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利用者:Peace Crimber/キヴ紛争

キヴ紛争

2020年10月時点での勢力図(白く塗られた部分がキヴ州
第一期:2004年2009年
第二期:2012年4月4日2013年11月7日
第三期:2015年1月31日[10] – 継続中
場所コンゴ民主共和国キヴ州とその周辺 ルワンダブルンジコンゴ民主共和国イトゥリ州カタンガ州など)
現況

進行中

  • コンゴ政府軍(FARDC)が3月23日運動に勝利し、両社間で平和条約を締結
  • CNDPはコンゴ民主共和国の政党として活動
  • FDLRや反政府系民兵組織は依然として活動中
  • MONUSCOはFARDCと共同で対FDLR作戦を2015年に開始
衝突した勢力

M23[1]
(2014–現在)
CNDP
(2006–2009)
コンゴ民主共和国の旗 M23
(2012–2013)

支援元
ルワンダの旗 ルワンダ[2][3]

コンゴ民主共和国の旗DRC

コンゴ民主共和国の旗 マイマイ(親政府系)
FDLR
(2006–2014)
APCLS英語版[4]
(2012–2013)
ニャトゥラ
(2012–2014)
国際連合の旗 MONUSCO
アンゴラの旗 アンゴラ
ジンバブエの旗 ジンバブエ
ボツワナの旗 ボツワナ [5]
支援元
フランスの旗 フランス
ベルギーの旗 ベルギー

ベラルーシの旗 ベラルーシ

FDLR
(2014–現在)
APCLS英語版[6]
(2013–2016)
RUDウルナラ
(2006–現在)
ニャトゥラ
(2014–現在)
FNLンザバンペマ英語版
(2013–現在)
FNLパリペフトゥ英語版
(1993–2009年、2010–2013)
FPB英語版
(2015–現在)

REDタバラ
(2015–現在)

NDC-R英語版
(2014–現在)
ンドゥマ・コンゴ防衛軍英語版[7]
(2008–2017)
マイマイ・ヤクトゥンバ
(2009–現在)
CNPSC英語版
(2017–現在)
マイマイ(反政府系)
[8]
(1996–現在)
ライア・ムトンボキ英語版[9]
(2005–現在)


ADF英語版
(イスラム国中央アフリカ支部

マイマイ・キャンデンガ
(2016–2017年、2019–現在)
指揮官

ローラン・ンクンダ(捕虜)
コンゴ民主共和国の旗 ボスコ・ンタガンダ英語版 降伏
コンゴ民主共和国の旗 スルタニ・マケンガ英語版 降伏

コンゴ民主共和国の旗 ジャン=マリー・ルニガ・ルゲレロ英語版 降伏

コンゴ民主共和国の旗 ジョゼフ・カビラ (2019年以前)
コンゴ民主共和国の旗 フェリックス・チセケディ (2019年以降)
コンゴ民主共和国の旗 ガブリエル・アミシ・クンバ英語版
コンゴ民主共和国の旗 ルシアン・バフマ英語版
コンゴ民主共和国の旗 エマニュエル・ロンブ[11]
イグナス・ムルワナシャヤカ英語版(捕虜)
国際連合の旗 ババカル・ガイエ英語版
国際連合の旗 カルロス・アルベルト・ドス・サントス・クルス英語版
アンゴラの旗 ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス
ジンバブエの旗 ロバート・ムガベ

ボツワナの旗 イアン・カーマ

シルベストル・ムダクムラ英語版[12]
カリクステ・ムバルシマナ英語版
イグナス・ムルワナシャヤカ英語版(捕虜)
ジャンヴィエ・ブインゴ・カライリ (APCLS英語版)
アガトン・ルワサ英語版 FNLパリペフトゥ英語版

アロイス・ンザバンペマFNLンザバンペマ英語版

ギドン・シミレイ・ムウィッサ
ンタボ・ンタベリ・シェカ 降伏
ンドゥマ・コンゴ防衛軍英語版
ウィリアム・ヤクトゥンバ英語版 (マイマイ・ヤクトゥンバ/CNPSC英語版
デヴォス・カガラバ 降伏
(ライア・ムトンボキ英語版)

Salumu Kaseke 降伏
(ライア・ムトンボキ英語版)
戦力
CNDP: 6,000–8,000(2007)[13]
M23: 5,500+(2012)

