利用者:Omotecho/sandbox/シェヴェロドネチク
シェヴェロドネチク Сєвєродонецьк ロシア語: Северодонецк | |||
---|---|---|---|
Sievierodonetsk | |||
| |||
座標:北緯48度56分0秒 東経38度30分0秒 / 北緯48.93333度 東経38.50000度座標: 北緯48度56分0秒 東経38度30分0秒 / 北緯48.93333度 東経38.50000度 | |||
国 | ウクライナ | ||
オーブラスチ | ルハーンシク | ||
ラヨン | シェヴェロドネチク市 | ||
市制施行 | 1934年 | ||
都市 | 1958年 | ||
面積 | |||
• 合計 | 50 km2 | ||
人口 (2013) | |||
• 合計 | 10万9,466人 | ||
市外局番 | +380 6452(645) | ||
気候区分 | Dfb | ||
ウェブサイト | www.sed-rada.gov.ua |
シェヴェロドネチク(Sievierodonetsk ウクライナ語: Сєвєродоне́цьк [ˌsʲɛw(j)erodoˈnɛtsʲk]、シエビロドネツク Sieverodonetsk ウクライナ語: Сєверодоне́цьк[ˌsʲɛwe-]、セベロドネツクSeverodonetsk ロシア語: Северодоне́цк, tr. Severodoneck[ˌsʲevʲɪrədɐˈnʲɛtsk])はウクライナのルハーンシク州にある地域の重要な都市である。セベルスキー・ドネツ川の河畔に位置し、首都ルハーンシクから北北西へおよそ110キロメートル (68 mi) である。ロシアの軍事介入を受けたウクライナ動乱中に首都が自称親ロシア分離主義組織によって一時的にウクライナ当局の統制を外れた期間、ドネツィク州のクラマトルスクが行政機能を肩代わりした。同じようにルハーンシク州の場合、この都市が州都として機能した。クリミア危機(2014年~2015年時点)[注釈 1]ルハーンシクは戦闘状態が収まったのちも「法律上は」かつての政令指定都市であり行政の中心であることに変わりはない。シェヴェロドネチクの人口は10万6,188人と推計される(2017年推定 ) 。
工業都市シエヴェロドネチクには複数のプラントがあり、化学物質製造業アゾット社(英訳:窒素産業)の企業城下町でもある。近隣の都市に国内線の空港がある[要出典]。
歴史
[編集]町の名前は古い地図に同名の川に由来してドネツ(Donetz・Donez)として載っている。
現代のシェヴェロドネチクはその成り立ちを、リシチャンシク窒素肥料工場の建設に負うところが大きい。1934年にリシチャンシク市内で工場建設が始まるころ、ドネツの町とリシチャンシクの合併は成立していた。建設現場に送り込まれた労働者が最初に入植した地域は、ドネツ近郊のリスヒンストロイ Liskhimstroi という。開拓地には1935年9月に最初の学校が建ち、ケイ酸塩レンガ工場が操業を開始、2階建て住宅が初めて3軒完成した。Liskhimstroiには5年後の1940年に化学関連の10施設に加え、住宅47軒、学校と幼稚園と保育園が1件ずつ置かれ、さらにナイトクラブが1軒営業している。
二次世界大戦中の1942年7月11日、リスヒンストロイはドイツ軍に占領され半年弱の支配ののち、赤軍によって1943年2月1日に解放される。リシチャンシク窒素肥料工場 Lysychansk の復興および拡張に着手するのは年内の12月10日である。1946年には戦前の住戸数を回復、市街地面積は1万7,000m2に拡大する。
1950年、町名リスキムストロイの改名について4案が提示される。シェヴェロドネチクに加え、スヴェトログラド、コムソモリスクオンドネツ、メンデレーエフスクという案があがり、同年、シヴェルスキー・ドネツ川にちなみシェヴェロドネチクが選ばれ、都市居住地に格上げされた。1951年1月1日より、化学工場が硝酸アンモニウムの生産を開始{{efn|シェヴェロドネチク(Severodonetsk ・ Sievierodonetsk)はルハーンシク市の北西およそ90 km に位置する。2014年9月以降、ウクライナ政府の管轄から外れたルハーンシクに代りルハーンシク州の州都に指定される[3]。
地元紙の発行は1965年4月から続く[4] 。
2014年の内戦
