1905年の相撲
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1905年の相撲(1905ねんのすもう)は、1905年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 明治大学相撲部創部。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月21日より晴天10日間興行
- 1月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:南地南海駅前
- 晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[3]
- 興行場所:本所回向院
- 5月20日より晴天10日間興行
- 6月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 6月13日より晴天10日間興行
- 9月場所(東京大阪合併相撲)[5]
- 興行場所:四条河原
- 8月10日より興行
- 9月場所(東京大阪合併相撲)[6]
- 興行場所:難波新川
- 晴天10日間興行
- 7日目で打ち上げ。
誕生
[編集]- 1月1日 - 大鶴多喜之助(最高位:十両7枚目、所属:荒磯部屋→春日野部屋、+ 没年不明)
- 1月3日 - 大和錦幸男(最高位:前頭4枚目、所属:出羽海部屋、+ 1970年【昭和45年】)[7]
- 3月11日 - 七尾潟直右エ門(最高位:十両筆頭、所属:立浪部屋、+ 1943年【昭和18年】)
- 3月27日 - 秋田嶽由藏(最高位:十両4枚目、所属:春日野部屋、+ 1940年【昭和15年】)
- 3月30日 - 常曻正(最高位:十両筆頭、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 6月1日 - 幡瀬川邦七郎(最高位:関脇、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1974年【昭和49年】)[8]
- 7月17日 - 可愛嶽実男(最高位:十両4枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 8月18日 - 旭川幸之焏(最高位:関脇、所属:立浪部屋、+ 1978年【昭和53年】)[9]
死去
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。