ノート:サラエヴォ/過去ログ1
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世界史の教科書を参照している限り、多くのものはサライェヴォという表記を取っている一方、日本史の教科書の多くはサラエボの表記をとっています。ここは世界史的な内容が濃いのでサライェヴォという表記を取ってみてはいかがでしょうか?--以上の署名のないコメントは、60.34.101.95(会話)さんが 2006年8月14日 (月) 14:00 に投稿したものです。
- インターネット上で"サライェヴォオリンピック"で検索しても一件もヒットしません。サラエボの方がはるかに正常だと思います。まあ、どっちでもいいですがリンクはきちんと直してください。pipimaru 2006年8月14日 (月) 14:26 (UTC)
改名提案
[編集]より原音にちかいサライェヴォないしはサラエヴォへ改名することを提案します。サラエボオリンピック等の固有名詞はともかく、一般の都市名としてサライェヴォの表記が定着していないことはないと思います。サラエボ、サライェヴォのどちらもある程度定着している表記であるならば、より原音に近いものが望ましいと考えます。--Peccafly 2008年9月28日 (日) 06:04 (UTC)
- (反対)サライェヴォ、サラエヴォの表記は一般的ではなく、定着していないものと考えます。google検索でも圧倒的に少なく(サラエボ:483,000件、サラエヴォ:21,700件、サライェヴォ:4,900)、また外務省の各国・地域情勢でもサラエボと表記されています。ニュースや新聞でもサラエボ以外の表記はほとんど見たことがなく、今現在朝日新聞のasahi.comではサライェヴォやサラエヴォでサイト内検索しても該当がなく(サラエボなら18件)、YOMIURI ONLINEではサライェヴォ0件、サラエヴォ1件、サラエボ7件です。ですので、このページの名称はサラエボのままがよいと思います。改名提案には反対です。--蒲生直義 2008年10月1日 (水) 18:55 (UTC)
ご意見ありがとうございます。今回の改名提案についてご説明いたします。
- ヴ表記を使ってもよい理由
サラエボ表記の例示として外務省と新聞の表記を示されましたが、これらでは一貫してヴ表記を採用しておりません。しかしながら、実際にウィキペディア上ではヴ表記で記事が建てられ、あるいはヴ表記へと改名されています(例:ヴァルナ、スロボダン・ミロシェヴィッチ)。ほとんどの場合、「ミロシェヴィッチ」と書かれていれば、「新聞でミロシェビッチと書かれているもの」であると容易に理解できます。外務省公式や新聞でヴ表記されていないからといって、それに追従しなければならない理由はありません。「ミロシェヴィッチ」の例でお示ししたとおり、ヴァ行音はバ行音でも表記され得ることは一版に知られており、マスコミの表記等はヴ表記への改名の妨げとはなりません。更に言えば、新聞ではヴ表記を採用しないことになっているので、これに従うならばWikipedia上のほとんどの「ヴ」が用いられている記事は改名せざるを得なくなるでしょう。
こちらでoxhopさんのおっしゃっている、「ウイルス」が「ウィルス」、「カシオペヤ座」も「カシオペア座」のように、両者が同じものであると容易に理解できる場合、「一般的利用者の立場からすれば、どちらで表記されていても何ら支障はないはずです。ですから、このような場合は専門的慣用を優先すると主張される方の意見を尊重しても良いのではないでしょうか。」というご意見に大変説得力を感じております。新聞では「オサマ・ビンラディン」でも、ウィキペディアではウサーマ・ビン=ラーディンのようになっております。
- ヴ表記を使うべき理由
マスコミの使命は、まず最新の情報を分かりやすく伝えることでしょう。マスコミはときに難解な正式呼称よりも、分かりやすい通称を使用します(例:「新ユーゴ」「コソボ自治州」)。また、誤解に基づいた表記もします(例:「迫撃弾」)。Wikipediaは百科事典を作ることを目標としており、マスコミの呼称を絶対視する必要はありません。百科事典とは学術の書であり、その分野で一般に使われる語が尊重されるべきです。軽くいくつかの書籍を調べましたが、次のように表記されていました。
- 「サラエヴォ」 朝倉世界地理講座10 東ヨーロッパ・ロシア 朝倉書店 2007 初版
- 「サラエヴォ」 世界地誌ゼミナールIII ソ連・東欧 大明堂 昭和55年
- 「サライェヴォ」 文化誌 世界の国 東欧 講談社 1975 第一版
- 「サラエヴォ」 東欧革命と欧州統合 彩流社 1993年
上のほうで60.34.101.95さんも指摘しておらますが、「サラエヴォ」や「サライェヴォ」は実に一般的な表記です。
- サラエヴォ vs サライェヴォ
述べさせていただいたとおり、ヴ表記を用いることにははじめから問題はないと考えています(国名については外務省の表記を採用するという合意があるようですが、都市名に関してはそのような基準は適用されていません)。いずれにしても「ボ」は「ヴォ」に改名されるべきであり、そうなると議論の中心は「サラエヴォ」か「サライェヴォ」か、ということになるだろうと予想していました。「サラエヴォ」表記は「サラエボ」との乖離も少なく、サラエボ表記の人が見ても迷うことはないでしょう。より穏健な表現であるといえます。一方、「サライェヴォ」表記はより原音に近く、また専門分野ではこの表記での使用例も少なからず存在します。サラエボからの乖離が若干大きいのが難点ですが、新聞では「レフ・ワレサ」で知られる人物もレフ・ヴァウェンサとなっていることもあり、ある程度までは許容されてもよいのではないかと思います。いずれにしても、サラエボをサラエヴォあるいはサライェヴォへのリダイレクトとして維持する限りにおいて、大きな混乱を来たすことはないでしょう。--Peccafly 2008年10月2日 (木) 09:25 (UTC)
- 丁寧なご説明を頂きありがとうございます。外務省・新聞表記にあわせる必要がないことを理解いたしましたので、改名提案への反対を取り下げます。今回は「サライェヴォ」があまりに見慣れない表記だと感じましたため、ご意見させていただきました(主観的な意見で申し訳ありません)。「サラエヴォ」でしたら容易にサラエボのことだとわかりますので、今回の改名提案ではサラエヴォ案を支持させていただきます。--蒲生直義 2008年10月2日 (木) 15:40 (UTC)
(中立もしくはやや反対)
もう変わってしまったので、あえて元に戻してほしいとは思いませんが、一応意見だけ挙げます。
- 日本語では、外国語の正確な発音を表現できません。
- 無理に日本語で外国語の発音を正確に表現しようとすると、どうしても文字数が長くなったり、または人によって表現が異なったりします。そのような文字列は、インデックスとしての魅力が明らかに劣ると考えます。
- そもそも原音とは何か、定義が難しい。
- 外国の国名の表記は複雑です。空港などではアルファベットで表記されることが多いですが、それをローマ字読みするのか、英語式に発音するのかでも異なります。現地語読みと英語の発音が異なるのも普通です。現地語も複数ある場合があり、原音を定義することがより困難になります。
- よって、表記名の原音主義は、問題を複雑化するだけだと考えます。外国の表記名は日本で昔から一般的に使われていた呼称で、かつ、なるべく短く簡潔なものを用いるべきだと思います。
- 今回の改名は、発音だけが理由ではないようなのですし、はっきり反対とは挙げません。
pipimaru 2008年10月5日 (日) 16:45 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。ご指摘の1点目および2点目、原音主義への懸念には私も全面的に同意するところであります。たとえば、モスクワをマスクヴァーと改名したら過剰な原音主義のそしりを免れないでしょう。しかしながら、3点目、なるべく「短く」あるべき、という点は承服しかねます。「サラエヴォ」と「サラエボ」を見比べたとき、「短さ」の観点から後者のほうが良いという見解には同意できる要素がありません。1点目にも関わりますが、原音に近い表記のほうが文字列の長さが短い場合もあります(例:ミロシェヴィッチ vs ミロシェヴィチ)。そして4点目、おっしゃるとおり、今回の改名は原音主義によるものではありません。改名前よりも原音に近いものを採用したのは事実ですが、いわゆる原音主義批判と今回の改名は結びつくものではありません。--Peccafly 2008年10月6日 (月) 02:43 (UTC)
【「ヴ」に反対】 Wikipediaは学者業界の人しか使わないものですか?サラエボを訪れる多くの人がサラエヴォという偏った表現を見なければならない理由が到底理解できません。原音主義以外の何者でもないですね。--118.236.139.2 2008年10月17日 (金) 15:12 (UTC)
- 「サラエヴォ」が「偏っている」というご意見は、到底理解できません。個人的な感想以外の何物でもないですね。--Peccafly 2008年10月18日 (土) 10:40 (UTC)
再改名提案
[編集]「定着していないことはないと思います」「実に一般的な表記です」「到底理解できません」なども個人的な感想以外の何物でもないのですね。 4冊に記載されたことで「一般に使われる語」と独断されるのはいかがなものでしょうか。その他の学術の書では「サラエボ」という表記は用いられていませんか?もしくはカタカナを発音記号か何かと勘違いされていましたか? サラエボへのリダイレクト、もしくは「サラエヴォという表記もまれに見受けられる」の一行を追加することで済んだのに、こちら以外で他にも悪影響を及ぼしている今回の改名を、元の通りに戻すことを提案します。--118.236.127.122 2008年10月19日 (日) 18:08 (UTC)
- (反対)カタカナを発音記号であるかのように表記するならば「サライェヴォ」でしょう。「サラエヴォ」とあれば「サラエボ」であることは用意に理解できるため、混乱を招くことはありません。--Peccafly 2008年10月20日 (月) 00:40 (UTC)
- (反対)前回の改名は理を尽くして議論された上でなされており、元に戻す合理的な理由がないため。--sergei 2008年10月20日 (月) 14:32 (UTC)
- (反対)最初に申し上げておきますが、私は原音表記主義者ではありませんが、「サライェヴォ」表記の支持者です。「サライェヴォ」表記に関して、“個人的な感想以外の何物でもない”とおっしゃっていますが、原音表記へ移行する傾向の強くなっていると言われる世界史の教科書・資料集等では「サライェヴォ」表記が多く見られます。主なものとして、以下の書物を挙げさせて頂きます。
- 「詳説世界史研究」 山川出版社 第11刷(第1刷は1995年発行)
- 「ニューステージ 世界史詳覧」 浜島書店 (1997年発行)
- 「総合新世界史図説 21訂版」 帝国書院 (正確な発行年は不明。 2005年に私が購入したものです。)
- 「詳説 世界史B」 山川出版社 (2005年発行)
- どれも高校時代に使用していた教科書・資料集等ばかりで恐縮ですが、これは原音表記が浸透してきていることの一例と言えると思います。確かにあなたがおっしゃるように、一般的には「サラエボ」という発音・表記がまだまだメジャーです。外務省のホームページでも「サラエボ」と表記されています。しかしながら、「サライェヴォ」表記の一般化は、決して個人的な感想ではないと思います。
- この表記の問題は、非常に難しい問題であります。ちなみにwikipedia内の他の例を挙げさせて頂きますと、先の「改名提案」の項に挙がっているレフ・ヴァウェンサ(レフ・ワレサ)や、ヴェネツィアのページのように原音に近い表記を採用している物もあります。その一方で、エルサレムのページのように全く原音とは異なる(英語版のウィクショナリーにある国際音声記号では/dʒəˈruːsələm/または/dʒəˈruːzələm/となっており、いずれも発音はエルサレムになりません。)上に、かつ学術分野で使用されることの多い「イェルサレム」とも異なる表記を採用している物もあります。
- Wikipedia:外来語表記法の4.4.2「地名」の項には、「現代の地名については、その地域の公用語(または、それに準ずるもの)を元に表記してください。」とあります。それに従えば、「サライェヴォ」表記がもっとも好ましいと言えるでしょう。その一方で「ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。」とありますから、この点についても検討する必要性があるでしょう。
- そういう意味で再検討しますと、現在の「サラエヴォ」表記は、「サライェヴォ」表記に次いで原音に近いと言え、「その地域の公用語を元に表記して下さい」という基準を満たします。また、118.236.127.122さんが推していらしゃる「サラエボ」表記ともほぼ同様(“ボ”と“ヴォ”は、日本語的にはほぼ同じと言ってもよいでしょう。)で、「日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。」という基準も満たしていると考えられます。
- 従って、私は前述のように「サライェヴォ」表記支持者ではありますが、現状を考慮した場合、現在採用されている「サラエヴォ」表記は「相反する満たすべき基準を同時に満たす、極めて中庸で理想的な表記」だと考えます。ですから私は、「サラエボ」への改名提案に反対です。もしも改名するのなら、「サライェヴォ」に改名すべきです。長文失礼しました。--Awakko 2008年10月20日 (月) 14:41 (UTC)
- (反対)主要高校教科書が「サライェヴォ」を取っているなら、むしろ「サライェヴォ」への改名を支持します。--miya 2008年10月21日 (火) 00:23 (UTC)
(コメント)皆様、ご意見ありがとうございます。それでは、改名先サライェヴォについてもこの場であわせて審議することにいたしましょう。私は、サライェヴォへの改名には諸手をあげて賛成です。Awakkoさんのご意見には大変説得力を感じます。--Peccafly 2008年10月21日 (火) 08:57 (UTC)
