利用者:Me2hero/大阪府の地名/東成郡の地名
本項東成郡の地名では、大阪府東成郡の町村について、その町字を中心とした地名について記述する。
概要
[編集]行政区画としての東成郡は、1879年(明治12年)2月10日、郡区町村編成法の大阪府での施行により発足した。その後、1896年(明治29年)4月1日、郡制の施行のため、東成郡・住吉郡の区域をもって改めて東成郡が発足した。本項では旧住吉郡の区域を含めた新東成郡所属の町村を対象とするが、その始点について1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の時点より記述することとする。町村制施行から新東成郡発足までの間には、住吉郡長居村が発足している。東成郡は1925年(大正14年)4月1日、郡内全域が大阪市に編入されることにより消滅、東成区・住吉区の2区が発足した。
目次
[編集]一覧
[編集]町村名 | よみ | 成立年月日 | 廃止年月日 |
---|---|---|---|
安立町 | あんりゅうちょう | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
生野村 | いくのむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
榎並村 | えなみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1914年(大正3年)10月1日 |
榎並町 | えなみちょう | 1914年(大正3年)10月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
榎本村 | えのもとむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
小路村 | おじむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
神路村 | かみじむら | 1916年(大正5年)1月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
北百済村 | きたくだらむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
北新開荘村 | きたしんかいのしょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1916年(大正5年)1月1日 |
清堀村 | きよぼりむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
喜連村 | きれむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
敷津村 | しきつむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
清水村 | しみずむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
城東村 | じょうとうむら | 1916年(大正5年)1月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
城北村 | しろきたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
墨江村 | すみのえむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
住吉村 | すみよしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
田辺村 | たなべむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1914年(大正3年)4月1日 |
田辺町 | たなべちょう | 1914年(大正3年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
玉造町 | たまつくりちょう | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
鶴橋村 | つるはしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1912年(大正元年)10月1日 |
鶴橋町 | つるはしちょう | 1912年(大正元年)10月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
天王寺村 | てんのうじむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
長居村 | ながいむら | 1894年(明治27年)10月15日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
中本村 | なかもとむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1912年(大正元年)10月1日 |
中本町 | なかもとちょう | 1912年(大正元年)10月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
鯰江村 | なまずえむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1910年(明治43年)9月1日 |
