利用者:Setu/Osho

Oshoの記事に追加したい内容が多いが、個人的なリアルタイムの実体験が多いので事実であるが、出典などすぐに思い出せないし、起きてるのを体験してたりする。

なので、ここにいったん書いてから、出典などを探してから本記事に持っていこうかな?とか思ってここを用意しました。ウィキペディアと同じライセンスで公開しますので、ここから拾っていって使っていっても構わないです。その場合はリンクを置いていってくれると嬉しいです。

Oshoとわたし[編集]

Oshoとたわしではありません。

1976年7月だと思いますが、僕は友人と二人で自費出版で詩集を作りました。自費出版を置いてくれる小さなコーナーを街で一番大きな書店が作ったのがきっかけです。

そのコーナーは詩の本のコーナーの片隅にありました。私はちょくちょく「売れているかな?」と確認に行きます。ある日、近くに『存在の詩』という、哲学や宇宙論や宗教に興味があった僕の目を引きつけずにはおかないであろう本が置いてありました。

本を手にとって、本文の最初のページを読みながら想いがやってきたのです。『見つけた』。今思うと、最初の1ページで何がわかるかって感じですが、深い確信として、これから探そうと思っていた生きた覚者、自分の師、マスターを見つけたことが分かったのです。分かるわけないのに分かったのです。あんまり深い確信で当たり前にそこにあったので、疑いすらもなく、何で分かるのか?という疑問もなかったのです。

ただ、半年前に個人的に知った、言葉では表現が出来ない真実を彼は知っているし、彼はその先を知っていることが分かったのです。

ムクタがおショーに会ったとき[編集]

ラオツー・ゲート(老子門)の門番をしてたことがあります。夕方6時から9時まで門番をするんですが、ムクタがラオツーゲートの隣の椅子に座ってくつろいでおしゃべりをしてから、ホワイト・ローブに行く。

6時半くらいになると、オショーの椅子を運ぶ二人の男性がやってきて、椅子を運ぶ時間になるまで10分か15分おしゃべりをして行くんですが、椅子の人が来るまでは二人でおしゃべりしてた。

ある時、「どうやってオショーを知ったの?」って聞くので、上の話をして、何もわからないはずなのに最初のページを半分くらい読んで、『見つけた。I found』って思ったんですって言ったら、ムクタが、『そうだろう。私も、I found って思ったんだよ」って言った。

彼女はニューヨークに住んでて、ヨガを習ってた。ある日、先生がインドに行くって言ったんだけど、なんでか、『私も一緒に行く』って言ったんだそうな。

ボンベイに着いて、ヨガの先生が、ラジニーシに会いに行くっていうので私もついていった。それで、自分の順番がやってきて、彼の部屋にひとりで入っていった。彼は椅子に座っていて、私は彼を初めてみた途端、なぜか、I found him 彼を見つけた って思ったんだよ。

Welcome to your Home.

(つづく

Osho関連の情報[編集]

資料[編集]

OSHO JapanのOshoの年譜[編集]

東京国際ブックフェア ’97で配布した冊子の中の内容だそう。オーム事件の時もメディアに配ったという話。

Osho WorldのOshoの年譜[編集]

Osho Worldに、かなり詳細に渡るOshoの年譜を見つけた。講話やプレスリリースっぽいのをベースに、細かく見れそう。まだ、ちょっと見て、驚いたとこです。1987年5月ころに病気で出てこれなかった…とかまで書いてある。こういうの欲しかった。

OSHOダイナミック瞑想のフーの起源[編集]

今の形になる前のダイナミック瞑想の録音を聞いたことがあるんですが、 「フー」 ではなくて、Oshoがマイクで言ってるんですが、 「Who am I. フー アム アイ」 ってみんなに言わせてるんです。たぶんジャンプをしながらだと思うんですが、 フー アム アイ です。

それで、それが起源で、フー の音が働くことを見つけたんじゃないかな?

あと、これも聞いた話ですが、プーナ1でグループ・セラピーが始まった時、最初にあったのは、 Enlightenment Intensive という7日間のグループ。今の、Who Is In グループだそうで、しばらくはアシュラムに来ると必須のグループだったそうです。 1日中、Who Is In? の公案をやってるやつね。

たぶん、Oshoから聞いたんだと思いますが、最初は、Who am I ? で始めたそうですが、Who Is In ? の方が深く届くので変えられたそうです。

そういうわけで、ダイナミック瞑想のフーの起源でした。

オショウとロールスロイス[編集]

ラジニーシプーラム時代に100台近い、確か94か96台のロールスロイスがあった。

弟子がプレゼントしたって言ってたんだけど、シーラが出ていった後、何台分か知らないけど、ロールスロイスのローンの支払いの残りが出てきて、「なんだこれは?」ってなったそうです。聞いた話。オショウが言ってたんじゃなくてサニヤシンから聞いた。

なので、全部が全部、弟子からのプレゼントではないみたい。オショウも知らなかったんじゃない?