- (コメント)私も基本的にはサライェヴォへの改名を支持します。「サライェヴォ」は一般に認知されてない、とするご意見も理解できますが、サライェヴォとサラエボは、前述の“ボ”と“ヴォ”に加え、“エ”と“イェ”に関しても、日本語的にはほぼ同じだと言えると思います。ですから私は、サライェヴォに改名したとしましても、先の反対表明で例に挙げましたエルサレムのように、原音表記をするとメチャクチャ(先に書かせて頂いた国際音声記号通り発音したとしますと、ジェルーサラムorジェルーズラムといった感じになると思います。これだと誰もエルサレムだとは解らないでしょう。)になることはないと思います。それに、提案者さんの“「サラエヴォという表記もまれに見受けられる」の一行を追加することで…”を逆手にとるようで恐縮ですが、「サラエボ」や「サラエヴォ」表記に関しては、「日本では「サラエボ」ないしは「サラエヴォ」と表記することもある」、ないしは「日本では「サラエボ」ないしは「サラエヴォ」との表記も多く見受けられる」と書けば良いかと思います。
- しかも、wikipediaにはリダイレクトという便利な機能もあります。たとえ「サラエボ」や「サラエヴォ」と入力・検索したとしても、リダイレクトがしっかりと導いてくれます。実際、レフ・ヴァウェンサのページも、検索の際は「レフ・ワレサ」と入力される方が圧倒的だと思います。それでも、リダイレクトが設定されていることで当該記事は上手く機能しており、私の見る限りではありますが、ノートページには改名提案や不満意見等も目につきません。
- ここは思い切って「サライェヴォ」への改名を行うべきだと私は思います。もしも賛否同数となった場合は、「サライェヴォ」への改名は一時棚上げし、前述の反対表明で書かせて頂いたように「相反する満たすべき基準を同時に満たす、極めて中庸で理想的な表記」だと思われる「サラエヴォ」表記を継続すれば良いと思います。
- 最後になりましたが、Peccaflyさん、大変説得力があるとの評価を頂きまして恐縮です。ありがとうございます。--Awakko 2008年10月21日 (火) 11:45 (UTC)
- (コメントだけ)まず、「サラエボ」「サラエヴォ」「サライェヴォ」の3表記は日本語の表記の仕方としてはどれも正しいものです。詳しくは「外来語の表記」に用いる仮名と符号の表を見ていただければわかることだと思います。ただ、「サライェヴォ」表記が高校世界史の教科書では一般的な表記かもしれませんが、同じく検定を通っている高校用の地図帳でもそうなのでしょうか(下に示した『新詳高等地図』では「サラエボ」表記でした)。また、現に私が手元に所持している以下の書籍では「サラエボ」表記が使用されています。慎重に検討を重ねる必要があるかと思います(ひょっとしたら、記事名の付け方にサブページを作成した上で議論すべきことなのかもしれません)。
- 『新詳高等地図(初訂版)』、帝国書院編集部編、平成14年
- 『世界国勢図会(第17版)』、矢野恒太記念会、平成18年
- 『日本国勢図会(第65版)』、矢野恒太記念会、平成18年
- あと、Wikipediaでは教科書は信頼できる情報源としては推奨されていなかったように思います……。--かげろん 2008年10月21日 (火) 12:02 (UTC)
(賛成)
- 毎日Wikipediaばかり見ているわけではなく気付いたら変更されてしまっていたので、「サラエヴォ」「サライェヴォ」への反論を挙げます。
- サラエボオリンピック等の固有名詞:JOCでは「サラエボオリンピック」という名称は使っておらず、「サラエボ冬季大会」を用いています。サラエボオリンピックは、サラエボで開催されたオリンピックを意味するものであり、この語を改名の対象から外したということは、サラエヴォオリンピック(サラエヴォで開催されたオリンピック)・サライェヴォオリンピック(サライェヴォで開催されたオリンピック)が定着していないことを示してはいませんか。この語だけを切り離して議論することに、一貫性を見出すことができません。
- 外務省と新聞の表記に対する誤認:「一貫してヴ表記を採用しておりません」というのは誤っています。在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本国大使館のボスニア情報のページには、サラエボのすぐ下にスラヴ人という表記があります。新聞のヴ表記もサイト内検索をすればすぐにわかることです。思い込みによる判断は遠慮願います。
- ヴァ行とバ行の認知度:ヴァ行の表記が内閣告示・訓令された外来語の表記に掲載されたのは1991年です。それ以降の教科書で学んだ比較的若い年齢層の人には違和感ないのかもしれませんが、それ以前の多勢の人々には違和感があります。留意事項その1(原則的な事項)に「ある程度外国語に近く書き表す必要のある語―特に地名・人名の場合―は,第2表(筆者注:ヴァ行はこちらに含まれる)に示す仮名を用いて書き表すことができる」とはあるものの、第1次世界大戦のきっかけとなった事件なり、1984年冬季オリンピックが開催された地名である「サラエボ」は告示1991年以前より「慣用が定まっているものはそれによる」と十分に判断できます。それに基づき「サラエボ」という表記を新聞や書籍等で見続けている新しい教科書で学んでいない多勢の人々にとって、容易に同一のものを意味すると理解できる、と判断するのは尚早です。
- 両者が同じものであると容易に理解できる場合:過去のノートの議論の一部を抽出するのにいささか恣意性を感じますが、こちらで挙げられている例に「ヴァ行」と「バ行」に関しては触れられていません。また議論を経た結果として外来語表記法の地名について書かれている原則である「現代の地名については、その地域の公用語(または、それに準ずるもの)を元に表記してください。ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。」の後半部分が、今回の改名では考慮された形跡が見られません。
- 百科事典とは学術の書:Wikipediaは百科事典を目的に掲げてはいますが、学術の書を創るとはどこにも記されていません。もしそうであれば、Wikipediaの多くのページはその条件から外れることになります。挙げられた書籍は人文科学系のものばかりですが、サラエボの地名を用いるのは人文科学という狭いコミュニティの人々だけですか。観光やビジネスで渡航する人、それに付随する人々の数は多く挙げられます。人文科学分野で一般に使われる語だけが尊重されるべき理由は見当たりません。
- 実に一般的な表記です:学術書による一般論が提示されましたので、Wikipedia:外来語表記法#一般的慣用にもある検索エンジンでの3つの語の検索表示数をサンプルとして提示します。なお各語の混在を避けるため調べたい語以外の2語を除外した検索結果です(サラエボのみを検索する場合は「サラエボ -サラエボ -サライェヴォ」と検索、以下同様)。ここで示したのと同じ傾向の結果は、サラエボオリンピック、サラエボ事件といった単語でも見られます。これがすべてを示すわけではありませんが、明確に示された傾向であることも事実です。何が「一般的」であるかの一つの判断事例をして参照してください。
- Googleでの検索:
- 「サラエボ」:約300,000件
- 「サラエヴォ」:約13,000件
- 「サライェヴォ」:約2,580件
- Yahoo!での検索:
- 「サラエボ」:約1,010,000件
- 「サラエヴォ」:約67,500件
- 「サライェヴォ」:約3,550件
- MSNでの検索:
- 「サラエボ」:126,000件
- 「サラエヴォ」:21,200件
- 「サライェヴォ」:832件
- サライェヴォという原音主義:原音主義の無理は、日本語以外の言語をカタカナで表記しようとするところにあります。RとLの区別がカタカナのラ行ではつけられず、いくら原音に近いサライェヴォの表記にしたところで、日本人がカタカナで発音するとSa"l"ajevoとしか聞き取ることは出来ません。正しく発音したいのであれば、発音記号を用いてください。
- レフ・ワレサの例:乖離の例として挙げられているこのページを参照すると、「日本ではレフ・ワレサの表記が馴染み深い。」とリダイレクトされた人への説明がきちんと記されています。しかしサラエボではそれが一切なく、サラエボ事件とサラエボオリンピックの表記を見て初めてこのページがサラエボであることを認識できるようになっています。極めて不親切で、サラエヴォに固執したが故の対応ではないでしょうか。
- 理を尽くした議論:上記をご確認ください。かなり無理のある論理展開であるといえます。
- 学術書・教科書以外の使用例:「ヴァ行とバ行の認知度」で記しましたが、若年層や学術関係者だけが利用する百科事典ではWikipediaはありません。それと同レベルで反論すれば、三省堂書店に並んでいるガイドブック十数冊のうち、サラエヴォと表記されているのが2冊、それ以外はすべてサラエボです。地図帳5冊はすべてサラエボ表記です。サラエボを訪れる大勢のビジネス渡航者、ツアー等で訪れる観光客、サラエボへ訪れる際に必要となる航空券を発券する航空会社もすべてサラエボです。それをサポートする旅行業界からすれば、サラエボが一般化してきているとは到底判断することができないでしょう。ましてやサライェヴォは言うまでもありません。
- 以上をもって、再改名提案へ挙げられた反対意見への反論とします。今一度Wikipedia:記事名の付け方とWikipedia:外来語表記法をお読みいただき、どちらがWikipediaの記事名としてふさわしいのか、再考ください。「サラエボ」こそが各種ガイドライン等に合致し、Wikipediaにふさわしい記事名であると以上により判断し、再改名に賛成いたします。--Higenon 2008年10月21日 (火) 15:50 (UTC)
(賛成)前回の改名は議論の参加者が二人しかおらず、理を尽くして議論された上でなされているとは思えません。多くの人が気が付かないうちに改名が行なわれていたんだと思います。政府・外務省が”サラエボ”を使用しており、マスコミも殆どが”サラエボ”表記です。それに比べたら、教科書如きで使用されているということなど正当性を示す論拠にはならないでしょう。--uaa 2008年10月21日 (火) 18:29 (UTC)
- 反対 「ボ」か「ヴォ」かでこれほど問題になるとは信じがたい事象です。「ヴ」という表記は少なくとも明治時代から使われており、最近の若い人にしか理解できないということはありません。「ヴォ」と「ボ」の話に「R」と「L」の話を持ち出してくるのも意味不明です(前者は日本語で書き分けられる表記についての話題、後者は日本語で書き分けられない表記の話題であり、ぜんぜん話題が別)。ウィキペディア日本語版は日本語版であって日本国版ではありませんから、日本の政府がいつ政府として「ヴ」を制定したとか、日本の外務省がどんな表記を使用しているかなどというのは本質的に問題にはなりません(参考にはなりますが、最優先事項ではありません)。WP:NCが想定するところの「大多数の日本語話者」が勉強したであろう教科書をある程度参考することは意義のあることであり、そういう意味では「教科書如き」などという教科書を馬鹿にした発言はその「教科書如き」で学んだであろう「大多数の日本語話者」に対する暴言というよりほかありません(むろん、なかなか内容が更新されない、最新の研究がぜんぜん反映されない、当然ながらすべての国でそうであるように国家が大なり小なり介入している、などという点においては「教科書如き」といいたくなる気持ちもわからないではありませんが)。
- 何が「如き」なのか基準がさっぱり理解できないのですが、もし教科書を「如き」扱いするならば、どこかの商業目的の旅行会社や出版社の出しているガイドブックというのは、「商業ベースのガイドブック如きの表記」とはならないのでしょうか。どこかのマスコミが半ば手前味噌で決めている表記というのも、「マスコミ如きの表記」とはならないのでしょうか。また、教科書というのはいちおうきちんと国の審査を通っているはずなので、「教科書如き」というのは「日本国の審査如き」という意味になるかと思いますが、ということは私がもし仮に「サラエボなどというのは日本国政府如きが決めただけの表記」などと発言すれば、「日本国如き」という点で意見が一致しますね。おかしいですよね。
- 「百科事典とは学術の書」であることはあまりに自明ですね。「個人的趣味の書」か「政府の下請けの書」かなにかだと思いましたか? 混同なさっているように感じますが、百科事典とは、学術的基準を以って製作された事典のことであって、必ずしも学術的目的で使用する書のことではありません(むしろ、学術目的なら他のもっと厳密な専門書や論文、最低でもいわゆる「専門家向け概説書」なりせめて「一般向け概説書」というものを見ると思いますよ。まじめに論文を書くときに百科事典を当てにする学術関係者っているんですか?)。ガイドブックは、百科事典作成のための出典として相応しいものでしょうか。人文科学分野で一般に使われる語だけが尊重されるべき理由は見当たりませんというご指摘はまったく以ってごもっともです。しかし、そこであげられる出典がガイドブックなどでは、ちょっと話になりませんね。人文科学系の出典でWP:RSにかなう出典はたくさん見つけられるでしょう。それらと同レベルで論ぜられる出典は出せないんですか? むろん、ガイドブック等も考慮に入れるべきというご指摘はおかしいとは思わないのですが、ウィキペディアではWP:RSという基準がありますので、ガイドブックと専門書とではちょっと同列には論ぜられないというのはご理解いただけるのではないかと思います。相手がそれなりの出典を出してきている以上、ガイドブック等では反論材料として弱いと思いますよ。
- 私としては、しいて言えばどの表記にしてもコペンハーゲンとかキエフとかいう公用語でもなんでもない外国語で表記されているのよりはましかなと思います。「サラエボ」でも「サラエヴォ」でも「サライェヴォ」でも、現地の公用語を元にしたカタカナ表記であることに違いはありませんので。「イェ」か「エ」かについては、例えば同じスラヴ系言語であっても、「イェ」なる発音をたいてい「エ」と日本語表記しているロシア語のような例と、たいてい「イェ」と日本語表記しているポーランド語のような例がありますので、原語発音が「イェ」だからといってどうカタカナ表記すべきかは即明らかではありません。ボスニア・ヘルツェゴビナの公用語(いくつかあるようですが)の日本語表記法では、通常「je」は「イェ」と表記されるのでしょうか、「エ」と表記されるのでしょうか。今回の改名提案については、私は「サラエボ」でもだめということはないと思っていますが、「ボ」を「ヴォ」に変えるとどのような重大な問題が生じるのか上の議論を見てもいまだ理解できておりません。今回の改名提案はこの辺りを主眼にしているようですので、理解できていない以上とりあえず再改名には反対という立場をとらざるを得ません。