[編集]2014年親ロシア派による騒乱が発生したとき、2014年5月下旬に町は親ロシアの過激派に掌握された[5][6]。過激派が投票所の開設を許さなかったこと、選挙管理委員会財が補完する投票箱ほか備品の多くが略奪または破壊に遭ったことから、2014年ウクライナ大統領選挙は都市部では行われていない。数日間にわたる激しい市街戦の末、2014年7月22日にウクライナ軍が都市の支配権を奪還する[5][7]。ウクライナ国家警備隊とウクライナ軍は2014年7月23日、都市をテロリストから解放したと宣言するに至った[8][9]。
セベルスキー・ドネツ川に架かる橋は2014年の戦闘により深刻な被害をこうむり、修復資金の93.8%を欧州連合の寄付でまかなった結果[注釈 2]、2016年12月に再開通する。
位置関係
[編集]ノボドルジェスク (25 km) | ルビージュネ (4 km) クレメンナヤ (20 km) |
スタロベルスク (62 km) | |
リシチャンシク (4 km) | ノボアイダル (44 km) | ||
ドネツィク (162 km) | アルチェフスク (82 km) | ルハーンシク (102 km) |
人口
[編集]人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
1939 | 5,000 | — |
1959 | 33,200 | +564.0% |
1970 | 90,000 | +171.1% |
1975 | 107,000 | +18.9% |
1991 | 131,000 | +22.4% |
2009 | 121,000 | −7.6% |
国勢調査による市民の民族構成(2001年時点)は次のとおり[11]。
経済
[編集]化学工業
[編集]- アゾット –ヨーロッパ屈指の化学工場を置く。
- Khimpostavschik 民間企業。
- Himekselen LLC ポリウレタン (PU) およびポリウレタンフォーム (PUF) 製造の民間企業。
スポーツ
[編集]ウクライナ初のバンディ選手権は2012年2月19日に開催され、アゾット・セベロドネツクが優勝した[12]。
著名な市民
[編集]文化
[編集]シェヴェロドネチクの見どころをまとめる[3]。Druzhby Narodiv 大通りに沿って市立劇場と科学文化館があり、カトリック教会 Holy Christ Nativity Cathedral と音と光の噴水も市の中心部に位置する。ドネツカ通りに面する T-34-85 戦車を展示した庭園、町の経済活動を支えた化学工場の盛衰を伝える博物館 (Pyvovarova Street, 5)、シェヴェロドネチク美術館、 Parkove 湖と庭園のあるシェヴェロドネチク運動公園、さらにセベルスキー・ドネツ川に沿って林や土手の景観が楽しめる[注釈 3]。
ギャラリー
[編集]-
中央広場
-
シェヴェロドネチク大学
-
夜景
-
トロリーバス ZiU-9系統(シェヴェロドネチク)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^
。大統領はヘンナディ・モスカル新知事に政府と協力して既存の問題を迅速に解決するよう求め、ビクトル・ムジエンコ参謀総長に宛て必要に応じた新知事への支援、2旅団をシェヴェロドネチクとリシチャンシクに恒久的に展開することの検討を要請。モスカル氏から提案されたルハーンシク地域の特定地区の境界変更を議会が迅速に承認決定した点を強調。新知事は大統領の信任に感謝するとともに、シェヴェロドネチクではルハーンシク州都[1]として州行政が再開され正常に機能していることを伝え、大統領に銀行活動の再開促進を求めた。大統領は「ウクライナ政府の治める場所で年金と給与を支払う」と応じる。会見には大統領府副長官ヘンナディ・ズブコも出席した[2]
- ^ 大規模修復工事を行った橋は全長288メートル、幅7メートルで、路面の舗装(車道2800 m2、歩道900 m2)、手すりの交換は総延長580 m、橋および周辺の照明と監視ビデオ装置をすべて復元し、リシチャンシクとの通信網を回復。費目名は「シバルスキ・ドネツ川道路橋の大規模修復」"Capital repair of Road Bridge across Siverskyi Donets River"。[10]
- ^
- 市立劇場 (Druzhby Narodiv Boulevard, 21)
- 科学文化館 (Druzhby Narodiv Boulevard, 37)の展示
- カトリック教会 Holy Christ Nativity Cathedral (Kosmonavtiv Avenue, 23)
- 音と光の噴水 Light and Music Fountain (Peremohy (Victory) Square)
