利用者:MARU BASS
田中丸善威/MARU
[編集]田中丸善威(たなかまる よしたけ、1972年1月13日)は、日本のミュージシャン、ベーシスト。福岡県福岡市出身。日本大学文理学部体育学科卒業。愛称は「MARU」。
人物・逸話
[編集]小学校から大学までラグビーをやっていた。(約15年間) 高校時代は部員70名程のラグビー部キャプテンを経験。ポジションは右ウイング。学生時代100Mを10秒9のタイムで駆け抜けたそうだ。 大学在学時に現在の師匠、世界のスーパードラマー樋口宗孝(レイジー,ラウドネス, スライ)と知遇を得る。 ロックのサウンド、パフォーマンスに完全に魅了され、樋口宗孝に師事。樋口に私生活まで総てにおいて影響を受ける。 ある日、樋口がラウドネスを脱退。 新たにスライ(Vo.二井原実 Gt.石原慎一郎 Bs.寺沢功一 Ds.樋口宗孝)を結成。 そこでローディーとして音楽のいろはを学ぶ。 97年、樋口がソロアルバム“Munetaka Higuchi with dream castle”を発表。 そのアルバム制作(プリプロ~※ガイドミュージシャンとして)に参加。ロスまで同行。 作曲作業では、MARUの出した数々のアイデアなんかも採用されて、アルバムに反映されている。Munetaka Higuchi with dream castleでは、MARUの演奏したガイドを頼りにビリー・シーンをはじめ、ジェフ・ピルソン、T.M.スティーブンス、スタンリー・クラーク等が差し替えていった。 他にも、スティーヴ・ヴァイ、スティーヴィー・サラス、テリー・ボジオ、ドン・ドッケン、ロニー・ジェイムス・ディオ、タイ・テイバー、マイケル・トンプソン等がこのアルバムに参加している。 本人曰く、後にも先にも今まで経験してきたレコーディングの中で それが最も辛い1週間だったそうである。 その経験を活かし、樋口の推薦もあり1年後の98年春に柏原崇、柏原収史兄弟とともにバンド"ノーウェア"を結成。 フォーライフミュージックエンタテイメントよりファーストシングル"アナザーワールド"でメジャーデビュー。 数々の雑誌、音楽番組、ドラマ等にも出演。 ライヴ活動は国内では渋谷CLUB QUATTRO、下北沢シェルター 他。 1999年8月14日、台湾でも柏原崇人気は絶大で、ノーウェア単独公演に約30,000人を動員。 『No'Where(柏原崇) 台北市立體育場 演唱會』当時、台湾自体ロックコンサートに慣れてなかったこともあり失神者200名、救急車49台も出動させてしまったとゆう熱狂の一夜となった。この動員記録は未だに破られていないそうだ。 2000年初頭、ラウドネス高崎晃のレーベルHEMP RECORDSより ミクスチャーバンド"アイオライト"でミニアルバム(赤盤青盤)をリリース。 その頃、高崎晃のソロプロジェクトJI-ZOにおいても 並行してライヴ活動を行なった。 2002年に、クラウドナインのリーダーSHU(Gt.)よりバンドへの誘いを受け、幾度のセッションやライヴを経て正式メンバーとして参加。 クラウドナインでのリリースは、 フルアルバム2枚(徳間ジャパン・コミュニケーションズ) ミニアルバム3枚(ポリスター)等、ライヴDVD2枚他、 コンピレーションアルバム等にも精力的に参加している。 PV7本。 2005年に発表したアルバム疾風迅雷ではミキサー&プロデュースとして元マシーン・ヘッド 、元ソウルフライのギタリストローガン・メイダーを迎えた。 翌年2006年9月に発表された疾風迅雷外伝においても同氏を起用。日本人離れをした圧倒的なサウンドと派手なライヴパフォーマンスが話題を呼んだ。 2007年10月21日のライヴを最後に、渡米目的の為バンドを離脱。後任ベーシストとして第一期のメンバーでもある沢田泰司(元X JAPAN, 元ラウドネス, DTR)が復帰。 2007年12月、ラウドネスボーカリスト二井原実ソロバンドのメンバーとして東名阪ツアー(ロックンロール・ジプシー・ツアー2007)に参加。 2008年1月28日、元シャムシェイドのボーカリスト栄喜とギタリストK-A-ZとのユニットDETROX渋谷C.C.Lemonホールでの公演に参加。 現在は、ロサンゼルスで人気のバンド"ラブチャイルド"の一員として活動開始。 2009年初頭にミニアルバム"LOVECHILD"を発表した。
※ガイドミュージシャンとは、リズム録りの際に、一同にミュージシャンが 集合できない時に仮で演奏をするミュージシャンのことを言う。 そのミュージシャンの演奏で、曲の雰囲気を捉えるため とても重要になってくる。
