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利用者:Sadmadjane/manju

饅頭石 (まんじゅういし、: manju'u ishi, nodule[1])は、奇石として知られる鉱石の一種。まんじゅう石[1]マンジュウ石[2]マンジュー石などの表記ゆれがあるほか、鳥取地方では一色豆とも呼ばれる[3]

概要[編集]

形状と地質学的分析の話、どこで出土するか

堆積岩の一種[1]

饅頭石の形成については様々な説がある。

無機的な沈積によるものという説[5]、微生物が形成に関与して有機的に形成されたとする説[5]がある。

歴史[編集]

概要節に編入していいかも

江戸時代にはその存在を知られており、「大和本草」にも記載されている。大和本草の著者である貝原益軒は饅頭石を、漢名のなく日本名のみの、つまり日本固有の品である「和品」の一つとして位置付けた[6][7]

益軒は饅頭石について以下のように記している。

長州ノ海邊ニアリ其形饅頭ノ如ク大小アリ外ハ浮石ノ如シ内ハ赤ク  シチウノアンノ如シ一所ニ多シ奇物ナリ[8]

また、江戸時代の青森の地理書「藩律」にも、現在の青森市高陣場で饅頭石が出土することが記載されている[9]ほか、後述するように、饅頭石にまつわる民話は全国各地に伝わっている。

饅頭石の産地としては、鳥取が最もよく知られるが、このほかにも、甲斐市ホッチ峠[10]

参考になりそう

浪岡町史読むか? 環境編とか例の民話とか 史料編纂所にあるぜ

民話・伝承における饅頭石[編集]

饅頭石は、その特徴的な形態から、各地の民話や伝承に登場する。

  • 福岡県北九州市真名子の民話 - 茶屋の老婆が、饅頭の施しを求めてきたみすぼらしい僧侶に対し、「これでも喰いやがれ」と小石を投げつける[注釈 1]。僧侶が去ったのち、老婆が店前の饅頭をふと見たところ、饅頭が全て小石に変わっていた。それ以来、黒い餡の入った白い饅頭石が真名子で取れるようになった[12]
  • 青森県浪岡村の伝承 - かつて、橘治氏南部氏は対立関係にあった。ある戦において、高陣場に布陣した南部氏に対し、橘治氏は一計を案じ、毒饅頭を作って高陣場村で敵に売ることにした。しかし、この計画は見破られてしまい、饅頭を売った者の家屋は破壊され、饅頭は踏み散らされ、家族は皆殺しにされた。このことを恨んで、怨霊がこの地に取り憑き、饅頭が石となり、今なお饅頭坂では饅頭石が取れるのである[13]

注釈[編集]

  1. ^ 「これはくわれん饅頭じゃ」と叫んで饅頭を投げつけた、とするものもある[11]

出典[編集]

  1. ^ a b c まんじゅう石”. 地質標本データベース (鉱物・岩石・化石). 山口大学理学部地球科学標本室. 2022年3月1日閲覧。
  2. ^ 饅頭峠のマンジュウ石”. 韮崎市 (2020年3月31日). 2022年3月2日閲覧。
  3. ^ まんじゅう石”. 奇石博物館. 2022年3月1日閲覧。
  4. ^ 渡邊久吉 (1932). “大山”. 地学雑誌 44 (12). doi:10.5026/jgeography.44.667. 
  5. ^ a b 田崎和江赤木三郎高村嘉子四ヶ浦弘 (2015). “石川県金沢市の田畑におけるノジュールの形成”. 河北潟総合研究 (河北潟湖沼研究所) 18. http://kahokugata.sakura.ne.jp/pdf/sougouken/s18_4.pdf 2022年3月1日閲覧。. 
  6. ^ 後閑文之助 (1979). “日本の古代より近世に至る地質学と関連学の発達史”. 地学雑誌 88 (2): 63-87. doi:10.5026/jgeography.88.2_63. 
  7. ^ 白井光太郎. “博物学者としての貝原益軒”. 貝原益軒アーカイブ. 中村学園大学. 2022年3月1日閲覧。
  8. ^ 貝原益軒. “大和本草巻之三”. 貝原益軒アーカイブ. 中村学園大学. 2022年3月1日閲覧。
  9. ^ 佐藤仁. “「藩律」からみた浪岡地域”. なみおか今・昔. 青森市. 2022年3月3日閲覧。
  10. ^ ホッチ峠の饅頭石”. 甲斐市. 2022年3月3日閲覧。
  11. ^ 饅頭石と大根川”. 北九州風景街道. 北九州風景街道(長崎街道)推進協議会. 2022年3月1日閲覧。
  12. ^ 木村幸雄. “市政だより 昭和46年9月1日号(第193号)”. 市政だよりデジタルアーカイブ. 北九州市. p. 4. 2022年3月1日閲覧。
  13. ^ 阿部文助 1902, pp. 67–68.

参考文献[編集]

資料[編集]