2004: 合計20,000[13][14]

  • コンゴ民主共和国の旗 FARDC: 14,000
  • マイマイ: 4,000–5,000[14]

2008:

  • マイマイ: 3,500[15]
  • FDLR: 6,000–7,000[15]

2013: MONUSCO: 22,016 [16]
FDLR: 2,000[17]
APCLS英語版: 1,500[18]
FNLパリペフトゥ英語版: 3,000
FNLンザバンペマ英語版: 数百
1,000–1,250 (2018)[19]
ライア・ムトンボキ英語版: 数千
その他民兵: 10,000+
被害者数
CNDP: 死者233名[要出典]

FARDC: 死者71名[要出典]

BDF: 不明 [要出典]

国際連合の旗: 死者17名強[20][21]
不明 不明

国内避難民: 140万[22]
数十万単位の超過死亡

その他死者: 11,873+
(民間人・軍人の両方を含む)[23][24][20][25][26]

キヴ紛争(キヴふんそう、フランス語: Guerre du Kivu)は、コンゴ民主共和国東部で2004年から継続しているコンゴ民主共和国軍(FARDC)とルワンダ解放民主軍(FDLR)の武力紛争。戦闘は2004年から2009年までの第一期、2012年4月から2013年11月までの第二期、2015年1月末から現在までの第三期に大別され、第一期ではローラン・ンクンダ率いるツチ系武装組織の人民防衛国民会議(CNDP)が主要な反政府軍として戦闘を行なっていた。

国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUSCO)が大きな役割を果たしており、現在も平和維持のために21,000名の人員が投入されている。現在までに93名の殉死者を出し、中でも2017年12月にはイスラム主義武装組織民主同盟軍英語版(ADF)からの攻撃によって15名が死亡した[27]。MONUSCOの目標は軍事衝突の拡大防止と性犯罪や子供兵の使用などの人権侵害の最小化である[28]

CNDPはコンゴ東部のツチ系集団バニャムレンゲやツチが支配する隣国のルワンダ政府と同族に当たり、逆にフツ系主体のルワンダ解放民主軍(FDLR)とは対立している。

背景

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1998年から2002年まで続いた第二次コンゴ戦争時、ローラン・ンクンダルワンダの支援を受けた反政府勢力コンゴ民主連合(RCD)ゴマ支部の指揮官として大統領ローラン=デジレ・カビラの打倒を目指していた[29]2003年に戦争が終結するとンクンダは統合された新政府軍で大佐に就任し、翌年には将官となった。しかしその後すぐに彼は当時の政権を否定し、コンゴ戦争時の仲間達と北キヴ州の森林地帯へ潜伏した[30]

グローバル・ウィットネス英語版によると、西側先進国の企業が購入した鉱物資金が仲買人を通じて武装組織や正規軍に渡っている。DRC東部には電子機器の製造に不可欠なスズコルタンなどの希少鉱物が数多く埋蔵されており、同国の貴重な外貨獲得手段になっている。これを受けて国連はコンゴの武装集団が行なっている不法な鉱産資源採掘を支援する者には渡航制限や資産凍結などの制裁が課せられることを発表した[31][32]

歴史

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コンゴ民主共和国東部の地図

FDLRの反乱

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ルワンダ解放民主軍(FDLR)には1994年ルワンダ虐殺を引き起こしたインテラハムウェの構成員が多く在籍していた。同軍はコンゴ民主共和国大統領ローラン=デジレ・カビラの支援を受けており、同国がルワンダ愛国軍(RPFの下部組織)やその支援を受けたコンゴ民主連合と戦闘する際の前線組織となっていた。2002年7月時点でFDLRの部隊は依然として南北キヴ州に駐留しており、1万5千から2万人が所属していたと推定される。同年に第二次コンゴ戦争は公式に終結したが、FDLRはDRC東部とルワンダ国境地帯でツチ系武装組織を攻撃し続けた。そのため同地域で緊張が高まり、3度目のルワンダ軍侵攻の危機が近づいた。

第一期(2004〜2009年)

