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利用者:Sergei semenovich/外来語の固有名詞の表記・呼称について

このところ改名提案で発言する機会が多くなっているので、特に問題になることが多い外来語の固有名詞の表記や呼称について、自分の基本的な考え方を既存のガイドラインとの整合性は考慮せずここに記しておく。実際の案件では各種ガイドラインやコミュニティーの意向も汲み取りつつ柔軟に対応していくことになるだろう。

概論[編集]

外来語の固有名詞はできる限り原語での発音に近い表記や呼称を採用するのが望ましいと考えている。百科事典であれその他の媒体であれ、その名詞によって名指される当事者の習慣を尊重するのというのは当然あって然るべき礼節であり、まずはこの原則が重視されるべきなのは言うまでもないことだ。原語の発音から懸け離れた表記や呼称というのは時に文化的な誤解に根ざしている場合があり、あるいはもっとひどい場合には差別や偏見と一体となっていることさえある。

伊達公子が海外のツアーを転戦し始めた当初は姓を英語風にデイトと読まれることが多かったそうなのだが、このような読み方をされれば伊達公子本人でなくともそれを日本語話者全体への侮辱と感じる人は少なくないはずだ(少なくとも私はそう感じる)。ステファン・エドベリは英語風にエドバーグと呼ばれることを意に介していなかったというが、誰もがそのように鷹揚なのだとは考えるべきではない。

しかしこの原音重視の原則を全てのケースにおいて原理主義的に、あるいは機械的に適用するべきだとは全く考えていない。言語によって音韻体系が異なる以上、原音を日本語の仮名によって忠実に再現することはそもそも不可能だし、日本語における表記であるからには日本語話者に無用の混乱を与えるものであってはいけないのもまた確かである。イギリスオランダのように現在のような言語学研究の成果が浸透する以前に日本語として定着した歴史的な表記というものも存在する。外来語の固有名詞の表記について機械的に適用できる基準というのはそもそも存在せず、個別のケース毎に慎重に吟味するよりほかにはないと思っている。

ケース・スタディ[編集]

以下にいくつかの個別のケースについての見解を述べてみる。

モスクワ
最も原音に近い表記はマスクヴァーだが、これに改名しようなどとは全く考えていない。ロシア語にはアクセントのないоがアと発音されるという原則があるが、これはモスクワを中心にした地域での発音で、地域によってはアクセントがなくてもオと発音されるというのがまず一つ。また格変化によってアクセントの位置が移動することもあるので(地名などでは普通はあまりないと思うが)、会話の中での位置によってアがオーに変わるケースもある。さらにоをアと表記することによって元の綴りがаなのかアクセントのないоなのかがわからなくなり、情報の劣化が起こるためある程度ロシア語について理解のある人にとっても不便になるという事情もある。従ってアクセントのないоをアと発音する原則を日本語での表記に反映させるのは現実的ではないと考えている。
またロシア語のва音をワと表記する習慣は日本語で広く行われており、原音との乖離も十分に許容できる範囲にある。少なくともバと表記するよりは遥かに自然だと思われる。ロシア語においても日本語のワ音はваと表記される習慣にあり、例えば稚内市のロシア語版での項目タイトルはВакканайである(ちなみにウィキペディアは“Википедия”)。
なおロシア語のеはエではなくイェと発音されるが(正確に言うとアクセントのない場合は弱いイになる)、これを日本語の表記に反映させるのも大抵の場合徒らに繁雑になるばかりなのであまり厳格にならない方がいいと考える。もちろんイェの発音に基づく表記が十分に定着している場合はこの限りではない(ナジェージダ、メドヴェージェフなど)。
ロマ
日本語で広く行われている呼称を採用するべきではない典型例。ジプシーという呼称を単純に差別語と見なすかどうかには議論の余地があるようだが、いずれにしても彼らの自称であるロマが尊重されるべきなのは言うまでもない。現在でも日本語話者の大多数はジプシーという呼称を用いていると思われるが、そのことはこの呼称を項目タイトルに採用する根拠にはなり得ない。ムンバイ(ボンベイ)、コルカタ(カルカッタ)なども同様。これを以てして明らかなように、日本語で最も普及している表記を必ず採用しなければならないという原則は決して成り立たない。
アントン・ルビンシテイン
弟のニコライとともにルービンシュタインからの改名を行った。ルービンシュタインというのはドイツ風の読み方であり、ロシア出身のユダヤ人の項目のタイトルとしては相応しくないため。日本ではルービンシュタインと表記されることの方が多いが、こうした文化的な誤解を含むケースでは使用頻度は重要な判断材料にはならない。
なお原音への忠実さからいえばルビンシチェーインとするのが最もいいのだが、一般向けの百科事典としてはこれは推奨できない。
シネイド・ケアー
こちらはもっと極端な、日本語でほとんど見られない表記に敢えて改名したケース。マスメディアなどでの表記はほとんどがシニード・ケアーもしくはシニード・カーで、シネイドと表記されている例はほとんど見たことがない。しかしシニードというのはゲール語由来の女性名を英語読みするという文化的な誤解に基づく表記であり、またエフゲニー・プラトフ証言によると彼女(及び弟のジョン・ケアー)はスコットランド人としての自意識がとても強いそうで、イギリス人としてよりもスコットランド人としての意識が強いとすれば名前を英語読みされるのは快く思わないだろうと推定されることから(かなり迷いながらも)敢えて改名を実行した。この判断は間違っていなかったと思っている。
シャルロット・チャーチ
原語の発音に忠実ではない表記でも差し支えのない例。英語での発音を考慮するとシャーロットと表記するのが望ましいが、日本ではソニー・ミュージックがデビュー・アルバム以来一貫してシャルロットの表記を用いており、これを公式表記と見なすことができるため改名の必要はないと判断している。
サラエヴォ
ノート:サラエヴォ/過去ログ1の議論を経てサラエボからサラエヴォに改名され、その後ノート:サラエボ事件/サラエヴォ事件への改名提案の中で再度改名が議論されたが、結局明確な合意が形成されるに至らないまま議論が停止してしまった。私は最初の改名提案時の議論が十分に説得的だと考えたのでサラエヴォを支持した。サラエボに絶対反対というわけではなく、私が強調したのは参照するべき資料が複数あり、考慮しなければならない観点が複数あるということだったのだが、この前提が共有されず実りある議論とならなかったのは残念だった。