パフォーマンス
[編集]ラグビーで培った、バンドマンに似つかわしくない恵まれたボディーを最大限に生かしステージに立つその姿は、まさにアスリートでありファイター。 彼のライヴパフォーマンスを最初に見たインパクトとしては、普段の物腰柔らかい人柄や甘いマスクとは裏腹の激しいステージングに完全に度肝を抜かれる。 まるでAC/DCのリードギター、アンガス・ヤングのようなエナジーを感じる。表現力とグルーヴをとても大事にしているそうだ。ベースを打楽器のように叩いて弾いたりもする。 彼が一番崇拝するミュージシャンはベーシストではないらしい。ドラムには特にうるさいらしくドラムフェチとしても有名だ。しかし、ドラムは叩けないらしい。
略歴
[編集]•1993年、アマチュアバンド”Replay”の一員としてバンド活動始動。
•1998年、LOUDNESS Ds.樋口宗孝の推薦で樋口の弟子でもあった藤井修(Ds.)からの相談もあり柏原崇、柏原収史とのバンド
No'whereに加入。
•1998年、9月9日、フォーライフミュージックエンタテイメントよりシングルAnother Worldでメジャーデビュー。
オリコンチャート最高位:29位
•1999年、8月14日、台湾の台北市立體育場にてNo'where単独公演に30,000人を動員。
•1999年、11月5日、笑っていいとも!テレフォンショッキングにNo'whereで出演。
•2000年、LOUDNESS高崎晃のレーベルHEMP RECORDSより[ [ミクスチャー]]バンドIOLITEでミニアルバム(赤盤青盤)をリリース。
同時に高崎晃のソロプロジェクト“JI-ZO”においても 並行してライヴ活動を行なった。
•2002年、CLOUD NINEのリーダーSHU(Gt.)よりバンドへの誘いを受け加入。
•2004年、2月14日、ファースト・アルバムのツアー・ファイナルを渋谷サイクロンで行なう。
•2004年、7月15日、初のライヴDVD+CD『LOUD TRIANGLE』を、タワーレコード限定商品として発売。
タワーレコードのウィークリーチャートでは、2位を記録。
•2005年、アルバム疾風迅雷ではミキサー&プロデュースとして 元マシーン・ヘッド、元ソウルフライのギタリスト
"ローガン・メイダー"を迎えレコーディング。
•2006年、9月に発表された疾風迅雷外伝においてもサウンドプロデュースに同氏を起用。
•2007年、10月21日表参道FABでのライヴを最後に、MARUが渡米目的の為CLOUD NINEを離脱。
後任として第一期のメンバーでもあるベーシスト沢田泰司(元X JAPAN, 元LOUDNESS, DTR)が復帰。
•2008年、3月4日アメリカ、ロサンゼルスへ渡り活躍中。
テレビ
[編集]•笑っていいとも! テレフォンショッキング 1999/11/5 (フジテレビ)
•HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 1999/3/8 (フジテレビ)
ドラマ
[編集]•「ランデヴー(テレビドラマ)」出演 桃井かおり、田中美佐子、高橋克典、柏原崇、No'where 他 1998年7月3日~9月11日(TBS)
•「もう一度キス」出演 窪塚洋介、ユンソナ、柏原収史、伊崎充則 他。 2001年1月9日~3月13日 (NHK)
スタジオワーク 等
[編集]•樋口宗孝[LOUDNESS Ds.]プロデュース作品<Munetaka Higuchi with dream castle><COZY POWELL FOREVER >
<SUPER ROCK SUMMIT>< LUPIN THE THIRD TRIBUTE ALBUM ” You's Explosion”>
•はたけ[シャ乱Q Gt.]ソロアルバム<Q、Hyper Rock>
•TAMAMIZU[CASCADE Vo.](みにくい反逆児)
•より子(Break the Cocoon)[アルバムタイトル曲]
•V6"Coming Century" 映画 『COSMIC RESCUE』サウンドトラック & シングル[2003年7月14日付 オリコンシングル週間ランキング第1位]
•DETROX(SIAM SHADE Vo栄喜 &SADS Gt.K-A-Z のユニット)
•STEEL(Gt.柏原収史、現EXILEネスミスとのユニット)・・他。
外部 リンク
[編集]田中丸善威 ウェブサイト http://maru.heavy.jp/