- なお、もし迷うのであれば駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ大使館・総領事館(ボスニア・ヘルツェゴビナ大使館、〒102-0085 東京都千代田区六番町3-4、03-3556-4151)に問い合わせてどの表記がよいか相談してみたらよいかもしれません。当事者の言うことにもっとも正当性が見出せるでしょう。--PRUSAKYN 2008年10月22日 (水) 06:20 (UTC)
- 百科事典での定義は「幅広い分野の知識やトピックを、項目ごとに整理・記述して、簡潔にまとめたものである。」となっているように、「百科事典とは学術の書」というのは明らかな間違いです。従って、項目名は公式に使われている表記が最優先され、それに次ぐものとしてマスコミ等で一般に普及している表現も尊重されるべきであり、学会で使われてる表現は記事中でその旨記述する性質のものでしょう。私の「教科書如き」と言う発言はPRUSAKYNさんの解釈とは逆で、教科書の執筆者が政府(担当官庁)や世間一般で使われている表現から遊離した学会用語を使っているからです。故に百科事典の項目名としては相応しくないと考えます。
- ”「大多数の日本語話者」が勉強したであろう教科書”と言うのにも疑問があります。教科書の記述がいつから「サラエヴォ」になったかは知りませんが、本当に大多数なのでしょうか?以前は教科書でも「サラエボ」と表記されていました。そして、「サラエヴォ」が今後定着するかどうかも分からないと思います。現に、高校の教科書でも世界史系は「サラエヴォ」ですが、地理系は「サラエボ」ですよね。この記事は地理分野の記事なので、仮に教科書を尊重するとしても「サラエボ」が妥当でしょう。--uaa 2008年10月22日 (水) 08:22 (UTC)
- ですから、百科事典というのは「幅広い分野の知識やトピックを、項目ごとに整理・記述して、簡潔にまとめたものである。」という結果を齎すために学術的な手順を踏んで編纂されるという点で「百科事典とは学術の書」と申しました。決して趣味的観点で編纂されるものではありませんし、まして市販のガイドブックを片手に百科事典を編纂するなどという話は聞いたことがありません。教科書の執筆者が政府(担当官庁)や世間一般で使われている表現から遊離した学会用語を使っているから「教科書如き」と仰ったのだとすれば、ますます理解できません。学会が尊いとは申しませんが、それと比較して政府や世間一般がそんなに正しい、あるいは尊いものなのでしょうか。というよりもむしろ、繰り返しますが、教科書は政府公認(少なくとも管轄官庁公認)のものですので「教科書vs政府(担当官庁)」などという二項対立軸を設定する余地はありません。むろん、検定を受けていない裏教科書かなにかを主として勉強なさったのであれば話は別ですが。いずれにせよ、「如き」などという馬鹿にした言い方は不適切であると思います。
- 私もいつから教科書の記述が「サラエヴォ」になったかは知りませんが、一般論として、「教科書というのは大多数の日本語話者が学ぶべきもの」という意味で申しました。大多数の日本語話者というのは
国定検定済み(不適切な言い方を修正--PRUSAKYN 2008年10月22日 (水) 13:46 (UTC))教科書を勉強しているものだと思ったのですが、私の思い違いだったら発言は撤回します。なお、改訂については、教科書に限らず何か同じシリーズがあったとして、同じものであれば最新版を最重視するのは当たり前でしょう。むろん、以前のものも考慮に入れなければなりませんが。 - この記事は地理分野の記事なのでという前提がどこから来るのかはまったく理解できませんが、そうであるにせよないにせよ、地理系が「サラエボ」ということであればそれは十分参考されるべきものではあると思います。もし分野ごとでまとまった対立事象が見られるのであれば、あとはいわば「匙加減」かもしれません。--PRUSAKYN 2008年10月22日 (水) 08:55 (UTC)
- (コメント)「教科書如き」というのはいろいろな意味で礼を欠いた発言だと思いますが、Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意の観点から考えると、検定に政治的な意図が介入する可能性もある以上、出典として扱うのは最大限注意を要する必要があります(言葉使いはどう見ても不適切ですが)。ガイドブックは、地理か歴史の専門家が監修でもしてなければ信頼できる情報源にあたりません。やはり、学術書かそれと同じ権威をもつ書籍をベースにして議論すべきことだと考えます。高校世界史の教科書だけで議論・判断するのはやめて頂きたいと思います。
- (PRUSAKYNさんへ)日本には国の検定を通った各社の教科書はありますが、国定教科書はありません(もし国定教科書なら、そもそも1種類だけで事足りますし、「検定済み」と「国定」は全く異なる概念です)。今後はご注意頂ければと思います。
- (コメントというか疑問)ふと、気になったのですが、上の改名提案の節では明確な合意が形成されていなかったのに記事が移動されたのはおかしくありませんか?--かげろん 2008年10月22日 (水) 13:02 (UTC)
- 「国定」は何か変だなという気がしていました。すみません、筆が滑りました。重々気をつけます。
- 高校世界史の教科書だけで判断するのは仰るとおりおかしいと思います。ただ、あまりに馬鹿になさるのでひっかかりました。また、同様に高校地理の教科書類でも判断はできませんね。両者とも「参考」にとどまるものと思います(とはいえ、記述内容の是非についての議論ではなくたんなるカタカナ表記の問題ですので、ある程度の一般的基準を知る「指標」としてはむしろ読者の少ない専門書の類より参考になるのかもしれません)。なので、「サライェヴォ」および「サラエヴォ」表記にはすでに複数のより専門的な信頼に足る書籍の出典が示されているのですが、「サラエボ」についてはガイドブックと地図帳くらい(あと政府のページ、でもウィキペディアは日本国版ではないから影響力は限定的)しか示されていないので、現状では「サラエボ」をよしとする根拠がやや薄弱である、というのはすでに述べたとおりです。
- 上の移動は、多分まともな反対意見がなかったので提案どおりに移動されたものと思います(「サライェヴォ」でなく「サラエヴォ」にしたのは、恐らく後者に賛成意見があったためかと)。ただ、直後に戻し提案が出されたところからすると、結果論として十分な合意形成は図れていなかったものと思われます。--PRUSAKYN 2008年10月22日 (水) 13:46 (UTC)
- (賛成)
- サラエボへ改名に賛成。
- サライェヴォへ改名は反対します。
変えるならサラエボですが、あえて何度も改名する必要があるかは疑問です。- 「サラエボ」は国語辞典にも出ている名詞あり、すでに日本語の一部です。ここは「サラエボ」という日本語の綴りをどうこう議論する場ではないと思います。
- 日本語ですから、まず国語辞典を出典とするのが正当な方法だと思います。単純に、「広辞苑にサラエボで出ているからサラエボ」と判断を委ねていいのではないでしょうか。
- 余談ですが、ガイドラインを挙げるならここだと思います。Wikipedia:外来語表記法#地名 (私はガイドラインよりも理を尽くした結論を重んじますが)
- pipimaru 2008年10月22日 (水) 14:33 (UTC)
- pipimaru 2008年10月22日 (水) 16:37 (UTC) 追記・修正
- pipimaru 2008年10月25日 (土) 04:24 (UTC) 追記・修正
- (コメント)「教科書如き」という発言がありましたので、上記の私の反対表明の中で挙げさせて頂いた書籍のジャンル(教科書・解説書など)について、一応加筆をさせて頂きました。PRUSAKYNさんもおっしゃっておられますが、教科書は一般的基準を知る「指標」にはなると思います。しかし、かげろんさんがおっしゃるように教科書だけで判断することはおかしいというのもまた事実です。そのご批判・ご指摘は、教科書を例示した当人として、甘んじて受けなければならないと思います。この点については、私の注意不足があったと思います。
- まず、私が挙げたレフ・ヴァウェンサの乖離の例についてのHigenonさんのコメントについてですが、確かにリダイレクトに加え、「日本ではレフ・ワレサの表記が馴染み深い。」とリダイレクトされた人への説明がきちんと記されています。この点については、確かにサラエヴォのページは不親切です。従って、改名議論がどちらの方向に収束するにせよ、Higenonさんのご指摘に従って、リダイレクトされた人への説明を加えることが必須だと思います。
- uaaさんのおっしゃる「政府・外務省が”サラエボ”を使用しており、マスコミも殆どが”サラエボ”表記政府・外務省が使用しているから」という点については、異を唱えさせて頂きます。wikipediaは、中立的な観点に立って編集するという原則がある以上、政府やマスコミの発信する情報を鵜呑みにして編集するものではないですし、外務省は統一的表記は、外務省自身も「正式ではない」としています。。これらの点については、Wikipedia:外来語表記法の5.4.2項「正式名称の短所」にも取り上げられています。従って、マスコミや政府の表記法を、出典として参考・考慮の対象とするべきではありますが、だからと言って必ずしも“サラエボ”を採用しなければならない、というものではないと思います。また、「教科書の執筆者が政府(担当官庁)や世間一般で使われている表現から遊離した学会用語を使っている」という点についても違和感を覚えます。おっしゃるように、学会が絶対と言うわけではありません。学会は往々にして、世間とはかけ離れた方向へ走ってしまう事もあるかと思います。しかしながら、この問題は“政府や一般で使われている語”と“学会用語”というほどの対立軸の問題ではないと思います。
- Higenonさんのおっしゃるガイドブックの情報は、私も信頼のおける情報源としては賛成しかねます。また、「ボ」と「ヴォ」・「エ」と「イェ」の発音・表記の問題と、「R」と「L」の区別の問題は、全く性質の異なる問題だと思います。
- pipimaruさんのおっしゃる国語辞典(広辞苑)からの採用についても、同意しかねる点があります。まず、「サラエボ」が国語辞典に出ているから日本語の一部、とする論理には無理があるのではないでしょうか。たしかに国語辞典には出ているかもしれませんが、だからと言って「サラエボ」は日本語ではなく、あくまでもボスニア語に基づいた外来語である、と私は考えております。また、広辞苑に判断を委ねるというのも微妙なところだと考えます。広辞苑は、確かに日本でも最もポピュラーな国語辞典の1つであり、その歴史・語彙量などから言えば、“日本の国語辞典の権威”と言えるでしょう。しかし、だからと言って「広辞苑が全て正しい」ということにはなりません。広辞苑における表記は、Wikipedia:外来語表記法の5.1項にあたる「一般的慣用」に該当するかと考えます。そこから考えますと、同5.1.2項にあります「一般的慣用の短所」も十分に考慮しなければなりません。ですから、広辞苑に判断を委ねてしまうというのは、いささか危険ではないでしょうか。
- uaaさんのおっしゃる、「高校の教科書でも世界史系は「サラエヴォ」ですが、地理系は「サラエボ」ですよね」というお言葉のように、世界史系は「サライェヴォ」「サラエヴォ」で、地理系は「サラエボ」となっているかもしれません。その点を採用すれば、確かにこの記事は地理系の記事と言えるでしょうから、「サラエボ」という名称が採用されることになるでしょう。しかしながら、wikipediaにおいてそのようなすみ分けが行われてしまうことは好ましくないかと存じます。それを認めると、現在「サラエボ事件」となっているサラエボ事件はのページは、歴史系のページですから「サライェヴォ事件」へと改名しなければならなくなってきます。このような競合はよくあることだと思いますが、だからと言ってアテネとアテナイのように名称等に大きい差異もないこの2件を異なった名称とするわけにはいかないと私は思います。ですから、私の個人的見解ではありますが、ここで決定・採用された名称は、必然的に他の「サラエヴォ」ないしは「サラエボ」、「サライェヴォ」という語の付くページ名に影響を及ぼすことになるかと思います。従って、歴史系と地理系といった具合にすみ分けの利かないと思われる今回の場合は、もう少し慎重に検討するべきだと考えます。まさしくPRUSAKYNさんのおっしゃる“匙加減”の問題でしょう。
- とにかく、「サライェヴォ」を採るにしても「サラエボ」を採るにしても、リダイレクトに加えて、前述させて頂いたように、Higenonさんのおっしゃる所の的確な説明を加えれば、問題なく機能するようになることは確かだと思います。従いまして私は、これから議論が更に進行していくにあたり、前述のようなしっかりと機能する対策を講じることをまず前提として決定しておくべきだと思います。--Awakko 2008年10月23日 (木) 08:42 (UTC)
(現状維持)なぜ前回の改名提案では専門書の表記例を示したにもかかわらず、いまだに原音主義批判や「教科書ごとき」等の発言が出るのか私には理解できません。この件に関する私の立場は以下の通りです。
- サラエボ、サラエヴォ、サライェヴォはいずれも多くの使用例があり、一般的であり、表記として正しい。「サラエヴォ」の表記方法はいわゆる原音主義とは異なる。
- 「サラエヴォ」の表記法は、「サラエボ」「サライェヴォ」に慣れた人にも容易に同一のものであると推測できる。
- Wikipediaが百科事典を目指すものであれば、学術的な立場に立脚するのが当然である。
サラエヴォ事件の改名にもかかわりますので、歴史に関する書籍についても調べてみました。なお、★を付けたものはユーゴ内戦に特化した書籍です。念のため。
- サラエヴォ
