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利用者:Omotecho/sandbox/Drafting of the Universal Declaration of Human Rights

世界人権宣言国際連合人権委員会の召集した特別委員会によって1947年初頭から1948年後期にわたり起草された。議案は人権委員会、経済社会理事会がまとめると国連総会において議論を重ねて修正を施した。

宣言作成に大きく貢献した委員会に国連事務局ジョン・ピーターズ・ハンフリー (カナダ)、草案委員長を務めたエレノア・ルーズベルト (アメリカ) 以下、ルネ・カサン (フランス)、チャールズ・マリク (レバノン)、P・C・チャン (中華民国・台湾)[注釈 1]ハンサ・ジブラージ・メフタ (インド) [1]などが参加した。委員外からフランスの哲学者ジャック・マリタンを交え、世界宣言の起草、1947年から1948年のユネスコにおける宣言およびその後の進展に影響を与えた。

草案委員会の顔ぶれ[編集]

起草委員名簿[2]

草稿の査読の手順[編集]

国連事務局の新しい人権課長に任命されたジョン・ピーターズ・ハンフリー[3]はその職責により、台案となる権利の一覧を作成し、それが人権宣言の初稿に含まれる。

カサン案の基本構成。4本柱が支える柱廊付きの玄関にたとえている

ハンフリー草案を発展させたルネ・カサンは第2稿を用意し、フランス民法典にならい、序文に続き入門的な一般原則から始まる構成を使う。このカサン草案が世界宣言の基本となる[4]

カサンは宣言をギリシャ神殿の柱廊になぞらえ、基壇から階段を伝って上がる、柱4本で支えたペディメントを想定している。宣言の第1条と第2条はいわば基壇であり、尊厳と自由、平等と友愛の原則を備える。宣言の序文7段落は階段の段数で示され、柱4本が形成する本文へと続く。第1の柱(第3条–第11条)は生存権や奴隷制禁止など、個人の権利を構成する。2本目(第12条–第17条)は市民社会および政治社会における個人の権利を構成する。3本目(第18条–第21条)は信教の自由や結社の自由など、精神や公的、政治的自由に関わる。柱の4本目(第22条–第27条)は社会的、経済的、文化的権利を示す。

カサンの方式では宣言の最後の条文3件が構成全体をまとめ、個人の社会に対する義務、国連の目的に違反する権利行使の禁止を述べている[5]

カサン草案の提出を受けた国連の人権委員会が編集を加えた後、第3委員会に回して検討、決定稿がまとまると総会に動議としてかけられ、1948年12月10日に世界人権宣言は採択された。開票結果は賛成48票対反対0票、棄権8票の内訳は右の通りである。ベラルーシチェコスロバキアポーランドサウジアラビアウクライナ南アフリカソ連およびユーゴスラビア[6]

論争[編集]

最初に解決を迫られた論争は、人権の起源そのものに関連する。基本的人権の概念は自然権(または自然が付与する)か肯定的権利権利か(合理的な合意に基づき獲得)で見解が分かれた[7]

第2番目の争点は基本的に東側諸国マルクス主義理論西側諸国自由主義理論の立場の違いにあった。ソビエト圏は哲学の問題として個人主義的な姿勢を批判し集団主義のアプローチを支持、集団の権利が個人の権利を支配すると主張する。政治用語についてはソ連とその衛星国に突きつけられた人権侵害の非難に対抗し(「あなた方は黒人をリンチしているではないか」という式の自己弁護で抗弁)、経済的ならびに社会的権利の保証を伴わない限り、宣言は絵空事に過ぎないと断じ異議を唱える。しかしながらその異議はかえって意外なほど威力を持たず、それには委員会で東側諸国があまり発言しなかったことから、宣言に署名しないという事前の申し合わせが憶測されたほどである[7]

さらに宣言の法的地位が問題とされた。大多数は宣言を主に道徳的性格のものと考えた。それと同時に一部の参加国は国際法の観点から特定の法的側面を追加するべきと示した[7]

特にイギリス代表は提案が道徳的ではあっても法的義務を伴わない点に強い不満を示している。実際にこの宣言のほとんどの条文に法的地位が与えられるには、1976年採択の市民的及び政治的権利に関する国際規約の発効を待つことになる[8]

世界人権宣言の年表[編集]

出典:United Nations Year Book 1948-1949[9]

1945年[編集]

1946年[編集]