- 戦車を展示した庭園 Slavy (Glory) Public Garden with T-34-85 tank (Donetska Street)、
- 町の経済活動を支えた化学工場の盛衰を伝える博物館 Museum of Local Lore of “Azot” chemical plant (Pyvovarova Street, 5)
- 美術館 Severodonetsk Art Gallery (Kurchatova Street, 17)
- 湖と庭園のある運動公園 Severodonetsk Recreational Park with Parkove Lake,
- さらにセベルスキー・ドネツ川の河原や河畔林の景観。
出典
[編集]- ^ “Kikhtenko to move Donetsk administration to Kramatorsk and to leave power structures in Mariupol”. Dzerkalo Tyzhnia media
- ^ ペトロ・ポロシェンコ大統領、ルハーンシクRSAシェヴェロドネチクの新市長ヘンナディイ・モスカルを紹介 – 、2014年10月10日(ウクライナ大統領府発表)
- ^ a b ウクライナ、シェヴェロドネチクの概要 Ukraine overview、ウクライナの歩み Ukraine cities and oblasts guide > UkraineTrek.com
- ^ № 2910. Коммунистический путь // Летопись периодических и продолжающихся изданий СССР 1986 - 1990. Часть 2. Газеты. М., «Книжная палата», 1994. стр.382(仮訳:No. 2910. The Communist Way // Chronicle of periodicals and continuing editions of the USSR 1986 - 1990. Part 2. Newspapers. M., "Book Chamber", 1994. p. 382)(新聞資料集)
- ^ a b Grytsenko, Oksana. Severodonetsk residents recall occupiers' brutality 、2014年7月25日(「キエフポスト」紙報道)
- ^ ルハンシク地域でLNR軍4,000人超が活動 Коментарі、2014年6月16日(アーカイブ)(「コンメント」報道)ドミトリー・ティムチュク Dmitry Tymchukの Facebook 投稿を転載。
- ^ Zverev, Anton; Graff, Peter. マレーシア航空MH17便事故の遺体を鉄路でウクライナの都市へ搬送 、2014年7月22日(「ロイター」配信)
- ^ ウクライナ国家警備隊がリシチャンシク、シェヴェロドネチクの過激派を浄化 、2014年7月23日(インターファックス配信)
- ^ セベロドネツクはテロリストから解放 、 2014年7月22日(Espresso.TV 報道)。アーセン・アバコフ Arsen Avakov 内務大臣のツイッター投稿を転載。
- ^ [https://eeas.europa.eu/headquarters/headquarters-homepage_en/16591/ シェヴェロドネチクの戦闘で損傷した橋が大規模な修復を終えて再開通 ] 、2016年12月6日(欧州連合発表)。
- ^ Дністрянський М. С. Етнополітична географія України. Львів: Літопис, 2006. С.465.(仮訳:Dnistryanskyi MS. "Ethnopolitical Geography of Ukraine". Lviv: Chronicle, 2006. p.465.)Dnistri︠a︡nsʹkyĭ, M S. Lʹvivsʹkyĭ nat︠s︡ionalʹnyĭ universytet imeni; Franka, Ivana. eds (ウクライナ語). Etnopolitychna heohrafii︠a︡ Ukraïny : problemy teoriï, metodolohiï, praktyky : [monohrafii︠a︡]. Lʹviv: Vydavnychyĭ t︠s︡entr LNU im.. OCLC 507575246
- ^ [1]
外部リンク
[編集][[Category:1932年に成立した行政区画]] [[Category:ウィキデータにある座標]]