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ノート:日本帝国主義

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記事の中立性

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中立性に疑義があるので書き直しを希望します。反日は逆の意味で中立性に問題がありますが、この項目とすりあわせつつ中立に近づければいいのではないかと思います。ix680

たしかに問題あり、と考えます。そもそも民族主義的な衝突の際に用いられる言葉としての「日本帝国主義」を定義とするのはどうでしょうか。日本語での使用は主にレーニン帝国主義論にのっとった形で日本帝国主義という用語を使うのではないでしょうか。としたら経済的問題は避けて通れないように思えます。中国語などでの「日帝」はかなり意味が分散しているように思えるので、そちらも節を改めて論じる必要があるでしょうが、現状はこちらの意味だけが書かれているように思えます。この意味での日本帝国主義については反日とすりあわせれば中立化できますが、それなりのタームとしての日本帝国主義の記述は反日と関わりなく定義できるはずです。Kotoito 2005年9月9日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

まず「占領」「侵略」など、日本語に問題があると思います。ネタ記事としては良いと思うのですが、百科事典プロジェクト「ウィキペディア」には少しそぐわないように考えます。210.250.64.252 2005年9月25日 (日) 04:57 (UTC)[返信]

さまざまな意味で意味不明です。非常に恣意的な編集が数多く見られます。 Wikipediaは政治的な意見を延べる場ではないと思うのですが 項目の存在意義自体、意味不明で疑問です。

まず本来の十分な説明が消え、ほぼ全体の9割がリンクと獲得先となっていて 項目として定義不明で定義未満です。

特に大日本帝国が敢行した異民族に対する侵略政策や占領政策の事を指す。 根拠、証拠不明です

アイヌから収奪した北海道や琉球民族から収奪した南西諸島は未だに領有し続けている。 恣意的かつ根拠不明です。琉球は政治的な統合で収奪も未だに領有も意味不明です。 アイヌなる領域保持勢力は存在せず定義も説明も問題があります

侵略と占領とで定義が違い項目の編集画不可欠である等、列挙以外にも問題多数です。 項目定義に問題が多い上に、そもそも項目の存在価値が低すぎます --Cheatass 2005年12月17日 (土) 08:50 (UTC)[返信]

琉球処分や開拓政策が侵略政策であることは間違いない、またそれらを経ることが日本が「帝国」を名乗る要件となった、と思います。帝国主義がレーニンの論法でのみ使われるということはないと思います。ただ共に近代的な意味では国際的に独立が承認されたことのない地域で「未だに領有を」のみの記述は不適当だとは思います(またただ単に独立してもアジア・アフリカの独立と同様になる)。差別政策を漸く緩和した、ぐらいが現状だと思いますが。全部消すのは中立的な観点と相容れないでしょう。johncapistrano 2005年12月31日 (土) 17:33 (UTC)[返信]

そもそも日本帝国主義という表現そのものに政治的な意図を感じます。


出来る限り中立的な視点を維持したつもりですが、内容の難しい記事でもあるので個人的に中立性が維持されているか、はなはだ心配です。また個々の政策について事実的に記載するのではなく、どちらかといえば定義づけ的な内容としています。そのため日本帝国主義の記事として内容的に適当であるかどうかということについても検討をしていただけると助かります。できれば査読にご協力いただいて、率直な感想やお叱りの言葉をいただけると幸いです。--Kanbun 2006年3月18日 (土) 15:27 (UTC)[返信]


>天皇制による国内支配体制 は >天皇制を利用した一部の軍人による支配体制 の方がより適当であるように思われます。一行目からいきなりつっこみが入る記事もどうかと思いますが。61.86.35.225 2006年5月12日 (金) 17:15 (UTC) 最新の投稿↑を一番下に移動。編集ミスと思われるため。--Iosif 2006年5月12日 (金) 19:57 (UTC)[返信]