- 多民族国家の試練 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史 ロバート・J・ドーニャ / ジョン・V・A・ファイン、佐原徹哉 訳 1995年第1版第1刷 1996年第1版第2刷
- バルカン世界 火薬庫か平和地帯か ジョルジュ・カステラン、萩原直 訳 2000年初版
- モザイク国家 ユーゴスラビアの悲劇 徳永彰作 1995年
- 東欧現代史 木戸繁 / 伊東孝之 昭和62年初版第1刷
- バルカン史 C&B・ジェラヴィチ、木戸繁 / 野原美代子 訳
- バルカン半島 エドガー・ヘッシュ、佐久間穆 1995年
- 現代東欧史 多様性への回帰 ジョセフ・ロスチャイルド、羽場久■子 / 水谷■ 1999年第1刷
- 近代バルカン都市社会史 多元主義空間における宗教とエスニシティ 2003年初版1刷
- バルカン史と歴史教育 「地域史」とアイデンティティの再構築 柴宣弘 編 2008年初版第1刷
- 世界各国史 18 バルカン史 柴宣弘 編 1998年初版
- ★ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化 佐原徹哉 2008年第1刷 2008年第2刷
- サライェヴォ
- ユーゴスラビア史 ケンブリッジ版 スティーヴン・クリソルド 編、田中一生 / 柴宣弘 / 高田敏明 共訳 第1版第1刷
- 東欧近代史 R・オーキー、越村勲 / 田中一生 / 南塚信吾 編訳 1987年 第1版第1刷
- ★ユーゴ内戦 政治リーダーと民族主義 月村太郎 2006年 初版
- サラエボ
- ★ボスニアで起きたこと 「民族浄化」の現場から 伊藤芳明 1996年 初版
以上より、少なくとも、「サラエヴォという表記が一般的ではない」とのご批判は全く当たらないということを明確にしておきます。そうであるならば、「サラエボ」「サライェヴォ」に慣れた人にも容易に同一のものであると推測できる、「サラエヴォ」という表記は穏健で中庸なものであると主張しておきます。Awakkoさんのご指摘の通り、「ヴォ」と「ボ」には日本語としての差異はないといってもよいでしょう。もちろん、私がこの記事を改稿する際には、異なる表記法については十分配慮するつもりです。私が翻訳した記事「トゥルゴヴィシテ州」「ブラゴエヴグラト州」をご覧ください。--Peccafly 2008年10月23日 (木) 10:30 (UTC)
ちなみに、前回の改名提案でお示しした書籍は以下の4つです。念のため、こちらに再掲いたします。
- 「サラエヴォ」 朝倉世界地理講座10 東ヨーロッパ・ロシア 朝倉書店 2007 初版
- 「サラエヴォ」 世界地誌ゼミナールIII ソ連・東欧 大明堂 昭和55年
- 「サラエヴォ」 東欧革命と欧州統合 彩流社 1993年
- 「サライェヴォ」 文化誌 世界の国 東欧 講談社 1975 第一版
以上。--Peccafly 2008年10月23日 (木) 10:55 (UTC)
- (コメント)やはり、そういう結論がもっとも望ましいということになりましょうか。サラエヴォが「極めて中庸で、理想的な表記」と最初に申し上げた私ではありますが、どうも直近の自分の意見を自分自身で見直してみますと、「サラエボ」批判と「サライェヴォ」擁護に終始していたような気がして、肝心の所を見落としていたような気がして、少し反省といったところです。これを踏まえて再考いたしますと、やはり現状の「サラエヴォ」表記が一番中庸かつ理想的な案だと思いますので、私としてもPeccaflyさんのおっしゃるように現状維持を支持します。
- ここまでの議論を見ますと、賛成意見・反対意見が拮抗しております。根本的には「サラエボ」「サラエヴォ」「サライェヴォ」の3表記とも正しいですから、どの3つを取っても間違いではありませんので、後はPRUSAKYNのおっしゃる言葉を再び拝借しますと、まさしく“匙加減”です。私は日本語の観点から考えて“ボ”と“ヴォ”、“エ”と“イェ”はほぼ同じと考えてよいと考えております。しかしながら、その中でも“ボ”と“ヴォ”は一般にも定着率が高いと思いますが、ご批判を見ておりますと、“イェ”という記述はまだ馴染みが薄いかなと思います。従って、複数の方がおっしゃっている学術的な立場に立脚し、また原音に近く、その上一般にも理解しやすいという3点を兼ね備えているという点を考えれば、「サラエヴォ」という現状の表記がもっとも支持できます。さらにPeccaflyさんのおっしゃる、「サラエボ」「サライェヴォ」に慣れた人にも容易に同一のものであると推測できうる、という点も有力な支持理由となりましょう。
- 従って以上の点から、「サラエヴォ」という現状の表記を維持すること、他のサラエヴォ関連項目にもこの旨を波及させることを支持いたします。改稿についてですが、Peccaflyさんも「この記事を改稿する際には、異なる表記法については十分配慮するつもり」とおっしゃっておられますので、改稿の際には十分な配慮がなされると思いますので、Peccaflyさんにこの件に関する改稿を一任してもよいかと思います。--Awakko 2008年10月23日 (木) 12:31 (UTC)
- (コメント)勝手に結論を出さないでください。前回の提案も強引さを否めないものでしたが、「自分の主張は絶対正しいんだから文句言うな!」と言ってるように感じられます。中庸というのは原音表示でもなく、一般に普及したものでもない中途半端なものです。
- Peccaflyさんは普及の根拠に専門書を延々と挙げられていますが、サラエボを推す人達を説得する根拠としては意味ありません。「サラエヴォ」が学会(しかも歴史学会だけ?)でしか普及してないのが問題なのです。学術的な内容を一般的な表現で記述するのが百科事典ではないでしょうか?その観点から見れば、政府・マスコミ・広辞苑・パンフレット・教科書・専門書は全て普及度を測る尺度としては同等ではないでしょうか。或いは、私の「教科書如き」発言を非難しながら「パンフレット如き」的なことを言っておられる方がいますが、市場での競争にさらされているパンフレットの作成者が最も普及度の多寡に敏感かも知れません。
- 政府やマスコミの中立性を問題にする方が多いですが、教科書や専門書に中立性があるとは思えません。社会科学系の教科書は常にイデオロギー闘争の場だったわけですし、学術書ともなれば様々な立場の人が自分の学説を主張する場ですよね。
- Peccaflyさんは「百科事典は学術の書であり、その分野で一般に使われる語が尊重されるべき」とお考えのようですが、その前提がそもそも間違いです。あらゆる分野を通して一般に使われる語が尊重されるべきです。「マスコミは表記を変えることに保守的」とも仰りましたが、辞典も保守的でいいのです。広辞苑を軽視する方も見受けられますが、日本語版である以上日本語の基準としては広辞苑の表記も重視されるべきです。そのようなわけで、一部学会のトレンドをウィキペディアが採用するのは時期尚早です。--uaa 2008年10月23日 (木) 14:16 (UTC)
- だからこそ、もし仮に学術の分野で「マスクヴァー」という表記が趨勢であったとしても、「モスクワ」から「マスクヴァー」に改名しましょうといわれたら、私はきっと反対するでしょう。しかしながら、「ボ」と「ヴォ」の間にそれほど大きな差があるとは認めません。そうであるならばこそ、地理・歴史分野での定着が認められ、より正確性の高いとおぼしき「サラエヴォ」表記を推しているわけです。私が前回の改名提案で「その分野で一般に使われる語が尊重されるべき」と主張したとき、「一般人にとってどちらでもかまわない、両者の同一性が容易に推測できる場合は」と申しあげました。私が原音主義者ならば、こんな改名提案はいたしません。--Peccafly 2008年10月23日 (木) 14:33 (UTC)
- (現状維持(サラエヴォ)に賛成)
- 殆ど投票のみで失礼します。少なくとも現時点では、現状維持意見に説得力を感じました。--Kliment A.K. 2008年10月24日 (金) 03:20 (UTC)
- Wikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「日本語圏においてその表記が一般的であるか」の文言を、文字通り読んで、理解してください。
- 「一般的であり」「「サラエヴォ」の表記法は、「サラエボ」「サライェヴォ」に慣れた人にも容易に同一のものであると推測できる」は個人的な感想でしかなく、根拠が全く示されていません。
- 百科事典の定義が偏向しています。学術系の人だけが使うのであれば、学会誌にでも投稿しててください。Wikipediaはインターネットで検索したら上位に来る、一般人でも日常的に用いているサイトです。Wikipediaの目指す質量ともに最高の百科事典を実現するには、狭い村社会に閉じ篭もっている学者だけでは作り上げることが出来ないものです。
- サラエヴォの表記は歴史・地理専門書に見受けられることがあることは認識できました。しかしその表記が全く見られない例もそれ以上に多数挙げられています。その点はご理解いただいていますか。
- 一般性の議論の流れでガイドブックを挙げているのですが、「話になりません」という個人的感想で括るのはいかがなものでしょう。ガイドブックは学者によって記された学術書ではありませんが、現地取材に基づいて編纂された書籍で、「広く信頼されている発行元からすでに公開されている」ものです。同じ立場で反論するとすれば、消費者に選択してもらうべく研鑽を重ねているガイドブックに比べ、自慰的に自論を述べるだけの専門家の本は話になりません、とでもすればよろしいですか。歴史家・地理専門家による監修が必要、という発想は何様ですか、理解しかねます。
- 歴史系の議論に敢えて戻すあたりに偏向性を感じざるを得ません。サラエボの地名を日常的に業務に用いている人々にとってサラエヴォという表記は全く見慣れぬ表記です。航空運賃が記載されているOFCタリフは航空券を発券する旅行代理店の店舗に遍く普及しており、上記に挙げられている歴史書のすべてを上回る発行部数があります。ここに表記されている地名がデファクトスタンダードとして成立していますが、そのことは学会で報告しないと認めてもらえませんか。
- オリンピックが開催された地であり、一国の首都の名称であり、それが故に一般的にはサラエボとして広く認識されている地名が、なぜ今更原音に近づける必要性があるのでしょうか。見ず知らずの語や新語に原音主義を適用するには何ら問題ありませんが、サラエボはそれに相当する語ではありません。国語辞典にも掲載されている一般語です。--Higenon 2008年10月24日 (金) 07:20 (UTC)
- (コメント)
- >狭い村社会に閉じ篭もっている学者だけでは作り上げることが出来ないものです。
- >消費者に選択してもらうべく研鑽を重ねているガイドブック
- これにつきましては異議を唱えさせて頂きます。「世間の流布」に過度の信頼を置く事への疑念を表明しておきます。小生の関る領域にも影響が大ですので…
- 確かに学者だからといってそれだけで信用すべきだとは全く思いません。例えば私も関っております正教会の用語については学者の書いたものでも平然とカトリック教会用語を用いているものが多く御座います。これらについては正教会関連文献に当ってチェックしていかなければなりません。
- しかしながらこうした言葉についての無頓着さは、ガイドブックについても同程度か、それ以上に言える事で御座います。正教会用語を尊重する学者は居ても、正教会用語を尊重するガイドブックは現状ではほぼ皆無です。少しでも専門的な知識を深めた人間であれば、出典としての価値は「学術書>ガイドブック」となるのが、残念ながら現実で御座いましょう。
- 先述の通り、学界の主流だからといって即座に絶対視すべきとはしませんが(そんな事を言ったら今の日本正教会用語尊重の流れが断たれます)、小生は世間における流布の度合いを絶対視することも致しません。あくまで「正式な」「正確な」ものが可能な限り追究されるべきことが前提です。無論、「正確な転写など不可能である」のは重々承知の上でありますし「原音原理主義者」では小生はありませんが、「より近い」ものにすることが可能であればそうすべきでありましょう。
- たとえばギリシャ人の人名「ヴァルソロメオス」は、古典ギリシャ語の「バルトロマイオス」か英語の「バーソロミュー」の方が一般に流布していますが、もし「一般の流布の程度」が優先される流れが出来てしまえば、現代ギリシャ人名の転写について非常に大きな混乱を呼ぶ事必至です。これは、ギリシャ以外の地域についても、各国語の発音に通じたウィキペディアンにより「英語的な転写」「ローマ字読み転写」ではない良質な転写で記事名が作成されていた場合、「一般に流布した間違い」が優先される危険性が生じて参ります。当記事がこうした混乱の先例となるのは好ましくありません。--Kliment A.K. 2008年10月24日 (金) 10:27 (UTC)
- (コメント)Peccaflyさんによって、「呼称と表記」の項目が追加されていますね。私も薄々感じていたのですが、このような記述があれば、そもそもここまで激しい論争になることもなかったのではないかと思います。加えて、その中から特に“サラエボ”“サライェヴォ”の2者を採り上げて、「日本では“サラエボ”という表記も多く見受けられるほか、歴史系の書物を中心に、より原音に近い“サライェヴォ”という表記も見られる(増加傾向にある)」という一文を冒頭部分に挿入し、その後ろに「呼称と表記」の項に飛べるような設定をしておけばなお良いのでは?と考えます。
- “中庸”=“中途半端”と考えておられる方もいらっしゃるようですが、決して中途半端などというマイナスなものではないと思います。かげろんさんがおっしゃっているように、「サライェヴォ」も「サラエヴォ」も「サラエボ」も正しいと認められます。問題は、その3つの中からどれを選ぶかなのです。
- 現在(?)の状況は、私AwakkoやPeccaflyさん、Miyaさんの推す(推していた)“学会語”(サライェヴォ)と、uaaさんやHigenonさんの推す“一般語”(サラエボ)、そして現在問題になっている“中庸語”(サラエヴォ)の3つがあって、どれも正しいと認められる。しかしながら、3つのうち両極端(“学会語”と“一般語”)の2つがせめぎ合っている。結論を出したいところだが、両極端のお互いはキャラクターが違いすぎて、歩み寄れそうにない。さて、どうするべきかという状況です。このままでは論争が延々と続くばかりで、合意形成が見えそうにありません。
