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鉄道省文書

参考文献

[編集]
  • 1913年(大正2年)10月20日 - 阿南電気軌道株式会社設立(本社徳島市)[1][2]同年に阿南鉄道に社名変更[3]


  1. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 日本国有鉄道百年史』第9巻、657-659頁

貨車

  • 甲1・2 有蓋貨車緩急車
  • 乙11-14 有蓋貨車荷重6トン
  • 乙21-25 有蓋貨車荷重7トン 1917年2月竣功届
  • 丙31-39 無蓋貨車荷重6トン
  • 丙40-45 無蓋貨車荷重7トン
  • 丁62・64・66・68・70無蓋貨車荷重5トン
  • 戊51-54材木車 1915年丙46-49 無蓋貨車より改造

計35両 「連帯運輸直通貨車一覧大正9年11月」『RAILFAN』No.464

1927年3月の貨車は以下の通り

  • ワ11-14、21-30有蓋車
  • ワフ1・2有蓋緩急車荷重5トン
  • ワフ3・4有蓋緩急車荷重7トン
  • ワフ5・6有蓋緩急車荷重10トン
  • ト31-45、62・64・66・68・70無蓋貨車
  • トチ51-54無蓋貨車材木車兼用

「連帯運輸直通貨車一覧昭和2年3月15日」『RAILFAN』No.415

明治26

[編集]
和暦 タンク テンダ アプト 合計 増加 鉄道作業局 形式 番号 両数 改正後の形式
1893 26 90 48 4 142 557.49 5 A9
E3
AE
X
835
138-141
1
4
860形
8150形
1894 27 99 64 4 167 580.69 25 24 D6
E4
A8
AF
AG
L
142-147
148-159
160-165
6
12
6
5500形
7700形
500形
1895 28 97 68 6 171 593.22 4 6 C2
D7
AJ 546.565
170-173
2
4
3920形
5680形
1896 29 99 78 6 183 631.62 12 10 D6
E5
AF
AK
174-179
181-184
6
4
5630形
7900形
1897 30 99 153 6 258 661.65 75 75 E6
D8
D9
D5
E7
187-204
206-223
224-241
205
272-291
18
18
18
1
20
7950形
6150形
6200形
5400形
8100形
1898 31 117 183 10 310 718.06 52 52 B6
C3
D10
D11
AC 292-309
506-509
242-251
252-271
18
4
10
20
2120形
3950形
5700形
5160形
1899 32 141 183 10 334 749.30 24 24 B6 328-333
310-327
6
18
2120形
1900 33 141 224 10 375 823.41 41 41 D9
D9
F1
600-619、638-649
620-626
550.551
32
7
2
6200形
6270形
9150形
1901 34 139 242 10 391 905.35 16 18 D9 627-637、650-656 18 6270形
1902 35 167 254 12 433 1062.43 42 42 C3
D12
B6
B6
AC
AC
510.511
660-671
334-337
338-361
2
12
4
24
3950形
6400形
2120形
2120形
1903 36 205 272 12 489 1146.01 56 56 A10
B7
B6
D12
AC 892-895
521-524
362-391
672-689
4
4
30
18
230形
3150形
2120形
6400形
1904 37 237 272 12 521 1243.68 32 32 A10
B6
B6
B6
AC
AC
AC
896-901
395-406
413-421
407-410
無番号
6
12
9
4
1
230形
2400形
2400形
2400形
1形
1905 38 276 301 17 594 1531.58 73 37 A10
B6
B6
B6
F2
AC
AC
AC
902-905
422-434
411.412
435-450
800.801
4
13
2
16
2
230形
2400形
2400形
2500形
9200形
  • 4巻112P

参考文献

[編集]
  1. ^ 『私の蒸気機関車史』155頁
  2. ^ 『日本鉄道史. 上編』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『新日本鉄道史』60頁
  4. ^ 『私の蒸気機関車史』155頁

参考文献

[編集]

県議会では営業不振の県営鉄道に対し話題となっていた。

1914年(大正3年の県議会では鉄道収入では約4万円縮減され、7000円余の政府補助金と20000円余の一般会計からの受入金が歳入に計上された。大正2年度では143,311円の予算に対し70,152円の収入実績となり路線別に多古、久留里、大多喜の各線は創業以来[1]

