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利用者:NanoTetsu/問題を示すテンプレートが貼られて長期間放置された案件

このページ内において、特に明記がされていない場合、「テンプレート」はTemplate:出典の明記など、記事の最上部に貼り専用のカテゴリが追加されるものを表します。

WikipediaにはTemplate:出典の明記をはじめとした様々な問題を示すテンプレートが存在します。こういったテンプレートが貼られた記事はCategory:修正が必要なページ以下にある様々なカテゴリにまとめられていき、指定された問題を修正が出来るほどの実力と文献の両方を有する優秀な編集者[1]がやってくる日を今か今かと待っています。ただ中には誰にも気づかれぬまま、あるいは誰かに気づかれても修正がされないまま、いつのまにかテンプレートが貼られてから何年も経過してしまった記事が存在するのです。こういった記事がいつまでも残ることはWikipediaの発展を大きく阻害するものと考えます。

説明の前に

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私NanoTetsuが編集活動を初めてまださほど経過していない頃、Category:出典皆無な存命人物記事というものの存在を知りました。私自身、Wikipediaの編集に興味を持ったのは活動を始める1年以上も前であり、アカウントを取得する前の時点で編集するために必要な知識や守らなければならないルールは一通り理解した(つもり)でした。ですので、このカテゴリにはどんな記事がまとめられているのか、名前を見てすぐに理解しました。そしてまとめられている記事に興味を持ち、あるときは削除依頼に送り、あるときは加筆して出典皆無を脱却させていきました。

ただ、ここで一つ問題が生じます。文献の取得範囲に乏しい一人の編集者が改善できる記事数には限界があるという事です。インターネットから得た情報を用いて加筆することは出来ても、私は存命人物に対して加筆できるだけの、ましてや今まで出典が皆無だった人物についての文献なんて持っていません。それに専門分野に対する知識を有しているわけでは無いため、その人物がある分野に対してどういった影響を与えているのか、全く分からないのです。これは存命人物に限った話ではありません。Category:出典を必要とする記事に収録されている人物以外を扱った記事に対しても言えることなのです。

なぜ改善が必要なのか

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いつまでも問題が解決出来ない

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何やらタイトルがおかしな事を言っているように見えるでしょうが、実際にこういう状況になりかねないのです。私はCategory:出典皆無な存命人物記事/2009年以前にある記事について、いくつかは削除依頼を出そうとしたもののそれを断念しました。なぜなのか、その人物が活動していた時期が1990年よりも前、インターネットが普及していない時代だからです。そんな時期に活動していた人物の場合、よほど有名な人物や事象でもなければインターネット上の記事で改めて収録されるという事は無いでしょう。なのでその年代に活躍していた人物について加筆を行う場合は紙媒体による文献が欠かせないですが、私はそういったものを持っておらず、収集する能力や時間があるわけでもありません。言ってしまえば、私は「優秀な編集者」ではないのです。ですが「持っていない」=「存在しない」という意味ではないので、出典がないからといって安易に「出典が書かれていないので主題に特筆性はない」と削除依頼を出す訳にもいかないのです。そうなると出来ることは何もせずに放置する、これしかありません。そしてこれを私は行いました。後に同じ記事の存在を知った別の利用者Aがいました。ですがそのAも同じようにまともな文献を持っていない、いわば優秀な編集者ではありません。ですので同じく放置するしかないのです。もしかしたら私よりも前に同じ事をした利用者がいるかもしれません。

これが繰り返されていくと、問題に気づいている利用者は何人もいるのに、いつまで経っても解決しない、そんな魔の記事が残ってしまうのです。そしてその問題を解決出来る実力と文献の両方を有する「優秀な編集者」は記事の存在にすら気づいていない、そんな状況になりかねません。

いつまでもWikipedia全体の完成度が向上しない

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私はWikipediaの完成度は存在するすべての記事に与えられた得点の平均値によって決まり、その得点はすべての事象を中立的に見ることが出来る神様が与えてくれるものと考えています。もちろんそんな得点制度は空想的なものに過ぎないのですが、Wikipediaのルールを断片的にでも理解したものならば出典がまともに用意されていない、独自研究が大部分を占めるような記事は必然的に低い評価を与えられる事など容易に想像できるでしょう。

