利用者:Omotecho/sandbox/Phakant
パーカン ဖားကန့် | |
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市 | |
座標:北緯25度37分0秒 東経96度19分0秒 / 北緯25.61667度 東経96.31667度座標: 北緯25度37分0秒 東経96度19分0秒 / 北緯25.61667度 東経96.31667度 | |
国 | ミャンマー |
州 | カチン州 |
地方域 | モーニン |
郡区 | パーカン |
人口 | |
• 市 | 312,278人 |
• 都市部 | 60,123人 |
• 郊外 | 252,155人 |
• 宗教 | 仏教徒、キリスト教徒 人 |
等時帯 | UTC+6.30 (MMT) |
パーカン(ビルマ語: ဖားကန့် ( ビルマ語: ဖားကန့်, 英: Hpakanまたは英: Hpakant)はミャンマー最北端カチン州のパーカン地域の町で、パカンとも呼ばれる。マンダレーから北に350km、ウユ川 沿いのマラリアが蔓延する熱帯雨林に囲まれ、世界で最も住環境が厳しい地域のひとつとされる。年に数ヵ月、モンスーンの間は外部と隔絶される。この地域の翡翠鉱山で採れるジェダイトは世界最高品質で知られる[2][3]。
2011年にはパーカン翡翠鉱山を取り巻く地域でカチン独立軍とミャンマー国軍が戦闘態勢に入り、2012年9月までに数百人が殺され推定9万人が居住地を追われて国内避難民となったとされる[4]。
歴史
[編集]パーカン(英: Phakant)という地名は「落石」を表すシャン語に由来する。同名の村が創設されたのは1832年で、その後まもなく村は地滑りで崩壊する。1836年にパーカン村(英: Hpakant)として再生された。
政治経済
[編集]アメリカ西部の鉱山町に似て、パーカンの名は飲酒やギャンブル、売春やアヘン窟にまみれた「荒くれ者の荒野」の代名詞だった[要出典]。1990年代初頭、ビルマの軍事政権との停戦協定を結んだカチン独立軍(KIA)がこの地域に進入して以来、もはやヘロインの路上取引はパーカンから消える。常習者と麻薬の売人を検挙して近くのウル川河川敷に引き出し、銃殺して遺体は川に捨てたとされる[3]。
人が自然環境に侵入し鉱山活動を行い、洪水の原因を作って森林破壊と地滑りとが発生することから、環境破壊への懸念が表明されてきた。鉱滓を投棄するウル川にも影響が現れており、大規模鉱山企業が高地をブルドーザー[5]で切り開いたため、地元住民が家を追い立てられた事例がある[6]。
ところが停戦の準備が整うとKIAには翡翠鉱山の支配権がなくなり、中国や香港、シンガポールの企業が採掘権を政府から買い取ると、この地域で事業を始めた[7]。ただしその後の採掘権はビルマ族豪族の著名なテ・ ザ(英: Tay Za)が率いるトゥー・グループ(英: Htoo Group)ならびにホンパン・グループ子会社のミャンマー・ダガウン社[注釈 1]が寡占している。ワ州の元反政府グループのワ州連合軍 United Wa State Army は停戦協定後、起業家に転向した[8]。
1976年から死去までカチン独立機構(Kachin Independence Organisation KIO)代表を務めたマラン・ブラン・セン(英: Maran Brang Seng 1930年-1994年)は、パーカンの生まれである[9]。
鉱山事故
[編集]2000年にはウル川の洪水が地下鉱道に押し寄せ、鉱山労働者1000人が溺死したと伝わるが、地元民によると当局はそのニュースをもみ消したという[疑問点 ]。2008年の大晦日、パーカンの Gyi鉱山で爆発事故が発生、労働者2人が死亡し7人が負傷した。鉱山の所有者は前述のKIOとは別の民族停戦グループで、Aung Kham Hti率いるPa-O 国軍(PNA)であった[10]。
2009年7月初旬にはパーカン近くで大規模な地滑りが発生し、30人超(70人以内)が犠牲になったと考えられている。事故の全容の公式発表はない[要出典]。洪水が家屋を押し流し道路を寸断し、通信が遮断された[要出典]原因は翡翠鉱山が積み上げた大量の鉱滓であり、その結果、大雨で増水したウル川を含む自然河川の排水を妨げた人災とも噂された[要出典]。
パーカン地域で事業経営する鉱山企業はおよそ100社あり、中国とビルマの国境地帯を本拠とする「カチン環境団体」によるとパーカン地域住民はそれら企業に申し入れ、ウル川の河川敷に鉱滓を捨てないこと、そして環境への悪影響を避けることを求めたという。しかしながら政府の支援を享受する鉱山会社は、地域社会が定期的に寄せる苦情を無視し続けてきた[11]。