鯰江町 | なまずえちょう | 1910年(明治43年)9月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
西高津村 | にしこうづむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
野田村 | のだむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
東平野町 | ひらしひらのちょう | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
平野郷町 | ひらのごうちょう | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
古市村 | ふるいちむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
南百済村 | みなみくだらむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
南新開荘村 | みなみしんかいのしょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1916年(大正5年)1月1日 |
都島村 | みやこじまむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 |
依羅村 | よさみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
変遷表
[編集]旧郡 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東成郡 | 玉造町 | 明治30年4月1日 大阪市東区に編入 |
大阪市東区 | 大阪市東区 | 大阪市東区 | 大阪市東区 | 大阪市東区 | 平成元年 合区 大阪市中央区 |
大阪市 |
昭和18年 大阪市天王寺区に編入 |
大阪市天王寺区 | 大阪市天王寺区 | 大阪市天王寺区 | ||||||
東平野町 | 大正14年 分区 大阪市天王寺区 |
大阪市天王寺区 | |||||||
西高津村 | |||||||||
清堀村 | |||||||||
鶴橋村 | 大阪市東区 | 昭和18年 大阪市天王寺区に編入 | |||||||
鶴橋村 | 大正元年10月1日 鶴橋町 |
大正14年4月1日 大阪市に編入 東成区新設 |
昭和18年 分区 大阪市生野区 |
大阪市生野区 | 大阪市生野区 | 大阪市生野区 | |||
小路村 | 小路村 | 小路村 | |||||||
生野村 | 生野村 | 生野村 | |||||||
明治30年4月1日 大阪市南区に編入 |
大阪市南区 | 大正14年 分区 大阪市天王寺区 |
大阪市天王寺区 | 大阪市天王寺区 | 大阪市天王寺区 | 大阪市天王寺区 | |||
天王寺村 | 明治30年4月1日 大阪市南区・鶴橋村に編入 | ||||||||
天王寺村 | 天王寺村 | 大正14年4月1日 大阪市に編入 住吉区新設 |
昭和18年 分区 大阪市阿倍野区 |
大阪市阿倍野区 | 大阪市阿倍野区 | 大阪市阿倍野区 | |||
南新開荘村 | 南新開荘村 | 大正5年1月1日 改称 神路村 |
大正14年4月1日 大阪市に編入 東成区新設 |
大阪市東成区 | 大阪市東成区 | 大阪市東成区 | 大阪市東成区 | ||
中本村 | 中本村 | 大正元年10月1日 中本町 |
大阪市東成区 | ||||||
昭和18年 分区 大阪市城東区 |
大阪市城東区 | 大阪市城東区 | 大阪市城東区 | ||||||
北新開荘村 | 北新開荘村 | 大正5年1月1日 改称 城東村 |
昭和7年 分区 旭区 昭和18年 分区 城東区 | ||||||
榎並村 | 榎並村 | 大正3年4月1日 榎並町 |
昭和18年 分区 大阪市城東区 | ||||||
昭和18年 分区 大阪市都島区 |
大阪市都島区 | 大阪市都島区 | 大阪市都島区 | ||||||
鯰江村 | 明治30年4月1日 大阪市北区に編入 |
大阪市北区 | 大阪市北区 | 昭和18年 分区 大阪市都島区 | |||||
鯰江村 | 明治43年9月1日 鯰江町 |
大正14年4月1日 大阪市に編入 東成区新設 |
昭和7年 分区 旭区 昭和18年 分区 城東区 |
大阪市城東区 | 大阪市城東区 | 大阪市城東区 | |||
野田村 | 明治30年4月1日 鯰江村に編入 | ||||||||
明治30年4月1日 大阪市北区に編入 |
大阪市北区 | 大阪市北区 | 昭和18年 分区 大阪市都島区 |
大阪市都島区 | 大阪市都島区 | 大阪市都島区 | |||
都島村 | 明治30年4月1日 大阪市北区に編入 | ||||||||
明治30年4月1日 城北村に編入 |
城北村 | 大正14年4月1日 大阪市に編入 東成区新設 |
昭和7年 分区 旭区 昭和18年 分区 都島区 | ||||||
城北村 | 城北村 | 昭和7年 分区 大阪市旭区 |
大阪市旭区 | 大阪市旭区 | 大阪市旭区 | ||||
古市村 | 古市村 | 古市村 | |||||||
清水村 | 清水村 | 清水村 | |||||||
榎本村 | 榎本村 | 榎本村 | 昭和7年 分区 旭区 昭和18年 分区 城東区 |
大阪市城東区 | 昭和49年 分区 大阪市鶴見区 |
大阪市鶴見区 | |||
住吉郡 | 平野郷町 | 平野郷町 | 平野郷町 | 大正14年4月1日 大阪市に編入 住吉区新設 |
昭和18年 分区 大阪市東住吉区 |
大阪市東住吉区 | 昭和49年 分区 大阪市平野区 |
大阪市平野区 | |
喜連村 | 喜連村 | 喜連村 | |||||||
