1980年の相撲
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1980年の相撲(1980ねんのすもう)は、1980年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
[編集]- 秋本久雄(明徳中)が全国中学校相撲選手権大会を連覇し、史上初の二度目の中学生横綱となる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、初場所千秋楽に当時の皇太子一家観戦。ニューヨーク公演正式中止。場所後の番付編成会議で増位山が大関に昇進。親子2代の大関は史上初めて。初土俵から99場所はスロー昇進記録。協会役員改選で理事長に春日野を4選。新理事に大鵬。巡業部副部長を2名とした。
- 2月、新国技館設立の話し合いが都庁で理事長、国鉄、東京都、墨田区、台東区の5者が出席して行われた。
- 3月、学生相撲出身の日本大学小谷が幕下付出。
- 4月、大山部屋土俵開き。安治川部屋独立。朝日山部屋落成。
- 5月、神幸が初土俵以来83場所で入幕。スロー出世記録。4日目、三段目獅子ヶ岩-若草戦で痛み分け。夏場所8日目、昭和天皇観戦。
- 6月、立合い研修会が教習所で行われた。アメリカ国籍の高見山が日本に帰化。
- 7月、新国技館について理事長記者会見。1983年着工、1984年末に完成、1985年1月より使用予定。設計は1981年6月ごろより。
- 9月、宮城野部屋が墨田区緑に落成。秋場所千秋楽、昭和天皇観戦。
- 11月、九州場所3日目、横綱三重ノ海引退、年寄山科襲名。15日後、武蔵川に名跡変更。佐ノ山審判(元小結國登)解任。酒に酔って審判を務めたため。
- 12月、鳴戸親方(元前頭9枚目大岩山)死去、61歳。両国移転本決まり。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・6日~20日)
- 三月場所(大阪府立体育館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,18回目)
- 殊勲賞-朝汐、敢闘賞-琴風、技能賞-千代の富士
- 十両優勝 : 大錦一徹(12勝3敗)
- 五月場所(蔵前国技館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,19回目)
- 殊勲賞-琴風、朝汐、敢闘賞-栃光、舛田山
- 十両優勝 : 若島津六男(10勝5敗)
- 七月場所(愛知県体育館・6日~20日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(15戦全勝,20回目)
- 殊勲賞-朝汐、敢闘賞-栃赤城、隆の里、技能賞-千代の富士
- 十両優勝 : 高鐵山圭介(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館・14日~28日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(14勝1敗,4回目)
- 殊勲賞-隆の里、敢闘賞-青葉山、隆の里、技能賞-千代の富士
- 十両優勝 : 富士櫻栄守(12勝3敗)
- 十一月場所(九電記念体育館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 輪島大士(14勝1敗,14回目)
- 殊勲賞-隆の里、舛田山、敢闘賞-佐田の海、技能賞-千代の富士
- 十両優勝 : 大潮憲司(12勝3敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):北の湖敏満(77勝13敗)
誕生
[編集]- 3月9日 - 露鵬幸生(最高位:小結、所属:大鵬部屋→大嶽部屋)[1]
- 4月17日 - 大雷童太郎(現役力士、所属:高田川部屋)[2]
- 5月15日 - 高見藤英希(最高位:十両13枚目、所属:東関部屋)[3]
- 7月24日 - 四ツ車大八(最高位:十両8枚目、所属:伊勢ノ海部屋)[4]
- 8月26日 - 普天王水(最高位:小結、所属:出羽海部屋、年寄:稲川)[5]
- 9月27日 - 朝青龍明徳(第68代横綱、所属:若松部屋→高砂部屋)[6]
死去
[編集]- 4月16日 - 大雪嶺登(最高位:前頭3枚目、所属:宮城野部屋、* 1944年【昭和19年】)[7]
- 5月3日 - 因州山稔(最高位:前頭14枚目、所属:春日野部屋、* 1916年【大正5年】)[8]
- 9月11日 - 肥州山栄(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、* 1906年【明治39年】)[9]
- 10月13日 - 清美川梅之(最高位:前頭筆頭、所属:伊勢ヶ濱部屋、* 1917年【大正6年】)[10]
- 12月5日 - 大岩山大五郎(最高位:前頭9枚目、所属:立浪部屋、年寄:鳴戸、* 1919年【大正8年】)[11]
- 12月29日 - 平錦芳次(最高位:大関(大阪相撲)、所属:藤嶋部屋、* 1890年【明治23年】)
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 261頁
- ^ 大雷童 太郎 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 高見藤 英希 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 四ツ車 大八 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 260頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 252頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 178頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 114頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 72頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 97頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 113頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p82