利用者:Yoimondai

Yoimondai[編集]

中学受験塾教師 算数

首都圏で塾教師、塾経営、学習参考書編集・執筆などを経て、中学受験塾社員

2013年現在 フリー

著書多数(自名の著書はなし)

寄稿についての心構え[編集]

 受験算数について、ほかの方はこのことについてどのようにお考えなのかということで、ときどき、WEB検索をすると、このウィキぺディアというのがしばしば目に付くようになった。  当時は、十分ではなかったが、最近とみによくなったと思う。  実は私も役に立ているようだ。ただし、放置していても、やがてよくなったかもしれない。

算数学[編集]

 算数学という書籍を見た。  そういうタイトルのものを書きたいものだと思っていたが、私の意図するものとは違ってばらばらな内容だった。

 中学入試問題を見ていると、とても高度な内容を背景にしている問題がある。うまく関連付けると、小学生にも高度な数学の概念が伝えられるようである。とてももったいないことだと思う。

 日本の歴史で中学入試が最も栄えたのは、明治中期であった。武士の地位保全のための西郷隆盛の西南戦争のあと、福沢諭吉の「学問のススメ」が出た。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずといえり」で始まる。この文章は「人間はすべて平等だ」という意味ではない。「学が人の上に人を作り、人の下に人を作る」という意味である。

 学問による身分保全を願う士族や、お家復興を願う農工商の者たちの間にいやが上にも中学受験が過熱した。そのころ、尾関正求(愛知県士族)という人の書いた「数学三千題」が一世を風靡した。これはアメリカのロビンソンの書いた本を日本流に問題だけ抜き出して、並べたものであった。直訳のものもあるが多くは日本流に問題を書き換えてある。江戸時代に寺子屋のテキストとしてはやった「塵劫記」(吉田光由)では問題が少なすぎて全体がわからない。これだけやればおのずとわかるだろうというものだ。問題の並べ方には系統性があり、1つ1つ学んでいけば、高い知識がえられるようになっているが、何しろ、問題だけなので、わかる子にはわかるが、わからない子には、習得に大変時間がかかったようである。

 そのようなとき、東京帝国大学星学博士の寺尾寿による算術書が出た。「理論流儀の算術」ともいわれ、これまた一世を風靡した。系統性のある指導がよいか、子供による自発性を喚起させる指導がよいかということで、数学教育は左右にゆれながら、現代にいたっている。

 これは両方必要なのだと思う。系統性のある指導をしても、子ども自身がしっかり把握するには、自ら1つ1つ試行錯誤して身に付けることになろう。一方、試行錯誤して得られたものを、各自が系統立てて頭の修めていくことがなさなければ数千年の歴史を持つ算数を習得することができないだろう。教育論の常として、自論を強調する余り、先行する論を全面否定する傾向が見られる。困ったことである。とっくの昔に孔子が「学びて時にこれを習う」といっているように、子どもにとっては両方とも大切なことなのだ。

 いま、塾の算数テキストを見ると、「数学三千題」の域を出ていないように思われる。  これに少し理論的系統性を与え、理解したことをどのように関連付けたらいいのかの方向性を与えたいと思うのである。これは試行錯誤やバラバラな指導を否定するものではなく、自ら系統性ある視点をはぐくむ例を与えようとするものである。このことにより、さらに理解が深まることであろう。  「現代化の教育」は、ブルーナーが自ら誤りを認めた。とも聞くが、私はブルーナーが全面的に認めたとは思えない。かなり多くの子に支持されたのもまた事実だからだ。現代化数学の基礎知識は私自身が子供のころ自ら気づいていたものであり、受験生の中には自ら気づく者が少なくない。これをもう少し意図的に促したいのである。

遺言がわり?[編集]

 私のWEBサイトは私の寿命が尽きればなくなるであろうが、ウィキペディアはもっともっと続くであろうと思うのでとてもすばらしいことだと思う。