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利用者:Omotecho/sandbox/マシュー・キャレー

マシュー・キャレー
Mathew Carey
肖像画(John Neagle作1825年、部分)
生誕 (1760-01-28) 1760年1月28日
アイルランドダブリン
死没 1839年9月16日(1839-09-16)(79歳没)
墓地 聖メアリー・カトリック教会[1]
住居 フィラデルフィア
職業 出版人、著者、政治活動家
活動期間 –1833年
団体 アメリカ稀覯書協会
著名な実績 ドゥアイ・リームズ聖書(通称キャレー聖書)、日曜学校の連携、アメリカ海軍の軍拡支持
影響を受けたもの ベンジャミン・フランクリン
活動拠点 フィラデルフィア
宗教 キリスト教(ローマ正教)
配偶者 ブリジット・フレイヘブン・キャレー(1769年-1839年)
子供 ヘンリー・C・キャレー(1793年–1879年)
エドワード・L・キャレー (1845年没)
チャールズ・ウィリアム・キャレー(1802年生–)
フランシス・アン・キャレー(4女 1799年–1873年)
娘:マリア、スーザン、エリザベス、エレン
家族 アイザック・リー(女婿)
署名
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マシュー・キャレー: Mathew Carey 1760年1月28日–1839年9月16日)はアイルランド生まれのアメリカ人、出版人で事業家。

ペンシルベニア州フィラデルフィアに住み市内に務めた。子息は経済学者 ヘンリー・C・キャレー(英語)

前半生と教育

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キャレーは1760年にダブリンの中流階級のカトリック信者の家に生まれ[2]、1775年に書店および印刷業につくと刊行10数冊目で決闘を批判する小冊子を出す。続けてアイルランド刑法の厳格さ、議会の批判を書いた小冊子をそれぞれ上梓、庶民院から起訴されると耳にしてパリに逃亡する[3]ベンジャミン・フランクリンも独立を果たしたアメリカの革命軍代表としてパリにおり、キャレーは随伴してアメリカに渡るとフランクリンが経営する印刷所で1781年に雇われることになる。

フランクリンのもとで働いて1年が過ぎると祖国に帰り、国粋主義の2大新聞『The Freeman's Journal』紙と『The Volunteer's Journal』紙の編集者として働きはじめる[4]が、やがてイギリス政府に目をつけられ、投獄される寸前にこんどは女装してアメリカ行きの船に乗る。1784年9月に移民した[5]

アメリカにおける職歴

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キャリーがフィラデルフィアに行き着くと、ギルバート・デュ・モティアーラファイエット侯爵)から400ドルの支援を受けて生活の基盤を固め、新しい出版事業と書店を立ち上げて新聞や雑誌を次つぎに創刊した。

ただ、いずれも売り上げ好調とは言えず、唯一『American Museum』(アメリカの博物館)に特徴があった。従来のアメリカ文化論はイギリス文化の貧弱な模倣としており、そんななかでその豊かさと独創性に着目した最初の定期刊行物だったのである。またアメリカで初めてローマ正教徒向けのドゥアイ・リームズ聖書(通称キャレー聖書)を48週48回に分冊して発行、購読者が自分好みに製本できるように企画したり、欽定訳聖書も手がけて版を重ねた。キャレーは会社創設期(1794年から1796年)にアメリカ初の地図帳も出し[9][10]ワシントンD.C.の地図(1802年版)は議事堂西隣の土地を「モール」と記載した初の例となる[11][12][13]

キャレーはアメリカでも執筆を続け、1793年の黄熱病流行(英語版)を含む社会課題を頻繁にとりあげ、都市の危機を明かしていく。一方で州議会の討議を報道し、他方で政治解説のエッセーを世に出した。1822年、アレクサンダー・ハミルトンの保護主義的経済政策を支持するキャリーは、ほかの論客よりも早く『政治経済学に関する随想—または特にアメリカの国家資産と権力、資源および幸福の促進に適用される最も確実な手段』を執筆する[14]