丸山眞男は天皇制を「無責任の体系」と述べ問題視し、また天皇の戦争責任問題も論じられています(『岩波講座 天皇と王権を考える』などを参照してください)。たとえ侵略政策の推進に一部の軍人による独断専行があったにせよ、天皇制それ自体にそのような独断専行を許すような構造的問題があったという見方は存在します。「天皇制を利用した一部の軍人による支配体制」は「軍国主義的な国内政策」部分に相当すると思われます。天皇機関説問題などを考えれば、天皇制それ自体にも侵略政策や国粋主義などを助長してしまうような傾向があったということは指摘することができるでしょう。よって「天皇制による国内支配体制」という表現が適切であるかはともかく、天皇制それ自体を「日本帝国主義」の特徴に入れるのは適切であると思われますし、個人的には「天皇制を利用した一部の軍人による支配体制」(具体的には国粋主義、軍国主義?)よりは「天皇制による国内支配体制」(具体的には大日本帝国憲法・皇室典範・華族令など関係法令、大嘗祭など祭祀王権としての側面を通じて天皇を頂点とした国内支配を正当化する体制)が適切だと思われます。一部の軍人に侵略政策の主体を限定することは日本帝国主義の「国家犯罪」を主張する国々が納得しないでしょうし、一部の軍人に戦争責任を押しつけた「東京裁判史観」に偏ってしまうことになるでしょう。もちろん私自身は軍国主義の問題を見逃しているつもりはありませんし、定義部分および本文中で言及しているつもりです。--Kanbun 2006年7月5日 (水) 03:24 (UTC)[返信]

0i0iさん:せっかく「日本帝国主義」という「用語・考え方」をいろんな角度から説明している項目です。そこにまで「朝鮮植民地支配」に対する評価をアレコレと持ち込む必要はないと思います。説明にとっても役立ちませんし、これ以上つづけるとこの記事も保護されます。「日本帝国主義と周辺地域」セクションで、朝鮮の植民地支配に関する評価記述を肯定・否定ともにコメントアウトしておきます。--Iosif 2006年6月27日 (火) 13:36 (UTC)[返信]


217.77.67.6さん。日本の「帝国主義」としての「後発性」を述べている箇所をすべて「後発=自衛のため」に書き換えるのは問題をポレミカルなポイントだけに切り縮め、すでに記述されている日本の「帝国主義」の多面的な性格を矮小化して描き出すことにしか役立たないと思います。--Iosif 2006年6月29日 (木) 20:12 (UTC)[返信]


さまざまな「日本帝国主義」の性格付けとして「資本主義段階論としての「日本帝国主義」」、「欧米帝国主義からの自衛としての「日本帝国主義」」、「世界国家主義としての「日本帝国主義」」、「天皇制イデオロギーとしての「日本帝国主義」」、「軍国主義としての「日本帝国主義」」がそれぞれ編集されています。「欧米帝国主義からの自衛としての「日本帝国主義」」だけを「日本の「帝国主義」の多面的な性格を矮小化して描き出すことにしか役立たない」として加筆でなく全削除されていますが、そうした基準では他も削除の対象となってしまうだけです。ドルフィン 2006年6月30日 (金) 15:09 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 11:32 (UTC)[返信]