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2004年:ブカヴ占領

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2004年6月、ンクンダ部隊が南キヴ州に駐留するコンゴ政府軍を8日で撃破し、州都ブカヴを占領した。彼は軍事侵攻の理由として、同じくツチ系の武装組織であるバニャムレンゲによる大量虐殺の防止をあげている[33]が、国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUSCO)はこれを否定している[34]。その後国連の交渉によってCNDPはブカヴから撤収し、その過程で部隊の一部が分裂し、ジュレス・ムテベシ大佐指揮の下でルワンダへ逃れた[35]。またこれに応じてンクンダの母語であるルワンダ語を話す人々およそ15万人がコンゴ政府軍の報復を恐れて南キヴ州から北キヴ州へと逃れた[36]

2005年:コンゴ政府との衝突

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2005年、ンクンダはコンゴ政府が腐敗していることを理由に政府打倒を掲げた。そしてかつて所属していたコンゴ民主連合(RCD)ゴマ支部のメンバーを次々に勧誘していった[37]

2006年

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2006年1月、ついにンクンダ率いる部隊がコンゴ政府軍と衝突した。一方彼自身はMONUCから戦争犯罪者として訴追されていた[38]。さらに8月には南北キヴ州の境界付近にあるサケという町で再び戦闘が行われた[39]。国際社会はンクンダの逮捕を求めたが、MONUCは「ローラン・ンクンダ氏は地元住民にとっての脅威とはなっていないため、我々は彼に対するどのような行動も正当化することはできない」と表明して彼の逮捕を拒んだ[40]。一方でその年の年末には国連安全保障理事会が彼自身への制裁を決めている[41]

この間国内では総選挙英語版が行われており、ンクンダもその結果を尊重すると述べた[42][43][44]。しかし最高裁判所がジョゼフ・カビラの勝利を告げる前日の11月25日、ンクンダ率いる部隊がサケに駐留する政府軍第11旅団[45]とMONUCの平和維持部隊[46]を急襲した。この攻撃自体はツチ系の指揮官に近い民間人を殺害することを目的として行われ、選挙結果自体には関わりがなかったと考えられている[47]

これを受けて国連はコンゴ政府に交渉を要求し、内務大臣のデニ・カルメ・ヌンビ英語版が交渉人として派遣された[48]

12月7日、RCDゴマ軍が北キヴ州にある政府軍基地を攻撃した。これに対して政府軍はMONUCの支援を受けて基地を奪還し、RCDゴマ軍の兵士およそ150名を殺害したと報告した。またこの戦闘の影響でおよそ1万2千人の市民が隣国ウガンダキソロ県へと逃れた[49]。同日にはコンゴ側からキソロ県へロケット弾が撃ち込まれ、7名が死亡した[50]

2007年

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2007年に入ると、コンゴ政府はンクンダからの脅威、政府軍内部への浸透を防ごうと試みた[51]。しかし、実際には1月から8月にかけて5つの旅団がンクンダの指揮下に入ってしまった。7月24日、国連平和維持軍司令官のジャン=マリー・ゲヘンノ英語版は「ングンダの舞台はコンゴの安定に対する最大の脅威だ」と発表した[52]。9月初め、ンクンダの部隊はマシシ英語版に駐留する政府軍部隊を包囲し、対してMONUCはヘリコプターを使って町に政府軍兵士を送り込んだ。兵士数十名が死亡し、そのほかの地では戦闘が継続した[53]

コンゴ政府軍がヘリコプターによってンクンダ部隊の兵士80名を殺害したと報告した後の9月5日、ンクンダはコンゴ政府に対して停戦協議の実施を要請した。一方でンクンダは以下のようにも述べている[54]。「平和への手続きを破ったのは政府側だ。我々は政府に対して平和手続きに戻るよう要請している。なぜならそれこそがコンゴの問題を解決する本当の手段だからだ。」同じく9月にはンクンダ側の兵士が中学校10校と小学校4校を占領し、そこにいた児童・生徒たちを強制的に自軍に参加させた。国連職員当局者は現地で国際法違反が行われ、子供たちが性奴隷や少年兵にされていると報告している[55]。同日に発行された国連の報告書では、数千人の今後人たちが家を失い避難民となった[56]

