1900年の相撲
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1900年の相撲(1900ねんのすもう)は、1900年の相撲関係のできごとについて述べる。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月10日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:本所回向院
- 5月15日より晴天10日間興行
- 6月場所(大阪相撲)[3]
- 興行場所:南地五階南手空地
- 6月1日より晴天10日間興行
- 9月場所(東京大阪合併相撲)[4]
- 興行場所:四条河原
- 9月17日より晴天7日間興行
- 11月場所(京都大阪合併相撲)[5]
- 興行場所:四条河原
- 11月1日より晴天6日間興行
誕生
[編集]- 1月13日 - 清水川元吉(最高位:大関、所属:二十山部屋、+ 1967年【昭和42年】)[6]
- 1月26日 - 雷光山善胤(最高位:十両8枚目、所属:峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋、+ 没年不明)
- 3月9日 - 常陸岩英太郎(最高位:大関、所属:出羽海部屋、+ 1957年【昭和32年】)[7]
- 3月14日 - 朝光亀太郎(最高位:前頭6枚目、所属:出羽海部屋→朝日山部屋、+ 1937年【昭和12年】)[8]
- 3月16日 - 海光山大五郎(最高位:前頭2枚目、所属:二所ノ関部屋→粂川部屋→二所ノ関部屋、+ 1954年【昭和29年】)[9]
- 5月18日 - 栃ノ森昇治(最高位:十両10枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 7月5日 - 錦洋与三郎(最高位:関脇、所属:井筒部屋、+ 1960年【昭和35年】)[10]
- 6月17日 - 綾鬼喜一郎(最高位:前頭5枚目、所属:中川部屋、+ 1945年【昭和20年】)[11]
- 8月10日 - 大潮清治郎(最高位:関脇、所属:陸奥部屋、+ 1979年【昭和54年】)[12]
- 8月11日 - 池田川助枩(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、+ 1966年【昭和41年】)[13]
- 8月26日 - 錦華山大五郎(最高位:前頭2枚目、所属:小野川部屋、+ 1967年【昭和42年】)[14]
死去
[編集]- 4月8日 - 初代高砂浦五郎(最高位:前頭筆頭、所属:阿武松部屋→千賀ノ浦部屋、年寄:高砂、* 1839年【天保9年】)
- 5月4日 - 大鳴門太三郎(最高位:大関(広角組)、頭取:大鳴門、* 1856年【安政3年】)
- 10月28日 - 玉ノ井福司(最高位:前頭4枚目、所属:伊勢ノ海部屋→玉ノ井部屋、年寄:玉ノ井、* 1860年【万延元年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 166–168.
- ^ 酒井, pp. 168–170.
- ^ 酒井, p. 170.
- ^ 酒井, p. 171.
- ^ 酒井, pp. 170–171.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 54頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 55頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 63頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 75頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 57頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 53頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 74頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 58頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 73頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。