ドルフィンさんはちゃんと本文を読まれているでしょうか? [1]←こちらの差分で明らかなように、IP:217.77.67.6会話 / 投稿記録さんが「===欧米帝国主義からの自衛としての「日本帝国主義」=== 」とタイトルをつけたのは、元来はたしかKanbunさんが「===資本主義段階論としての「日本帝国主義」===」として書いた説明のラストの段落です。そこで議論が完結しているとは言いませんが、ラストの段落をまるまるいただいて1センテンスだけ「列強からの自衛」という内容を付け加えて「自衛としての日本帝国主義」と題しているわけです。まず、資本主義段階論としての議論を半端にして、部分的に壊しています。つぎに「資本主義段階論としての帝国主義論」に対して「帝国主義的な政策はむしろ健全な資本主義の発達からは害悪でしかないという見方」を紹介している箇所なのに、そのまんま「列強からの自衛」に援用しようとして、他の側面を議論すべき要素をなんでもかんでも「列強からの自衛」に結び付けようとしてよくわからない文章になっているのです(それを矮小化と呼んだのは言葉の誤用でした/後述箇所参照)。私が削除しているのは見出しと、元の議論をわからなくするような(文脈を読み取りづらくする)加筆部分です。見出しとラストの締めくくりだけを書き換えたら、真ん中にある文章はもう文脈に位置づけられなくなってしまいます。もちろん、「列強からの自衛」については別途セクションをかまえて新たに解説を加えるのが是か非かという話とは別問題です。別問題ですが、少なくとも、他の性格(ここでは資本主義段階としての帝国主義を見る見方)を紹介している箇所(しかもそれに対する反論)を犠牲にして壊してしまう(それを一側面だけを描こうとしているという意味から「矮小化」という言葉を連想しましたが)ようなことをする必要はないはずです。--Iosif 2006年6月30日 (金) 19:00 (UTC)[返信]

増長になってしまっていた「資本主義段階論としての「日本帝国主義」」の否定する部分から、それに続くさまざまな「日本帝国主義」の性格付けとして他の側面「欧米帝国主義からの自衛としての「日本帝国主義」」、そして「世界国家主義としての「日本帝国主義」」とうまく引き継がれた文章にされていると思いますよ。いずれにしてもIosifさんがさまざまな「日本帝国主義」の性格付けとして「欧米帝国主義からの自衛としての「日本帝国主義」」を否定し排除すべきとお考えでないなら、その見出しごと削除してしまわれたことには賛成できません。「文脈がわからい」「矮小化」とお考えになるなら解説を加筆しあなたが納得できるような構成を共同編集者であるコミュニティに提案されるべきでしょう。ドルフィン 2006年7月1日 (土) 07:19 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 11:32 (UTC)[返信]

なぜそんな責任を押しつけられてんのやら、わけがわかりませんね。私はこれまでの諸見出しに並べるような値打ちを見出せませんが。--Iosif 2006年7月1日 (土) 13:20 (UTC)[返信]

官僚についての記述も是非

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日本人には2通りあって、創意工夫に満ちた人と、官僚。日本を近代国家にしたのは前者であり、その際、官僚は事務方として有効に機能しました。ところが、変化の時を終え、安定に入ると、創意工夫に満ちた人は別の分野に移り、残った組織は官僚が年功で支配するようになります。 主義思想の高尚な立場からでは、シナ事変以後の日本の行動は説明がつかないのではありませんか?211.133.19.141 2006年7月17日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

官僚制支配が徹底されていくと、組織の拡大とともに独自の規範様式も拡延され、それが場合によっては社会に抑圧的に作用することは注目されて良いと思われます。ただ正直に白状しますと、それをシナ事変以後のどのような日本の行動と具体的に結びつくかは私にはいまのところ特に思い当たる節がありません。また記事が「日本帝国主義」のことですので、おそらく主義思想また限定的にしたとしても政策論の問題になるのは当然のような気もします。官僚支配のあり方についても政策論の形を取る限り、考え方の問題が出てくると思われますし、現在においても日本が官僚制と呼べるような官僚と政界人、財界人との深いつながりがある上、官僚制自体は形態の差こそあれ珍しいものではありません。211.133.19.141さんがもし官僚制的な問題がとくにシナ事変以後に顕在化していると見ているならば、そのことを記述されることは歓迎されると思われます。ともかく「日本帝国主義」は日本の侵略政策を支えたイデオロギーあるいは体制思想(分解すれば、戦前の「日本」における「帝国」を目指す政策を支えた「主義」思想)のことでしょうから、官僚制についてもおそらくは侵略政策の思想構造の上での影響が肝要と思われます。もし「日本人には2通りあって、創意工夫に満ちた人と、官僚。日本を近代国家にしたのは前者であり、その際、官僚は事務方として有効に機能しました。ところが、変化の時を終え、安定に入ると、創意工夫に満ちた人は別の分野に移り、残った組織は官僚が年功で支配するようになります。」という部分が、一般的に官僚制が人材の低下とか政策の硬直化をもたらすというようなことを指しているのであれば、当時の日本の政治腐敗の状況や問題点を明らかにすることはできるせよ、なぜ侵略的な戦争に向かったかということは説明できないような気がします。なぜなら創意工夫に満ちた人でも理由があれば、侵略的な政策をとることもあるだろうと私は考えるからです。--Kanbun 2006年7月21日 (金) 12:19 (UTC)[返信]


