利用者:Omotecho/Hoxne Hoard
座標: 北緯52度20分 東経1度11分 / 北緯52.333度 東経1.183度
ホクサン埋蔵金 | |
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Hoxne Hoard | |
埋蔵金が見つかった様子の復元。オークの木箱(復元)と金貨 | |
材質 | 金、銀、青銅、鉄、有機物 |
製作 | 4–5世紀 |
時代/文化 | ローマ帝国 |
発見 | 1992年11月16日、サフォーク州ホクスン |
所蔵 | ロンドン、大英博物館第49展示室[1] |
ホクサン財宝(英: Hoxne Hoard [ˈhɒksən])[2]は、イギリスで発見された国内最大規模の財宝 で、ブリタンニア後期(4世紀から5世紀)の金貨と銀貨が含まれる[3]。1992年、エリック・ローズという金属探知調査をする人物がイギリスのサフォーク州ホクスン村で発見、ローマ帝国内で流通したローマの金、銀、青銅の貨幣1万4865枚、銀器と金の宝飾品およそ200点が掘り出された[4]。この財宝の価値は宝物査定委員会 の1993年の査定で175万ポンドとされた(2020年の評価額は約450万ポンド)[5]。発掘品はロンドンの大英博物館に保管され、最も重要な品といくつかを常設展示する。
オークの木箱もしくは引き出し1点が発掘され、中から小さな木箱や袋、布の包みが見つかった。貴金属製品は主に種類ごとに分類して、それぞれに詰めてあった。発掘調査では、蝶番や鍵など箪笥の付属品や残骸が見つかった。硬貨は古いものは西暦407年にさかのぼり、時期はイギリスがローマの属州だった時代の終焉 と一致する[6]。慎重に梱包された財宝の所有者も、地中に埋めた理由も不明ながら、非常に裕福な一家の所有物と考えられる。また大型の銀器や、宝飾品でも最もありふれたタイプが見つからなかったことから、富の一部に過ぎない可能性がある。
この埋蔵品のうち、貴重で重要な品には胴にまとう金製のチェーンや、高貴な女性像の形をして銀メッキを施した銅製胡椒入れ他のコショウ壺(ピペラトリア )などがある。これらの宝物は考古学的に特に貴重で、大部分は専門の考古学者が発掘して手付かずの状態が保たれた。この発見はまた、考古学者の側が金属探知機に懐疑的だった認識の改善に役立ち、さらに宝物の発見に関するイギリスの法律改正を動かした[7]。
考古学の歴史
[編集]財宝はサフォーク州ホクサン村の南西約2.4kmの農場で発見された。1992年11月16日、小作農のピーター・ホワトリング(Peter Whatling)は野外作業中に紛失したハンマーを探してもらおうと、友人のエリック・ロウズ Eric Laws に手伝いを頼んだ。ロウズは庭師を引退しアマチュアながら金属探知機の専門家である[8]。探知機で畑を探るうちに、銀のスプーン、金の宝飾品と多数の金貨と銀貨を見つけた。数点を持ち帰った後、ふたりは地主(サフォーク郡議会)と警察に通報し、それ以上は土を掘って確かめようとしなかった[9]。
翌日、サフォーク市考古学部の考古学者チームが現場入りする。壊れていない埋蔵品を大きなブロック単位で掘り上げ、ラボで詳細に調べる計画を立てると緊急発掘を1日で終えた[10]。発見地点から半径30m以内の地域を金属探知機で探索すると[11]、ワトリングが落としたハンマーも回収され、大英博物館に寄贈された[12][13]。
発掘品は1ヵ所に集中し、完全に腐敗した木箱の残骸の中に限定された[8]。また出土品は分類して木箱に収めてあり、たとえば柄杓や椀などの部品は互いに積み重なり、他の品物は内箱に取り分けてあった[14]。一部は動物が掘った穴や耕作によって撹乱されたものの、全体にその量は少なかった [15]。発見者のロウズが迅速に通報し、容器内の遺物は元の配置が保たれ、容器自体の存在も特定できたことから、専門の考古学者による「現場での発掘」が可能になった[9]。
大英博物館に運ばせた発掘品についてマスコミにリークされる。『ザ・サン』紙は11月19日付1面に記事を大見出しで掲載し、金属探知機を持ったロウズの写真を添えた。財宝の全容とその価値はその時点ではまだ不明だったが、新聞記事は1千万ポンド相当の価値があると書き立てた[8]。マスコミの報道は想定外の宣伝になり、大英博物館はこれに応じて翌11月20日に館内で記者会見を開き、発見を正式に発表した。すると新聞はたちまち発掘品に関心を失い、おかげで同館の学芸員は報道機関からそれ以上の邪魔を受けることなく、出土品の分類と清掃、安定化の処理を進めた[8]。発見から1ヵ月以内に、クリーニングの第1段階と基本的な保存処理が完了した[10]。
調査と評価
[編集]1993年9月3日にローストフト(Lowestoft)で政府による審問 が行われると、財宝は宝の山 であると宣言された。誰も所有権を主張しない限り、イギリス慣習法に従って宣言された案件は国王の所有物とされる[17]。当時の慣行では、宝の山を発見してすぐに通報した人に国の機関が宝の取得を申し入れると、発掘品の市場価値に相当する報奨金が与えられた。1993年11月、埋蔵宝物査定委員会(Treasure_Valuation_Committee)は財宝を175 万ポンド相当と査定した(2023年支払い時点の額面は約450万ポンド)。宝の発見者はロウズを指名、受領金は友人のピーター・ワットリングと分け合ったという[18]。後に1996年埋蔵宝物法が制定されると、発見者と借地人、地主が受領金を分け合うように法制化された[19]。