  • 2月15日、人権委員会の「核委員会」設立。
  • 1946年4月29日-5月20日:核委員会の第1回会議。
  • 1946年6月21日:国連経済社会理事会は恒久的な人権委員会の委任事項を採択。

1947年[編集]

  • 1月27日-2月10日:人権委員会の第1回会議(レークサクセス[注釈 2])。起草委員会を設立。
  • 6月9日-6月25日:第1回起草委員会会議(レークサクセス)。国連事務局が作成した国際人権法案の草稿、通称「ハンフリー草案」の概要。草案作成委員会は文書2件の作業を並立させる。人権宣言本文の作成、人権に関する国際条約草案に用いる研究成果論文のまとめ。
  • 12月2日-12月17日:第2回人権委員会会議(ジュネーブ)。 委員会はプロジェクト3件の作業計画を開始。人権宣言、国際人権条約、実施と執行の措置。

1948年[編集]

  • 5月3日-5月21日、第2回草案作成委員会(レークサクセス)。
  • 5月24日-6月18日、人権委員会の第3委員会(レークサクセス)。委員会は宣言草案を採択し、それを経済社会理事会に送付。
  • 8月26日、経済社会理事会から草案を総会に送付。
  • 9月30日-12月7日、国連総会第3委員会は宣言を議論する会議を第81回開催。動議と議論を経て草案の修正案168件を決議。
  • 12月1-4日、第3委員会の小委員会は公用5言語版の付き合わせ作業を受託。
  • 12月10日、国連総会で世界人権宣言を採択。

参考文献[編集]

代表執筆者の姓のABC順

  • Glendon, Mary Ann (2001). A World Made New: Eleanor Roosevelt and the Universal Declaration of Human Rights. Random House New York  メアリー・アン・グレンドン(仮題)『世界が新しくなった:エレノア・ルーズベルトと世界人権宣言』(ランダムハウスニューヨーク、2001年)
  • Morsink, Johannes (1999). The Universal Declaration of Human Rights: Origins, Drafting & Intent. University of Pennsylvania Press. p. 5  ヨハネス・モルシンク(仮題)『世界人権宣言:起源、草稿、意図』(フィラデルフィア:ペンシルベニア大学出版局、1999年)
  • Nurser, John (2005). For All Peoples and All Nations. Christian Churches and Human Rights. Geneva: WCC Publications  ジョン・ナーサー(仮題)『すべての人々とすべての国のために。 キリスト教会と人権』(ジュネーブ:WCC出版、2005年)

注釈[編集]

  1. ^ 宣言の草案づくりが進む時期、中国は内戦中でありチャン代表は当時の国連が承認した中華民国から送られた。
  2. ^ 国際連合の本部はニューヨークに国連ビルを立てるまで、同じ州内のレークサクセスで軍需工場の敷地に仮住まいした。そこで臨時の本部所在地を置いた期間の代名詞として、この地名が使われる。

出典[編集]

  1. ^ (Document). {{cite document}}: |title=は必須です。 (説明); Cite documentでは|publisher=が必須です。 (説明); 不明な引数|accessdate=は無視されます。 (説明); 不明な引数|archivedate=は無視されます。 (説明); 不明な引数|archiveurl=は無視されます。 (説明); 不明な引数|url=は無視されます。 (説明)
  2. ^ Drafting Committee, Dag Hammarskjöld Library Research Guides
  3. ^ Morsink 1999, p. 5.
  4. ^ Glendon, pp. 62–64.
  5. ^ Glendon 2001, pp. §10.
  6. ^ UNDR general > Drafting history 10”. ccnmtl.columbia.edu. 2019年7月9日閲覧。
  7. ^ a b c "РАЗРАБОТКА ВСЕОБЩЕЙ ДЕКЛАРАЦИИ ПРАВ ЧЕЛОВЕКА (1946–1948 ГГ.)", Глен Джонсон (Glen Johnson), Развитие личности no. 3, 2014. (ロシア語)
  8. ^ Universal Declaration of Human Rights. Final authorized text. The British Library. (September 1952). http://www.bl.uk/collection-items/universal-declaration-of-human-rights 2015年8月16日閲覧。 
  9. ^ 『国連年鑑1948年-1949年』、524頁他

関連資料[編集]

発行年順

外部リンク[編集]

[要検証]

国連発表[編集]

視聴覚資料

その他[編集]

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