北百済村 | 北百済村 | 北百済村 | 大阪市東住吉区 | 大阪市東住吉区 | |||||
南百済村 | 南百済村 | 南百済村 | |||||||
田辺村 | 田辺村 | 大正3年4月1日 田辺町 | |||||||
依羅村 | 依羅村 | 依羅村 | 大阪市住吉区 | 大阪市住吉区 | 大阪市住吉区 | 大阪市住吉区 | |||
明治27年10月15日 分立 長居村 |
長居村 | ||||||||
住吉村 | 住吉村 | 住吉村 | |||||||
墨江村 | 墨江村 | 墨江村 | |||||||
昭和49年 分区 大阪市住之江区 |
大阪市住之江区 | ||||||||
安立町 | 安立町 | 安立町 | |||||||
敷津村 | 敷津村 | 敷津村 |
安立町
[編集]安立町は1889年(明治22年)、住吉郡安立町・七道領村が合併することにより成立。旧町村名を継承した2大字を編成[1]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
生野村
[編集]生野村は1889年(明治22年)、東成郡舎利寺村・林寺村・林寺新家村・田島村・国分村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[2]。
- 舎利寺(1925年大阪市東成区舎利寺町となる。)
- 林寺(1925年大阪市東成区林寺町となる。)
- 林寺新家(1925年大阪市東成区生野新家町となる。)
- 田島(1925年大阪市東成区生野田島町となる。)
- 国分(1897年一部が大阪市南区生野大字国分となり、残余は1925年大阪市東成区生野国分町となる。)
1925年(大正14年)、全域が大阪市に編入され、生野村廃止。
榎並村 → 榎並町
[編集]榎並村は1889年(明治22年)、東成郡野江村・関目村・内代村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[3]。
成立当初の大字名
[編集]- 野江(1914年野江南之町・野江中之町・野江東之町・野江巽角となる。)
- 関目(1914年榎並町に継承、1925年大阪市東成区関目町となる。)
- 内代(1914年榎並町に継承、1925年大阪市東成区内代町となる。)
町字の設置
[編集]- 1914年(大正3年)
町制施行し、榎並町となる。
- 野江南之町(野江の一部より、1925年大阪市東成区野江町1 - 3丁目となる。)
- 野江中之町(野江の一部より、1925年大阪市東成区野江町1 - 3丁目となる。)
- 野江東之町(野江の一部より、1925年大阪市東成区野江町1 - 3丁目となる。)
- 野江巽角(野江字巽角より、1925年大阪市東成区巽町となる。)
榎本村
[編集]榎本村は1889年(明治22年)、東成郡放出村・下辻村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[4]。
成立当初の大字名
[編集]町字の設置
[編集]- 1902年(明治35年)
- 旧今津村
- 1910年(明治43年)
- 三組(三組新田より、1925年大阪市東成区三組町となる。)
小路村
[編集]小路村は1889年(明治22年)、東成郡大友村・片江村・中川村・腹見村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[5]。
南新開荘村 → 神路村
[編集]南新開荘村は1889年(明治22年)、東成郡大今里村・東今里村・深江村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[6]。
- 大今里(1916年神路村に継承、1925年大阪市東成区大今里町となる。)
- 東今里(1916年神路村に継承、1925年大阪市東成区東今里町となる。)
- 深江(1916年神路村に継承、1925年大阪市東成区深江町となる。)
1916年(大正5年)、神路村と改称。
北百済村
[編集]北百済村は1889年(明治22年)、住吉郡新在家村・今在家村・今林村・桑津村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる[7]。
清堀村
[編集]西成郡清堀村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成し、東成郡に所属。大字は設置せず[8]。
1897年(明治30年)、清堀村廃止。大阪市東区清堀となる。
喜連村
[編集]住吉郡喜連村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成、大字を設置せず[9]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
1925年(大正14年)、大阪市に編入され、喜連村廃止。大阪市住吉区喜連町となる。
敷津村
[編集]敷津村は1889年(明治22年)、住吉郡南加賀屋新田・北加賀屋新田・村上新田・北島新田・柴谷新田・桜井新田・庄左衛門新田・嬰木新田が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[10]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 南加賀屋新田(1910年南加賀屋と改称。)
- 北加賀屋新田(1910年北加賀屋と改称。)
- 村上新田(1910年村上と改称。)
- 北島新田(1910年北島と改称。)
- 柴谷新田(1910年柴谷と改称。)
- 桜井新田(1910年桜井と改称。)
- 庄左衛門新田(1910年庄左衛門と改称。)