- そこで重要なのが、第3の選択肢なのです。第3の選択肢(“中庸語”サラエヴォ)は、決して間違いではない。正しいと認められるものです。断じて悪質な表記ではありません。となれば、“学会語”と“一般語”の中間点である“中庸語”で互いに妥協を図り、合意形成を目指すというのも1つの選択肢ではないでしょうか。
- こういうことを申し上げれば、またご批判を受けるのは承知の上です。途中から“サライェヴォ”支持者は現状維持に変更したので“サラエヴォ”と“サラエボ”の対立だろうというご批判もあるでしょう。「自分の主張は絶対正しいんだから文句言うな!と言わんばかりだ。サラエヴォのごり押しじゃないか」というご批判もあるでしょう。しかし、時にはお互いの対立を超越し、妥協を図ることも必要だという私の信条から、敢えて申し上げております。前回のサラエボ⇒⇒サラエヴォへの改名が半ば強引だ、と非難しておられる方もいらっしゃいます。しかし、その方々も、そのことは抜きで考えて下さい。今回の改名議論は、初めはサラエボとサラエヴォをめぐる審議でありました。しかし、サラエボへの再改名に反対する我々がサライェヴォを支持したことで、議論は実質的にサラエボとサライェヴォの2つをめぐる審議になったのです。その時から考えれば、“サライェヴォ”支持派は、より原音に近い表記を捨てて、“サラエヴォ”で落とし所を見つけることが得策という結論に現在至っているということに御留意頂ければと思います。その上で“サラエボ”支持者の方々にも、どうかもう一度ご再考願えればと思います。
- 最後になりましたが、私は広辞苑を軽視しているわけではありません。「広辞苑は、確かに日本でも最もポピュラーな国語辞典の1つであり、その歴史・語彙量などから言えば、“日本の国語辞典の権威”と言える」と申しております。しかしながら、広辞苑にも間違いはあります。第六版が出版された際には、実際に誤記が話題になっています。(「広辞苑」誤記見落とし半世紀 芦屋の解説、実は須磨)こういう点も踏まえた上で、広辞苑に全ての判断を委ねるような姿勢に疑問を呈させて頂いたわけなのです。この点についても御留意下さい。--Awakko 2008年10月24日 (金) 19:43 (UTC)
- (コメント)
- サラエボ、サラエヴォ、サライェヴォと表記が揺れているのは、地名表記に関する国の政策の変更に直接関係していることを指摘しておきます。「サラエボ」が普及したのは昭和後期の世界史教科書のサラエボ事件の記述のためだと思いますが、この時代は教科書にはイェ、ヴォが使えなかったのです。地名の呼び方と書き方<社会科手びき書>(昭和34年3月)【文部省】(pdf)、付表1(pdf)これが変更されるのが平成3年の内閣告示第二号で、それまで教科書で使えなかった文字も「外来語や外国の地名・人名を書き表すのに一般的に用いる仮名」(第1表)、「外来語や外国の地名・人名を原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名」(第2表)として教科書で使えるようになります。高校の教科書では第2表まで用いているものが多いと思います。イェ、ヴォは共に第2表で認められたもので、現在の高校教科書の大多数はサライェヴォを使っているようです。(少なくとも10年ほど前の世界史教科書はそうでした。10冊ほど持っています。1冊サラエヴォ以外はみんなサライェヴォです。)サラエボが一般的になったのが教科書のためだという私の説が正しければ、サライェヴォも、第1表のロサン「ジェ」ルスやエ「ディ」ンバラほどではないにしろ、今後ある程度普及するのではないかと思います。「外来語や外国地名の表記には揺れが多い(特に英語以外)」ということは日本語の常識に近いと思いますし、クリックして別の表記に飛ばされてもあまり驚かないのではないでしょうか。--58.3.100.127 2008年10月25日 (土) 16:43 (UTC)
- いまここで議論しているのはサラエボの「記事名」についてです。広辞苑の表記を否定するコメントも見受けられますが、広辞苑の些細な例でそれを否定するのはいかがでしょう。サラエボは十分に一般に認識されている日本語の単語です。そうではない呼び方が出てきていることは最近出版された教科書の例を見ればわかりますが、何度も繰り返します通り、Wikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「日本語圏においてその表記が一般的であるか」を文字通り読んで、理解してください。--Higenon 2008年10月26日 (日) 07:34 (UTC)
- Higenonさんのおっしゃる「使う人」の立場というのはとても重要なことだと思うのですが、ウィキペディアを読む人は、どちらかというと自分の知らないことを知ったときに満足を覚えるのだとすれば、自分の知っている呼び方で検索して違う記事名の項目に行き着いても、その記事の内容になぜその項目名になっているのかがちゃんと説明されていれば、それで納得してくれるのではないでしょうか。むしろ、そのような人たちのために記事を書くのではありませんか?個人的な例で恐縮ですが、ゴッホからフィンセント・ファン・ゴッホに着いたときは少し吃驚しましたが、オランダ語の音声ファイル付で、ノートには美術館などでフィンセント・ゴッホが使われていることの説明もあり、私は納得しました。耳で聞いた限りではフィンセント・ファン・ホッホに聞こえるのですが、なぜその表記が使われないのかな、と考えてみたり。さて、ご提案の件ですが、平成生まれを中心にして存在すると思われる「サライェヴォ」しか知らない世代が「サラエボ」に着いたとき、できる説明といえば、昔はサラエボと言ったんだよ、ということだけじゃないかというのは少し寂しいような気がします。--58.3.100.127 2008年10月26日 (日) 10:07 (UTC)
- (コメント) 広辞苑の表記は第5版、第6版ともに「サラエヴォ」です。第5版で地名項目が大拡充されておりますが、地域ごとの専門の執筆者が担当したようで、平成3年内閣告示第二号第1表、第2表の使用状況にはばらつきがあります。東欧地名担当執筆者はロシア語の専門家のようですので、ロシア語と同じ原則で(あるいはロシア語Сараевоの転写に準じて)カナ表記されている疑いがあります。第6版では地名担当執筆者が大幅に減っていますので、地名に関しては第5版を引き継いでいるものと思われます。--58.3.100.127 2008年10月27日 (月) 12:09 (UTC)
- (補足訂正) 広辞苑は昭和30年の初版から一貫してサラエヴォでした。今さらですが。--119.47.53.252 2008年11月12日 (水) 15:57 (UTC)
- (補足コメント)「サライェヴォ」しか知らない世代というのは平成生まれといえども、現状しばらく出てこないと考えられます。理由としては、現行の中学生用の各メーカーの教科書・地図帳は各メーカーとも「サラエボ」表記でした。
だったはずですので(はっきり覚えていないのは帝国書院版のみ)、実態は中学地図帳・中学歴史:「サラエボ」→高校世界史「サラエヴォ」or「サライェヴォ」になっているのが現状です(世界史ははっきり明記されていますが、高校地理・地図帳の最新版は不明です。まあ実際は来年度から教科書大改訂による新版に移行します。地図帳は今年の11月ぐらいから発行されるぐらいかな……。また、中学校教科書・地図帳ですが、次の大改訂で一部のメーカーで表記変更の動きがひょっとしたらあるかもしれませんが)。--かげろん 2008年10月27日 (月) 12:52 (UTC)中学歴史の帝国書院版もサラエボ表記だったことを確認したので、発言を一部訂正。--かげろん 2008年10月28日 (火) 11:37 (UTC)
- (補足コメント)「サライェヴォ」しか知らない世代というのは平成生まれといえども、現状しばらく出てこないと考えられます。理由としては、現行の中学生用の各メーカーの教科書・地図帳は各メーカーとも「サラエボ」表記でした。
「文字通り読んで理解」とは何か?
[編集]- Higenonさんは次の通り仰います。
- 何度も繰り返します通り、Wikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「日本語圏においてその表記が一般的であるか」を文字通り読んで、理解してください。
- しかしながら、Higenonさんは最初にこうも仰っておいでですよね。
- 今一度Wikipedia:記事名の付け方とWikipedia:外来語表記法をお読みいただき、どちらがWikipediaの記事名としてふさわしいのか、再考ください。
- なお、いずれも公式方針ではありません。前者はガイドラインではありますが、縛りは公式方針よりは緩いものです。そしてHigenonさんはWikipedia:記事名の付け方のうち「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「日本語圏においてその表記が一般的であるか」ばかりを強調なさいますが、Wikipedia:外来語表記法には以下のクダリもありますよね。
- 現代の地名については、その地域の公用語(または、それに準ずるもの)を元に表記してください。ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。
- 歴史上の地名については、その地名を扱う学界で好まれる表記を使用してください。
- 国名は外務省の表記がウィキペディア日本語版内で最も定着しています。でも、外務省の表記も常に変わりうるものであることは留意してください。人名の話ですが、1984年韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領(当時)が訪れる前に、外務省は韓国人名の表記をそれまでの漢字表記・日本語読みから原音読みに転換しました。
- ガイドライン・草案のうち、御自身の主張に合致するものだけを取り出して「文字通り理解せよ」とは、聊か乱暴ではありませんか。しかもいずれのガイドライン・草案もご自身が持ち出されたものであります。また、あらゆる法・ルールに解釈の余地は発生し得ます。「文字通り理解する」というのは少なく無い場面において不可能である事が多く、「自身の主張こそが文字通りの解釈だ」というのは合意形成を妨げる見解でしかありません。どうか自重下さいますよう。--Kliment A.K. 2008年10月26日 (日) 08:57 (UTC)
補足します。Wikipedia:外来語表記法は「定着しているもの」について「十分考慮せよ」と述べていますが、「公用語を元に表記しなさい」の方が原則として先に述べられて居ます。「イェ」が「エ」に代えられている時点で、既に「十分な考慮」が払われていると小生は判断いたしました。「公用語尊重原則」からは「サライェヴォ」が導き出され、「定着しているものについての十分な考慮」として「イェ」が「エ」に代えられたものとして、「サラエヴォ」を支持致します。--Kliment A.K. 2008年10月26日 (日) 09:01 (UTC)
これは「考慮すべきガイドライン」であって、必ず守らなければならないものではありません。現実に、都市名においてデン・ハーグ、フランクフルト・アム・マイン、ハノーファー、ヴェネツィア、バグダード、チョルノーブィリ、ブルッヘ、アントウェルペン、ドネツィク、イスタンブル、キシナウ、カンダハール、ペシャーワル、ラーワルピンディー、ムンバイ、コルカタ、人名においてウサーマ・ビン=ラーディン、ムアンマル・アル=カッザーフィー、ガマール・アブドゥン=ナーセル、ヤーセル・アラファート、レフ・ヴァウェンサ、ベーナズィール・ブットー、エフード・バラック、フラニョ・トゥジマン、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ、ジョルジェ・デ・アモリン・カンポスなどにおいて、一般的と目される表記よりも正確性や原音からの近さを優先した記事名となっています。それ以外では、この他にもヘーラー、ヘーラクレース、パンドーラー、アプロディーテー、ギリシア神話、ミネルウァ、ウェヌス、クルアーン、アッラーフなど、正確性や原音からの近さを優先した記事は枚挙にきりがありません。これらは概ね、大枠のガイドラインよりも、専門分野ごとの慣例や合意に基づいてこのようになっております。
これらが是認されている中で、「サライェヴォ」が是認されてもまったく不思議ではない状況であり、それがウィキペディアの現状です。私は、それに対してより「一般性」に対して妥協した「サラエヴォ」という表記をあえて提案しております。そのあたりも加味して判断していただければと存じます。--Peccafly 2008年10月26日 (日) 09:30 (UTC)
- 日本語を理解できないのか、学術の狭い世界しか知らずに一般常識や社会性を失われてしまわれた方ばかりのようです。
- Kliment A.K.さんの仰っている「原則として先に述べられて居ます」に対して「ただし」という接続詞がついた上で「日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください」と記されているのです。「サラエボ」の文言が外務省・マスコミ・ガイドブック・広辞苑と上記に述べられている例で一般的に広く用いられていることを、「定着していない」とみなしてサラエヴォの表記を用いる理由としては全く不十分です。
- また歴史上の地名で挙げられたアテナイと、サラエボは異質の議論ではないですか?アテナイという表記は確立されていると門外漢からも認識でき、それが現在の名称アテネとは別ページになっています。学界で好まれる表記という観点でも、歴史系の一部で見受けられるサラエヴォの表記が、サラエボの表記が依然として広く見られる事実を覆して学界すべてを代表するとは言えません。
- 外務省表記は変わりやすいという例を挙げられていますが、それはその時点でWikipediaの表記をどうするか議論すべき問題でしょう。1984年以降にゼン・トカンという読みではなくチョン・ドファンの読み方が一般的になった時点で変更すべきものでしょう。
- Peccafly氏の挙げた例のうち、デン・ハーグ、フランクフルト・アム・マインは正式名称を記しただけ読み方の問題では全くありません。ムンバイ、コルカタは公式名称が変更されたことに基づく変更で、これも今回の議論とは無関係です。何ゆえにこの地名を挙げたのですか?
