1963年の相撲
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1963年の相撲(1963ねんのすもう)は、1963年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。8日目、大晃の初土俵から1000回出場を表彰。20代式守伊之助が第24代木村庄之助襲名。21代式守伊之助には木村庄九郎が昇格。場所後の番付編成会議で豊山の大関昇進決定。
- 2月、大鵬がエールフランスの招待で渡欧。
- 3月、春場所、大阪府立体育会館で15日間。新大関の豊山は負け越す。
- 4月、広島準本場所8日間、横綱大鵬優勝。
- 5月、夏場所、蔵前国技館で15日間。初日、昭和天皇、皇后観戦。横綱柏戸は栃木・塩原温泉で治療。
- 6~7月、名古屋場所、金井体育館で15日間[1]。大鵬は5日目、青ノ里に敗れ30連勝でストップ。
- 9月、秋場所、蔵前国技館で15日間。
- 10月、「秋場所の柏鵬戦は八百長」とスポーツ紙に書いた石原慎太郎を相撲協会が名誉棄損で告訴(内談の後に取り下げ)。大阪準本場所15日間、大鵬優勝。
- 11月、九州場所、福岡スポーツセンターで15日間。佐渡ヶ嶽部屋でフグ中毒事件が起こり、力士2人死亡。佐渡ヶ嶽検査役引責辞任。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館、13~27日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,9回目)
- 殊勲賞-豊山、敢闘賞-豊山、技能賞-海乃山
- 十両優勝 : 琴櫻紀雄(13勝2敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 10~24日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,10回目)
- 殊勲賞-富士錦、敢闘賞-海乃山、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 大雄辰實(12勝3敗)
- 五月場所(蔵前国技館、12~26日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(15戦全勝,11回目)
- 殊勲賞-岩風、敢闘賞-逆鉾、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 麒麟児將能(13勝2敗)
- 七月場所(金山体育館、6月23~7月7日)
- 幕内最高優勝 : 北葉山英俊(13勝2敗、1回目)
- 殊勲賞-富士錦、敢闘賞-若浪
- 十両優勝 : 高鐵山孝之進(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館、8~22日)
- 幕内最高優勝 : 柏戸剛(15戦全勝,2回目)
- 殊勲賞-岩風、敢闘賞-琴櫻
- 十両優勝 : 沢光幸夫(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、10~24日)
- 幕内最高優勝 : 栃ノ海晃嘉(14勝1敗,2回目)
- 殊勲賞-琴櫻、敢闘賞-沢光、技能賞-海乃山
- 十両優勝 : 北の冨士勝明(15戦全勝)
誕生
[編集]- 1月29日 - 常の山勝正(最高位:前頭12枚目、所属:出羽海部屋)[2]
- 2月2日 - 寺尾常史(最高位:関脇、所属:井筒部屋、+ 2023年【令和5年】)[3]
- 6月22日 - 北勝海信芳(第61代横綱、所属:九重部屋、年寄:八角、第12代日本相撲協会理事長)[4]
- 7月26日 - 森乃里治重(最高位:十両9枚目、所属:立田川部屋)
- 8月9日 - 岩手富士祐一(最高位:十両6枚目、所属:朝日山部屋、+ 2020年【令和2年】)[5]
- 8月12日 - 双羽黒光司(第60代横綱、所属:立浪部屋、+ 2019年【平成31年】)[6]
- 8月16日 - 龍ヶ浜広宣(最高位:十両7枚目、所属:時津風部屋)
- 9月12日 - 大刀光電右エ門(最高位:前頭15枚目、所属:友綱部屋)[7]
- 9月12日 - 15代木村庄太郎(三役格行司、所属:春日野部屋)[8]
- 10月5日 - 琴ヶ梅剛史(最高位:関脇、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[6]
- 10月9日 - 孝乃富士忠雄(最高位:小結、所属:九重部屋)[9]
- 10月28日 - 北吹雪弘士(最高位:十両9枚目、所属:立浪部屋)
- 12月13日 - 大獅子耕蔵(最高位:十両11枚目、所属:立浪部屋)
- 12月31日 - 6代小錦八十吉(最高位:大関、所属:高砂部屋)[10]
死去
[編集]- 2月21日 - 綾錦由之丞(最高位:張出前頭(筆頭格)、所属:追手風部屋→湊川部屋、* 1892年【明治25年】)[11]
- 4月7日 - 矢筈山登(最高位:小結、所属:友綱部屋、* 1888年【明治21年】)[12]
- 5月28日 - 高津山芳信(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、* 1919年【大正8年】)[13]
- 6月10日 - 東海稔(最高位:前頭14枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、* 1924年【大正13年】)[14]
- 7月20日 - 稲ノ森勉(最高位:前頭14枚目、所属:入間川部屋→出羽海部屋、* 1899年【明治32年】)[15]
- 8月7日 - 大戸平吉太郎(最高位:関脇、所属:尾車部屋→峰崎部屋、* 1889年【明治22年】)[16]
- 11月 - フグ中毒事件の犠牲者である三段目の佐渡ノ花が12日、序二段の斎藤山が14日に死去。
- 12月15日 - 力道山光浩(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、* 1924年【大正13年】)[17]
出典
[編集]- ^ 初日は6月23日
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 229頁
- ^ 「元関脇寺尾の錣山親方死去 60歳 細身の体で闘志あふれる突っ張り 親方として阿炎ら育成」『日刊スポーツ』2023年12月17日。2023年12月17日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 209頁
- ^ 「角界ニュース」『相撲』2021年4月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 211頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 233頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、16頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 214頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 210頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 50頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 105頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 133頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 60頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 27頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 114頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p58