1915年(大正4年)の県議会では歳入は鉄道収入14万円余のほかに13,392円の政府補助金と8万円余の一般会計臨時部からの繰入金があり、歳出では133,000円余の鉄道費の他、県債費88,112円があった[2]

1916年(大正5年)の県議会では多古線を休止するという議案が20日余で撤回される事件

1917年(大正6年)の県議会では多古線が陸軍より無償譲渡されることが決定しその改良費として58000余円の予算が一般会計からの受入金で支弁することになった[3]

1919年(大正8年)の県議会では[4]

1920年(大正9年)の県議会では大原大多喜間人車鉄道を3万円で民間に払い下げる件が付議された[5]

1922年(大正11年)の県議会では野田線の払下げ[6]

脚注

[編集]
  1. ^ 553頁
  2. ^ 553-554頁
  3. ^ 555頁
  4. ^ 557頁
  5. ^ 558頁
  6. ^ 561頁


1916年(大正5年)2月22日神町-仮谷地間2哩78、1918年(大正7年)3月11日仮谷地-谷地間40鎖、1923年度11鎖、計3哩49鎖[1][2]

一方鉄道省文書及び『地方鉄道及軌道一覧』では運輸開始日を1916年(大正5年)2月22日、1916年(大正5年)3月1日、1918年(大正7年)3月1日[3]としており、『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』ではそれぞれの開業区間を神町-仮谷地町2哩78鎖、仮谷地-側谷地40鎖、谷地町起点付近11鎖としている[4]

客車

[編集]
  • ハ1.2-国鉄ハ2465.2466。1937年廃車
  • ハ3-国鉄ハ2464。1937年廃車
  • ハ4.5-国鉄ハ2471.2472
  • ロ1.2-国鉄ロ504.505。1925年二三等車に改造しロハ3.4に改番。1929年に三等室を廃し郵便室を設けロユ1.2に改番。1931年二等室を三等室に改造しハユ1.2
  • ハ101-105-新製。ハ102.103は1938年廃車
  • ロハ1.2-国鉄ロハ278.895。1931年三等車に改造しロハ1→ハ41、ロハ2→ハ51に改番。1937年廃車

参考文献

[編集]

1927年5月豊後高田-宇佐八幡間の乗合自動車営業権と貸切営業権を譲り受け営業開始。1931年には西国東郡各市町村連絡のバスを統一するため8業者から営業権と自動車28台を買収し自動車業へ積極的に進出した。しかし戦時下になるとガソリン規制により木炭瓦斯発生装置をとりつけるなどまた

西武鉄道[15]

  • [16]
  • [17]
  • 1909年(明治42年)4月30日(村松巳之助所有軌道) 特許状下付(大飯郡本郷村大字野尻-同村大字本郷間 動力馬車)[18]
  • 1911年(明治44年)11月26日本郷軌道株式会社設立[19][20]
  • 1.10.22特許状下付
  • 1914年(大正3年)7月27日開業(8.1)本郷-野尻[21]
  • 1920年(大正9年)10月13日開業(11.1)野尻-父子[22]
  • 1922年(大正11年)5月17日軌道特許状下付[23]大飯郡本郷村-同郡佐分利村間人車並び牛馬車軌道
  • 1926年4月1日開業本郷駅前(上仲川)-本郷[24]
  • 1928年(昭和3年)6月6日軌道特許失効工事竣工セサルタメ[25]
  1. ^ 和久田康雄『鉄道ファンのための私鉄史研究資料』電気車研究会、2014年、38頁
  2. ^ 写真週報」 アジア歴史資料センター Ref.A06031060300 5頁
  3. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)、 No.35「運輸営業廃止ノ件」3頁『第十門・地方鉄道及陸運・三、軌道・谷地軌道・営業廃止・巻二・大正八年~昭和十年』
  4. ^ 『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『東京府統計書. 大正15昭和元年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『東京府統計書. 昭和2年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『東京府統計書. 昭和3年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『東京府統計書. 昭和4年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 『東京府統計書. 昭和5年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『東京府統計書. 昭和6年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『東京府統計書. 昭和7年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『東京府統計書. 昭和8年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『東京府統計書. 昭和9年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 『東京府統計書. 昭和10年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「西武鉄道株式会社と日本畜産株式会社及び西武食糧工業株式会社との合併認可申請について(鉄道監督局)」『蔵王高速電鉄・自昭和二十七年至昭和二十九年』25頁
  16. ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 日本全国諸会社役員録. 第20回(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年5月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 『鉄道統計資料. 昭和元年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「軌道特許取消」『官報』1928年6月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)