コンゴ政府は当初10月15日を武装解除開始の期限としてンクンダ側に通達したが、ンクンダ側は何ら行動を起こさなかった。そのため期限から2日後の10月17日、大統領のジョゼフ・カビラは政府軍に対してンクンダ部隊を強制的に武装解除させるため準備を行うよう命令した。そして政府軍はンクンダ側のキチャンガ要塞へと進軍した。ブナガナ周辺でンクンダ側と政府系マイマイとの戦闘が発生し、数千人の市民が戦闘を逃れるためルツルへと移動した。さらにブナガナ近郊にあるブキマ周辺では、政府軍がンクンダ配下の部隊と交戦し、一部の難民は国境を越えてウガンダに逃れたという報告も行われた。年初からの戦闘で避難した人の数は推定で37万人以上である[57]

11月に入るとンクンダ側の部隊がゴマから100km北にあるニャンザレ英語版という町を占領し、近隣にあった3つの村も支配下に入れた。これに対して政府軍は一度前哨基地を放棄したが[58]、12月初めには第82大隊による反抗作戦によって交通の要衝であるムシャケを奪還した[59]。加えて国連コンゴ民主共和国ミッションは政府の反抗作戦を支援することを発表した。またアディスアベバで会議が開かれ、参加した国連、ブルンジルワンダウガンダは共同でコンゴ政府を支援し、「反政府勢力」を支持しないことを宣言した[60]

これに対してウクンダは12月14日に声明を発表し、自身が和平協定に応じる用意があることを示した[61]。これを受け12月20日、コンゴ政府は12月27日から翌年1月5日までで協議を行うようウクンダに呼びかけたが[62]、実際の開催は1月6日から14日に延期された[63]

2008年1月:和平協議

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ンクンダ側代表団は実際に協議の場に現れたが、構成員の一人が逮捕されかけたと主張して1月10日に一度協議の場から離れた[64]。ただその後彼ら他再び協議に応じ[65]、協議日程は1月21日終了に延ばされた[66]。その後合意の見込みが立ったことから1月22日まで延期され[67]、その後戦争犯罪の裁き方に対する合意を得るためさらに1月23日まで延びた[68]。同日になってようやく和平協定に署名がなされ、即時停戦、反政府軍の北キヴ州からの完全な撤退、戦火を逃れた市民の帰還、ンクンダ側についた兵士たちの不処罰などが定められた[69]

和平協定に基づき、政府軍と国連平和維持部隊はルワンダ解放民主軍(FDLR)のキヴからの撤退を促した。しかし実際の手続きが不十分に終わり、難民の帰還も進まなかったため、対立する人民防衛国民会議(CNDP)は「FDLRが市民に対して残虐行為を行なっており、それを止めるため」という名目で戦闘を再開した[70][71]。実はこの和平協定にはFDLRやルワンダ政府が関与しておらず、このことが協定の履行を困難にした[72][73]

2008年秋の戦闘

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On 26 October 2008, Nkunda's rebels seized a major military camp, along with Virunga National Park for use as a base to launch attacks from. This occurred after the peace treaty failed, with the resultant fighting displacing thousands.[74] The park was taken due to its strategic location on a main road leading to the city of Goma. On 27 October riots began around the United Nations compound in Goma, and civilians pelted the building with rocks and threw Molotov cocktails, claiming that the UN forces had done nothing to prevent the rebel advance.[75] The Congolese national army also retreated under pressure from the rebel army in a "major retreat".[75]

Attack helicopters and armoured vehicles of UN peacekeepers (MONUC) were used in an effort to halt the advance of the rebels, who claim to be within 7 miles (11 kilometres) of Goma.[76] Special Representative of the UN Secretary-General for DRC Alan Doss explained the necessity of engaging the rebels, stating that "...[the UN] can't allow population centers to be threatened... [the UN] had to engage."[77] On 28 October, rebels and combined government-MONUC troops battled between the Kibumba refugee camp and Rutshuru. Five rockets were fired at a convoy of UN vehicles protecting a road to the territorial capital of Rutshuru, hitting two armoured personnel carriers. The APCs, which contained Indian Army troops, were relatively undamaged, though a Lieutenant Colonel and two other personnel were injured.[78] Rebel forces later captured the town. Meanwhile, civilians continued to riot, at some points pelting retreating Congolese troops with rocks, though UN spokeswoman Sylvie van den Wildenberg stated that the UN has "reinforced [their] presence" in the region.[79]