信仰心が篤いキャレーは「アメリカ日曜学校協会」創設の呼びかけにこたえるとカトリック代表として賛同人に加わり、トーマス・P・コープ(クエーカー教徒で財界人)、 ベンジャミン・ラッシュ(学識経験者)、ウィリアム・ホワイト(聖公会司教)と人脈を築く。アメリカの教会音楽に転記をもたらしたとされるジョン・ワイエス(英語版)の賛美歌集第2編(1813年)も発行した[15]

キャレーの出版社は発展を続け、M・キャレー&Son(1817年-1821年)、M・キャレー&Sons(1821年-1824年)、キャレー&リー(1824年)へと改称を重ねる[16]。1825年に息子のヘンリー・チャールズ・キャリー(英語)と女婿のアイザック・リー(英語)に引き継ぐ[17]とビジネスは順当に成功、国内でいちばん名の知れた出版社と肩を並べた時期がしばらく続く。手がけた一連の出版物は百科事典『アメリカーナ』、ドイツ語語彙辞書などのほか、ウォルター・スコット卿の著書のアメリカ版およびジェームズ・クーパーの冒険小説がヒットした[18]

政治活動

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キャレーはアメリカに着いた当初から、発展途上にあったアメリカ政界で人脈を次つぎに広げていく。最も肩入れした相手に、まだ連邦党の指導的立場に甘んじていたジョン・アダムスがある。キャレーは、連邦党員との連携を固め、アメリカ海軍設立を熱心に説いていく。

1796年にジェファーソン率いる民主共和党党員になった後も政治姿勢を貫き、キャレーはイギリスを意識した海軍力の発展と維持を唱えた。ただフランスを遠ざけるジェイ条約の議論が高まり、イギリスとの和平確保が批准される少し前から論調を変えた[19]

アメリカの出版人としてキャレーは実効性のある政治目的を熱く支持し、強いアメリカ海軍の樹立に向け、書物の力で世論を動かしたと評価されている。アメリカがフランス寄りで、イギリスとの対立がより顕著だった1778年、海軍がイギリス領海における〈アメリカ革命〉作戦を発表すると「アイルランド活動家だった若い頃の激情が再燃、ジョン・ポール・ジョーンズ率いるアメリカ海軍が同年6月にベルファスト沖でイギリス戦艦ドレイク(HMS Drake)を拿捕(だほ)すると、キャレーはアメリカ礼賛の情に翻弄される[要出典]」。

1813年発行の『アメリカ海軍の歴史』[20]は世論を刺激して軍拡支持を高めるという政治的意図が特に強く、フランスとアメリカの準戦争の記述では、軍備拡張の主張に都合の悪い点を省くなどしている[要出典]。同書の出版時点でアメリカは対イギリス戦に参加しており、敵国に立ち向かう政治的勢力の結集を助長した。

イギリス海軍と言えば世界の海を制した存在と広く認知されており、それにどう対抗するかキャレーは焦点をしぼって論じている。海軍史に続き翌1814年には和平の象徴オリーブの小枝『Olive Branch』を題名にあて[21]1812年戦争中にも対立姿勢を解かなかった二大政党をいさめようとした。またイギリスからの独立を果たしても景気が伸びない点を事業家として憂慮し、フィラデルフィア州の産業構造のいびつさ[22]、あるいは国内経済における製造業と商業の弱さについて再考を促している[23]。この時期のキャレーの努力と、若い頃に建国の祖フランクリンと出会ってアメリカに移り立身出世したエピソードは多くの人々が知っており、フランクリンの後継候補として期待される土壌があった。研究者はキャレーの著書や出版物がアメリカのホイッグ党設立に大きく貢献したと主張する[要出典]

結婚と家族

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キャレーと妻ブリジット・フレイヘブン・キャレー(1769年-1839年)にはヘンリー、エドワード(1845年没)、チャールズ・ウィリアム(1802年生-)という息子3人、娘にはマリア、スーザン、エリザベス、エレンのほか4女フランシス・アン(1799年–1873年)がある。1825年に4女の夫アイザック・リーは義父の共同事業者になり、1833年、新パートナーのウィリアム・A・ブランチャードを就任させる。リーは義父の没後(1839年)、義兄ヘンリーの引退を受けて商号を「リー・アンド・ブランチャード」に変更した。後に共同事業者を息子に指名し直すと、リーは商号を「リー兄弟社」に変えた[17][24]

