前乃臻康夫
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基礎情報 | ||||
四股名 | 前の海 康夫 → 沢辺 康夫 → 前乃臻 康夫 → 前乃森 康夫 | |||
本名 | 沢辺 康夫 | |||
生年月日 | 1961年4月17日(63歳) | |||
出身 | 福岡市嘉穂郡筑穂町(現在の飯塚市) | |||
身長 | 185cm | |||
体重 | 137kg | |||
BMI | 40.03 | |||
所属部屋 | 高田川部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東小結 | |||
生涯戦歴 | 412勝407敗7休(78場所) | |||
幕内戦歴 | 62勝88敗(10場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1977年3月場所 | |||
入幕 | 1985年11月場所 | |||
引退 | 1990年3月場所 | |||
引退後 | 年寄・山響 | |||
備考 | ||||
2020年5月12日現在 |
前乃臻 康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - )は、福岡県嘉穂郡筑穂町(現役当時、現・同県飯塚市)出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は沢辺 康夫(さわべ やすお)。最高位は東小結(1987年9月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は185cm、137kg、血液型はB型。
引退後、年寄・山響を借株で襲名するも1996年11月場所後に失踪状態になり(正式に失踪宣告を受けていたかは不明)、翌1997年1月31日に日本相撲協会から解雇された。
来歴・人物
[編集]高田川親方(元大関・前の山)が育てた、初めての十両・幕内・三役力士である。力士から親方を経てタレントに転向した、元小結・龍虎を思わせるハンサム力士であった。父親は、彼と同時代に活躍した同じ筑豊地区出身の益荒雄の父親と同じく、西鉄バスの運転手だった。
中学時代に福岡県立嘉穂農業高校(後の福岡県立嘉穂中央高校)の相撲部よりスカウトされていたが、角界入りの思いが強く中学卒業後、高田川部屋に入門。1977年3月場所で初土俵を踏んだ。
初土俵の同期生には、のち幕内に昇進した押尾川部屋の恵那櫻や佐賀昇などがいる。
1985年11月、ご当所の九州場所で新入幕。それから暫くは幕内下位から十両で活躍したが、1987年5月場所以降は幕内に定着した。
翌7月場所では、東前頭8枚目の地位で11勝4敗と好成績を残し、敢闘賞候補に挙がった。だが、最終的にその敢闘賞は同成績の大ベテラン・出羽の花が受賞し、惜しくも生涯唯一の三賞受賞のチャンスを逸してしまった。翌場所では、自己最高位となる東小結に進出。同場所では4勝11敗と大敗したが、7日目に、対横綱・大関戦唯一の勝利を大関・大乃国から挙げている。なお、大乃国はこの場所を13勝2敗で終え、場所後には横綱へ昇進しているので価値のある勝利であった。
結局三役経験はこの1場所のみで終わり、以降は幕内の地位も長く保てず、再び十両へと陥落。
現役最晩年は幕下3枚目まで番付を落とし、1990年3月場所を最後に28歳の若さで引退した。
幕内経験は僅か10場所であったが、大雄や肥後ノ海らのように幕内を40~50場所以上務めても三役昇進を果たせなかった力士がいる中で、僅か10場所の幕内経験の中で1場所でも三役に昇進できたのは幸運であった。
引退後は山響親方として相撲協会の運営に携わっていたが、1996年11月場所後に失踪状態になる。翌年1月場所中も現れなかったため、同年1月31日、職務放棄として相撲協会から解雇処分を受けた(現役親方が解雇されたのは、初の事例)。失踪状態に陥った原因としては、年寄・山響の名跡取得に関する金銭問題があったとされる。結局山響の取得はならず、名跡は高砂一門外の二子山親方(元大関・貴ノ花)が取得した。
失踪状態になってからの動向は不明であったが、2009年5月31日には定年を間近に控えた師匠・高田川親方(元・前の山)や高田川部屋の関係者らと共に「高田川御夫妻を囲む会」にも顔を出している。1996年末から2009年までの動向は現在も不明だが、失踪状態ではなくなったとみられる(ベースボール・マガジン社『相撲』、2009年7月号より)。なお、「高田川御夫妻を囲む会」に参加後の動向は明らかになっていない。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:412勝407敗7休 勝率.503
- 幕内成績:62勝88敗 勝率.413
- 現役在位:78場所
- 幕内在位:10場所
- 三役在位:1場所(小結1場所)
- 三賞:無し
- 連続出場:819番(序ノ口以来、1977年5月場所-1990年1月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1977年 (昭和52年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口20枚目 4–3 |
西序二段87枚目 4–3 |
東序二段65枚目 4–3 |
西序二段41枚目 4–3 |
1978年 (昭和53年) |
西序二段23枚目 4–3 |
西三段目89枚目 3–4 |
東序二段12枚目 6–1 |
東三段目50枚目 3–4 |
東三段目61枚目 4–3 |