- 嬰木新田(1910年嬰木と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 南加賀屋(1925年大阪市住吉区南加賀屋町となる。)
- 北加賀屋(1925年大阪市住吉区北加賀屋町となる。)
- 村上(1925年大阪市住吉区村上町となる。)
- 北島(1925年大阪市住吉区北島町となる。)
- 柴谷(1925年大阪市住吉区柴谷町となる。)
- 桜井(1925年大阪市住吉区桜井町となる。)
- 庄左衛門(1925年大阪市住吉区庄左衛門町となる。)
- 嬰木(1925年大阪市住吉区嬰木町となる。)
- 1913年(大正2年)
- 釜口(埋立地より、1925年大阪市住吉区釜口町となる。)
清水村
[編集]清水村は1889年(明治22年)、東成郡馬場村・上辻村・貝脇村・別所村・般若寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[11]。
- 馬場(1925年大阪市東成区北清水町となる。)
- 上ノ辻(1925年大阪市東成区上辻町となる。)
- 貝脇(1925年大阪市東成区貝脇町となる。)
- 別所(1925年大阪市東成区別所町となる。)
- 般若寺(1925年大阪市東成区両国町となる。)
北新開荘村 → 城東村
[編集]北新開荘村は1889年(明治22年)、東成郡鴫野村・天王田村・左専道村・永田村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[12]。
- 鴫野(1916年城東村に継承、1925年大阪市東成区鴫野町となる。)
- 天王田(1916年城東村に継承、1925年大阪市東成区天王田町となる。)
- 左専道(1916年城東村に継承、1925年大阪市東成区左専道町となる。)
- 永田(1916年城東村に継承、1925年大阪市東成区永田町となる。)
1916年(大正5年)、城東村と改称。
城北村
[編集]城北村は1889年(明治22年)、東成郡中村・荒生村・江野村・赤川村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[13]。
大字の設置
[編集]- 1897年(明治30年)
都島村の一部を編入。
- 旧都島村
墨江村
[編集]墨江村は1889年(明治22年)、住吉郡殿辻村・沢口村・遠里小野村・千躰村・上住吉村・長峡町・南浜口村・浜口村・島村が合併することにより成立。旧村名を継承した9大字を編成[14]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
- 殿辻(1925年大阪市住吉区殿辻町となる。)
- 沢之口(1925年大阪市住吉区沢之町となる。)
- 遠里小野(1925年大阪市住吉区遠里小野町となる。)
- 千躰(1925年大阪市住吉区千躰町となる。)
- 上住吉(1925年大阪市住吉区町となる。)
- 長峡(1925年大阪市住吉区長峡町となる。)
- 南浜口(1925年大阪市住吉区南浜口町となる。)
- 浜口(1925年大阪市住吉区浜口町となる。)
- 島(1925年大阪市住吉区住之江町となる。)
住吉村
[編集]住吉郡住吉村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成、大字を設置せず[15]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
1925年(大正14年)、大阪市に編入され、住吉村廃止。大阪市住吉区住吉町となる。
田辺村 → 田辺町
[編集]田辺村は1889年(明治22年)、住吉郡南田辺村・北田辺村・猿山新田・松原新田が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[16]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 南田辺(1914年田辺町に継承、1925年大阪市住吉区南田辺町となる。)
- 北田辺(1914年田辺町に継承、1925年大阪市住吉区北田辺町となる。)
- 猿山新田(1910年猿山と改称。)
- 松原新田(1910年松原と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1914年、町制施行し、田辺町となる。
玉造町
[編集]玉造町は1889年(明治22年)、東成郡西玉造村・玉造村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[17]。
鶴橋村 → 鶴橋町
[編集]鶴橋村は1889年(明治22年)、東成郡猪飼野村・岡村・木野村・東小橋村・小橋村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[18]。
成立当初の大字名
[編集]- 猪飼野(1912年鶴橋町に継承、1925年大阪市東成区猪飼野町となる。)
- 岡(1912年鶴橋町に継承、1925年大阪市東成区岡之町となる。)
- 木野(1897年一部が大阪市東区鶴橋大字木野となり、残余は1912年鶴橋町に継承、1925年大阪市東成区鶴橋木野町となる。)
- 東小橋(1897年一部が大阪市東区鶴橋大字東小橋となり、残余は1912年鶴橋町に継承、1925年大阪市東成区東小橋町となる。)
- 小橋(1897年大阪市東区鶴橋大字小橋となる。)
大字の設置
[編集]- 1897年(明治30年)
天王寺村の一部を編入。
1912年(大正元年)、町制施行し、鶴橋町となる。
天王寺村
[編集]天王寺村は1889年(明治22年)、東成郡天王寺村・阿部野村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[19]。