2015年11月22日のパーカン翡翠鉱山災害では地滑りで死者100人超を数え、犠牲者のほとんどは山積みされた鉱滓の近くに暮らし、廃土から翡翠を選別して生計を立てていた住民である。2018年7月には閉山した鉱山で地滑りが発生、少なくとも15人の翡翠採取者が命を落とし、負傷者は45名だった[12]。2019年4月22日には落盤事故が発生、死者は6人、2020年7月2日には地滑りで162人超が死亡した[13]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ (英語) Census Report. The 2014 Myanmar Population and Housing Census. 2. Naypyitaw: Ministry of Immigration and Population. (May 2015). pp. 17 2014年人口統計と住戸調査
- ^ “Hpakan Other Rock Mine (Myanmar)” (英語). aditnow.co.uk. 2008年12月26日閲覧。 「パーカンのその他の鉱物採取地(ミャンマー)」
- ^ a b “Heaven and Hell: The Quest for Jade in Upper Burma” (英語). Ruby-Sapphire.com. 2008年12月26日閲覧。 「天国と地獄:ビルマ北部の翡翠を求めて」
- ^ Democratic Voice of Burma. “Displaced by fighting, villagers take shelter in Hpakant”, 22 October 2012. 「戦闘地からの避難民、パーカンに身を寄せる(DVB発表)」
- ^ Soe Zeya Tun「キャタピラーやコマツ、ミャンマーの人権侵害に関与=非営利団体」『ロイター』2018年6月20日。2020年7月6日閲覧。
- ^ Violet Cho (25 June 2008). “Gem Mining Destroying Environment, Activists Say” (英語). The Irrawaddy. オリジナルの27 June 2008時点におけるアーカイブ。 2008年12月26日閲覧。 「宝石の採鉱は環境を破壊していると語る社会活動家」
- ^ “The War on Kachin Forests” (英語). The Irrawaddy 9 (8). (October 2001). オリジナルの20 September 2010時点におけるアーカイブ。 2008年12月26日閲覧。 「カチンの森林地帯をめぐる戦争」
- ^ “Te Za mines jade with sophisticated equipment in Phakant” (英語). KachinNews.com. (5 July 2007) 2009年1月6日閲覧。 「テ・ザ、パーカンで翡翠採鉱に高度な技術を使用」
- ^ “Kachin's Anti-Government Forces” (英語). Kachinstate.com. 2009年1月6日閲覧。 「カチンの反政府勢力」
- ^ “Two miners killed, seven injured on New Year eve explosion in Hpakant mine” (英語). KachinNews.com. (7 January 2009) 2009年1月11日閲覧。 「大晦日のパーカン鉱山で事故、死者2名負傷者7名」
- ^ “Many Die as Landslide Sweeps through Jade-mining Area” (英語). The Irrawaddy. (11 August 2010) 翡翠鉱山地帯で土石流、多数が落命
- ^ “Viele Tote bei Erdrutsch in stillgelegter Mine in Myanmar” (ドイツ語). orf.at (16 July 2018). 16 July 2018閲覧。 ミャンマーの廃坑で地すべり、多くの死者発生
- ^ “Myanmar jade mine landslide kills more than 100”. BBC. (2 July 2020) ミャンマーの翡翠鉱山、地滑りで犠牲者100人超
外部リンク
[編集]- 衛星地図 Maplandia.com
- ジェダイトの産地 ジオヘブン
- ビルマの翡翠 不可思議な宝石 Palagems.com
- Journal of the Geological Society、2004年9月モーリー、CK筆
- マンダレー-ミッチーナ線列車時刻表
[[Category:1832年に成立した行政区画]] [[Category:ウィキデータにある座標]]