1959年の相撲
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1959年の相撲(1959ねんのすもう)は、1959年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
[編集]- 全日本実業団相撲選手権大会が初開催。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。大関松登が関脇へ陥落。千代の山引退、横綱一代年寄になる。年寄名より、木村庄之助、式守伊之助の両家をはずす。
- 3月、春場所、大阪府立体育会館で15日間。この場所、出羽海部屋は半世紀ぶりに役力士なし。場所後、朝汐の横綱推挙決定。朝潮に改名。元大関大内山引退、年寄錣山襲名。
- 4月、栃錦、朝潮ら沖縄巡業。
- 5月、夏場所、蔵前国技館で15日間。納谷が十両入りして大鵬と改名。
- 7月、名古屋場所、金山体育館で15日間。場所の14日目、栃錦の実父が交通事故死。
- 8月、横綱の一代年寄制を廃止。ただし、引退後5年間は役員待遇となる。
- 9月、秋場所、蔵前国技館で15日間。場所後の番付編成会議で若羽黒の大関昇進決定。一代年寄千代の山は年寄名を九重に変更。
- 10月、春日野取締(元横綱栃木山)が死去し、栃錦が二枚鑑札となる。大阪準本場所15日間、若羽黒優勝。
- 11月、九州場所、福岡スポーツセンターで15日間。新弟子検査基準改正、173cm、75kg以上となる。年齢区分なくなる。
- 12月、行司の停年制により庄之助、伊之助らが引退。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館、11~25日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(14勝1敗,5回目)
- 殊勲賞-時津山、敢闘賞-若秩父、技能賞-若前田
- 十両優勝 : 若杉山豊一(12勝3敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 8~22日)
- 幕内最高優勝 : 栃錦清隆(14勝1敗,8回目)
- 殊勲賞-北の洋、敢闘賞-柏戸、技能賞-柏戸
- 十両優勝 : 八染茂雄 (13勝2敗)
- 五月場所(蔵前国技館、3~17日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(14勝1敗,6回目)
- 殊勲賞-潮錦、敢闘賞-栃光、技能賞-房錦
- 十両優勝 : 若乃國照夫(12勝3敗)
- 七月場所(金山体育館、5~19日)
- 幕内最高優勝 : 栃錦清隆(15戦全勝、9回目)
- 殊勲賞-岩風、敢闘賞-冨士錦、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 星甲良夫(12勝3敗)
- 九月場所(蔵前国技館、13~27日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(14勝1敗,7回目)
- 殊勲賞-鶴ヶ嶺、敢闘賞-柏戸、技能賞-若羽黒
- 十両優勝 : 宇田川勝太郎(14勝1敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、8~22日)
- 幕内最高優勝 : 若羽黒朋明(13勝2敗,1回目)
- 殊勲賞-安念山、敢闘賞-冨士錦、技能賞-若ノ海
- 十両優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗)
誕生
[編集]- 1月23日 - 貴ノ嶺明彦(最高位:前頭12枚目、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋)[1]
- 1月30日 - 栃纒勇光(最高位:前頭11枚目、所属:春日野部屋、+ 2012年【平成24年】)[2]
- 2月3日 - 榛名富士新司(最高位:十両2枚目、所属:二所ノ関部屋→大鵬部屋)
- 4月2日 - 市ノ渡三四四(最高位:十両5枚目、所属:時津風部屋)
- 4月3日 - 霧島一博(最高位:大関、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋、年寄:陸奥)[3]
- 4月8日 - 太寿山忠明(最高位:関脇、所属:二子山部屋、年寄:花籠)[4]
- 5月2日 - 関の花勉(最高位:十両11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 5月8日 - 福龍岳茂生(最高位:十両12枚目、所属:出羽海部屋)[5]
- 6月4日 - 若ノ海正照(最高位:十両4枚目、所属:花籠部屋→放駒部屋)
- 9月4日 - 西の富士勝治(最高位:十両10枚目、所属:井筒部屋→九重部屋)
- 9月22日 - 38代木村庄之助(元・立行司、所属:高田川部屋)
- 10月15日 - 花ノ国明宏(最高位:前頭筆頭、所属:花籠部屋→放駒部屋)[6]
- 10月23日 - 富士の里昇(最高位:十両13枚目、所属:九重部屋)
- 11月24日 - 鶴嶺山宝一(最高位:十両2枚目、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋、+ 2020年【令和2年】)[7]
- 11月26日 - 栃泉隆幸(最高位:十両3枚目、所属:春日野部屋)
- 12月23日 - 40代式守伊之助(元・立行司、所属:宮城野部屋)[8]
- 12月24日 - 陣岳隆(最高位:小結、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋)[9]
死去
[編集]- 2月24日 - 駒泉徳治郎(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、* 1893年【明治26年】)[10]
- 4月16日 - 鳳龍一雄(最高位:十両5枚目、所属:立浪部屋、* 1927年【昭和2年】)
- 7月20日 - 有明五郎(最高位:前頭11枚目、所属:錦島部屋、年寄:式守秀五郎、* 1912年【大正元年】)[11]
- 8月22日 - 二瀬川政一(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、年寄:朝日山、* 1916年【大正5年】)[12]
- 10月3日 - 栃木山守也(第27代横綱、所属:出羽海部屋、年寄:春日野、* 1892年【明治25年】)[13]
- 11月23日 - 両國梶之助(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、年寄:待乳山、* 1907年【明治40年】)[14]
その他
[編集]- 週刊少年マガジン創刊号(3月26日号、3月17日発売)の表紙を大関・朝潮が飾る。
- 11月23日、映画『雷電』公開。
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 223頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 213頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 210頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 201頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、35頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 218頁
- ^ 「角界ニュース」『相撲』2020年7月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 363頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 208頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 41頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 99頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 96頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 35頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 77頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p53