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利用者:Mizusumashi/CDの販売数とか視聴率

著作物性[編集]

CDの販売数とか視聴率という事実のデータそのものは、そもそも著作物ではない、ってのは鉄板。

ただし、集計方法に独自性があった場合、それがたんなる事実ではなく、むしろ独自のポイント付けだと考えられるようだと話は複雑。

当落予想表事件東京高等裁判所判決は、「全国一三〇選挙区から立候補を予定している者の名簿に、当落の予想をして、○は当選圏内、△は当落線上より上、▲は当落線上より下という趣旨で○△▲の符号を付した」当落予想表について、「国政レベルにおける政治動向の一環としての総選挙の結果予測を立候補予定者の当落という局面から記述したもので、一つの知的精神活動の所産ということができ、しかもそこに表現されたものには控訴人の個性が現われていることは明らかであるから、控訴人の著作に係る著作物であると認めるのが相当である」として、独自のポイント付けをした当落予想表に著作物性を認めている。

もっとも、この判決は著作権の理論からいって困惑するような判決で、田村善之『著作権法概説 第2版』(1998年、有斐閣)19-20項も、この判決に対して、「しかし、当落の予想に関していかに独創性があろうとも、それはアイデアの独創性に過ぎない」として、その独創的なアイデアの表現に創作性がないかぎりは著作物性が認められないとして、批判している。

秋吉稔弘「符号の著作物性-当落予想事件」『著作権法判例百選[第三版]』(2001年、有斐閣)は、すこしはっきりしないが、当判決は○、△、▲といった記号の使い方という表現に創作性を認めたものとして、結論に賛成している模様(田村前掲は、○、△、▲といった記号の使い方に創作性を認めない)。

結局、

  1. 当落予想表事件東京高等裁判所判決に従わない
  2. 当判決は独自のポイント付けそのものに著作物性を認めていると読み、これに従う。
  3. 当判決は○、△、▲といった記号の使い方という表現に創作性を認めたものと読み、これに従う。

という三つの選択肢がある。僕は、ウィキペディア日本語版の選択としては、3で良いのではないかと思うけど、あくまで安全性ということであれば、現実に考えてコミュニティの判断としては2も不合理な判断とまでは言えないように思う(個人的には全く支持できないけど、裁判例があるという事実は重い)。

契約違反[編集]

つぎに、著作物ではないとしても、入手経路によって、著作権侵害ではない不法行為や契約違反となる可能性は否定できない。

どうも、契約違反となる場合は、投稿・掲載を認めず削除という運用への支持があるようで、僕もそれで良いと思う。ただ、これは法律解釈としてとくに複雑なところはないと思うけど、事実判断でどういった証拠があれば契約の存在をコミュニティで認めるかという問題はある。

不法行為[編集]

著作権侵害ではない不法行為については、裁判例上、工業的製品などの著作権の周辺領域で、非著作物を複製・配布して不法行為となった事例はいくつも存在する。ただ、裁判例は、営利活動として複製・配布していて、元来の制作者が経済的に競合する・健全な経済競争に反すると判断された場合だけだと思うから、ウィキペディア日本語版としてそのようなリスクをどこまで読み込むかというのは難しいところ。例えば、木目化粧板事件東京高等裁判所判決を参照のこと。

営業としてやってなければ健全な経済競争に反しているわけじゃないから不法行為にならないだろう、とも言える。逆に、昔は大規模な配布は営業としてやらなきゃ不可能だったから営業としているものだけが問題とされただけで、複製された側の損失にかわりはないのだから、裁判例の射程は非営利活動にも及ぶ、とも考えられる。

結局、複製の目的や形式・分量と複製された側の損失を、比較考量するしかないのではないだろうか。

一定期間のCDの販売数とか視聴率とかの順位のリストといったものはアウト、記事の説明の中で「~~の調べによれば、×年×月×日の視聴率で一位を記録した」とか、とくに重要な日付・放送回に「~~の調べによれば、×年×月×日の視聴率は~~であった」とかと書くのはセーフということで良いだろうと思う。

問題は中間的な場合で、とくに特徴的でも重要でもない日付・放送回についてまで、番組ごとにリストするとどうかというところ。