その後の考古学調査
[編集]サフォーク郡評議会に所属する考古学班は畑の収穫を待ち、1993年9月に調査を行って金貨4枚と銀貨81枚を発見した[20]。またイギリスにおける鉄器時代初期 と同じく中世後期 の資料も発掘されながら、近くにローマ人が居住していたという証拠は見つからなかった[11]。
同考古学班は翌1994年に、埋蔵物の近くで違法な金属探知が行われた事件に対応するため追跡調査を実施し、財宝の発見場所の南西の角から柱穴が1ヵ所確認された。おそらく財宝を埋設した人が将来、掘り出して回復する目印の柱を立てた可能性がある[11]。発見地点の周りを金属探知機を使用して調べ、面積1千m2にわたって地表の土を深さ10cm取り除いてラボに運んで分析したところ、金属工芸品を見つけ、ローマ時代にさかのぼる発掘品335点が見使った。そのほとんどは硬貨であるが、箱の付属品も複数点が含まれた。イギリスの青銅器時代後期 または鉄器時代初期の一連の柱穴が発掘されたことから、構造物が立っていた可能性があるものの、ローマ時代の構造物の特徴は検出されていない[11][21]。
1994年の調査で発見された硬貨は、財宝の発掘地点を中心に東西それぞれ20mにわたって分布し[22]、農家が1990年にその畑の一部を東西方向に耕運機で深く掘り起こしたことで説明できる。この土地が農業用に開墾された1967年または1968年以来、農家では南北方向に耕しており、出土地点を挟む北と南から硬貨が出ないことも、1990年まで耕作で財宝を撹乱していないことが示される[22]。
発掘品の種類
[編集]主に金貨、銀貨、宝飾品で構成され、金製品は合計3.5kg、銀製品23.75kg相当であった[23]。出土物はおよそ60cm×45cm×30cmの大部分または全体がオーク材でできたチェストに収めてあり、内部にイチイ材とサクラ材のと判明した小箱に分けたり、羊毛の布で包んだり干し草を詰めたものも見つかった。埋めた後でチェストと小箱はほぼ腐敗しており、発掘中に断片とその付属具が発見されている[24]。主な発掘品は次のとおりである。
- 金貨 569枚 (ソリディ) [4]
- 銀貨 1万4272枚。内訳はミリアンセ銀貨60枚 、シリケ銀貨1万4212枚[4]。
- 青銅貨 24枚[4]
- 金製の宝飾品 項目[25]
- 銀のスプーンと柄杓 点[26]
- 銀色のメスのトラの小像 1点、容器の取手と思われる[26]
- 銀の茶碗と小皿 4点[27]
- 銀星のビーカー 1点
- 銀製の花瓶または小型の注器 1点
- 胡椒壺 4点、「エンプレス」銅製胡椒壺を含む[3]
- 洗面用品 つまようじなど
- 銀の錠前 2点、木製または革製のチェストの腐敗した残骸の付属具
- さまざまな有機物の痕跡、小さな象牙製ピュクシスを含む。
硬貨
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歴史的な広がりと鋳造
[編集]ホクサン財宝の発掘品のうち、製造時期と製造場所が特定できる唯一の品物が硬貨である。金貨全点と銀貨の多くに鋳造した時期の皇帝の名前と肖像が刻まれ、またほとんどの硬貨にどこで作られたか特定する造幣所印(ミントマーク)も残る。ローマの造幣システムが統一デザインの硬貨を製造する制度であったと物語り、ミントマークから硬貨の製造地は合計14ヵ所が特定できた。トリアー、アルル、リヨン (ガリア)、ラヴェンナ、ミラノ、アクイレイア、ローマ (現代のイタリア)。シサク(現代のクロアチア)、シルミウム(現代のセルビア)、テッサロニキ(ギリシャ)、コンスタンティノープル、キュジコス、ニコメディア、アンティオキア(現代のトルコ)[29]である。
3代のローマ皇帝の治世に造られた硬貨のうち、コンスタンティヌス朝の後継者が最も早期で、続いてヴァレンティニア朝の皇帝、最後がテオドシウス朝である。皇帝権を複数の皇帝で分ける「分担統治制度」(コンソルティウム・インペリイ )では提携関係にある統治者がそれぞれの管轄下の造幣局で、相手の名前入りの硬貨を鋳造した。ローマ帝国の東と西の皇帝の治世が重複したため、硬貨のタイプは治世の一部にさかのぼって変化することがよくあった。したがって財宝に含まれる硬貨で最も新しいものは西側の支配者ホノリウス(393年–423年)と挑戦者コンスタンティヌス3世(407年–411年)の時代に相当し、東の皇帝の生涯に対応させると治世の初期に属したことが実証できる。408年に没したアルカディウス[30]のように、没年の硬貨流通量を担保した(没後の発行)と考えると、可能な限り早い日付を充当した[31]。
