1966年の相撲
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1966年の相撲(1966ねんのすもう)は、1966年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月場所からテレビ中継はNHKだけとなる。
- 2月、大関栃光引退、年寄千賀ノ浦襲名。栃ノ海一行のマカオ巡業。広島準本場所は暴力団と関係があり、開催中止に決まる。柏戸がエールフランス招待で渡欧。明武谷、大豪、鶴ヶ嶺がキャセイ航空で香港旅行。
- 3月、相撲解説者玉ノ海梅吉、NHK放送文化賞受賞。
- 4月、二所ノ関部屋の千葉県・白子道場完成。
- 5月、夏場所8日目、昭和天皇、皇后観戦。幕下付出は幕下最下位から取り組むことになる。TBSラジオ中継中止となり、民放の相撲実況中継がなくなる。大関北葉山引退、年寄枝川襲名。
- 6月、柏鵬一行のハワイ巡業、幕下の高見山が参加。
- 7月、名古屋場所は大関が豊山ひとりとなる。場所中、立合いの是正申し合わせ。21代式守伊之助が25代木村庄之助襲名。場所後の番付編成会議でこの場所10勝5敗だった北の冨士の大関昇進決定。
- 9月、秋場所後の番付編成会議で玉乃島の大関昇進決定。10年ぶりに力士運動会を開催。
- 10月、大阪準本場所15日間、横綱柏戸優勝。
- 11月、栃ノ海引退、横綱一代年寄となる。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・16日~30日)
- 幕内最高優勝 : 柏戸剛(14勝1敗,4回目)
- 殊勲賞-北の冨士、敢闘賞-玉乃島、技能賞-海乃山
- 十両優勝 : 東錦栄三郎(11勝4敗)
- 三月場所(大阪府立体育館・13日~27日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗,19回目)
- 殊勲賞-北の冨士、敢闘賞-高鐵山、技能賞-淺瀬川
- 十両優勝 : 君錦利正(13勝2敗)
- 五月場所(蔵前国技館・15日~29日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,20回目)
- 殊勲賞-麒麟児、敢闘賞-玉乃島、技能賞-北の冨士
- 十両優勝 : 大心昇(12勝3敗)
- 七月場所(愛知県体育館・3日~17日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,21回目)
- 殊勲賞-玉乃島、敢闘賞-鶴ヶ嶺、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 前の山和一(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館 11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗,22回目)優勝決定戦で柏戸に勝利。
- 殊勲賞-玉乃島、敢闘賞-禊鳳、技能賞-麒麟児
- 十両優勝 : 大文字研二(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター・13日~27日)
- 幕内最高優勝 :大鵬幸喜(15戦全勝,23回目)
- 殊勲賞-琴櫻、敢闘賞-鶴ヶ嶺、技能賞-高鐵山
- 十両優勝 : 金乃花武夫(13勝2敗)
誕生
[編集]- 1月1日 - 北勝鬨準人(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ノ海部屋、年寄:伊勢ノ海)[1]
- 1月5日 - 鬼雷砲良蔵(最高位:前頭4枚目、所属:高田川部屋)[2]
- 1月25日 - 重夫(三役呼出、所属:九重部屋)[3]
- 2月2日 - 琴冠佑源正(最高位:十両7枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[4]
- 2月11日 - 清の富士猛(最高位:十両11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 2月20日 - 春日富士晃大(最高位:前頭筆頭、所属:春日山部屋→安治川部屋、+ 2017年【平成29年】)[1]
- 3月8日 - 若翔洋俊一(最高位:関脇、所属:二子山部屋)[5]
- 4月22日 - 前進山良太(最高位:十両2枚目、所属:高田川部屋、若者頭:前進山)[6]
- 7月7日 - 大翔山直樹(最高位:前頭2枚目、所属:立浪部屋、年寄:追手風)[7]
- 7月16日 - 玉海力剛(最高位:前頭8枚目、所属:片男波部屋)[5]
- 9月24日 - 床仁(一等床山、所属:宮城野部屋→高島部屋→春日山部屋→追手風部屋→中川部屋→荒汐部屋)
- 10月12日 - 大日岳栄隆(最高位:十両7枚目、所属:春日野部屋→玉ノ井部屋、世話人:大日岳)[8]
- 11月17日 - 大若松好弘(最高位:前頭13枚目、所属:大鵬部屋)[9]
死去
[編集]- 2月22日 - 藤ノ川雷五郎(最高位:関脇、所属:伊勢ノ海部屋、* 1888年【明治21年】)[10]
- 5月19日 - 池田川助枩(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、* 1900年【明治33年】)[11]
- 5月30日 - 外ヶ濱弥太郎(最高位:前頭筆頭、所属:入間川部屋→出羽海部屋→千賀ノ浦部屋→出羽海部屋、* 1897年【明治30年】)[12]
- 7月16日 - 開月勘太郎(最高位:前頭13枚目、所属:尾車部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋、* 1899年【昭和32年】)[13]
- 7月18日 - 釋迦ヶ嶽庄太郎(最高位:前頭3枚目、所属:山科部屋→出羽ノ海部屋、* 1889年【明治22年】)[14]
- 10月20日 - 13代木村玉之助(元・立行司、所属:中村部屋、* 1888年【明治21年】)
- 11月2日 - 楯甲新蔵(最高位:前頭筆頭、所属:中村部屋→友綱部屋→中村部屋、* 1908年【明治41年】)[15]
- 12月14日 - 19代式守伊之助(元・立行司、所属:峰崎部屋→友綱部屋→立浪部屋、* 1886年【明治19年】)[16]
出典
[編集]- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 222頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 232頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、20頁。
- ^ 琴冠佑 源正 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 230頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、30頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 227頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、34頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 226頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 43頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 58頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 56頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 66頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 34頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 84頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 360頁
参考文献
[編集]『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p62