利用者:Mobnoboka/ひとこと
Wikipediaに關係することをかきます。日記ではありません。
ひとりごと
[編集]平成十八年
[編集]点字圖書館(だつたかしら)で、ボランティアの採用を制限してゐるらしいが、これは信用の問題だらう、録音資料の作成をプロの声優にたのむことにしたらしい。
記事をかくとき資料を參照するのだから、どの樣な記述でも、著作權を侵害する可能性がでてくる、といふことだ。肝に銘じなければならない--2006年2月7日 (火) 23:25(UTC)リンクけす--2007年7月12日 (木) 14:46 (UTC)
リンクに、下線がひかれる樣になつた、みづらい(翌日くらいに解消、原因不明-- 2006年2月17日 (金) 04:36 (UTC))。おまかせ表示は、スタブ以外の基本名前空間ページならひらく、ぐらいのものかしら、でないかしら、わからない。つくつたページ、曖昧さ回避がおほいが、まあいいか--2006年2月11日 (土) 14:26 (UTC)
ネットへの接續が不安定でこまる、さてどうなるどうなる(どうもならない、翌日なほつた--2006年2月22日 (水) 15:43 (UTC))--2006年2月17日 (金) 04:36 (UTC)
架空の人物や、CD・レコードなどのシングル・アルバムのどれを記事としてたてる必要があり、必要がないのだらうか、疑問だ。そこに境界線はひけるか、ひけないか--2006年2月22日 (水) 15:43 (UTC)
Wikipedia‐ノート:メインページの改訂はどうなつたのだらう--2006年2月23日 (木) 05:19 (UTC)
記事が削除されると、投稿記録もきえてしまふのか、びつくり--2006年2月23日 (木) 13:49 (UTC)
Wikipedia:執筆コンテスト/第弐回執筆コンテスト、參加しようかな、おもしろさう、でも……。さてどうする(やるなら入鹿池とか、)。--2006年2月24日 (金) 13:58 (UTC)
秋山勇造『明治のジャーナリズム精神:幕末・明治の新聞事情』(五月書房,2002年)はおもしろい、好著。ところうでこの書の以下の記述はどうなのだらう。「井関盛良」(正しくは井関盛艮だらう)、「欧州経由の上海・横浜間定期航路」、「箕作秋坪の斡旋によって吟香がヘボンに雇われ」(眼病治癒を切欠に、ひまだつたから、といふ記述もみつけた)、ある外国人物は現地表記をかくのにある人物はかかない……。これをもとにした書き途中の岸田吟香を他の書(傳記のたぐひ、いろいろある樣だ)も參照してみなほすべきだらう。サブページをはじめてつくつて、どきどき。うぃきぺでぃあほりっくだす--2006年2月25日 (土) 09:30 (UTC)
編輯中に削除され、すくひの手が新規投稿となつてしまつた、はじめての體驗でびつくり--2006年2月26日 (日) 12:40 (UTC)
Wikipedia:月間新記事賞/2006年2月、投票しすぎたかな、やりはほすの面倒だし、このまま。Wikipedia:執筆コンテスト/第弐回執筆コンテスト、ほかごとのおかげで、すこしも手をつけてゐない、はたしてまにあふかしらん。てらごやは「寺小屋」と變換され、てらこやは「寺子屋」と變換される、非道いミスだ、氣づいてよかつた、新規投稿するところだつた。--2006年3月3日 (金) 14:11 (UTC)
2006年2月7日 (火) 23:25(UTC)と關係することだが、ねむいときはなるべく編輯すべきでない。結果こまつた事態になるやもならないやもしれぬ確率がたかからう。--2006年3月7日 (火) 06:54 (UTC)
ああ、うへに書いたのに、けふ深夜投稿してしまひ、挙句にはまちがへて修正するなんて、學習能力がないのか、わたしは。執筆コンテスト、どうしよう……--2006年3月8日 (水) 17:31 (UTC)
一句雑俳をひねつてみました。「記事を書くたびに スタブの重荷負ふ」……、そしてけふも深夜投稿、ああ、度しがたき馬鹿。といふわけで、けふ入鹿池を執筆コンテストに投下してみました。まだスタブですよ。--2006年3月13日 (月) 17:29 (UTC)
あたらしい記事のなかで、いままではすべての人物記事と氣になつたやつを確認してゐたが、なんだか面倒になつた、さういふ氣分です。これからは氣になつたやつだけ、あと新着記事より候補にあるやつだけやまう、あとはしらん--2006年3月27日 (月) 13:42 (UTC)
入鹿池、歴史ばかりで現状がかけん、これは駄目だ……、寫眞がほしい、土木の記述がほしい。血税一揆を削除依頼にださうかしらん……。あと四百で二十萬か……。--2006年4月8日 (土) 09:26 (UTC)
記事の數二十萬は、四月九日に達成された。血税一揆を削除依頼にだした。さて、どうなる。入鹿池はやはり駄目であつた。まあ、當然。加筆加筆。太田和美 (政治家)には落胆した……。ウィキマネー・ウィキバンクなるもの、ううむ……。なんかようわからんが、わたしの活動がよい評価をされた樣だ、うれしい。--2006年4月24日 (月) 15:02 (UTC)
パソコンが壊れた……、ヰキブレイク。--2006年5月18日 (木) 04:01 (UTC)
メーカー修理との宣告が……、こまるなあこまるなあ。血税一揆がすくはれた樣で、おどろく、予想外でした。--2006年5月22日 (月) 04:02 (UTC)
さらに、いままで使つてゐた予備も死んだため、投稿量がおちます。おそらく新着記事の投票ぐらいしかできないでせう。こまつたね、これは。--2006年6月20日 (火) 03:59 (UTC)
