1918年の相撲
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1918年の相撲(1918ねんのすもう)は、1918年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 法政大学相撲部創部。
台覧相撲
[編集]本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[3]
- 1月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:新世界
- 1月11日より晴天10日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[5]
- 興行場所:千日前東
- 5月11日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[6]
その他相撲披露
[編集]誕生
[編集]- 1月11日 - 一渡明(最高位:前頭18枚目、所属:出羽海部屋 、+ 1974年【昭和49年】)[7]
- 1月11日 - 相武山信男(最高位:十両2枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 3月1日 - 汐ノ海運右エ門(最高位:大関、所属:出羽海部屋、+ 1983年【昭和58年】)[8]
- 3月23日 - 明瀬川傳四郎(最高位:前頭13枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 1989年【平成元年】)[9]
- 3月31日 - 新川完二(最高位:十両8枚目、所属:立浪部屋、+ 没年不明)
- 4月14日 - 立田野邦清(最高位:前頭7枚目、所属:立浪部屋、+ 1971年【昭和46年】)[10]
- 5月5日 - 薩摩洋時久(最高位:十両13枚目、所属:井筒部屋、+ 1976年【昭和51年】)
- 7月5日 - 柏戸秀剛(最高位:前頭筆頭、所属:春日山部屋→伊勢ノ海部屋→錦嶋部屋、+ 1982年【昭和57年】)[11]
- 11月1日 - 信州山由金(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、+ 1976年【昭和51年】)[12]
死去
[編集]- 4月6日 - 真砂石濱五郎(最高位:小結(現役没)、所属:尾車部屋→峰崎部屋、* 1891年【明治24年】)[13]
- 5月27日 - 大砲万右エ門(第18代横綱、所属:尾車部屋、年寄:待乳山、* 1869年【明治2年】)[14]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, p. 307.
- ^ 酒井, p. 312.
- ^ 酒井, pp. 303–306.
- ^ a b 酒井, p. 306.
- ^ 酒井, pp. 311–312.
- ^ 酒井, pp. 307–311.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 93頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 104頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 116頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 107頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 100頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 112頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 34頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。