ディヤン・ヨギが富豪で、オショウにロールスロイスをプレゼントして、自分もロールスロイスをラジニーシプーラムで乗ってた話は聞いた。彼はレジデントじゃなくて、ラジニーシプーラムのホテルに住んでたらしい。なので、プレゼントされたロールスロイスがあるのも事実。最終的に94台だったような記憶。オショウは、講話で、全部プレゼントだって言ってたよね。

プーナ2のアシュラムにあったのは、ロールスロイスのリムジンが1台だけだと思う。車庫は2つあって、ラオツーの門の近くの車庫にあったのはベンツで、時々、中に住んでる人が出かけるのに、外に出ていった。

今も、ラオツーの玄関に、ロールスロイスのリムジンが置いてあるけど、ロールスロイス社が、「動かさないとエンジンが死にますから」って、エンジンだけ引き取っていった(買い取っていった)そうで、中は空だそうです。エンジンルームの中は見て確認したことはないです。

元のリムジンの持ち主は中東の大富豪だそうで、彼の注文で、先端にある女神のエンブレム?は、普通より太ってる女性のデザインになってるとか。www。変なことを知ってるwww

オレゴン時代[編集]

1982年から1985年まで4回あった夏のセレブレーションに僕は行きました。

次のコミューンを否定[編集]

プーナ2の講話で話したと記憶してるが、スシーラが次の新しいコミューンを作ることを提案したが、オショーははっきりと否定したとオショー自身が語った。

フリーセックス[編集]

フリーセックスとか有名になってるけど、勘違いが多い。来たらセックスが出来ると思ってる人がいて、実際に来る。僕の友人が新しい訪問者に、「どこに行ったらセックスが出来るんですか?」と聞かれたそうだ。

それはないです。

単に、恋愛に対してオープンな人が多いと言うだけで、そこには何らかの恋愛感情がないと起きないことです。

自由な存在になるには、信じ込みがあると邪魔になります。性的な思い込みや信じ込みや緊張は瞑想の邪魔になるし、自由な人間存在であるために邪魔になるというような、そういう感じです。何の強制もない。性的な緊張を感じていて、そのことが自分の障害になっていると感じて、その障害を何とかしたいと感じたら、それをサポートする手段が提供されるかも知れないと言うだけの話。(そんなんあるのかな?知らんけど)。

鳥居とピラミッド[編集]

Oshoから鳥居の資料が欲しいってリクエストがあって、モンジュが日本から送ったって言ってたよ。

実は、アシュラムのいろんなピラミッドの中を見て回ると、ピラミッドの屋根を支えるハリと柱の組み合わせが鳥居みたいなのがいくつかあるんだよね。鳥居の働きをしてるんだろうと思った。

その話をあるときモンジュに話したら、本を送ったって教えてくれた。モンジュは理由は知らなかったそうです。

ピラミッドの建物は、いろいろとOshoが設計に参加したって話は聞いてた。

その他[編集]

ヴィマルキルティとトゥリヤ[編集]

ヴィマルキルティは、プーナ1の早い時期の西洋人サニヤシンでハノーバー公国の王子様です。

話で知っているのは、彼がトイレ掃除をしているビデオがあって、彼はめっちゃ楽しそうに遊んでるみたいに興奮して掃除してた。アシュラムにいて、すごい自由に慣れたんだろうなあ(個人的な感想)。本人がなにか言ってたけど記憶にないです。たぶん、探したら見つかるビデオじゃないかな?

ちなみに、トイレ掃除ですが、アシュラムのトイレ掃除は気持ちいいんです。グループに参加して、たまに、ワークの時間とかあって1時間くらい何かの作業をすることがあって、グループルームの近くのトイレを掃除したりすることがあって経験あります。掃除してる間、楽しいし、掃除が終わったと下手なグループセラピーを受けたよりもスッキリしてるんです。トイレを掃除してる間に、体中の汚いものが掃除された感じ。

彼は、しばらくプーナに滞在した後、病気で亡くなっています。英国のエリザベス女王の甥にあたるとかで、プーナのお葬式にはエリザベス女王や各国王室などからメッセージが届いたという話。

ヴィマルキルティの奥さんはサニヤス名が、トゥリヤ Turiya?と言って、やっぱり王室の奥さんなのでプリンセスだよね。

いろんなグループセラピーの古くからのファシリテーターで日本にも85年くらいにタントラのグループをしに来た。イアの主催する泊まり込みのグループで、僕はヘルパーで台所で働いてた。

90年中ころから、Path of Love のグループを作ってヒットしてる。今でもプーナを含めていろんな所でやってるね。95年ころは日本人は基本的に禁止のグループだったが。欧米と東洋では条件付が違うので、欧米人向けの強烈なグループは日本人が出来ないことが多かったです。セラピーにならずに逆効果だから。

スクールの同僚がPath of Loveにたくさん行ってる時に僕はWho Is Inに入ってて、出てきたら、Path of Loveから出てきた人たちが僕と同じノリになってました(笑)。

話が脱線した。トゥリヤとヴィマルキルティの間には息子がいるんですが、90年代に聞いた話では、息子の親権がトゥリヤは取り上げられたそうです。

ゴシップでした。