復歸しました。パソコンの修理代はただでした。よかつたよかつた。--2006年7月4日 (火) 12:57 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/宮城県仙台第一高等学校どうなつてゐるのかー。--2006年7月24日 (月) 10:52 (UTC)
元々自分が勉強不足であることはわかつてゐたが……。これからも、より広く、より深くを追求しつづけよう(だでお前は駄目なのだ、といふ意見もでさうだ)。--2006年8月7日 (月) 08:52 (UTC)
岸田吟香をどうするか、うむむ。--2006年8月13日 (日) 08:30 (UTC)
Wikipedia:井戸端/旧字旧仮名の使用について、……、まだつづいてるし。私はもう關係してゐないが。意見してしまったが(「この議論を締めくくりたいので意見します」はひどい要約、「この議論を終らせたいので意見します」だつた)、無意味な議論、これで終つてほしいなあ。--2006年9月11日 (月) 05:13 (UTC)
Template:日本の寺院ができてた。過不足なく、なかなか恰好がいい。私もつかはう。タグの修正は面倒だが、これからもつづけなければ、ならんのだらうなあ、と。修正するついでに、何らか別のこともしたいもんだ。光前寺の寫眞、いつかとりかへてやる。こつちはひどいできだ。--2006年11月20日 (月) 15:38 (UTC)
さて、アカウントをとつてから、一年たつたことになる。以下、活動の方向性について、書く。記事をよむことが主眼である。さうすることによつて、知識を手に入れたい、これがすべての基本となるであらう。すこし雜用、草取りをおこなふ。また、あるべきだし、ないよりはまし、とおもつた記事を、とぼしい能力だが、書いていきたい。できた記事は、自分のものではない、といふことを、認めなければならない。これは、荒しを許す、といふ意味ではない。荒しを見つけた場合、容赦なく差し戻すべきである。おそらく、この場合以外、わたしが差し戻すことはないであらう。當分、2ちゃんねるからは撤退する。あはせて、ここでの活動範圍をせばめたいが、本當にできるだらうか。執筆コンテストにだす記事について、かんがへる。--2006年12月21日 (木) 13:55 (UTC)
平成十九年
[編集]書いたこめんとを讀み返すと、あれでは、自分が当事者ではなかつた、とわたしが思つてゐる、と他人に思はれても仕方ない。かういふ事態になつてしまつたのは、一部わたしのせゐである。いまさらあそこにかいてもむなしいので、ここにかく。--2007年1月5日 (金) 14:44 (UTC) --2008年2月7日 (木) 07:10 (UTC)
平成十九年三月十七日からじゆにちと署名するやうにする。壽日といふ表記には、なんら意味がない、改名の氣分がさらにつのる。ううむ……。--2007年3月26日 (月) 15:54 (UTC)
平成十九年三月二十五日、会所 (中世)が「新着記事より」に。はじめて自分の書いた記事がのつた。自分がほめられたのでなく、名誉は記事がうけるものだが、うれしい。「我が子の活躍を我が事のやうに喜ぶ親の氣もち」? 大分ちがふか。まあ、自薦だけどね。--2007年3月26日 (月) 15:54 (UTC)(追記)投票してくれた方、ありがたう。--2007年3月27日 (火) 15:13 (UTC)
結構評判のよい記事に自分だけ酷評をのせて、不安をおぼえる……。でも、たしかにひどい記事だとおもったんだもん。ううむ。--2007年3月27日 (火) 15:13 (UTC)
会所 (中世)は、一票もはいらずじまひ。頑ばつたけれど、こればかりはしかたない、まはりがよすぎた。まだまだ改良せなかん。--2007年6月3日 (日) 05:58 (UTC)
平成十九年六月十三日に、Mobnobokaに改名した。この名前、すこしながいから、署名ではちぢめなかん。といふわけで、當分、じゆにち (Mobnbka)と署名することにする。壽日と連續した存在であることを、しつてもらへたら、いいなあ。なあ。--2007年6月14日 (木) 16:03 (UTC)
署名について、これからも、すこしづつかへていく、かもしれん。見苦しくない樣に、じゆにちが、 Mobnoboka であるとわかる樣に、そんな署名にしていく。
- 平成十九年三月十七日 (JST)から以下の樣に署名してゐる。じゆにち
- 平成十九年五月廿九日 (JST)から以下の樣に署名してゐる。じゆにち (Mobnoboka)
- 平成十九年六月十三日 (JST)に、壽日から Mobnoboka に改名した。
- 平成十九年六月十五日 (JST)から以下の樣に署名してゐる。じゆにち (Mobnbka)
- 平成十九年六月廿九日 (JST)から以下の樣に署名してゐる。じゆにち (Mobnbka)
- 平成十九年七月十二日 (JST)から以下の樣に署名してゐる。じゆにち (Mobnbka)
- 平成十九年十一月十日 (JST)から、以下の樣に署名してゐる。じゆにち
- 平成二十年二月三日 (JST)から、以下の樣に署名してゐる。Mobnoboka
--2007年7月12日 (木) 14:46 (UTC) --2008年2月7日 (木) 07:10 (UTC)
やつてしまつた……。Wikipedia:削除依頼に反する依頼をしてしまつた。Wikipedia:削除依頼/日本のヒップホップ。惰性で依頼すると、かういふ、単純だけどおろそかにすべきではないところで、まちがひををかしてしまふのだ。--2007年9月1日 (土) 15:03 (UTC)
平成二十年
[編集]二月三日、管理者に立候補した。Wikipedia:管理者への立候補/Mobnoboka 20080203。なんか手際わるいし、なれるのかね。まあ、なれなんだらなんれなんだとき。--2008年2月7日 (木) 07:10 (UTC)