長居村
[編集]長居村は1894年(明治27年)、住吉郡依羅村より3大字が分立して成立[20]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
中本村 → 中本町
[編集]中本村は1889年(明治22年)、東成郡本庄村・西今里村・中道村・古屋敷地・森村・中浜村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[21]。
- 本庄(1912年中本町に継承、1925年大阪市東成区中本町となる。)
- 西今里(1912年中本町に継承、1925年大阪市東成区西今里町となる。)
- 中道(1897年大阪市東区中本大字中道となり、残余は1912年中本町に継承、1925年大阪市東成区中道町となる。)
- 古屋敷地(1897年大阪市東区中本大字古屋敷となる。)
- 森(1897年大阪市東区中本大字森となり、残余は1912年中本町に継承、1925年大阪市東成区森町となる。)
- 中浜(1912年中本町に継承、1925年大阪市東成区中浜町となる。)
1912年(大正元年)、町制施行し、中本町となる。
鯰江村 → 鯰江町
[編集]鯰江村は1889年(明治22年)、東成郡今福村・布屋新田・蒲生村・新喜多新田が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[22]。
成立当初の大字名
[編集]- 今福(1910年鯰江町に継承、1925年大阪市東成区今福町となる。)
- 布屋新田(1910年布屋と改称。)
- 蒲生(1897年一部が大阪市北区鯰江大字蒲生となり、残余は1910年鯰江町に継承、1925年大阪市東成区蒲生町となる。)
- 新喜多新田(1910年新喜多と改称。)
大字の設置
[編集]- 1897年(明治30年)
野田村の一部を編入。
- 野田(1910年蒲生に編入。)
- 1910年(明治43年)
町制施行し、鯰江町となる。
西高津村
[編集]西成郡西高津村は1889年(明治22年)、字髭剃を除く大部分が単独で自治体を形成し、東成郡に所属。大字は設置せず[23]。
1897年(明治30年)、大阪市に編入され、西高津村廃止。大阪市東区西高津となる。
野田村
[編集]東成郡野田村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成、大字を設置せず[24]。
1897年(明治30年)、野田村廃止。一部が鯰江村野田となり、残部が大阪市北区東成野田となる。
東平野町
[編集]東平野町は1889年(明治22年)、東成郡北平野町村・南平野町村・東高津村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[25]。
平野郷町
[編集]平野郷町は1889年(明治22年)、住吉郡平野馬場町・平野泥堂町・平野市町・平野野堂町・平野流町・平野背戸口町・平野西脇町が合併して成立、旧町名を継承した7大字を編成[26]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 平野馬場(1925年大阪市住吉区平野馬場町となる。)
- 平野泥堂(1925年大阪市住吉区平野泥堂町となる。)
- 平野市(1925年大阪市住吉区平野市町となる。)
- 平野野堂(1925年大阪市住吉区平野野堂町となる。)
- 平野流(1925年大阪市住吉区平野流町となる。)
- 平野背戸口(1925年大阪市住吉区平野背戸口町となる。)
- 平野西脇(1925年大阪市住吉区平野西脇町となる。)
町名の設置
[編集]- 1922年(大正11年)
- 田畑町(平野流の一部より、1925年大阪市住吉区平野田畑町となる。)
- 政所町1 - 5丁目(平野野堂・平野流・平野背戸口の各一部より、1925年大阪市住吉区平野政所町1 - 5丁目となる。)
- 梅ケ枝町1 - 6丁目(平野野堂・平野流・平野背戸口・平野西脇の各一部より、1925年大阪市住吉区平野梅ケ枝町1 - 6丁目となる。)
- 三十歩町1 - 3丁目(平野野堂・平野流の各一部より、1925年大阪市住吉区平野三十歩町1 - 3丁目となる。。)
- 本町1 - 6丁目(平野野堂・平野市・平野背戸口・平野西脇の各一部より、1925年大阪市住吉区平野本町1 - 6丁目となる。)
- 新町1 - 6丁目(平野野堂・平野市・平野背戸口・平野西脇の各一部より、1925年大阪市住吉区平野新町1 - 6丁目となる。)
- 京町1 - 6丁目(平野市・平野野堂・平野西脇・平野馬場の各一部より、1925年大阪市住吉区平野京町1 - 6丁目となる。)
- 住吉町(平野泥堂・平野馬場の各一部より、1925年大阪市住吉区平野住吉町となる。)
- 中町(平野野堂・平野馬場の各一部より、1925年大阪市住吉区平野中町となる。)
- 上町(平野泥堂・平野馬場の各一部より、1925年大阪市住吉区平野上町となる。)
- 元町1 - 7丁目(平野市・平野泥堂・平野馬場の各一部より、1925年大阪市住吉区平野元町1 - 7丁目となる。)
- 浜町1 - 3丁目(平野市・平野泥堂の各一部より、1925年大阪市住吉区平野浜町1 - 3丁目となる。)
- 宮町(平野泥堂の一部より、1925年大阪市住吉区平野宮町となる。)
古市村
[編集]古市村は1889年(明治22年)、東成郡森小路村・南島村・千林村・今市村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[27]。
南百済村