財宝のうち薄い銀貨(シリカ=siliquae)は、主にガリアとイタリアの西ローマの造幣局で造られた。それよりも東で製造した硬貨の点数は、交易を介してめったにイギリスに到らなかったせいか、それとも東ローマの造幣局がシリカをめったに造らなかったからか、出土数の背景は不明である[32]。硬貨の製造は当時の宮廷の所在地に伴うと考察され、たとえばトリアー硬貨は367年以降に大幅に集中して流通する。これはおそらく、グラティアヌスが宮廷をトリーアに移したことに関連する[32]。
鋳造所/年 | 364–367 | 367–375 | 375–378 | 378–388 | 388–395 | 394–402 | 402–409 | 合計 |
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アクイレイア | 2 | 2 | ||||||
コンスタンティノープル | 4 | 1 | 5 | |||||
ライオンズ | 5 | 5 | ||||||
ミラノ | 15 | 6 | 367 | 388 | ||||
ラヴェンナ | 54 | 54 | ||||||
ローマ | 1 | 38 | 39 | |||||
シルミウム | 8 | 8 | ||||||
テッサロニキ | 1 | 1 | ||||||
トリーア | 6 | 6 | 8 | 58 | 78 | |||
合計 | 1 | 6 | 6 | 27 | 78 | 368 | 94 | 580 |
銀貨の切り抜き
[編集]財宝にあるほぼすべてのシリカ銀貨は、その周縁部がある程度、「切り取って」ある(硬貨の切り抜き )。これはイギリスで発掘される同時代のローマ銀貨の典型例で、同帝国の他の時代の硬貨が切り抜かれた例は非常にまれである[34]。切り抜いた例では硬貨の表面にある皇帝の肖像は常に無傷で残し、裏面の造幣局印、刻印や画像はしばしば損傷した例を見る[34]。
コインを切り抜く理由には諸説がある。説明としては、詐欺、金貨と銀貨の安定した比率を維持しようとする意図的な試み、または流通硬貨の数を維持しながら公式に銀地金の新しい供給源を得る試みがあげられる[34]。
周縁部を切り取った硬貨がホクサン財宝に膨大に存在することから、考古学者は硬貨切り抜きの過程を詳細に観察できた。肖像を傷つけないように硬貨の表面から切り抜いていると考察され、また350年以降に製造された硬貨で切り抜きの平均発生率はほぼ同じであった[35]。
金の宝飾品
[編集]財宝のうち宝飾品は全て金製で、金貨を除くと全て装身具である。指輪など性別を問わずに身に着けたと思われるものもあるが、装身具に明らかに男性用というものはない[37]。種別を見るとボディー・チェーン1本、ネックレス6本、指輪3本、ブレスレット19本である。金製の装身具の総重量はおよそ1 kg[38]、金含有量は平均91.5%(約 22カラット)で、混入した銀と銅の割合はわずかである[39]。
最も重要な金製品はボディ・チェーンであり、金の鎖4本を体の前面と背面に配した留め板に留めつける形状である[40]。留め板は金の座金8ヵ所のうち4ヵ所に大粒のアメジスト4点を留め、周りを小粒のガーネットで囲む。残り4ヵ所は宝石が脱落し、おそらく取り付けた真珠が腐敗したと考えられる[40]。背面の留め板はグラティアヌスの金のソリドゥス金貨を流用し(鋳造は375年–383年ころ)、一時はペンダントとして使ったものを転用した様子から家宝 と推察される。
4本の鎖は細かく輪環(ループ)をつなぎ[注 1]、ライオンの頭の形をした留め具が鎖の表面の端に付く[40]。ローマ美術に女神ウェヌスや妖精の女性が身に着けた構図がある。エロティックな文脈を含む図柄もあるが高位の女性も着用していて、ボディー・チェーンは花嫁への贈り物であった可能性が指摘される[41]。ホクサン出土の例は胸囲が76–81 cm (30–32 in) の女性ならきつめではあるが着用できる[42]。現存するボディ・チェーンの例はほとんどなく、完形の例はこのほかにエジプトで発見されたビザンチン時代初期の資料で、やはり大英博物館の所蔵品である[43]。
ネックレスの留め具の特徴はライオンの頭の形をしている点で、様式化されたイルカの例もある。残り4本は単純なデザインで、留め具にキリスト教が宝飾に使うことを認めた唯一のシンボル「☧」(英: Chi-Rho ([ˈkaɪ ˈroʊ]、別名chrismon引用エラー: <ref>
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中世ラテン語の「crismon」が語源とされる。ミラノ大聖堂の「聖アンブロシアの象徴」として唯一の例が記録に残る[注釈 1][46]。ローマ帝国時代には通常、これと同じ長さのネックレスはペンダントとともに着用したが、ホクサン財宝からペンダントトップは出土していない[47]。
指輪3本にはもともと宝石がセットされ、おそらく天然の宝石または色ガラスのかけらを再利用しようと指輪から取り外してから埋めたと考察される。3本ともデザインは似通っており、ベゼルは楕円形が1点、円形が1点、大きな長方形が1点である[48]。
出土したブレスレット19本は金製の4本セットが3組あり、同様の現存例で4本セットは最も珍しい。2セットは幾何学的なデザインを切り抜いてあ理、両腕に2本ずつ着けたとすると、互いに関連のある女性2人が1セットずつ所有したとも考えられる[49]。3セットのうち残りの1セットは地金に横方向に溝と波形を刻んである。