小林信近

[編集]
  • 北川淳一郎,『小林信近』1958
  • 井上要「伊予鉄電思ひ出はなし』 (伊予鉄道電気社友会, 1932
  • 伊予鉄道電気株式会社編『五十年史』 伊予鉄道電気, 1936
  • 井上要『愛媛県鉄道苦行史』, 1927
  • 買占物語


  1. ^ 「府県会議長」官報 明治22年2月14日『新聞集成明治編年史第7巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「府県会議長」官報 明治22年2月14日『新聞集成明治編年史第7巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「総選挙」東京日日新聞 明治25年2月24日『新聞集成明治編年史第8巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「総選挙」東京日日新聞 明治27年3月6日『新聞集成明治編年史第巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「総選挙」東京日日新聞 明治27年9月7日『新聞集成明治編年史第巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『衆議院要覧. 大正15年9月(乙)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

武蔵電気

[編集]

1931年11月14日陸運統制令改正第二十二条 「鉄道大臣ハ命令ノ定ムル所ニ依リ陸上運送事業者ニ対シ陸上運送事業ノ全部又ハ一部ノ廃止又ハ休止ヲ命ズルコトヲ得」[1]

  • 宮崎県営林道[2]
  • 龍泉寺鉄道[3] 1928年7月設立 東春日井郡守山町 加藤杢左衛門
  • 1926年6月18日(東春日井郡守山町-同郡志段味村間 2哩 電気 1067mm)[4]
  • 1934.8.21 鉄道免許取消 指定ノ期限マテニ工事竣工セサルタメ[5]
  • 1934バス[6]

岩崎レール商会[7]

石川島ではドコービルの臼井茂信『機関車の系譜図』3、417頁

7.4 東京月島鉄工所

[8]

[9] [10]

  • 1915年(大正4年)5月12日 - 起業目論見変更(豊多摩郡渋谷町-麻布区二ノ橋間)[11]

44.3.11城南鉄道軽便鉄道指定 2.2.3譲渡許可

  • 1922年(大正11年) - 鉄道敷設権譲渡[12]
  1. ^ 『官報』1941年11月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『宮崎縣林業一覽. 昭和13年11月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』『日本全国諸会社役員録. 第41回(昭和8年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年6月22日(国立国会図書館デジタル化資料)
  5. ^ 「鉄道免許取消」『官報』1934年8月24日(国立国会図書館デジタル化資料)
  6. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『官報』1939年8月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
  8. ^ 『工場通覧. 2冊 明治42年12月末日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第27回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『工場通覧. 1冊 明治40年12月末日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「軽便鉄道起業目論見変更」『官報』1915年5月14日(国立国会図書館デジタル化資料)
  12. ^ 「鉄道敷設権譲渡」『官報』1922年9月20日(国立国会図書館デジタル化資料)

中部エネルギーを築いた人々 電力界の風雲児 才賀藤吉 日本電気協会 中部支部 神津 康人 こうづ・やすひと 芝浦工業会社技師長→東京鉄道局工作部長→芝浦共同工業工場長 東京横浜電鉄

本城電気

  • 本庄自動車株式会社は本庄-児玉間の旅客運輸を目的に1912年設立(『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正元年(初版)』)。もとは本庄町の丸山善太郎が個人で同路線を1911年11月に開業していたものを株式組織にしたものである。社長は松本文作。利用は多かったがトラック改造の中古車で故障が多く、事故も多発したので電車に変更することになり1914年11月に会社は清算された。 
  • 馬来製作所[1]奈良県索道4[2]奈良県索道5[3]奈良県索道6[4]奈良県索道7[5]奈良県索道8[6]