この記事そのものに中立性が存在しないと思います。「帝国主義」という項目の他に、なぜわざわざ「日本帝国主義」がもうけられなければならないのか?一国のなにをもって帝国主義というのか、国権発動なのか国民思想かわかりません。即刻削除すべきです。--以上の署名のないコメントは、219.57.194.34会話/Whois)さんが 2006年9月30日 (土) 15:54 (UTC) に投稿したものです。[返信]

日本帝国主義と周辺地域の節について

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今の記述は日本の右派・保守派の見解のみが書かれており、中立性に違反していると考えます。そのため韓国併合の項目同様両論併記の方向に編集していくべきと考えます。YODAFON 2008年2月7日 (木) 06:22 (UTC)[返信]

独自研究では?

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中立性の議論ばかりですが、この記事がウィキペディアにおけるもう1つの重要方針である「独自研究はしない」に反している疑いがあります。独自研究とは完全に未発表な概念だけではありません。Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあるようにAやBという個別的事実を執筆者自身がCという結論を出したり、Dという事実をEという学説にあてはめてFという結論を出すことは独自研究です。例えば本文中にシュンペーターが出てきましたが、シュンペーター自身は日本の帝国主義について論じたのですか?もし執筆者自身が彼の学説に依拠して日本の歴史的事実を分析したならそれは独自研究に他なりません。--220.100.55.57 2008年5月17日 (土) 07:25 (UTC)[返信]

全文書き直ししました

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報告 当ノートでの2006年以降の、219.57.194.34さん、YODAFONさん、220.100.55.57さんによる非中立的独自研究との指摘に、反論も対案も全く無く、2008年の記事への独自研究タグ掲示後も、出典がほとんど無く全体が編集者による独自研究という状態が4年間も続き改善も見られないため、全文を書き直ししました[2]。具体的には、全文を削除し、なるべく一般的な内容で、複数の立場からの出典をつけ、編集者による評価の記述が入らないように、新規に書き直しました。(出典は更に良いものがあると思いますが、とりあえず。)なお、各国語間リンクも、リンク先の各国語版の内容は全て「日本(の)ナショナリズム(民族主義)」であったため、当記事へのリンクには不適切と考えて、これも全削除しました。--Rabit gti会話2012年7月15日 (日) 08:21 (UTC)[返信]

韓国語版は日本帝国主義でしたので戻しておきました。--hyolee2/H.L.LEE 2012年7月15日 (日) 08:34 (UTC)[返信]
hyolee2/H.L.LEEさん、戻しと Nobots ありがとうございました(すみません、見落としてました)。--Rabit gti会話2012年7月15日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
日本帝国主義の記事なのに戦前の日本の帝国主義論争がまったく取り上げられていないので不思議に思っていました。履歴を見て気づいたのですが、現在の記事は日本の帝国主義政策の事実の記事になってしまっていて、日本帝国主義論の内容がまったくなくなってしまったのが残念です。幸徳秋水たりは復活させたほうがよいと思いますが。--42.144.185.35 2014年11月30日 (日) 08:07 (UTC)[返信]