死と遺産

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キャレーは1815年にアメリカ稀覯書協会(AAS=American Antiquarian Society)会員に選出される[25]と、大部分のビジネス文書に加え、印刷または出版に携わった作品群のおびただしい量の原稿をAASに寄託した。

キャレーは1839年9月16日に他界しフィラデルフィアの聖メアリー・カトリック教会の墓地に埋葬された[26]

1943年、『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌はマシュー・キャレーとやはり新聞人のイザイヤ・トマス(Isaiah Thomas 1749年 – 1831年)の功績を称え、創造的な出版物を対象にキャレー/トマス賞 Carey-Thomas Award を設立した[27]

著作

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  • A short account of the malignant fever, lately prevalent in Philadelphia : with a statement of the proceedings that took place on the subject in different parts of the United States[28] (1793年) 黄熱病について

脚注

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注釈

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  1. ^ 1786年5月31日-1788年2月14日。紙名は『The Pennsylvania herald, and general advertiser』。『The Pennsylvania evening herald』ならびに『the American monitor』の後継紙、巻号は継承、1786年5/6月号の表紙に同年1月23日第3巻、1787年1月20日第4巻それぞれの第1面を綴じ込んである。第3巻(1786年1月25日-同年7月22日)の索引は1786年7月22日号の後に、第4巻(1786年7月26日-1787年1月20日)索引は1787年1月20日号に掲載。収蔵された最終の巻号は1788年2月14日号[6]

