1903年の相撲
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1903年の相撲(1903ねんのすもう)は、1903年の相撲関係のできごとについて述べる。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月11日より晴天10日間興行
- 1月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:南地五階南入空地
- 晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[3]
- 興行場所:本所回向院
- 5月10日より晴天10日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:南地五階北手空地
- 晴天10日間興行
- 6月場所(東京大阪合併相撲)[5]
- 興行場所:南地南海駅前五階北手空地
- 6月17日より晴天10日間興行
- 第5回内国勧業博覧会余興相撲として興行。
誕生
[編集]- 1月25日 - 常陽山正治(最高位:十両筆頭、所属:出羽海部屋、+ 1972年【昭和47年】)
- 2月19日 - 若瀬川栄蔵(最高位:前頭筆頭、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1990年【平成2年】)[6]
- 4月10日 - 初代木村今朝三(元・三役格行司、+ 1971年【昭和46年】)
- 4月11日 - 立汐唯五郎(最高位:十両5枚目、所属:振分部屋、+ 1935年【昭和10年】)
- 5月20日 - 大矢崎信哉(最高位:十両2枚目、所属:峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋、+ 没年不明)
- 8月8日 - 三池山大五郎(最高位:十両9枚目、所属:陸奥部屋、+ 1951年【昭和26年】)
- 8月17日 - 雷ノ峰伊助(最高位:前頭3枚目、所属:雷部屋→白玉部屋→八角部屋→立浪部屋、+ 1940年【昭和15年】)[7]
- 9月17日 - 男女ノ川登三(第34代横綱、所属:高砂部屋→佐渡ヶ嶽部屋→高砂部屋→佐渡ヶ嶽部屋、+ 1971年【昭和46年】)[8]
- 10月1日 - 太刀若峯五郎(最高位:前頭6枚目、所属:友綱部屋→東関部屋→高砂部屋、+ 1988年【昭和63年】)[9]
- 11月1日 - 天竜三郎(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1989年【平成元年】)[10]
- 12月15日 - 玉錦三右エ門(第32代横綱、所属:二所ノ関部屋→粂川部屋→二所ノ関部屋、+ 1938年【昭和13年】)[11]
死去
[編集]- 7月4日 - 響舛市太郎(最高位:関脇、所属:中立部屋→境川部屋→高砂部屋、* 1859年【安政6年】)
- 8月9日 - 浦風林右エ門(最高位:関脇、所属:浦風部屋、年寄:浦風、* 1841年【天保12年】)
- 10月21日 - 陣幕久五郎(第12代横綱、所属:秀ノ山部屋、* 1829年【文政12年】)[12]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 182–184.
- ^ 酒井, p. 184.
- ^ 酒井, pp. 185–187.
- ^ 酒井, p. 187.
- ^ 酒井, pp. 187–188.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 69頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 58頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 65頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 82頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 67頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 59頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。