と「ハイデッガー」の間にちっちゃく「ニーチェ」とか「キェルケゴール」とか見えるような気もしますが、細かくてよく見えません(笑)。ってほんとに冗談ですが。決してほかの哲学者を軽視するわけではありませんが、私が人間存在というものについて抱き続けてきた問題意識のなかでなにかしら本質につながるような答えを与えてくれたのが彼らであったのです。ヘーゲルやマルクスも読みます(かなり疑わしい顔をしながら)。ともかく私にとってハイデッガーは最後の巨人です。

尊敬する著述家[編集]

出来ればこうありたいと憧れる著述家です(順不同)。

日本の著述家[編集]

海外の著述家[編集]

番外編[編集]

  • 石原莞爾|個人的には嫌いな人物でもあります。複雑な気持ちですが、あげざるをえません。私自身は日蓮宗ではありませんし、このひとを思想的に信奉していることは絶対にありえません。ただ人間性という面では遺憾ながら共感するところがあります。とはいえつねに批判的に検討すべき対象であることに変わりはありません。
  • 富野由悠季|このひとが関係してくる記事では全く中立的な視点を維持できそうにないので、あまり執筆に関係してくることはないと思いますが、ガンヲタです(笑)。魔法少女モノも含めてサンライズアニメ大好きです。

好きなアニメ[編集]

アニメ作品は大好きで結構見ているのですが、そのなかからおすすめを紹介します。もちろん記事執筆に関係しないこと請け合いです。ちなみにここでの分類は自己中心的かつ適当です。配列のしかたが正しくない!とか怒らないでください。

ガンダムシリーズ[編集]

ロボットアニメ[編集]

世界名作劇場[編集]

ファンタジー系[編集]

SF[編集]

少女漫画モノ[編集]

ヒーローモノ[編集]

コメディ[編集]

歴史モノ[編集]

アニメ映画[編集]

最近のおすすめ[編集]

おすすめ映画[編集]

映画でのおすすめです。記事には関係しないでしょう。

好きな音楽[編集]

執筆に関係してくることはありえないでしょうが、音楽について(笑)。昔からNHKスペシャルをよく見ていたので(笑)、その手の作曲家が多いかも。

我が原点(笑)[編集]

ずっと聞いており、人生そのものであるともいえるアーティスト(笑)。

我が青春(笑)[編集]

比較的長く聞いており、かなり影響されていると思われるアーティスト。

我が友人(笑)[編集]

最近のお気に入り(笑)。

なんかエーとか言われそうですが、安室奈美恵とか宇多田ヒカルとか全く聴きません。嫌いなワケじゃないんです、あまり聴かないんです(タジタジ)。平井堅も好きなんですが、あまり聴きませんね。

名作ゲーム[編集]

これも執筆に関係してくることは皆無だと思われますが(笑)、特におすすめする名作ゲームを。

Sid Mayer's CivilizationII(シドマイヤーズ・シヴィライゼーション2)[編集]

これほど感銘を受けたゲームはなし。自由度の高さ、ゲームの奥深さ、カスタマイズしやすさ、シナリオの作りやすさなど群を抜いてます。かなり抽象化されたゲームシステムであるにもかかわらず、なにやら世界史の本質を捉えたようなゲームシステム。脱帽です。続編のコール・トゥ・パワーとかCiv3とかアルファ・ケンタウリは面白いのですが、これに比べればやはりゴミ。Civ2のバランスは不満もあるのですが、絶妙であるらしく、改良しようとすると実質改悪になってしまうという、まあ悲しいですな。

蒼き狼と白き牝鹿4[編集]

KOEIのチンギス・ハーンゲーム。続編出ませんね。初心者でも楽しめるゲームバランス、程良い歴史趣味(信長や三国志のようにがちがちに作られてるワケじゃなく、結構いい加減)がよいのか、非常に楽しめる作品。同じコンセプトで作られたと思われる信長の野望将星録と烈風伝はこれに比べるとややおもしろみに欠ける。架空物であるロイヤル・ブラッド2のほうは自由度ということになるとそれほど評価できないが、意外に名作。Civ2システムを生かした作品としては上記のCiv2後継作品よりは断然評価できる。

Age Of Kings(エイジ・オブ・キングス)[編集]

Age Of Empiresの続編。前作に比べてゲームバランスが練られており秀逸。リアルタイムで戦争して農産物を収穫もしてるのは結構新鮮で楽しかった。

Cossacks(コサックス)[編集]

AOKをより戦争で楽しめるようにした感じ。バグは多い。AOKより大規模な戦争が出来てそれっぽい。

Europa UniversalisII(ヨーロッパ・ユニバーサリス2)[編集]

こちらは一転、ボードゲーム的要素の強い歴史ゲーム。Civ2が都市規模でのゲームであったとすれば、地域ごとを奪い合うゲーム。架空要素は慎重に排除されており、信長の野望以上にがちがちの歴史イベントも多い。しかしテキストファイルをいじるだけで簡単にゲーム改造が可能。シナリオも自作可能。Civ2よりもカスタマイズはしやすく、簡単かもしれない。Civ2を越えたといえる名作。バグが多い上に動作不安定だけど。