素材が金以外の5本にはローマ時代後期によくある狩猟の場面が描かれ、3本の技法は切り抜き技法、残り2本は彫金である。金製で文字を刻んだ例は1点のみで、ラテン語で次のように読める。
「羅: VTERE FELIX DOMINA IVLIANE」。
意味は「[これ]を楽んでお使いください、ジュリアン夫人」を示し[49]、文字列のうちの「羅: utere felix」(羅: uti felixもあり)はローマ属州時代、2番目に多く品物に刻まれ「幸運」「幸福」「よろこび」を祈る言葉である[50]。取り立ててキリスト教的とは言えないものの、このことばは、たとえば「カイロー」(Chi-Rho)のシンボルと並び、明らかにキリスト教の文脈で使用されたことが認められる[50]。
装身具は裕福な女性や家族が「不測の事態に備えた」財宝であった、所蔵はしても身にはつけずに保存したとも考えられる。ホクサンの出土品には、もっと日常的なブローチやペンダント、イヤリングなどはない。宝石を取り付けた品もわずかで、現存するものは当時の趣味や流行を非常によく表している。ローマ属州時代のイギリスの専門家で大英博物館の元主任学芸員を務めたキャサリン・ジョンズ(Catherine Johns)は、これら宝飾品の所有者が当時、日常に身に着けた品物、またはお気に入りの品はホクサンに埋めなかったと推測している[51]。
銀製品
[編集]ホクサン財宝には100点前後の銀製品および銀メッキの出土品があり、破損部分が一致しない断片があるため実際の点数は不正確でる。跳躍するメスのトラの小像は、水差しやランプなどの取手である。
- 胡椒壺 4点(ピペラトリア)
- ビーカー 1点
- 花瓶またはジャグレット(小さな水差し) 1点
- ボウル 4点
- 小皿 1点
- 銀のスプーンと柄杓 98点。
ビーカーとジャグレットはどちらも葉と茎の装飾があり、ジャグレットには金色の帯が3本ある。対照的に小さなボウルと皿は無地である。他の場所で発掘された財宝に含まれるのに、ここでは出土しなかった大きな装飾皿のこともあり、ホクサン財宝を埋めた者も実際にはこれらの品物をもっと多く持っていたと推測される[16]。多くの品は装飾を強調する金メッキを部分的に施し、技法は当時の典型的な水銀金メッキである[52][53]。
胡椒壺
[編集]胡椒壺[注 2]の好例「皇后の」胡椒壺(ピペラトリア)は、裕福なまたはローマ帝国の女性をモデルにした容器で[† 1]、他の胡椒壺はそれぞれヘラクレスとアンタイオス、動物はアイベックス、ノウサギと猟犬の形を模している。この出土地では、開口部の2つの穴の開き方を制御する仕掛けが基部にあって、中の円盤を回転させ、完全に開けた状態でじょうごを差し入れ中身を詰めたとも、穴を半開きにして壺を振り、飲食物にスパイスをかけた。
調味料の容器としての胡椒壺をラテン語で「ピペラトリウム」といい、黒コショウを最もよく収めたと考えられるものの、コショウ以外にも、船に積んで運んだ高価で基調とされた香辛料はあった。「皇后の胡椒壺」はローマ時代のこの種の銀器のまれな例として、ジョンズは「タイプの製作時期、類型および図像の範囲を大幅に拡大した」[56]という。当時のコショウの取引と使用は、北部州の3つの遺跡でミネラル化された黒コショウが発見された物的証拠[58] [59](1990年代)と、ヴィンドランダ・タブレット に 2デナリ分のコショウの購入が記録されている[60]。考古学的遺跡からこれまでに発掘されたスパイスにはコリアンダー、ポピー、セロリ、ディル、サマーセイボリー 、マスタード、フェンネルなどのがある[59] {{Refnest|他の香味料の取引の証拠は、ローマ時代に出版されたレシピと法律文書が典拠である。301年の最高価格の勅令に、サフラン、ジンジャー、カルダモンコショウの記載があり、(第34条67項に)(ロング)コショウの「最高」価格は1ポンド ([convert: 不明な単位])*。
十分に入手できなかったため、それ(胡椒)をめぐって戦争が勃発し、ローマのレシピを見るとどれも「コショウを……と混ぜる」で始まる。—(Christine McFadden, food writer)イギリスにやってきたローマ人は多くの文明的な物を携え習慣を示し、イギリスの人々はローマの文化を感じ取った。ローマ文化に共感したものの1つはワイン – オリーブ・オイルもそう – で、コショウは同じローマ渡りの品物でも、より価値があった。(大英博物館招聘フェロー、ロバータ・トゥーマー。)
したがって、拙宅ほど大きな銀の胡椒壺を定期的に満量にするには、食料品の請求書に打撃を与えてきたであろうし、所有していた世帯には胡椒壺は後3つあり、コショウその他のスパイス用に使っていた。1つはヘラクレスの形、2つは動物の形をしていて、目もくらむような浪費、銀行家のボーナスでももらっているようなお大尽な買い物である。しかしながら胡椒壺は埋められていた宝のほんの一部。(大英博物館館長ニール・マクレガー)、品物100点で世界の歴史を見る[† 2]、BBCラジオ4。2010年6月
