1919年の相撲
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1919年の相撲(1919ねんのすもう)は、1919年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 4月5日、再建中の国技館において鉄柱崩落の事故が発生し死者1名。竣工は予定より遅れた[1]。
- 9月12日に大阪国技館が落成した[2]。
- 慶應義塾大学相撲部創部。
- 立教大学相撲部創部。
- 11月1日[3]、堺市浜寺公園で第1回全国学生相撲大会が開催された。慣例として優勝者には吉田司家から「絹手綱」が贈呈されるようになる。
- 全国中等学校相撲大会(現全国高等学校相撲選手権大会)が初開催。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[4]
- 1月場所(大阪相撲)[1]
- 興行場所:千日前東
- 1月13日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[5]
- 5月場所(大阪相撲)[6]
- 興行場所:千日前東
- 5月15日より晴天10日間興行
- 9月場所(東京大阪合併相撲)[2]
- 興行場所:大阪国技館(杮落とし)
- 9月13日より10日間興行
その他相撲披露
[編集]誕生
[編集]- 1月10日 - 照國萬藏(第38代横綱、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 1977年【昭和52年】)[7]
- 1月10日 - 十勝岩豊(最高位:前頭筆頭、所属:二所ノ関部屋→二子山部屋→二所ノ関部屋、+ 1979年【昭和54年】)[8]
- 2月1日 - 和歌ノ海忠次郎(最高位:十両6枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 2月18日 - 広瀬川惣吉(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1979年【昭和54年】)[9]
- 2月22日 - 高津山芳信(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、+ 1963年【昭和38年】)[10]
- 3月10日 - 三濱洋俊明(最高位:前頭20枚目、所属:高砂部屋、+ 1978年【昭和53年】)[11]
- 4月15日 - 24代式守伊之助(元・立行司、所属:朝日山部屋、+ 2013年【平成25年】)[12]
- 5月17日 - 前ノ山政三(最高位:前頭13枚目、所属:高砂部屋)[13]
- 5月20日 - 大岩山大五郎(最高位:前頭9枚目、所属:立浪部屋、+ 1980年【昭和55年】)[13]
- 5月20日 - 大蛇潟金作(最高位:前頭筆頭、所属:錦島部屋、+ 1986年【昭和61年】)[14]
- 8月5日 - 緑國政雄(最高位:前頭9枚目、所属:立浪部屋、+ 1981年【昭和56年】)[15]
- 8月8日 - 信濃川藤四郎(最高位:十両14枚目、所属:鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1995年【平成7年】)
- 9月12日 - 越後山重正(最高位:十両4枚目、所属:高砂部屋、+ 1993年【平成5年】)
- 11月3日 - 増位山大志郎(最高位:大関、所属:三保ヶ関部屋→出羽海部屋、+ 1985年【昭和60年】)[16]
- 11月4日 - 備州山大八郎(最高位:関脇、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1962年【昭和37年】)[16]
- 11月27日 - 陸奥ノ花亮一(最高位:十両13枚目格、所属:湊川部屋、+ 没年不明)
- 12月23日 - 豊嶌雅男(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1945年【昭和20年】)[17]
死去
[編集]- 8月3日 - 源氏山頼五郎(最高位:関脇、所属:高砂部屋、* 1864年【元治元年】)
- 12月30日 - 雲竜辰五郎(最高位:前頭7枚目、所属:追手風部屋→高砂部屋→追手風部屋、年寄:千賀ノ浦、* 1880年【明治13年】)[18]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 酒井, p. 316.
- ^ a b 酒井, p. 320.
- ^ 関西大学 年始編纂室
- ^ 酒井, pp. 312–315.
- ^ 酒井, pp. 316–319.
- ^ 酒井, pp. 319–320.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 94頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 107頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 103頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 105頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 118頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 361頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 113頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 117頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 106頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 98頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 100頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 23頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。