西三段目44枚目 3–4 |
1979年 (昭和54年) |
西三段目56枚目 4–3 |
東三段目44枚目 3–4 |
東三段目61枚目 4–3 |
東三段目45枚目 4–3 |
西三段目30枚目 1–6 |
東三段目61枚目 4–3 |
1980年 (昭和55年) |
西三段目45枚目 4–3 |
東三段目32枚目 3–4 |
東三段目43枚目 6–1 |
西幕下56枚目 4–3 |
西幕下43枚目 3–4 |
西幕下58枚目 5–2 |
1981年 (昭和56年) |
東幕下35枚目 1–6 |
東三段目4枚目 4–3 |
東幕下51枚目 3–4 |
西幕下59枚目 4–3 |
西幕下48枚目 4–3 |
東幕下36枚目 3–4 |
1982年 (昭和57年) |
西幕下43枚目 5–2 |
東幕下25枚目 4–3 |
西幕下17枚目 4–3 |
西幕下14枚目 3–4 |
東幕下25枚目 3–4 |
西幕下36枚目 6–1 |
1983年 (昭和58年) |
西幕下16枚目 3–4 |
西幕下27枚目 4–3 |
東幕下20枚目 3–4 |
西幕下28枚目 5–2 |
西幕下11枚目 5–2 |
東幕下4枚目 6–1 |
1984年 (昭和59年) |
東十両10枚目 5–10 |
西幕下3枚目 4–3 |
西幕下2枚目 4–3 |
東十両13枚目 9–6 |
西十両7枚目 10–5 |
西十両4枚目 8–7 |
1985年 (昭和60年) |
西十両2枚目 6–9 |
西十両3枚目 8–7 |
東十両2枚目 8–7 |
西十両筆頭 8–7 |
東十両筆頭 8–7 |
西前頭14枚目 8–7 |
1986年 (昭和61年) |
東前頭10枚目 5–10 |
東十両筆頭 6–9 |
西十両4枚目 6–9 |
西十両8枚目 10–5 |
東十両3枚目 9–6 |
西十両筆頭 8–7 |
1987年 (昭和62年) |
西前頭13枚目 6–9 |
西十両2枚目 9–6 |
東前頭14枚目 8–7 |
東前頭8枚目 11–4 |
東小結 4–11 |
西前頭4枚目 6–9 |
1988年 (昭和63年) |
西前頭6枚目 6–9 |
東前頭10枚目 7–8 |
東前頭12枚目 1–14 |
西十両8枚目 9–6 |
東十両4枚目 5–10 |
東十両10枚目 9–6 |
1989年 (平成元年) |
東十両4枚目 8–7 |
東十両2枚目 6–9 |
西十両6枚目 9–6 |
西十両筆頭 8–7 |
東十両筆頭 7–8 |
東十両2枚目 5–10 |
1990年 (平成2年) |
東十両7枚目 4–11 |
東幕下3枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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青葉城 | 1 | 0 | 安芸乃島(安芸ノ島) | 0 | 1 | 朝潮 | 0 | 1 | 旭富士 | 0 | 1 | |||
板井 | 1 | 2 | 恵那櫻 | 0 | 2 | 巨砲 | 3 | 3 | 大錦 | 1 | 0 | |||
大乃国 | 1 | 0 | 騏ノ嵐(騏乃嵐) | 1 | 0 | 霧島 | 1 | 3 | 起利錦 | 3 | 2 | |||
麒麟児 | 2 | 3 | 蔵間 | 0 | 2 | 高望 | 3 | 2 | 港龍 | 0 | 1 | |||
琴稲妻 | 0 | 1 | 琴ヶ梅 | 1 | 3 | 小錦 | 1 | 1 | 逆鉾 | 0 | 1 | |||
佐田の海 | 2 | 3 | 薩洲洋 | 2 | 0 | 陣岳 | 0 | 4 | 太寿山 | 3 | 4 | |||
大徹 | 2 | 3 | 孝乃富士 | 3 | 2 | 隆三杉 | 2 | 5 | 多賀竜 | 3 | 3 | |||
玉龍 | 0 | 3 | 竹葉山 | 1 | 0 | 千代の富士 | 0 | 1 | 寺尾 | 2 | 1 | |||
出羽の花 | 2 | 1 | 闘竜 | 3 | 3 | 栃司 | 0 | 1 | 栃剣 | 3 | 0 | |||
栃乃和歌 | 0 | 3 | 南海龍 | 1 | 1 | 花乃湖 | 1 | 0 | 花ノ国 | 1 | 1 | |||
飛騨乃花 | 1 | 1 | 富士乃真 | 1 | 1 | 双羽黒 | 0 | 1 | 北天佑 | 0 | 1 | |||
北勝海 | 0 | 1 | 三杉磯 | 0 | 1 | 両国 | 1 | 0 | 若瀬川 | 1 | 0 |
記録
[編集]前乃臻は三役を経験しながら、幕内在位は僅か10場所に終わった。これは年間場所数の増えた戦後では沢光の7場所、白馬の8場所に次いで少ない。戦後入幕し三役に進んだ力士の、幕内在位場所数のワースト5は次の通り。(2020年3月場所終了後現在)
なお、5人とも三役経験は小結1場所のみである。
改名歴
[編集]- 前の海 康夫(まえのうみ やすお)1977年5月場所 - 1981年5月場所
- 沢辺 康夫(さわべ - )1981年7月場所
- 前乃臻 康夫(まえのしん - )1981年9月場所 - 1988年9月場所
- 前乃森 康夫(まえのしん - )1988年11月場所 - 1990年3月場所
年寄変遷
[編集]- 山響 康夫(やまひびき やすお)1990年3月16日 - 1997年1月31日(解雇)
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第5巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社)p79-p84