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RAF カルショット
RAF Calshot
en:Hampshire近郊のen:Calshot郊外
ファイル:RAF Calshot.jpg
空中撮影(1920年代後半)
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座標北緯50度49分10秒 西経1度18分30秒 / 北緯50.8194度 西経1.3083度 / 50.8194; -1.3083
種類水陸用機ならびに水上艇用基地
en:Royal Air Force station
施設情報
所有者Ministry of Defence
管理者{{air force|United Kingdom}} (1918年-1961年)
歴史
建設1913年 (1913)
使用期間1918年4月–1961年4月
使用戦争第一次世界大戦
第二次世界大戦

イギリス空軍カルショット基地または短縮してRAFカルショットは当初、水上機飛行艇の基地として開設され、後にイギリス空軍飛行艇の修理工廠と訓練吉を兼ねた。位置情報はgrid reference SU487024イングランド地方ハンプシャー県サウサンプトンウォーター(:en:Southampton Water)砂州カルショット・スピット(:en:Calshot Spit)の端にあった。イギリスにおける水上飛行機飛行艇の開発と訓練の主要なユニットとして着陸域は西、北、東方向を陸部に保護され、海上はソレント海峡を挟み南に数マイルの地点にワイト島がある。サンダース・ローによる水上飛行機と飛行艇の大量生産の工場が置かれた同島に臨んでいたが1961年に閉鎖、旧基地施設の多くは保存され、現在はほぼ全域をRNLIが占有する。

起源[編集]

基地は本来、1913年3月29日にイギリス王立陸軍飛行隊(RFC)[1]に所属するカルショット水上航空基地として開設、用途はRFC水上艇のテストであった[2]第一次世界大戦中にイギリス王立海軍航空隊(RNAS)に引き継がれると[3] 、最終的には戦中の1918年4月1日付のRNASとRFCの合併をもってイギリス空軍基地として再編される。

1918年から1939年まで[編集]

1936年、カルショットの海岸に揃ったRAF職員。
ヒューストンハウス。旧RAFカルショット時代は将校食堂だった。
1931年の空軍シュナイダー杯チーム関連の記念標識。部隊にヒューストン夫人から寄付金が贈られたことを示す。

1918年8月8日、第210訓練部隊の配下に「A」隊「B」隊艇水上試験飛行隊が結成され、1919年の解散までこの基地を母港とした[4] [5]

RAFは結成時、カルショットをフェリクストウ型のRNAS水上飛行機と水上艇2機の飛行にあて、しばらくはRAF第10隊本部として運用する。戦後、同地が「RAF海軍協力・水上機訓練校」本拠地となると、乗組員の訓練と水上飛行機開発の役割を継続し、1922年2月5日付で正式にRAF カルショットと改称する[1]

この時期に(フェリクストウ型飛行艇による)偵察飛行を試行[6]、また部隊の大部分はモーターボート他の乗組員や船舶訓練の指令を受けている。主に飛行不能に陥った機体の牽引、練習走行で投下した爆弾の回収ならびに射撃訓練の標的となる船舶の設置と撤収に当たった[7]

RAF隊員3名は世界一周飛行を目指し、1924年3月24日、カルショットからビッカース・バルチャー複葉式水上艇(:en:Vickers Vulture)で出発する。フライトは悪天候ばかりか、ビルマ(当時)のアキャブ港で墜落(代替機を派遣)、複数の事故に悩まされた。けっきょく、ベーリング島近くの海上に緊急着水し、世界一周を達成しないままに終わる[8]

カルショットはシュナイダー杯レース大会の1927年と1929年と最後の1931年開催時に、出場準備をする「高速飛行部隊」の本拠地でもあった。初回の1927年大会開催地はヴェネツィアスーパーマリンS.5機で出場したカルショット・チームがイギリスに勝利をもたらし、1929年大会の開催権はイギリスに与えられた。そこでカルショットが次回大会の会場に選ばれ、最新のS.5機が平均周速328.63mphで7周を飛び優勝杯を手にする[9]。2年後の大会も会場は再びカルショットで、スーパーマリンS.6B(:en:Supermarine S.6B)の優勝でイギリスは3冠となり、トロフィーを国外に出すことはなかった[10]