その他の銀製品
[編集]トラのメスの小像は、重さ480グラム (17 oz)、頭から尾までの長さ15.9 cm (6.3 in)。「滑らかな凹状の曲線」を示す後脚の裏に錫の痕跡が見つかり、取っ手または柄(え)として他の物にはんだ付けしてあったことがわかった[66]。頭から尻尾までおよそ45° の角度でカーブを形成し、後脚の底を台にすえると最も美しく見える[67]。腹にある6つの乳はふくらみメスであることがわかる。背中側の装飾は丁寧だが、腹面は「かなり大ざっぱな仕上げ」[68]である。2本の線を彫刻し、その間に黒いニエロを象嵌(ぞうがん)した線は、他の線とほぼ交差しない。ただし引き伸ばされた体型も、縞柄も種を特定するには人為的であり、頭蓋骨の後ろから背骨に沿って尾の付け根まで伸びる縞模様は、トラではなく猫に典型的である。尻尾に縞模様はなく、末端はライオンの尻尾のように太くしてあり、こういう縞模様を描いたトラの例はローマ時代の芸術にも他例があるものの、実際のトラには見られない[68]。
スプーンは51本見つかり、小さじ(羅: Cochlearium)の浅いボウルと柄の鋭くとがった先端が特徴で、卵に穴を開けたり、食卓でフォークを使わなかったローマ人は、小さく切り分けた食品をスプーンの柄で突き刺して食べた[69]。またシグニ(cigni)は大型のスプーンで通常は稀にしか発掘されないが、この出土地では23本見つかった。柄は短く鳥の頭の装飾がある。そのほか、円形のボウルが深めで玉杓子状の資料、ボウルに多数の穴を開けた茶こし型が合計20本前後。抽象的なモチーフを彫り込んだものが多く、イルカや架空の海洋生物のデザインを施した品も含まれる。
スプーンにはキリスト教のモノグラムの十字またはカイローのシンボルで装飾したものが多数見つかった。時にはギリシャ文字のアルファとオメガ[注 3]が見られ、10本1組のものが3セットあった。ローマ時代の銀のスプーンに多くの類例があるように、ほとんどはラテン語で単に所有者の名前を付けたり、所有者の長寿を願う文言を添えてある。確認された人名は8人分、スプーンに7点、単一のビーカーに1点。
- アウレリウス・ウルシキヌス「Aurelius Ursicinus」
- ダティアヌス
- エウヘリウス
- ファウスティヌス
- ペレグリヌス
- クイントゥス
- サンクトゥス
- シルビコーラ
アウレリウス・ウルシキヌスが最も多く、小さじ5本、柄杓(ひしゃく)の柄に刻んである[70]。人名の中に財宝を埋めたことに関与したり、埋設の時点で存命の人物がいたのかどうかは不明である。
スプーンについた刻印で唯一、はっきりとキリスト教の文脈を持ったものは「vivas in deo」の1点のみで[71]、後期ローマ時代の財宝の他の例では、通常なら人命の後に「vivas 」または「vivat 」と続けてキリスト教徒であることを示した[注釈 2]。文型として「vir bone vivas 」もセトフォード財宝のスプーンで見つかったが、そちらの出土品にはむしろ異教の模様の方が多い[注釈 3]。ホクサンで異教に由来するとはっきりわかるラテン語刻印は発見されず、おそらく持ち主がキリスト教徒の家系であったと推測される。ローマ時代のスプーンでカイローもしくは「vivas in deo」の刻印がある場合は(成人の)洗礼用にあつらえたものか、または聖餐に用いたと想定されるが、確かな証左はない[74]。
銀器の銘文[† 3] | ||||
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資料番号 | 銘文 | 翻字 | 翻訳 | 備考 |
BM 1994,0408.31 | EVHERIVIVAS | ユーヘリ・ビバス | 「エウヘリウス、生きてください」 | ビーカー。名前はユーケリウスまたはユーセリウスの可能性もある。 |
BM 1994,0408.81–83 | AVRVRSICINVS | アウレ[リウス]ウルシキヌス | 「アウレリウス・ウルシキヌス(のもの)」 | スプーン3本 (リグラ[75]またはシグナス ) |
BM 1994,0408.84–85 | AVRVRSICINVS | アウレ[リウス]ウルシキヌス | 「アウレリウス・ウルシヌス」 | スプーン2本 (リグラまたはシグナス) |
BM 1994,0408.86–88 | AVRVRSICINVS | アウレ[リウス]ウルシキヌス | 「(の)アウレリウス・ウルシキヌス」 | スプーン3本 (Cochlearium) |
BM 1994,0408.89–90 | AVRVRSICINVS | アウレ[リウス]ウルシキヌス | 「(の)アウレリウス・ウルシキヌス」 | スプーン2本 ( cochlearia )、カイロー のモノグラムとアルファとオメガも刻印。 |
BM 1994,0408.101–102 | Peregrinus vivat | ペレグリヌス・ヴィバット | 「ペレグリヌス、彼が生きますように」 | スプーン 2本 (リグラまたはシグナス) |