- ハノーバー、ベネチア、バグダッド、イスタンブールにおいては、一般的に呼称されているこれらの地名が「一般的」「通称」という文言を添えて表記されており、その語を検索してきた人でもなぜ転送されているのかが容易に理解できます。ビンラディンは定着した言葉ですか?一般にはまだ10年も知られていない呼称です。様々な表記が認められてしかるべきでしょう。原音表記に基づいた方向性も充分に理解できます。カダフィ、ナセル、アラファト、ワレサにおいても一般的に呼ばれることの説明が見られます。ブットに関してもその表記はないもののノートに疑問が呈され、後に転送が設定されています。
- それ以外の、専門的で一般ではない言葉についてはその判断は専門分野ごとの慣例や合意に基づいたもので構わないでしょう。しかしサラエボはマスコミ等でよく目にする単語であり、一般性の観点ではそれらとは異なります。サラエボへの名称変更を提案した時点で、この記事にはサラエボという表記が
固有名詞であるサラエボ事件とサラエボオリンピック以外削除され、さらにノートの議論でサラエボが一般に認識されている点を無視する独善的な方向性に対して疑問を持ち、戻すよう提案したものです。 - 些末な反論ばかり挙げられており、記事名の付け方という基本方針という大きな姿が見失われていませんか。外務省、マスコミ、広辞苑といったものを頑なに否定してばかりおられますね。そういう物事の考え方のスタンスがあることも十分に承知していますが、もっと広い観点からみるようにしてください。--Higenon 2008年10月27日 (月) 02:50 (UTC)
- Higenonさん
- >「サラエボ」の文言が外務省・マスコミ・ガイドブック・広辞苑と上記に述べられている例で一般的に広く用いられていることを、「定着していない」とみなしてサラエヴォの表記を用いる理由としては全く不十分です。
- >外務省、マスコミ、広辞苑といったものを頑なに否定してばかりおられますね。
- ここでは誰もそんな事は言っていないと思いますよ?「広い観点」「文字通り解釈」ばかり仰っていないで、相手の主張をよく御確認の上、冷静な議論を望みます。議論相手を呼び捨てにもされておいでですが、Wikipedia:礼儀を忘れないも御参照下さい。Wikipedia:礼儀を忘れないはこれまで話題になったガイドラインや草案と異なり、すべての利用者が従うべきだと考えられている公式方針です。--Kliment A.K. 2008年10月27日 (月) 02:56 (UTC) (コメント微修正--Kliment A.K. 2008年10月27日 (月) 02:59 (UTC))
- Higenonさん
- 「ハノーバー、ベネチア、」を拝読し、しかるべき対処をいたしました([1])。さまざまな表記のあるこの都市名の片仮名表記において、サラエヴォの以外で最も代表的なものを「一般に・・・多く」とし、更に異なる表記に対する配慮も「呼称と表記」の節にて十分になされていると思います。現時点においてこの記事は、ハノーファーやヴェネツィア同様に、片仮名表記のバリエーションには十二分に配慮した内容となっております。私が例示したブットー等よりもはるかに親切で、ハノーファー等と同等かそれ以上の配慮はなされたといってよいでしょう(ブットーは脚注に、ハノーファーは冒頭文の末尾に、ヴェネツィアは2節目にかかれていますが、この記事サラエヴォでは冒頭文の出だしの直後ですので。アテナイがどこから出てきたのかは私には想像も及びませんが、お返事をなさる際には人の意見をしっかり読んだ上でお願いいたします。--Peccafly 2008年10月27日 (月) 03:21 (UTC)
- 相変わらずご自身の意見しか述べようとしていないようです。しかるべき対処というのは振り出しに戻っただけですよ。アテナイは上のやり取りをちゃんと読んでいればリンク先に触れられていることが明確な事項です。お返事をなさる際には人の意見をしっかり読んだ上でお願いいたします。--Higenon 2008年10月28日 (火) 08:38 (UTC)
終了提案
[編集]日本語表記に揺れがあるときに、どの表記を採るかというのは、大きくいって二つの立場があると思います。ひとつは、専門分野やその関連書籍で使われる表記に則るというもので、実際にこの項目を充実させる上で参考となる書籍がどういう表記を採っているかというのは、記事の検証可能性との関連で重要だと考えます。ただし、専門書は「原音主義」に傾きがちで、日常的に使われる言葉との乖離が生じやすいという点を考慮する必要があります。表記揺れが激しい場合に、専門的あるいは原音的に「正しい」項目名にすると、それがなにを指しているのか一般的にはわからない場合がでてきて不都合です(例レフ・ヴァウェンサ)。
一方には、新聞やテレビなど身の回りで一般的に目にする表記を採るべきという立場があります。作曲家のベートーヴェン(ベートーベン)が一例でしょう。とはいえ、「一般的な呼称」は時代や社会によって変遷しうるもので、なにが定着しているかを個人がつねに正しく認識できているとは限りません。また、百科事典にはよく知られた名前だけが出てくるわけではなく、一般的に知られていないものは専門・学術分野で呼ばれる名称を使わざるを得ませんから、同じ分野で呼称の考え方の不統一が生じ、このために記述の不整合や混乱を招く場合があります。
これらはどちらも誤りではないし、それぞれ根拠と有利不利があるので、互いに一方を否定する流れになれば、平行線にならざるを得ません。問題はどこで折り合いを付けるかです。本項目の場合、すでにIPの方からも指摘があるように、広辞苑は「サラエヴォ」を採用しています。第3版は確かめていませんが、第4版以降は「サラエヴォ」です。広辞苑がどのような表記を採っているかは、「サラエボ」が一般的とお考えの方の主要な根拠のひとつですが、ほとんどの方は確認しておられないようです。「一般性」を主張される前に、その根拠となる手元の辞書類が実際にどうなっているかくらいは調べてもらいたい、というのは無理なお願いでしょうか。
これまでは私も「サラエボ」だと思っていました。しかしより原音に忠実?な「サライェヴォ」との比較でいえば「サラエヴォ=サラエボ」ということはわかるし、上記のとおり広辞苑を根拠に主張された方の支持も得られるであろう点で、「サラエヴォ」は最も受け入れやすい表記だと考えます。以上から、私としては「サラエヴォ」を支持します。これで合意・決着ということでいかがですか? なお、私はすべての項目名について広辞苑を基準にせよといっているのではないので誤解のないようにお願いします。
慣れ親しんだ表記が覆される違和感は理解できます。しかし、だからといってそれに執着するのは百科事典プロジェクトにふさわしい態度とはいえないでしょう。対立相手への批判にいくらログを費やしても、記事の改善にはつながらないことを銘記していただきたいと思います。とくに「~ごとき」「日本語を理解できない」といった侮蔑表現や「管理者の資質」など主題に直接関係ないことを持ち出すのは、議論を拡散させ合意を遠ざける効果しかありませんので厳に慎んでください。これ以上こういうことがつづくようなら、ウィキペディアの方針であるWikipedia:ウィキケット無視および議論妨害でブロックの対象になるでしょう。--みっち 2008年10月31日 (金) 09:43 (UTC)
(賛成)ここまでの議論の結果、次のような立場が確認されました。
- 一般的慣習を重視する立場: 利用者:Higenonさん、利用者:Uaaさん
- 専門的慣習を重視する立場: 利用者:Awakkoさん、利用者:Peccafly、利用者:かげろんさん、利用者:ПРУСАКИНさん、利用者:Kliment.A.K.さん
- 中庸表現としてのサラエヴォ表記を支持する立場: 利用者:Awakkoさん、利用者:Peccafly、利用者:Kliment.A.K.さん、利用者:みっちさん
- 広辞苑による表記に従う立場: 利用者:Pipimaruさん、利用者:みっちさん
- 教科書等での表記を鑑み、サラエヴォ表記の一般性を肯定する立場: 利用者:Awakkoさん、利用者:miyaさん、58.3.100.127さん
- その他、前回の改名を追認する立場: 利用者:sergei semenovichさん
- その他: 利用者:Union of the Snakemanさん
このうち、2の「専門的慣習を重視する立場」からは、主に専門書等に基づいて議論すべきとの指摘がされました。私はそれに従って専門書等での使用例を調査し、提示いたしました。その中でサラエヴォ表記は少なからざる使用例があり、十分に定着している表記であることを確認いたしました。2の方々につき、現状のサラエヴォ表記を肯定、ないしは、少なくとも否定はしないという立場にあるものと理解します。
3の「中庸表現としてのサラエヴォ表記を支持する立場」では、サラエボとサラエヴォ、サライェヴォの3大表記の中でのサラエヴォ表記の中立性、あるいはボとヴォの近似性が指摘されました。3の方々につき、サラエヴォ表記を肯定する立場にあるものと理解します。
4の「広辞苑による表記に従う立場」では、広辞苑をひとつの根拠とする提案がありました。利用者:みっちさんおよび利用者:N yotarouさんにより、第4版以降で「サラエヴォ」表記となっていること、58.3.100.127さんおよび利用者:Peccaflyにより、第5版以降で「サラエヴォ」表記となっていることを確認いたしました。4の立場の方々につき、サラエヴォ表記を肯定する立場にあるものと理解します。
5の「教科書等での表記を鑑み、サラエヴォ表記の一般性を肯定する立場」では、高等学校の教科書での使用例が提示され、その多くがサライェヴォ表記を採用していることが指摘されました。58.3.100.127さんによって、高等学校の歴史教科書、10冊が調査され、1冊は「サラエヴォ」、その他は「サライェヴォ」となっていることを確認いたしました。
6の「前回の改名を追認する立場」は、前回の「サラエボ」から「サラエヴォ」への改名提案の論拠に同意し、サラエヴォ表記を肯定する立場にあるものと理解します。
そして、1の「一般的慣習を重視する立場」では、新聞やガイドブック等の表記を根拠とし、一般的慣習に基づく主張がなされました。そのひとつの根拠として、「Wikipedia:外来語表記法#地名」の「ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。」への言及がありました。しかしながら、その直下における例示「フラム」では、一般的慣習に配慮した記述としながらも、より専門的表記を記事名として採用しています。これにより、専門的表記に基づいた記事名が是認されているものと理解します。また、私が例示したハノーファーやヴェネツィアなどもこれに則り、一般的慣習に十分に配慮しつつも、専門的表記を採用しています。これにより、前述のガイドラインで例示されたとおりの、専門的表記に基づいた記事名がウィキペディア上での現実として追認されているものと理解します。今回の改名提案のさなかに行った加筆改稿によって、それまではほぼ皆無であった異なる表記への配慮は十分になされたと考えています。しかるに、この1の立場からのご指摘は決して無価値でなく、また私の終了提案への同意はそれを軽視するものではなく、このご指摘が大変に価値の高いものであったと理解し、感謝の意を表明します。また、記事本文において十分な配慮がなされた表記が採られたことをその成果とし、素直な喜びを表明します。
以上より、この改名議論では十分に議論が尽くされ、「サラエヴォ」表記が採用され得る素地が形成されたものと考え、終了提案に同意させていただきます。また、ノート内容が膨大となっているため、議論終了後には移動方式にてノートを過去ログ化したうえで、改名提案と関係のない「「呼称と表記」内の記載について」節のみを書き戻すことを併せて提案いたします。--Peccafly 2008年10月31日 (金) 10:56 (UTC)
- あまりに込み入った議論が続いていたので最初に素っ気ない意見表明したきり沈黙していて申し訳ありませんでした。私個人としてはできるだけ原音に近い表記を優先させたい考えで、ベートーヴェンがベートホーフェンでもドヴォルザークがドヴォジャークでも一向に構わないのですが、万人が利用する百科事典としては原音と慣用と学術分野での使用状況を総合的に勘案して決定するべきものだと理解しています(モスクワをマスクヴァーに改名しようなどとは考えていませんのでご心配なく)。
で、サラエボに戻すことを主張している方が金科玉条のように口にされるのが「日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください」という文言なのですが、権威ある日本語の辞書として広く認められている広辞苑において第四版以降サラエヴォと表記され(私自身第五版でサラエヴォとなっているのを確認しました)、十年程も前から世界史の教科書でサライェヴォ表記が採用されているとすれば、もはやサラエボだけが日本での慣用的な表記だとは言えないはずです。サラエボもサラエヴォもサライェヴォも程度の差はあれ日本での慣用的な表記として十分に定着しているとみて間違いありません。そうである以上、PeccaflyさんやAwakkoさんご指摘の通り現行のサラエヴォ表記は原音と慣用と学術分野での使用状況からみて最も妥当な表記と考えられると思います。