福島電気鉄道専務取締役佐伯宗義[7] 『都市経営上から観た市福島』(国立国会図書館デジタルコレクション)

大塚工場大塚栄作 『全国銀行会社事業成績調査録』T10 加藤車両製作所 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902304/574 『日本工業要鑑. 第5版(明治45、46年)』 創業明治40年1月 加藤真次郎 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902304/350 柳谷登山鉄道株式会社 設立13年12月 資本金25万円 『長岡京市市史』 本2 510-512

この申請に対し鉄道省は現地調査を行い報告書を作成している。1934年当時並行区間に路線免許をもつ乗合自動車業者は5事業者あったが後月自動車を除き零細な貨物事業者であり神高鉄道に分があった。 ところが1934年10月後月自動車が井笠鉄道に合併されると免許を譲り受けた井笠鉄道は従来よりも自動車業に力を入れ福山-井原間の自動車業に力を入れた。神辺-井原間で並行している神高鉄道は料金時間では 沿線集落に立寄り客をコマメに拾う自動車に対してはかなうはずも無く

廃止止むなし結論づけている。 234-

輸送・収支実績

[編集]
ED13形・ED51形・ED52形・ED18形(初代)・ED17形 機関車配置表
年度 1931年 1933年 1935年 1937年 1939年 1941年 1943年 1947年 1949年 1951年 1953年 1955年 1957年 1959年 1961年 1963年 1965年 1967年
東京 51-3
52-4
新鶴見 50-3
13-1
国府津 13-1 13-2 13-2 13-2 17-2 17-1 17-1 17-1
甲府 17-13 17-17 17-17 17-17 17-16 17-17 17-17 17-17
18-3
17-17
18-3
17-19 17-12 17-15 17-17 17-11 17-9 17-9 17-9 17-10
八王子 51-3
52-5
18-1
51-3
52-2
18-4
51-3
52-2
18-4
51-3
52-2
18-4
51-3
52-2
18-4
51-3
52-2
18-4
17-2 17-1
13-2
17-5 17-9 17-5 17-4 17-4 17-3 17-3 17-3
伊東 13-2 13-2 13-2 17-1 17-2
久里浜 17-1 17-2 17-2 17-1 17-2 17-2 17-2 17-2
浜松 17-1 17-1 17-1 17-1
豊橋 17-5 17-5 17-5 17-5 17-6
仙台 17-2 17-2 17-2 17-3 17-5
  • 形式番号(EDは略)と両数
  • 「国鉄動力車配置表』1931年より1967年までの1945年を除く隔年分から『世界の鉄道』1969年、朝日新聞社
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 備考
1930 6,885,961 16,007 1,598,070 661,096 936,974 自動車83,236 雑損685,645
1931 4,215,939 8,918 1,158,827 463,803 695,024 電物94,980 償9 729,005 本線
1,331,844 1,623 支線
1932 3,888,182 14,314 1,060,093 392,326 667,767 電燈電,549 社債金31,974 754,342 本線
1,181,528 2,665 支線
1933 4,016,768 13,264 1,013,970 424,080 589,890 自動 社債71,910 713,296 本線
1,189,886 1,389 支線
1934 4,293,871 13,438 1,047,172 512,962 534,210 太宰府軌道02 642,017 本線
243,952 太宰府線
1,193,844 1,493 甘木福島線
1935 4,608,381 11,628 1,062,031 561,258 500,773 自動車6 16,960 492,558 本線
684,638 太宰府線
1,190,962 1,067 甘木福島線
1936 5,253,295 10,562 1,155,083 595,589 559,494 自動0 11 493,590 本線
743,082 太宰府線
1,251,613 991 甘木福島線
1937 6,750,851 10,466 1,276,751 669,070 607,681 償却金 423,380 本線
605,514 太宰府線
1,933,962 1,012 甘木福島線
227,137 99,014 66,086 32,928 自動車軌道40,341 償却金13,453 59,816 地方鉄道
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