BM 1994,0408.103–105 | QVISSVNTVIVAT | クィントゥス・ビバット | 「クィントゥス、彼が生きますように」 | スプーン3本(リグラまたはシグナス)。表記は QVINTVSVIVAT のエラーである |
BM 1994,0408.106 | ??? Peregrinus | ??? ペレグリヌス | 「(の)ペレグリヌス」 | スプーン(Cochlearium) |
BM 1994,0408.107–110 | Silvicola vivas | シルヴィコーラ・ビバス | 「シルビコーラ、生きてください」 | Cochlearium4点のセット |
BM 1994,0408.115 | Per Pri | Per[egrinus] Pri[imus] ? | 「ペレグリヌス・プリムス」か? | スプーンに彫りつけた落書き
(ligulaまたはcignus ) |
BM 1994,0408.116 | ファブスティンビバス | ファウスティン ヴィヴァス | 「ファウスティヌス、どうか生きてください」 | スプーン
(ligulaまたはcignus ) |
BM 1994,0408.117 | VIRBONEVIVAS | ビル・ボーネ・ビバス | 「いい人よ、生きてて」 | スプーン
(ligulaまたはcignus ) |
BM 1994,0408.122 | [V]イバシンデオ | ビバ・イン・デオ | 「あなたが神の中に生きられますように」 | スプーン(Cochlearium) |
BM 1994,0408.129 | サンク | サンク[タス] | 「サンクタス」 | スプーン(Cochlearium) |
BM 1994,0408.133 | DATIANI AEVIVAS | ダティアニアエビバス | 「ダティアヌス、生きてください」 | スプーン(Cochlearium)。 DATIANEVIVASの表記は誤りである |
文字のない食器のモノグラムと記号 | ||
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資料番号 | モノグラム※またはシンボル | 備考 |
BM 1994,0408.52–61 | カイロー | 玉杓子 |
BM 1994,0408.91–100 | 十字※ | スプーン |
BM 1994,0408.118–119 | カイロー、Α、Ω(アルファ、オメガ) | スプーン |
BM 1994,0408.135 | カイロー※ | スプーン |
また用途が不明な小さな道具も多数見つかり、化粧道具に分類された。いくつかは爪楊枝状であり、他におそらく鏝(こて)または箆(へら)に使えそうなもの、さらに3点の一端は空の筒状で刷毛(はけ)の軸なのか、もとは剛毛 などブラシ部分をとめてあり、腐食して脱けたと考えられる。寸法からそれぞれの用途は、前者2種は歯の掃除、後者3本は化粧品を塗る道具と推察される[76]。
銀製品の平均純度は96%、含有する金属分は銅と少量の亜鉛で、微量の鉛、金、ビスマスが含まれる。亜鉛は銀合金の材料として用いた銅真鍮の成分だった可能性が高く、鉛と金およびビスマスはおそらく、未精製の銀鉱石由来である(精錬度が低かった)[77]。
鉄製品と有機物
[編集]ホクサン財宝に含まれた鉄製品は、おそらく外側の木箱の残骸である。内訳は大きな鉄の輪、二重スパイクの環と蝶番、帯状の蝶番、錠前と思われる部品、角形留め具、鉄製の板金で幅の広いものと狭いもの、釘である[78]。
発見物の硬貨や宝飾品は発見者が急いで掘り出したり今回の正式発掘以前に出土したものではなく、また発見地の撹乱も農作業によると確定しているため、有機物の発見はめったになく記録されていない。ホクサンの出土物に含まれた有機物には骨、木材その他の植物性の材料、皮革が含まれた。装飾が施された象牙のピュクシスという円筒形の蓋付きの箱に入った小さな破片は150点超、小さく加工した骨の象眼細工の部材またはベニヤ片で、おそらく木箱または腐敗した箱に収まっていたものと考えられる。ごくわずかな木材の破片が金属製の物体に付着し、分析の結果、すべてイギリス原産の木材9種に属する。出土物を収めてあった外側のチェストは鉄製の付属具に残った木材の痕跡から、オーク材と証明された。銀の錠前と蝶番はそれぞれ原料が異なる2つの小箱に入っており、片方は装飾用のサクラ材、もう片方はイチイ材であった[79]。装飾のない銀のボウルの詰め物は、コムギのわらであった[80]。革の破片は劣化が進みすぎたため分析できなかった。
発掘品の科学分析
[編集]埋蔵品査定にかけるため、1992年末から1993年初頭にかけてCowell と Hook は蛍光X線を使って最初の冶金学的分析を実施した。その後、試料の表面を洗浄して同じ技法を用いた。
金製宝飾品29項目全点を分析した結果、どれも銀と銅を含むとわかった。金の強度を増すために銀と銅の合金を混ぜた点、また微量元素の存在という点で、ローマ時代の銀製品の典型例であった。ボウルに修理された跡があり、1点には水銀ベースのはんだが見られた[52]。