On 29 October, the rebels declared a unilateral ceasefire as they approached Goma, though they still intended to take the city.[80] That same day a French request for an EU reinforcement of 1,500 troops was refused by several countries and appeared unlikely to materialise; however, the UN forces in place stated they would act to prevent takeovers of population centres.[80][81] Throughout the day the streets of the city were filled with refugees and fleeing troops, including their tanks and other military vehicles.[80] There were also reports of looting and commandeering of cars by Congolese troops.[82] That night the UN Security Council unanimously adopted a non-binding resolution which condemned the recent rebel advance and demanded it be halted.[83] Despite the ceasefire, World Vision workers had to flee to the Rwandan border to work, and shots were still fired. The United States Department of State sent Assistant Secretary of State for African Affairs Jendayi Frazer as an envoy to the region.[84]

On 30 October, looting and violence by Congolese soldiers, some of them drunk, continued in Goma, though contingents of other troops and paramilitary police attempted to contain the looting by patrolling the streets in pick-up trucks.[85] Nkunda called for direct talks with the Congolese government,[86] also stating that he would take Goma "if there is no ceasefire, no security and no advance in the peace process."[87] On 31 October, Nkunda declared that he would create a "humanitarian aid corridor", a no-fire zone where displaced persons would be allowed back to their homes, given the consent of the United Nations task force in the Congo. Working with the UN forces around Goma, Nkunda hoped to relocate victims of the recent fighting between his CNDP forces and UN peacekeepers. MONUC spokesman Kevin Kennedy stated that MONUC's forces were stretched thin trying to keep peace within and around the city; recent looting by Congolese soldiers had made it harder to do so as incidents arose both within city limits and outside. According to Anneke Van Woudenberg, a Human Rights Watch researcher, more than 20 people were killed overnight in Goma alone. Meanwhile, Secretary of State Condoleezza Rice contacted Rwandan President Paul Kagame to discuss a long-term solution.[88] Also, on 31 October, British Foreign Minister David Miliband and French Foreign Minister Bernard Kouchner flew to the region, with the intention of stopping in Kinshasa, Goma, and possibly Kigali.[89]

On 6 November, rebels broke the ceasefire and wrested control of another town in eastern Democratic Republic of Congo in clashes with government forces on the eve of a regional summit on the crisis. National Congress for the Defence of the People (CNDP) rebels seized control of the centre of Nyanzale, an important army base in Nord-Kivu province after government forces fled. Residents reported that rebels had shot dead civilians suspected of supporting pro-government militia.[90]

脚注

[編集]
  1. ^ DR Congo: suspicion of an alleged recovery of M23 Rubaya”. Silent War Journal (2014年8月31日). 29 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ15 March 2015閲覧。
  2. ^ “Rwanda 'protecting M23 DR Congo rebels'”. BBC News. (5 June 2014). https://www.bbc.com/news/world-africa-27714346 
  3. ^ “Susan Rice: the liberal case against her being secretary of state”. The Guardian. (13 December 2012). https://www.theguardian.com/world/2012/dec/13/liberal-case-against-susan-rice 
  4. ^ Conflict Minerals, Rebels and Child Soldiers in Congo”. YouTube. 2 March 2018時点のオリジナルよりアーカイブ22 January 2015閲覧。
  5. ^ FNL英語版関連に対してのみ
  6. ^ FARDC hunting down APCLS in Masisi, and what about FDLR?”. christoph vogel (2014年3月4日). 17 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ22 January 2015閲覧。
  7. ^ Activists urge govt to arrest fugitive DRC warlord”. News24 (2015年1月7日). 3 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ15 March 2015閲覧。
  8. ^ Mapping armed groups in eastern Congo”. 3 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ28 January 2015閲覧。
  9. ^ DRC: Who are the Raïa Mutomboki?” (2013年7月17日). 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月12日閲覧。
  10. ^ 'Scores dead' in Burundi clashes”. 1 August 2018時点のオリジナルよりアーカイブ22 January 2015閲覧。
  11. ^ Reshuffle in the Congolese army – cui bono? - christoph vogel”. christoph vogel (2014年9月28日). 9 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ22 January 2015閲覧。
  12. ^ Chris McGreal (2014年8月5日). “US tells armed group in DRC to surrender or face 'military option'”. the Guardian. オリジナルの10 July 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170710082804/https://www.theguardian.com/world/2014/aug/05/us-tells-armed-group-drc-surrender-military-option 2 January 2015閲覧。 
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  35. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「indp」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
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