その記事を加筆するなり削除するなり出来れば平均的な質の向上につなげることが出来、Wikipediaの発展につながると考えています。特に加筆という方向で解決に向かう場合、同じ情報を活用することで別の事象を主題とした記事に対してもさらなる加筆を進めることにつながる事だって可能であると考えられるのです。

何が問題なのか

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ここからは私の推測ですが、なぜ多くの人間がこういった記事の存在に気づかないのか、考察してみます。

多くの利用者が問題に気づける環境が整備されていない

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私がどのルートをたどったのかまでは覚えていないですが、運がよくCategory:出典皆無な存命人物記事を見つけ、興味を持つことが出来ました。しかしリンク元を調べてみると、Category:修正が必要なページはいくつかの利用方法を説明するページからリンクされているものの、それ以下のCategory:出典を必要とする記事などは多くの利用者が見に行きそうなWikipedia名前空間上のページからのリンクがありませんでした。これではCategory:修正が必要なページを経由しないと存在にすら気づくことが難しくなっています。

どうすれば解決出来るのか分からない

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Category:出典皆無な存命人物記事であれば出典を一つ用意すれば解決出来る話[2]です。ですが、これがCategory:出典を必要とする存命人物記事になると、どこまで出典が必要なのか、どうすればテンプレートを消せるのかが分かりづらい状態になります。もちろん経験を積んだ利用者であればその境界線も理解しているでしょうが、そうで無ければ加筆は出来てもテンプレートを消す事はできなくなってしまいます。これ以外のテンプレート案件も同様です。新たにテンプレートが貼られている記事を直そうとする利用者が現れても、どういうところを直すべきかまでは分かってもどこまで直すべきか分からないとなっては、いつまで経っても除外されることがありません。

解決方法

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あくまでも一例ですが、どういうやり方があるのかを検討してみます。

専用のページ整備

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専用ページをWikipedia名前空間に整備します。このページ内に長期間放置された案件へのリンクを用意し、解決方法を提示、これを見た利用者が編集しに行き、テンプレートが貼られた記事を減らす。こういった流れを作ることができれば、自ずと問題は解決に向かっていきます。ただ、これを実現するためにはそのページを一人でも多くの人が見るようなものにしなくてはなりません。そうで無いといつまで経っても見る人が現れず、問題解決になかなか進まなくなってしまうのです。

プロジェクト化

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こういった問題を解決するためのプロジェクトを開設します。そのプロジェクト内で議論を重ねることでテンプレートを除去できる境界線を決めたり、誰がどういった記事を編集できるのかという方向を確認したりすることができます。そして、ある分野に詳しい編集者に対して「このカテゴリにこんな記事が残っているから編集して」と情報共有を行い、それを確認して編集する、みたいなやり方も可能になるでしょう。ただプロジェクトになるとルールを決めることはできてもどれだけ参加者を増やせるのかが問題となります。それも一つの分野に詳しい人が集中するのでは無く利用者によって多種多様な得意分野を持つことが必要になってくるのです。

大会の開催

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Wikipedia:加筆大会を参考に、テンプレート案件を脱却するための大会を開くことも一つの案になるでしょう。このメリットとしては、ページ上部に表示されることで多くの利用者に気づいてもらい、興味を持って参加してもらう事ができます。そして短期間に多数のページが加筆され、テンプレートが必要ない状態にする事ができるでしょう。一方、デメリットとして頻繁に開催するわけにもいかないため、ここから継続してテンプレート状態を脱却しようとする利用者を確保しなければなりません。そうしないと一時的に数を減らしてもそこからの減少量は今まで通り変わらない状態となってしまいます。

注釈

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  1. ^ ここでいう「優秀な編集者」とは両方を有していることを示し、実力だけがあっても優秀では無いと考えます。なお、文献がないから優秀ではない、という訳では無く、その気になれば図書館なり書店なりに行って必要な資料を確保、それを読み解いて加筆することが出来るのであれば問題は無いという事です。
  2. ^ 脚注に出典があれば無差別にこのテンプレートを除去するべきでなく、その出典が信頼できる情報源なのかは判断すべきですが。