切り抜き模様を施した金の大ぶりの腕輪(opus interrasile)は裏側にヘマタイトの痕跡が見られ、これには宝石商の赤色染料の一種を施した可能性が認められる[81]。ローマ時代の宝飾品では同じ技法を用いた最古の記録となった[82]。金箔細工を施した品から水銀成分が検出し、水銀金メッキ技術が示唆される[52]。メスのトラの小像は銀に黒い象嵌があり、ニエロ技法ではあるが硫化鉛の代わりに硫化銀が施された[82]。ボディーチェーンにガーネットとアメジストを座金で止めつけた箇所は、石が脱落した箇所に真珠がはめてあったと考察され、接着剤または充填剤として硫黄を検出した[82]。
歴史の背景と埋設
[編集]ホクサン財宝が埋設された時期は、属州におけるローマの権威が失墜してアングロサクソン人による最初の攻撃の波を受け、ローマ軍の大規模撤収が進んだことが特徴であり、イギリスの大きな動乱の時期に相当する[83]。5世紀に入る頃、西ゴート族のイタリア攻撃により、スティリコ将軍はラエティア、ガリア、ブリタニアからローマ軍部隊を呼び戻すことにした[84]。一方で将軍は西ゴート族の攻撃を食い止め、他方、西部の州はスエビ族、アラン人、ヴァンダル人に対して無防備のまま、406年に凍結したライン川を渡った諸族にガリアを制圧されたままであった。イギリスに残ったローマ軍は侵略者が海峡を渡ってくるのを恐れ、自分たちで防御を主導する皇帝を独自に選出した。
そのようにして立った最初の皇帝2人は、数か月のうちに不満分子の兵に殺害され、3人目の皇帝はコンスタンティヌス3世と名乗ってイギリス軍を率いると、ローマ皇帝になることを目指してイギリス海峡を渡り、ガリアに向かった。コンスタンティヌスはガリアで「野蛮人」との戦いで勝利を収めると、ホノリウスに忠実な軍隊に敗れ、411年に斬首された[85]。コンスタンティヌスが出国したイギリスでは、サクソン人やアイルランドの襲撃者の攻撃に対して防備が脆弱になった[86]。
ローマ史は410年以降、イギリス事情をほとんど伝えていない[87]。420年までの10年間に、聖ヒエロニムスは410年以降の属州(イギリス) を「専制君主の肥沃な州」と表現しており[88] 、中央政府の崩壊とサクソン人などによる度重なる襲撃に対応した地方の指導者の台頭を示唆している。ガリアの年代記者は452年に至ると、そのおよそ10年前に「これまでさまざまな災害や不幸に苦しんだブリトン人は、サクソン人の力によって減少した」とようやく述べた[89]。
埋設
[編集]ホクサン財宝の所有者は正確には誰なのか、埋めた理由とともに不明のままで、おそらく今後も明きらかになる事はない。ただし財宝自体とその文脈から、重要な手がかりがいくつか見つかる。財宝は建物から少し離れた場所に慎重に埋められたと推察される[90]。非常に高い確率で、所有していた個人または集団が所有した貴金属品の一部にすぎない。あるいはミルデンホールの宝物 に含まれる大型の食器類や、一般的なタイプの装身具も欠落している。ホクサン財宝に含まれた金製品と銀製品は豊富であり、他の分類の出土品を所有していないとしても、これだけの点数を所有していた例はほとんどない。所有者が誰であっても富裕であり、土地や家畜、建物や家財道具、衣服を持っていたはずで、ホクサン財宝は、せいぜい金持ちの富の一部分を代表しているにすぎない。目線を変えるなら、信じられないほど裕福な家族がいたという可能性がある[91]。
これら出土品にラテン語で「アウレリウス・ウルシヌス」Aurelius Ursicinus および「Juliane」という名前が刻まれた資料があった。こういう名前の富裕な人々が埋設の時期またはそれ以前に実在したとしても、宝物の所有者だったかどうかは意味しない[92][93]。この時期のイギリスで「アウレリウス・ウルシヌス」に歴史的な言及はなく、222年から235年にローマの親衛隊に記録された「マルクス・アウレリウス・ウルシキヌス」の例はあるが[94]、時期的に合わない。皇帝の命名法に従うなら、埋設した時代の兵士または役人はアウレリウスよりもむしろフラウィウスを採用した可能性が高い。トムリンは「『アウレリウス・ウルシヌス』という名前は時代遅れに聞こえるかもしれない。陸軍将校や政府高官よりも、地方の地主にふさわしい名前だったにちがいない」と推測する[94]。
埋設の理由には説がいくつかあり、第1に蓄えた富を安全に保つ意図的な試みとする説では、おそらく5世紀初頭にローマ帝国が直面したであろう多くの激動の1つに対応したとされるが、これは唯一の仮説ではない[95]。考古学者のピーター・ゲストは贈答品のやり取りのシステム化と、出土品がその一部に充てるために埋められたが、イギリスがローマ帝国から分離したのちは不要になったと主張している[96]。第3の仮説は、ホクサン財宝は強盗がせしめた品物であり、発見を避けようとして埋めたという[92]。
ローマ後期の財宝
[編集]この一連の出土品は1世紀後半 ( 350年頃–450年頃) に由来し、ローマ帝国の周辺地域から異常に多数の宝物が発見された点に特徴がある[98]。まとまった量の宝物を埋蔵する例はあり特徴はさまざまだが、多くは大きな銀食器を含む点でこの発掘例と異なる。皿や水差しと注器、大小のボウルやカップの多くは高度に装飾され無地のものを含む[98]。