車両数の変遷

[編集]
年度 機関車 客車 電車 貨車
蒸気 電気 ロハ 有蓋 無蓋
大正11 1 2 2 2
大正12・13 1 2 4 17 21
  • 「飯田線を走った車両」43頁より

北越鉄道

[編集]
  • 『湖郷』東村山ふるさと歴史館、2010年
  • 『おもちゃ鉄道模型展』東村山ふるさと歴史館、2008年
  • 『村山山口貯水池建設工事写真展』武蔵村山教育委員会、1995年
  • 『武蔵村山の軽便鉄道』武蔵村山市立歴史民俗資料館、2010年
  • 関東大震災電車の焼失
  • 779両、明細あり『東京市電気局震災史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 779両『創業二十年史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 777両(148頁)と779両(651頁)『電気局三十年史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 777両『東京都交通局四十年史』29頁
  • 779頁『交通局50年史』69頁
  • 777両『東京都交通局60年史』272、277頁
  • 776両 形式番号『都電車両総覧』26、179頁

光明電気鉄道[8] 当時を知る人は田中寿太郎のことを「国士型の人物で豪放な男、大ぼらふきのやりっぱなしの男」[9]

  • 越後鉄道

日本全国諸会社役員録. 明治40年[10]

  • 取締役会長 渡邊嘉一実子を支配人 朝比奈林之助へ養子に出す。朝比奈隆
  • 取締役 末延道成 - 後に豊川鉄道の社長に就任した末延道成は会計係主任兼株式係主任の倉田藤四郎を起用し経営難に陥っていた豊川鉄道を再建した。
  • 監査役 大倉喜八郎
  • 監査役 五十嵐甚蔵
  • 支配人 朝比奈林之助 渡邊嘉一が社長の

取締役には沖臺拓殖製糖の支配人山内国太郎が就任している[11]

  • 工場通覧→全国工場通覧
  • 日本工業要鑑
    • 帝国信用録
  • 鉄道業の現状
  • 株式の分割払込について

客車

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  • 払下げ
  • 大正1年[12]
  • 大正2年[13]
  • 大正3年[14]
  • 大正4年[15]
  • 大正5年[16]
  • 大正6年[17]
  • 大正7年
  • 大正8年[18]
  • 大正9年[19]
  • 大正10年[20]
  • 大正11年
  • 大正12年[21]
  • 大正13年
  • 大正14年
  • 昭和2年[22]
  • 『鉄道院統計図表』大正2年度 4輪病客車2
  • 『鉄道院統計図表』大正3年度 4輪病客車3
  • 『鉄道院統計図表』大正4年度 4輪病客車5
  • 8 三等車に痰壷新設 400 [23]
  • 9 三等車に痰壷新設 400 [24]
  • 10 三等車に痰壷新設 300 [25]
  • 11 三等車に痰壷新設 200 [26]
  • 昭和3年客車新旧形式番号対照表

利用者:Tamrono157/wood

脚注

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  1. ^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正元年(初版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『奈良県統計書 : 昭和4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『奈良県統計書 : 昭和5年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『奈良県統計書 : 昭和6年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『奈良県統計書 : 昭和7年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『奈良県統計書 : 昭和8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第36回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 建設は大林組見積もりで話にならず竹内銀行系の岩垣徳五郎那須田稔「ふるさと電車の栄光と終焉」『懐しの軽便物語』ひくまの出版、1979年、134頁
  9. ^ 「ふるさと電車の栄光と終焉」134頁
  10. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』(国立国会図書館デジタル化資料)
  11. ^ 『帝国銀行会社要録』の沖縄2頁沖縄1頁
  12. ^ 『鉄道院年報. 大正元年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『鉄道院年報. 大正2年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 『鉄道院年報. 大正4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正5年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 『鉄道院鉄道統計資料.大正6年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 『鉄道統計資料. 昭和2年 第2編 建設 工務 工作 電氣 研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 『鉄道統計資料. 昭和8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 『鉄道統計資料. 昭和9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 『鉄道統計資料. 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 『鉄道統計資料. 昭和11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)