利用者:Pachury/sandbox3
1958年8月に撮影された事故機 | |
事故の概要 | |
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日付 | 1973年5月18日 |
概要 | ハイジャック |
現場 | ソビエト連邦 チタ国際空港の97km西地点 |
乗客数 | 72 |
乗員数 | 9 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 81(全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | ツポレフ Tu-104B |
運用者 | アエロフロート |
機体記号 | CCCP-42379 |
出発地 | ドモジェドヴォ空港 |
第1経由地 | チェリャビンスク空港 |
第2経由地 | セヴェルヌィ空港 |
最終経由地 | イルクーツク国際空港 |
目的地 | チタ国際空港 |
アエロフロート109便ハイジャック事件(アエロフロート109びんハイジャックじけん)は、1973年5月18日に発生したハイジャック事件である。イルクーツク国際空港からチタ国際空港へ向かっていたアエロフロート109便(ツポレフ Tu-104B)がハイジャックされた後に爆破され、乗員乗客81人全員が死亡した。
事故機
[編集]事故機のツポレフ Tu-104B(CCCP-42379)は製造番号8350403として製造され、1958年に初飛行した。エンジンはミクーリン AM-3M-500を搭載しており、総飛行時間は19,329時間、総飛行サイクルは8,841回であった。
事件の経緯
[編集]109便はドモジェドヴォ空港からチェリャビンスク空港、セヴェルヌィ空港、イルクーツク国際空港を経由してチタ国際空港へと向かう便であり、ドモジェドヴォ空港からチタ国際空港までは特に何事もなく飛行していた。
モスクワ時間3時02分、109便はイルクーツク国際空港を出発し、高度9,000メートルでチタ国際空港へと向かった。そして3時22分に109便はチタ航空管制の区域に入り、3時32分には高度1,200メートルまで降下することを許可された。しかしその直後の3時36分、パイロットは同機がハイジャックされて飛行経路を変更するように要求されたことを管制に報告し、管制官もこれを確認した。3時36分30秒に109便は高度6,500メートルを維持することを管制に連絡したが、15秒後に6,600メートルまで上昇すると訂正した。
3時38分、109便から管制に危険信号が送信されたが、途中で中断された。この当時、109便の機内ではスカイマーシャルがハイジャック犯に2発発砲していた。その後、ハイジャック犯の持ち込んでいた爆弾が爆発して109便は墜落した。管制官は109便に同機の空港に対する位置を報告したが、同機からの応答はなかった。管制のレーダースクリーン上にあった109便の機影はぼんやりとなり、やがて消えた。
4時55分、Mi-8の乗員はチタ国際空港から西に97キロメートル離れた地点で幅10キロメートルの範囲に散乱している109便の残骸を発見した。乗員乗客81人の中に生存者はいなかった。
調査
[編集]事故を目撃した5人によれば、3時35分から45分の間に空中での爆発を見聞きしたという。また事故調査委員会によると、