すでにほとんど論点は出尽くしていて、これ以上議論を重ねても別の結論にたどり着くとは考えにくい状況なので終了して差し支えないと思います。--sergei 2008年10月31日 (金) 13:14 (UTC)
- こちら側から投げかけている疑問点には一切答えずに議論を遮るその一貫した姿勢に感服しました。
- 記事名の付け方のルールは以下の通りでよろしいのですね。
- 記事名は一部の専門業界にて通用する語を用いるべし
- 原音主義に基づいた専門用語が最優先で、そうでなければ「中庸」という便利な表現を用いるべし
- マスコミで通用している呼び方は常に誤っているので無視するべし
- 外務省が用いている呼称は国名のみ採用しそれ以外は無視するべし
- 検索エンジンで出てくる数字は無視するべし
- 書店で売られている本のうち学術書でないものは何となく評価からはずすべし
- 過去10年程度に発行された教科書の表記を絶対遵守するべし
- 1冊の辞書に書かれていればそれ以外の辞書の表記は一切無視するべし
- その用語を日常的に用いている業界で使われている語は学術界ではないので無視するべし
- なるほど、了解いたしました。このノート(英語版のdiscussionとは異なり議論はせずに自説を一方的に述べるだけの場でしたね)でこちらから呈した議論に応えていただけなかったことから、上記のルール(ではなく指針でしたね、従わなくていいのですから)が導き出されました。--Higenon 2008年11月2日 (日) 02:03 (UTC)
終了にあたって確認しておきましょう。まずWikipedia:記事名の付け方から。 「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」
- 「総論」であり最大の原則である。「曖昧さ回避」の必要があるかないか、外国地名であれば外国地名記事であることが直ちに理解できるかを検討する。
次はWikipedia:記事名の付け方#外来語です。 「外国語表記を排除する意図はなく、慣例なども考慮し、最終的には日本語圏においてその表記が一般的であるかを重視して記事名を決めます。」
- 外国語表記(たとえば、アルファベット表記)が一般的であればそれを用いてよい。(地名では該当例は稀)
- 定訳、正式名称がない場合はカタカナで表記
- つまり、カタカナによる外来語表記は通常は正式名称とはみなしません。(国名・企業名など例外はあります。)これは、平成3年の内閣告示第二号「外来語の表記」の立場とも重なります。表1と表2の二段階の外来語用仮名遣いを挙げ、しかも、表1が使える場合でも使わなくてよいとし、専門的な文書では表2以外を使うことも許容しており、同じものについて都合4段階の表記がありうることを認めています。
Wikipedia:外来語表記法も、全体としてはこのようなカタカナ表記の多様性を認める方針になっています。Wikipedia:外来語表記法#原則をご覧ください。 「ウィキペディア全体で同一表記を使う必要はない」(中略)「出来るだけ記事単位で統一するようにしてください。」
- 何らかの原則で表記を統一を図るべきなのは「記事」レベルまでです。ですから、改名審議中であっても記事内の表記の統一を図ることは間違っていません。
- 記事のノートでの改名審議では、執筆者の意向や記事の内容が尊重されます。内容と離れてもっとも正しい表記は何か、と論じても、結論には至りません。記事の内容に即して、なぜこの記事名ではまずいのかを論じるべきです。
細かい点ですが、Wikipedia:外来語表記法#地名の「その地域の公用語(または、それに準ずるもの)を元に表記してください。ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください。 」について。
- そのまま読むと、公用語を元にしない表記が定着している場合の話に見えます。エルサレムのようなケースでしょう。例がミスリーディングな気がします。--58.3.149.69 2008年11月2日 (日) 09:55 (UTC)
(コメント)
- 国語辞典の表記がサラエヴォなら、それで構わないと思います。Wikipediaは日本語の綴りを弄る場ではないと考えます。
- Wikipediaではこれまでも、専門家や語学に堪能と思われる方々による改名が度々発生しています。これによって、一般の人にとって理解しずらくなっている記事が無いとは言えません。Higenonさんの懸念についても理解出来るものがあります。
pipimaru 2008年11月5日 (水) 16:43 (UTC)
- 一般の人にとって理解しづらいことをわかるように説明してもらうつもりでいたほうがWikipediaにとっては有益でしょう。--116.94.242.4 2008年11月7日 (金) 01:34 (UTC)
- (対処)改名議論の終了提案はほぼ是認されたものと認識し、改名せずに改名議論を終了します。--Peccafly 2008年11月7日 (金) 05:21 (UTC)
- 再改名手続きの依頼:Peccaflyさん、上記の議論のやり取りをご覧になってお分かりの通り、再改名提案に対する反対論者へ私から投げかけた反論への根拠ある回答がなされておらず、再改名提案は同意されました。早急にサラエボへの改称手続きを行ってください。
- ノートで議論をするために提案したものです。自分の世界に閉じこもってしまって納得できる反論をしてくださらなかったのが非常に残念です。--Higenon 2008年11月8日 (土) 02:21 (UTC)
- (終了提案に同意)
- Higenonさんによる
- >再改名提案に対する反対論者へ私から投げかけた反論への根拠ある回答がなされておらず
- についてですが、もはや言い掛りによる個人攻撃以外の何物でもないでしょう。
- >再改名提案は同意されました。
- 上記文言は乱暴に過ぎます。
- Peccaflyさん、記事名現状維持・改名議論終了に賛成です。--Kliment A.K. 2008年11月8日 (土) 02:26 (UTC)
管理者さんへ - 合意は形成されていません・移動依頼被提出の告知と、投稿ブロック依頼提出のお知らせ
[編集]- 管理者さんへ - 移動依頼が出されています[2]が、本項の移動の合意は御覧の通り形成されておりません。
- 議論の流れを全く無視なさっているのはご自分なのに、逆さまな個人攻撃を繰り返された挙句に、合意形成を強弁して移動依頼をなさったHigenonさんの行為は、大変残念ですが投稿ブロックに値すると考えましたので、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Higenonを提出させて頂きました。--Kliment A.K. 2008年11月8日 (土) 03:00 (UTC)
管理者不適格
[編集]Peccafly氏は管理者でありながら、議論が進行中である当ページの文言を書き換えました。「サラエボ事件」「サラエボオリンピック」の語はまさに議論の過程で中核に取り上げられている事項であり、それを上書きすることは既成事実化を図る意図が明確であり、管理者としての資質が著しく疑われる行動です。管理者であればこそなおさら、その自覚を持った上で表記を戻すよう強く要望します。--Higenon 2008年10月24日 (金) 16:38 (UTC)
- (お互い冷静にお願いします…)
- まず、いかなる場合でも(たとえ不適格等を指摘する場合であっても)、“さん”か“氏”ぐらいはお付けになった方が良いと思います。いくら糾弾する場合でも、呼び捨てでは不躾でしょう。
- 「既成事実化を図ろうとしている」「不適格」というのは、これだけの材料では私には判断しかねます。現在のページ名が「サラエヴォ」でありますので、オリンピックにしても当該事件にしても「サラエヴォ~」の表記は一見自然なことにも見えます。ですが、「サラエヴォ」という文言については議論が進行中であり、デリケートな問題になっていることを考えますと、私もこの点についてはPeccaflyさんが先走りすぎたようにも感じられます。それゆえ、文言書き換えをしたから既成事実化を図ろうとしている、というHigenonさんのご意見も理解できないわけではありません。しかしながら、管理者に対して「不適格」を突き付けるのは、管理者の任免に直結しかねない問題であり、慎重にお願いしたいところです。問題だと思われるのであれば、Higenonさんご自身が「サラエヴォ事件」「サラエヴォオリンピック」の記述を「サラエボ事件」「サラエボオリンピック」に変更して、要約欄にその旨を“「現在のページ名は「サラエボ事件」「サラエボオリンピック」です。この点は考慮して下さい。」”(すいません。上手く書けません。)とでも記入し、再度Peccaflyさんが変更しないかウォッチして、それでも変更するようであれば…というぐらいの手順を踏んで頂きたいと個人的には感じます。
- Peccaflyさんも、せっかくの大幅加筆・記事増強ではありますが、それが原因で新たな火種が生まれつつあります。このサラエヴォ論争が後味の悪い結果を生むようなことになりませんよう、どうかHigenonさんご指摘の点については再考を願います。加筆部分の記事を読ませて頂きましたが、もう少し整理・再構成が必要かなと感じましたが、素晴らしい加筆だと思います。繰り返しになってしまいますが、素晴らしい加筆が原因で新たな火種が生まれてしまうようなことは絶対避けたいものです。後味の悪い結果を生みませんよう、まだ新参に近いユーザーの戯言かもしれませんが、どうかご検討をお願いいたします。--Awakko 2008年10月24日 (金) 18:31 (UTC)
- 表記の変更は一連の改名議論が終息してからでよいでしょう。議論が終息した場合、それが私の望まない結果であったとしても、私が責任をもって修正いたします。ウィキペディアは百科事典づくりの場であって、記事の加筆はそのもっとも重要な作業であるはずなのに、私が誠意を持ってこの記事の加筆をしたことについて、議論のみで参加されている方によって、そのようなうがった見方でいわれなき敵意を向けられ、更にかげろん様までもがそのような見方に賛同されたたことに対しては、私は深い戸惑いと遺憾の意を表明せざるを得ません。こうした事態は非常に残念であり、また悔しい思いであります。なお、議論中途での記事の加筆が、管理者の資質に関わるものであるとは全く思いません。--Peccafly 2008年10月25日 (土) 14:10 (UTC)
(お願い)ここは記事のノートですので、記事の内容についてのコメントをお願いします。「管理者不適格」など利用者個人に対するご意見はコメント依頼(Wikipedia:コメント依頼/Peccafly)でお願いします。--miya 2008年10月25日 (土) 23:52 (UTC)一度消去されてしまっていたコメントをsergeiが2008年10月26日 (日) 08:27 (UTC)に再掲。
"ボ"か"ヴォ"なんて表記の違いはどっちでもいいと思っている第三者から見ると、この項目の質の向上にさして関与するともおもえない表記の議論がつづいているからといって、この項目の質を向上させようという編集が制限されるというのはおかしな話です。目の前の皮相的話題のせいで本質が見えなくなってるんでしょうか。Awakkoさんもふくめて、もうすこし冷静に考えてから発言すべきと思います。--Union of the Snakeman 2008年10月26日 (日) 04:13 (UTC)
ここで提起したのは「サラエボ事件」と「サラエボオリンピック」の表記です。別にほかの項目が書き加えられたことを述べているのではありません。「日本語表記においては「サラエボ」や「サライェヴォ」などの表記も見られる。」という文言も、主観に基づいた記載であり、この現在進められている記事の名称についての議論を著しくミス・リードしようとする企みといえましょう。ご自身の論を展開したいがあまりの行動は慎むように何度もお願いしているのが理解できないのですか。これが故に資質を問うているのです。加筆云々と話題をそらさないで下さい。--Higenon 2008年10月26日 (日) 07:34 (UTC)
- >日本語表記においては「サラエボ」や「サライェヴォ」などの表記も見られる。」という文言も、主観に基づいた記載
- 「主観」ではなく事実でしょう。この段落でのお話は穏やかではありませんね。少し冷静にお願いします。出典は既にノートでは示されています。どうしても必要であれば、出典が脚注形式で示されれば問題無いでしょう。--Kliment A.K. 2008年10月26日 (日) 09:05 (UTC)
- (コメント)「日本語表記においては「サラエボ」や「サライェヴォ」などの表記も見られる。」という文言は「日本語表記としては、「サラエボ」や「サライェヴォ」でも誤りではない。」ぐらいの方が穏当ではないでしょうかね。あと、「主観」というHigenonさんの判断には私は賛同できません。また、管理者として適格か不適格かを判断する場合は管理者権限を要する案件での行動実績・事例によって判断されるべきであり、このような点をもって議論することではないと考えます。Higenonさんにおいては、その点をよく考え直して欲しいです。--かげろん 2008年10月26日 (日) 09:23 (UTC)