このシュナイダー杯大会には逸話がある。通称「水上艇のショウ」、実名T・E・ローレンス、あるいはまたの名を「アラビアのローレンス」と呼ばれた人物は、1929年大会を手伝うよう命じられてカルショットへ派遣されている。駐在期間には基地近くの英国パワーボート社(:en:British Power Boat Company)所属の製作所でヒューバート・スコットペインのもとで200級水上機テンダーの開発に当たった[7]

1930年代のカルショットでは訓練基地としての役割を続けながら次の施設を拡充した[1]

  • 航海学校(1936年1月6日閉校)
  • 201 Sqn – 1929年1月1日にスーパーマリン・サウサンプトン水上艇部隊に再編、その後サンダース・ロー ロンドン(通称サロ・ロンドン)に再再編[11]
  • 水上艇訓練Sqn(STC)-1931年10月1日に再編
  • 240 Sqn -1937年3月30日にSTC所属Cフライトから分離再編。当初のスーパーマリン・スキャパス(:en:Supermarine Scapas)からショート・シンガポール(:en:Short SIngaores)そしてサロ・ロンドンを配備(1939年7月まで)[12]
  • 訓練用水上艇 Sqn-1939年1月2日に再編。

第二次世界大戦[編集]

輸送遺産の銘板。かつてのサンダーランド水上艇桟橋の格納庫に掲げてある。現在、建物内部にはクライミングウォールや自転車レースのバンク(:en:Velodrome)が設置されている。

第二次世界大戦が勃発する直前に、運用中隊2隊がカルショットから移転している。第201中隊はペンブローク・ドック[9]へ、第240中隊はインバーゴードン [12]へ去った後、1940年6月に水上艇訓練中隊はストランラーに移動し[1] 、カルショットは主にRAF所属水上艇の修理と営繕、改造を担当、ショート・サンダーランドの管理に専念した。合わせて船舶の修理、船員の訓練を続けていく。

カルショットは、1940年5月31日ダンケルクでのダイナモ作戦支援に水上飛行艇操縦士5名を派遣、そのうち3名で兵士500名を安全な場所に運び、1隻は2度目の出動を成功させる[9]。同年はさらに少数元ノルウェー空軍払い下げのハインケルHe 115飛行艇を受け入れ、後に密航作戦、ナチス占領下のヨーロッパへ情報将校の派遣や回収に使用されることとなる[10]

基地には1942年以降、空海救助隊(ASR)が配置された。いずれもノルマンディー上陸作戦の着岸行動に派遣され、あるいは撃墜された戦闘機の救助に駆けつけている。

第二次大戦後から1961年まで[編集]

作戦中隊は1946年3月付でカルショットに帰属し、第201飛行隊が帰港した1ヵ月後にはやはりサンダーランド型機を備えた第230飛行隊も戻ってくる[1]ベルリン封鎖間の1948年、カルショットからすべてのサンダーランド機が出動、ハンブルクからベルリン湖水群に1,000回超の飛行を重ねて食料品を補給し、あるいは病身の子供たちを疎開させた[13]。ベルリンからの帰還をもって、両飛行隊はペンブロークに移転した[9]

この作戦を終えると一部の飛行活動は継続したものの、基地の主な業務は主に海上船舶の母港となり、航空海上救命活動と爆撃訓練の標的の牽引、あるいは安全射程の発射を担当する。RAF海上艇全艇の保守管理を担当する第238保守隊も配置された。

RAFカルショット時代に注目すべきできごととして、ピーター(アンディ)アンダーソン伍長(軍籍番号3059642)のジョージ章(:en:George Medal)受章をあげることができる。受章理由は1950年2月に艇長として出動中の人命救助である。サンダーランド型飛行艇へ乗組員を船で送り届けていた時、その直前に技師たちを送った飛行艇が突然、爆発した。原因は嵐の間に機体の一部が水没し、水びたしになった照明筒が発火したと見られる。アンダーソン伍長は消防艇とすれ違うと、炎上する機体に泡消化液を噴霧するように指示し、乗組員を送って火災現場に引き返し、炎に囲まれプロペラブレードにしがみついていた技師2名を救出した。伍長の飛行艇にも火がかかるなか、桟橋まで航行を続け2名に治療を受けさせている。アンダーソン伍長は1951年11月14日にバッキンガム宮殿に招かれ、当時、病気療養中のジョージ6世の名代を務めたグロスター公爵からジョージ章を授与された。