現代のイースト・アングリアで発見された他の発掘2例は、4世紀の資料で、どちらも現在、大英博物館が収蔵する。1例目のミルデンホール埋蔵金(サフォークは4世紀後半に埋められた銀食器30点で構成され、その多くは「大皿」と通称される資料のように、大型で装飾が精巧である[99]。2例目のウォーター・ニュートン埋蔵金(ケンブリッジシャー)は前者より規模は小さいが、明らかにキリスト教の特徴を備えた最初期の資料が含まれ、キリスト教の教会堂又は小規模な礼拝施設に属したと仮定され[100]、おそらくイギリスで製造された品物も混在する[101]。イギリス以外では、現代スイスの旧アウグスタ・ラウリカ(Augusta_Raurica現バーゼル)ではアウグスト皇帝の宝物が発掘され、資料257点に、洗練された装飾が施された宴席用の食器が発見された[102]。ローマでは、エスクイリーノの宝物として4世紀後半のローマの裕福な家族の所蔵品と判明した資料があり、食器以外に大型の資料として「プロジェクタの棺」ほかを含む[103]。ほとんどの資料はやはり大英博物館が収蔵し、他に同館には紀元400年頃のローマ帝国の資料として、カルセージの宝物はアフリカ属領の家族が所有したボウルや皿もある[104]。
ミルデンホール、アウグスト皇帝、エスクイリーノの宝物は大型の食器中心で、 ThetfordやBeaurainsなど他の場所では硬貨と宝飾品、小型の食器が見つかった。これら2例はおそらく異教の奉納物である[105]。スコットランドのTraprain Lawで出土したローマ時代の装飾入りの銀片は、切り刻んだり折り畳んであったことから貴金属の価値を理解していたと示唆され、戦利品だった可能性がある[106]。
地域の文脈
[編集]財宝が発見されたホクサンは現在のイースト・アングリア地方サフォークにあり、現地に規模の大きなローマ時代の貴族の邸宅はなかったものの、およそ3 km離れたスコーレ から1世紀から4世紀にわたるローマ人の居住地が出土している。ホクサンの北西にローマ街道2本の交差点があり、その一方のパイ通り(Pye Road=現A140 )は、ヴェンタ・イセノルム(現Caistor St Edmund )とカムロドゥヌム(同コルチェスター)、ロンディニウム (同ロンドン) の3都市を結んでいた[11][107]。 財宝の発見された場所の近くにローマ時代の居住地 Scole があり、すでに Eye で財宝が出土していた(1791年)。一帯を通る幹線道路(Pye Road)はローマ時代に開かれたルートをたどっている。
1994 年の発掘調査によって、財宝が発見された畑の開拓は、農耕や定住に使われ始めた青銅器時代初期にさかのぼる可能性が示された。近くの複数の地点から発掘されたところによると、紀元前1000年の前半には入植活動があるとされ[22]、すぐ近くにローマ時代の建物があったという証拠は見つかっていない。発見地の畑がローマ時代初期にすでに耕作されたとしても、4世紀の硬貨が出土しなかったことが明らかなように、その時にはかつての耕作地を牧草地に転換したか、耕作放棄により森林に戻った可能性が示唆される[22]。
購入、展示と影響
[編集]関連項目
[編集]- ローマ・ブリティッシュ文化
- 溶岩の宝
- トリーア ゴールド ホード
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ (出典: 「les Bénédictins de St. Maur, 1733–1736」、du Cange ほか著『Glossarium mediae et infimae latinitatis』Niort: L. Favre (1883‑1887) 改編、図2、第621段b、「CRISMON, Nota quæ in libro ex voluntate uniuscujusque ad aliquid notandum ponitur. Papias in MS. Bituric. Crismon vel Chrismon proprie est Monogramma Christi sic expressum ☧」。1 chrismon (出典: (「Bénédictins de St. Maur (1733–1736) による記述、du Cangeほか著『Glossarium mediae et infimae latinitatis』、Niort : L. Favre (1883‑1887) 改編、図2、第318段c)。
- ^ 刻印は小さじ合計5本のうち3本がカイロー、2本が「vivas 」を次の成句で彫りつけてある。「PASCENTIA VIVAS」「and PAPITTEDO VIVAS」[72]
- ^ セトフォード財宝のラテン語刻印は異教に由来するものが多く、例えばFaunus Medugenus 神に関連のある「Dei Fau[ni] Medugeni 」[the Mead begotten][73] など。
注
[編集]出典
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外部リンク
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