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手賀城 (千葉県) | |
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城郭構造 | 不明 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 原氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 土居、郭 |
指定文化財 | なし |
手賀城は下総国(今の柏市昭南町手賀字城内にあった日本の城[1]。
歴史
[編集]東葛飾郡誌によると千葉氏の一族と考えられている原氏が城主であった。また、松下邦夫氏は同東葛飾郡誌の系図から相馬郡手賀を最初に千葉勝胤から貰い受けたのは原胤貞で[注 1]、その後胤親、久胤とわたったと述べている。更に同松下邦夫氏は松戸市大谷口の八木原文書によると手賀原氏は安房里見氏が天文末、佐倉の千葉氏を包囲した際や永禄9(1566)年の上杉謙信の臼井攻めの際にどちらも手兵300騎をもって駆けつけたとあるので胤貞の頃から原氏が手賀城にいたことは間違いないだろう、とも語っている[2]。しかし築城年・廃城年など、わからないところはまだ多い。
構造
[編集]北は手賀沼沿いの低湿地、東と西は小谷津、南はこの谷津が接近して鞍部となっている。遺構は東西と南北にそれぞれ約200mで、南以外は急崖が取り入れられている[1]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 我孫子市中峠中世城跡発掘調査団 1974, p. 40.
- ^ 我孫子市中峠中世城跡発掘調査団 1974, p. 41.
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 我孫子市中峠中世城跡発掘調査団 編『千葉県我孫子市中峠城跡調査報告書』中峠城跡調査団、1974年。
関連項目
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