出典

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  1. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「stmary」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  2. ^ Blessing, Patrick J. (1980). “Irish”. In Thernstrom, Stephan (英語). Harvard Encyclopedia of American Ethnic Groups. マサチューセッツ州ケンブリッジ: ハーバード大学出版局(英語). p. 527. ISBN 978-0674375123. https://archive.org/details/harvardencyclope00ther/page/527 
  3. ^ Mathew Carey” (英語). www.encyclopedia.com. 2020年8月5日閲覧。
  4. ^ Davidson, Cathy N, ed (1989) (英語). Reading in America: Literature and Social History. ボルティモア: ジョンズホプキンズ大学出版局(英語). p. 159 
  5. ^ Davidson, p. 159.
  6. ^ Pennsylvania - Eighteenth-Century American Newspapers in the Library of Congress (Serial and Government Publications Division)”. www.loc.gov. Library of Congress. 2020年8月5日閲覧。
  7. ^ Internet Archive Search: publisher:"Philadelphia : Printed by Mathew Carey"” (英語). archive.org. 2020年8月5日閲覧。
  8. ^ An enquiry into the relation of tastes and aliments to each other : and into the influence of this relation upon health and pleasure ; from Medical enquiries and observation : Rush, Benjamin, 1746-1813 : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. 『American museum』1789年6月号、559-562頁。. 2020年8月5日閲覧。
  9. ^ Green, James M. (1985). “America's First Atlases” (英語). Mathew Carey: Publisher and Patriot. Philadelphia: The Library Company of Philadelphia. p. 17. ISBN 9780914076742. OCLC 13043463. https://books.google.com/?id=eBb8BA5SqmsC&pg=PA17#v=onepage&q&f=false 2015年2月3日閲覧。 
  10. ^ Carey's American pocket atlas; : containing nineteen maps, viz. ... : With a brief description of each state : Carey, Mathew, 1760-1839 : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  11. ^ Glazer, Nathan, ed (2008) (英語). A Chronology of the Mall. Baltimore, Maryland: The Johns Hopkins University Press. 179. ISBN 978-0-8018-8805-2. OCLC 166273738. https://books.google.com/books?id=V83SKEMbIY4C&pg=PA179#v=onepage&q&f=false 2015年1月2日閲覧. "1802: Mathew Carey's map of Washington is the first to name the stretch of land west of the Capitol as "The Mall."" 
  12. ^ Mathew Carey's 1802 map” (英語). Map Chronology. dcsymbols.com. 2012年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月3日閲覧。
  13. ^ Carey, Mathew: Carey's General Atlas, Philadelphia, 1802” (英語). LOC Online catalog. Library of Congress. p. 23. 2015年1月5日閲覧。
  14. ^ Carey (1822年). “Essays on political economy; or, The most certain means of promoting the wealth, power, resources, and happiness of nations: applied particularly to the United States” (英語). H. C. Carey & I. Lea. 2015年1月3日閲覧。
  15. ^ Wyeth's repository of sacred music. Part second. : Original and selected from the most eminent and approved authors in that science; for the use of Christian churches, singing-schools & private societies. : Together with a copious and plain introduction to the grounds of music, and rules for learners. / By John Wyeth. : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  16. ^ Lockridge(英語)『Mathew Carey, editor, author and publisher』The Columbia University Press、New York、1912年。OCLC 2203588OL 7116516M 
  17. ^ a b Baltzell, E. Digby (1958) (英語). Philadelphia Gentlemen. グレンコー (イリノイ州): The Free Press. p. 149. https://archive.org/details/philadelphiagent0000balt 
  18. ^ Gassan, Richard H.. “Carey & Lea, Printer and Publisher - Seasonal Variations in its Business Cycle 1833-1836 : Publishers of Philadelphia” (英語). www.let.rug.nl. American History From Revolution To Reconstruction and beyond (Essays, 1801-1900). 2020年7月9日閲覧。
  19. ^ Treaty of amity, commerce, and navigation, between His Britannic Majesty and the United States of Americ[a [microform] : conditionally ratified by the Senate of the United States, at Philadelphia, June 24, 1795 : to which is annexed, a copious appendix : Great Britain. Treaties, etc. United States, 1794 Nov. 19 : Free Download, Borrow, and Streaming]” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  20. ^ Clark, Thomas. Naval History of the United States. Philadelphia : Mathew Carey, 1814. 海軍の歴史
  21. ^ The olive branch, or, Faults on both sides, federal and democratic [microform : a serious appeal on the necessity of mutual forgiveness and harmony : Carey, Mathew, 1760-1839 : Free Download, Borrow, and Streaming]” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  22. ^ Address delivered before the Philadelphia Society for Promoting Agriculture at its meeting [microform : on the twentieth of July, 1824 : Carey, Mathew, 1760-1839 : Free Download, Borrow, and Streaming]” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  23. ^ Carey, Mathew (1820年). Philadelphia : M. Carey & Son: “The new olive branch, or, An attempt to establish an identity of interest between agriculture, manufactures, and commerce : and to prove that a large portion of the manufacturing industry of this nation has been sacrificed to commerce, and that the commerce has suffered by this policy nearly as much as manufactures : Carey, Mathew, 1760-1839 : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。
  24. ^ Publishers of Philadelphia < Carey & Lea, Printer and Publisher - Seasonal Variations in its Business Cycle 1833-1836 - Richard H. Gassan < 1801-1900 < Essays < American History From Revolution To Reconstruction and beyond”. www.let.rug.nl. 2020年8月5日閲覧。
  25. ^ MemberListC | American Antiquarian Society”. www.americanantiquarian.org. 2020年8月5日閲覧。
  26. ^ Historic Philadelphia Tour: Old St. Mary's Church & Cemetery” (英語). www.ushistory.org. 2020年8月5日閲覧。
  27. ^ Publishers' Oscar” (英語). Time (February 15, 1943). December 2, 2012閲覧。
  28. ^ A short account of the malignant fever, lately prevalent in Philadelphia : with a statement of the proceedings that took place on the subject in different parts of the United States : Carey, Mathew, 1760-1839 : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. 2020年8月5日閲覧。

関連項目

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同時代の出版界(姓のABC順)

関連文献

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  • Carter, Edward C. "Mathew Carey, Advocate of American Naval Power." The American Neptune, XXVI (1966). 海軍軍拡支援者マシュー・キャレー
  • Carter, Michael S. "Under the Benign Sun of Toleration: Mathew Carey, the Douai Bible, and Catholic Print Culture, 1789–1791," Journal of the Early Republic, Fall 2007. キャレーの評伝(カトリック系出版人として)

外部リンク

[編集]
  • The American Museum』雑誌『アメリカの博物館』第2巻-第10巻(1787年-1791年)、インターネットアーカイブのネット公開

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