[編集]南百済村は1889年(明治22年)、住吉郡湯谷島村・中野村・鷹合村・砂子村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[28]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
都島村
[編集]都島村は1889年(明治22年)、東成郡沢上江村・善源寺村・中野村・毛馬村・友淵村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[29]。
- 沢上江(1897年大阪市北区都島大字沢上江となる。)
- 善源寺(1897年一部が大阪市北区都島大字善源寺となり、残部は城北村に編入。)
- 中野(1897年大阪市北区都島大字中野となる。)
- 毛馬(1897年城北村に編入。)
- 友淵(1897年城北村に編入。)
1897年(明治30年)、大阪市・城北村に分割編入され、都島村廃止。
依羅村
[編集]依羅村は1889年(明治22年)、住吉郡我孫子村・堀村・前堀村・寺岡村・苅田村・庭井村・杉本村・杉本新田・山之内村が合併することにより成立。旧村名を継承した9大字を編成[30]。1896年(明治29年)、東成郡の所属となる。
- 我孫子(1925年大阪市住吉区我孫子町となる。)
- 堀(1894年分立して長居村の一部となる。)
- 前堀(1894年分立して長居村の一部となる。)
- 寺岡(1894年分立して長居村の一部となる。)
- 苅田(1925年大阪市住吉区苅田町となる。)
- 庭井(1925年大阪市住吉区庭井町となる。)
- 杉本(1925年大阪市住吉区杉本町となる。)
- 杉本新田(1925年大阪市住吉区浅香町となる。)
- 山之内(1925年大阪市住吉区山之内町となる。)
関連項目
[編集]参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 105.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 111.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 203.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 204–205.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 266.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 322, 1168.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 382.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 410.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 412.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 568.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 590.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 385, 620.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 628.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 660.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 663.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 740.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 749.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 789.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 804.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 849.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 881.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 895.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 919.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 955.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1024.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1055.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1083.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1164.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1189.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1251–1252.