「日本語表記においては「サラエボ」や「サライェヴォ」などの表記も見られる。」は全くの真実でしょう。サラエボ、サラエヴォ、サライェヴォ、いずれの表記も見られるということを説明しているに過ぎません。異なる表記に対する配慮としては十分でしょう(他に建設的な案があればご提示いただければとおもいますが)。また、私は加筆に悪意がなく、議論が終結したらどのような結果であれ責任をもって修正すると申し上げています。「Wikipedia:善意にとる」というガイドラインもありますが、このように私の執筆行為に対して悪意をもって解釈するHigenonさんの議論態度は、個人攻撃以外の何物でもないでしょう。なお、この加筆と管理者の資質についてはまったく無関係です。記事を加筆するのに管理者権限は必要ありませんので。--Peccafly 2008年10月26日 (日) 09:30 (UTC)
- 一般性というこれまでの議論に応じて記すのであれば、「サラエボ」という記事において「日本語表記においては「サラエヴォ」や「サライェヴォ」などの表記も見られる。」とするのが日本語として当たり前の表現です。Peccafly氏の表記ではサラエヴォが一般的でサラエボが一般的でないと理解されるのが日本語としては通常です。そうではないことを、これまでのノートで議論してきております。
- また個人攻撃という表現を用いられていますが全くの心外です。加筆に悪意がないというのであれば、議論の最中に中核をなしている用語を変更することは普通では考えられません。話をしている目の前で一方的にその前提を覆すことの方が、どれだけ失礼な行動であるか認識されるといいでしょう。またこうして議論が進行している最中にも「日本語においては、「サラエヴォ」という表記の他にも、「サラェヴォ」、「サライェヴォ」、「サライエヴォ」、「サラエボ」、「サラェボ」、「サライェボ」、「サライエボ」といった表記も見られる。」という表記に変更を進めているようですが、この表記を議論の主題としているのであればこそ、自重して下さい。項目を追加していることに対して批判はしているのではありません。
- この議論の対象である語の改変に対してこちらが変更を施さなかったのは、編集合戦を避ける意味を強く含んでおります。サラエボとサラエヴォという語の一方を支持するPeccafly氏の、議論の最中の語を変更するという行動はWikipedia:中立的な観点を失しています。そして編集合戦に陥った時点で、管理者権限を持つPeccafly氏により投稿ブロックを容易くかけられてしまうことを、議論を一方的に遮る傾向のあるPeccafly氏の過去の行動から危惧・懸念した上での行動です。こうした背景をご理解いただければ幸いです。--Higenon 2008年10月27日 (月) 03:21 (UTC)
- Higenonさん、落ち着いてください。
- >Peccafly氏の表記ではサラエヴォが一般的でサラエボが一般的でないと理解されるのが日本語としては通常です。
- そんなことは無いと思います。考え過ぎです。
- >話をしている目の前で一方的にその前提を覆すことの方が、どれだけ失礼な行動であるか認識されるといいでしょう。'サラエボとサラエヴォという語の一方を支持するPeccafly氏の、議論の最中の語を変更するという行動はWikipedia:中立的な観点を失しています。
- 読者に便宜を図る両論併記の、問題ない範囲の編集でしか無いと思います。冷静にお願いします。
- >Peccafly氏の過去の行動から危惧・懸念
- どれが具体的に問題ある行動なのか示されなければ、個人攻撃が繰り返されているとしか判断できません。--Kliment A.K. 2008年10月27日 (月) 04:05 (UTC)
- 中立性: Kliment.A.K.さんもご指摘のとおり、「Wikipedia:中立的な観点」は、異論がある場合は両論併記を求めているものです。この観点から見たとき、改名前([3])、改名後改稿前([4])、現状([5])を見比べれば一目瞭然、現状が最も多様な表記に配慮しての併記がなされています。つまり、この編集こそ「中立的な観点」に基づく編集です。
- 議論中であることに関連して: 改名議論が終わったらそれに従うと申し上げている通りです。これを申し上げるのは今回で3度目ですが、それでもなおさらなる責任追及が必要でしょうか。
- 個人攻撃: わたしはご指摘のような「議論を一方的に遮る傾向」など持ち合わせておりません。このようなレッテル貼りこそ個人攻撃そのものですね。この節のタイトル「管理者不適格」はそもそも個人に対する糾弾以外の要素があるようには見えませんが。
- 敬称: ようやく私に対する呼び捨てを中止されたようですね。
- --Peccafly 2008年10月27日 (月) 16:45 (UTC)
- Kliment.A.K.さん、「思います」という発言は個人的な感想ですとPeccafly氏が仰っていることです。
- 両論併記を求めているというのをどこをどう意訳解釈するとそうなるのか全く理解に苦しみます。併記した云々の話を述べているのではなく、サラエボ事件とサラエボオリンピックだということを何回言わせれば済むのでしょうか。
- 過去の外来語の表記法のノートを見ていると、Peccafly氏のように自論を述べるだけで他の意見を一向に聞き入れない人がいるが故に、議論が進まずにいて、こうして学術系の一部で主張されている命名法が罷り通るようになってしまっています。--Higenon 2008年10月28日 (火) 08:50 (UTC)
ご指摘の3点それぞれに回答いたしましょう。
- Kliment.A.K.さんが「思います」とご指摘されたことは、単にKliment.A.K.さんが思うのみに留まらず、事実でしょう。
- 議論が済んだら直すと申し上げるのも、もうこれで4回目ですね。
- また個人攻撃ですね。
以上。--Peccafly 2008年10月28日 (火) 11:32 (UTC)
しばらく時間が取れず、こちらに来ておりませんでした。
- Union of the Snakemanさんのご指摘、ごもっともでございます。私自身もかなりの部分で、感情的に筆を進めてしまった面があると思います。この点については真摯に反省しなければならないと考えております。申し訳ございませんでした。この点に関して、まずお詫びを申し上げます。
- そもそも熟考してみますと、Union of the Snakemanさんも仰っておられるように、百科事典であるウィキペディアにとって重要なのはページ名ではなく、内容です。さらにサラエヴォ以外の表記に関しては、「呼称と表記」の項で採り上げられており、他の記述に関しても十分な配慮は成されていると思います。さらに「呼称と表記」の項に加え、冒頭部分の記述においては、他の表記の中でも日本で特に多く見られると思われる「サラエボ」、「サライェヴォ」に関して特筆がなされています。ここまでの配慮が成されていれば、十分だと私は思います。Higenonさんのおっしゃる「Peccafly氏の表記ではサラエヴォが一般的でサラエボが一般的でないと理解されるのが日本語としては通常です。」というのはKliment.A.K.さんもおっしゃるように、考え過ぎだと私も思います。
- Peccaflyさんは、「もしもサラエボ採用が決まった場合でも、責任を持って修正する」と明言されております。ノート上で発言された以上、またPeccaflyさん自身も管理者・ウィキペディアンとしての自覚と責任をお持ちでしょうから、このいわば“公約”を履行しないということはないでしょう。Higenonさんのおっしゃる「管理人不適格」という問題は、Peccaflyさんが実際に修正を行わなかった時点で論ずるならば説得力を有しますが、現在の状況ではKliment.A.K.さんのおっしゃるように問題ないと思われますし、さらに言うなれば、この場で論ずるべき問題ではありません。
- Higenonさんのご発言を見ておりますと、Peccaflyさんに対する個人攻撃と解釈されかねない発言が目立ちます。「自論を述べるだけで他の意見を一向に聞き入れない人」、「議論を一方的に遮る傾向のあるPeccafly氏の過去の行動から危惧・懸念した上での行動」というのは根拠に乏しく、「危惧・懸念した上での行動」であったとしても、明らかに勇み足が過ぎているように思われます。この点だけでも個人攻撃と採られかねません。さらに、「編集合戦に陥った時点で、管理者権限を持つPeccafly氏により投稿ブロックを容易くかけられてしまう…」との発言しておられます。私はHigenonさんが前掲されていらっしゃる「Peccafly氏の過去の行動」を過去1か月分を丹念にチェックしましたが、悪戯投稿や荒らし、宣伝投稿に対するブロックが主で、誤認によるブロックに関しても的確に対応しておられます。この過去1か月のブロック記録から判断するに、現状ではHigenonさんの「投稿ブロックを容易くかけられてしまう…」という発言を立証することは困難で、「Peccaflyさんは、管理者権限を濫用・悪用する人間だ」という悪質な個人中傷・攻撃と採られかねません。この点に関しては、十分注意してご発言をお願いいたします。--Awakko 2008年10月28日 (火) 14:40 (UTC)
- Peccafly氏が言うのであれば、すべての事柄が根拠を提示しなくとも事実であります。
- サラエボ事件とサラエボオリンピックの語の、議論の最中での改変という行為はやめないのですね。この語を取り上げているからこそ現状維持するべきだということを理解できず、当方からの発言を執拗に無視する行動こそ、個人攻撃です。
- と思い込んでいいですか?
- 議論の相手からの反論に応えないのでは、改名に際しての議論が成立しません。--Higenon 2008年11月2日 (日) 02:03 (UTC)
Higenon氏がPeccafly氏の編集に対して不信感を持ったこと自体は理解できるものです。もしも改名議論の最中に表記を変更するだけの編集をしたならば、それは単に議論を混乱させる行為であり、やってはいけない編集だとおもいます。しかしPeccafly氏の編集は単に表記を変更しただけではなく、大幅な加筆をするなかで表記を統一したもので、既成事実化の為の編集というのは当たりません。またPeccafly氏も議論の結果に従うとおっしゃられています。後知恵になりますがPeccafly氏が事前にノートなどで宣言した上で編集されればHigenon氏がこのような不信感を持つこともなかったのかなと思います。しかし、それはするべきことを怠ったとか、してはならないことをしたというような話ではありません。今回の件でPeccafly氏の執筆や議論に対する姿勢、まして管理者としての適格性などに問題はないと考えます。--Union of the Snakeman 2008年11月2日 (日) 04:27 (UTC)
「呼称と表記」内の記載について
[編集]「サライ・オヴァス」に由来するという記述は英語版など他言語版にも見えますが、この記述についてはもう少し出典を調べてみたほうがいいように思います。ざっと他言語版でセルビアやボスニアの-evo, -ovoの地名を調べてみたのですが、en:Kraljevo(王 Kralj の町)とかen:Zmajevo(詩人en:Jovan Jovanović Zmajに因む)というような、必ずしもオヴァスにこだわらなくても解釈できそうな例が多いです。コソボ(Kosovo)のように、「原」Polje が省略されたと考えたほうが意味が通りやすいものもあるので、実際にオヴァスとも呼ばれていたのかもしれませんが。--58.3.100.127 2008年10月25日 (土) 17:27 (UTC)
- 貴重なご意見ありがとうございます。たしかに、saray + evoだけでも成立しうる名前ですね。英語版のEtymology of Sarajevoという記事にも出典がないようですし、もしかしたら難しい問題なのかもしれませんが、調べてみようとおもいます。--Peccafly 2008年10月26日 (日) 00:27 (UTC)
- 簡単には見つからないようです。「Saray」が語源であることはほぼ間違いないかと思いますが、トルコ語の平地(Ova)と、スラヴ語の土地の接尾語(ovo)が同じ形なのでなんとも言いがたいですね。せめてこの町がかつて「Saray Ovası」と呼ばれていたか否かだけでもはっきりすると良いのですが・・・・。更に調べてみたいと思います。--Peccafly 2008年10月28日 (火) 11:57 (UTC)
- 本保正紀「外国地名由来辞典」によると、Sarajevoは「スラヴ語の接尾辞ev」をつけた「Saraiev」に由来するそうです(ただしこの本は、各項目ごとのソースは挙げられていません)。
- 記事で文献として挙げられている[6]を読みましたが、「saray ovasıと言われた」とはありますが、この「ovası」が「-evo」の語源かははっきり言及されていないように思えます。--GCH 2008年11月7日 (金) 19:28 (UTC)
- コメントありがとうございます。ご指摘の通り、この場所が「saray ovasıと言われた」ソースは確かにあるようなのですが、それが語源か否かについては残念ながら確信が持てるにいたりませんでした。想像ですが、「saray」を元にトルコ語では「Saray-bosna」、スラヴ語では「Sarajevo」と呼ばれ、そこからサラエヴォ台地を称して「Saray ovası」と呼ぶようになった、という風な流れかもしれないと思います。無難な方法として、語源に関する記述としては「saray」のみに留めるほうが良いかもしれませんね。--Peccafly 2008年11月11日 (火) 16:36 (UTC)