サンダース・ロー プリンセス飛行艇2艇は未完成であり、乗員100人、航行距離5000マイルの設計諸元でありながら、1950年代と1960年代を通じてRAFカルショットの格納庫に入れままにされたあげく、解体された[9]。3艇目はカウズ(Cowes)で格納庫入りしている。

RAF基地は1961年4月1日をもって閉鎖、船舶の補修作業はプリマス・サウンド (英語版)のRAFマウント・バッテン基地(英語版)に移管された。

軍事施設からの転用[編集]

カルショット砂州に係留するRNLIタイン級救命艇

1964年、 ハンプシャー県議会はクラウン・エステートと交渉を開始、現地を「市民活動センター」として使用する許可とリース契約の協議に臨む。最初に催された企画はハンプシャー県の児童向けセーリング教室で、開始日は1964年5月18日であった[13]

1970年7月25日、 RNLIはキース・ネルソン型救命艇 (:en:Keith Nelson type lifeboat)RNLB「アーネスト・ウィリアム&エリザベス・エレン・ハイド」(ON 1017)を評価のためカルショットに寄港させ、翌1971年には常設基地に指定する[14]。2010年時点でRNLI タイン級救命艇、RNLB「アレクサンダー・クタンチェ」(ON 1157)が係留されている。2012年には後者を撤収、カルショットは沿岸救命艇基地に転用された。

カルショットに寄港したショートサンドリンガム型機「サザンクロス」号

1981年には船名「サザンクロス」というショート・サンドリンガム型飛行艇が壮大な大西洋横断飛行を終えてカルショットに寄港した。この機体は現在、サウサンプトンのソレントスカイ航空博物館に収蔵してある。最後まで現役で飛行したサンダーランド型「エクスカリバー」は 1984年にカルショットに寄港、広範な改修を受け、1994年にフロリダに飛ぶと「Fantasy of Flight(英語)に転籍、曲芸飛行家カーミット・ウィーク(英語)が蒐集する多彩なコレクションの一部になった [9]

ハンプシャー県カルショット砂州。RAFカルショットの建物群

かつての軍事基地は現在、RNLIとイギリス沿岸警備隊が拠点として使い、また水上および陸上の市民活動の場として活用されている。基地時代の格納庫は活動センターに転用され、屋内型クライミングウォールのほか、人工スキー場と自転車用トラックを設置している。

豆知識[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e RAF Calshot - Air of Authority, A History of RAF Organisation”. 2015年5月19日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "AoA"が異なる内容で複数回定義されています
  2. ^ Hampshire Airfields”. daveg4otu.tripod.com. 2007年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  3. ^ Naval Aviation History & FAA Origins - Fleet Air Arm Archive. Archived 19 May 2015 at the Wayback Machine.
  4. ^ Lake 1999, p. 9.
  5. ^ Lake 1999, p. 35.
  6. ^ A Brief History of the New Forest Airfields”. Friends of the New Forest Airfields. 2007年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  7. ^ a b The origins of Air/Sea Rescue”. Royal Air Force History. 2008年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  8. ^ MacLaren/Plenderieith Round-the-World Flight Attempt”. WingNet. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  9. ^ a b c d e f The history of the villages of Hampshire, England, and surrounding counties”. Southern Life (UK). 2005年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年3月25日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "SLife"が異なる内容で複数回定義されています
  10. ^ a b Jon Honeysett. “The New Forest Guide - Airfields of The New Forest”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "forest"が異なる内容で複数回定義されています
  11. ^ RAF Structure > Squadrons > Maritime Patrol and Search and Rescue > 201 Squadron”. 2007年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  12. ^ a b History of No. 240 Squadron - Royal Air Force History”. 2007年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "240sqn"が異なる内容で複数回定義されています
  13. ^ a b Report on Calshot Heritage and Visitor Centre”. Hampshire County Council (1998年6月18日). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  14. ^ Calshot History”. RNLI. 2006年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  15. ^ Sir Henry Royce, Bart., O.B.E. (1863–1933) biography”. 2007年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  • Lake, A (1999). Flying units of the RAF. Shrewsbury: Airlife. ISBN 1-84037-086-6 

外部リンク[編集]