Symphonic Rain(シンフォニック・レイン)[編集]

シンフォニック・レインはアドベンチャーゲームです。工画堂スタジオのゲームなんですが、パルフェを昔やったことがあるくらい(しかも途中で飽きた)で、シミュレーションはパワードールズもやったのですが、これも引き込まれなくて放置しました。なので、勧められたときは結構眉唾だった(しろ氏の絵も正直好みじゃなかったし!実際最初は誰が誰だか見分けつかなかったんです!…いまはしろ氏の絵好きですけどね!)のですが、なんと岡崎律子さんが曲を提供しているではないですか!たしかミンキー・モモだったかな、岡崎女史の曲を聴いていいなあと感じたことを思い出しました。ともかくストーリーは結構ご都合主義なのですが、それぞれのキャラになかなかよいどんでん返しみたいなのが用意されていて、面白くできてます。アドベンチャーゲームって全然やらないんですが、これだけは例外ですね。素晴らしい。

ファルコム大好き[編集]

なお記事に関係してくることは全くないと思われますが(笑)、日本ファルコムは「白き魔女」をプレイしてから大ファンになって最近は目下「空の軌跡SC」は実に楽しめました。RPGとしては「ドラクエ」や「ロマ・サガ」のような主人公の個性がなくて引き込まれやすい、あるいは自由度の高いものが好きなので、ファルコムの英雄伝説シリーズなどは好みに合わないはずなのですが(笑)。明るい雰囲気とキャラクター性の高さがいいのかもしれませんね。SCのEDはもっと盛り上がってほしかったのですが。

記事の編集履歴[編集]

2006年の編集履歴[編集]

2006/4/20 新規投稿:羈縻政策ノート)|中国の歴史との関連

2006/4/20 新規投稿:家門ノート)|ジッペとの関連

2006/4/19 新規投稿:ジッペノート)|フェーデとの関連

2006/4/19 新規投稿:フェーデノート)|ブログ記事

2006/4/1 編集:封建制ノート)|ブログ記事

2006/3/30 編集:中国の歴史ノート)|のめりこみそうなので触りたくないのですが、秀逸な記事の選考に出されてしまっているため、秀逸な記事として現状ではかなり問題が。。。(ブログ記事

2006/3/28 編集:イデオロギーノート)|イデオロギーと科学、技術の関係性について大幅に加筆

2006/3/21 編集:啓蒙思想ノート)|ブログ記事

2006/3/19 編集:日本帝国主義ノート)|前の版が不十分と思われたので加筆。とはいえ内容的に中立性を保つのが難しい記事

2006/3/18 新規投稿:従士制度ノート)|レーエンとの関連

2006/3/17 新規投稿:レーエンノート)|東ローマ帝国との関連

2006/3/17 編集:東ローマ帝国ノート)|テマ制度とプロノイア制度について修正

2006/3/11 編集:トマス・ホッブズノート)|ブログ記事

2006/3/5 新規投稿:理念型ノート)|啓蒙思想記事との関連

2006/3/5 新規投稿:トーマス・バーネットノート)|啓蒙思想記事との関連、英語版からの訳出に補筆

2006/3/5 新規投稿:アラン・ソーネットノート)|テリー・イーグルトン記事との関連、英語版からの訳出

2006/3/4 新規投稿:テリー・イーグルトンノート)|イデオロギー記事との関連、英語版からの訳出

2006/3/4 新規投稿:フリードリヒ・マイネッケノート)|啓蒙思想記事との関連、英語版からの訳出に補筆

2006/3/4 新規投稿:ゲオルグ・イェリネックノート)|啓蒙思想記事との関連、英語版からの訳出に補筆

2006/3/2 編集:イデオロギーノート)|説明不足を補い、よりイデオロギーがイメージしやすいよう具体例をあげた。

2006/3/2 編集:啓蒙思想ノート)|ブログ記事

2006/3/1 編集:啓蒙思想ノート)|ブログ記事

2006/2/28 編集:啓蒙思想ノート)|ブログ記事

2006/2/27 編集:世界観ノート)|ブログ記事

2006/2/25 編集:世界観ノート)|ブログ記事

2006/2/25 編集:啓蒙思想ノート)|ブログ記事

2006/2/23 編集:イデオロギーノート)|ブログ記事

2006/2/20 編集:イデオロギーノート)|ブログ記事

2006/2/16 編集:黄巾の乱ノート)|ブログ記事

2006/2/14 編集:管子ノート)|ブログ記事

2006/2/14 新規投稿:アリスティッポスノート)|ブログ記事

2006/2/14 編集:比企能員の変ノート)|ブログ記事

2006/1/25 編集:公家法ノート)|ブログ記事

2006/1/23 編集:公家法ノート)|ブログ記事

2006/1/10 削除依頼:比企能員の変ノート)|ブログ記事

ほかのWikiでのKanbun[編集]