横綱一覧
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横綱一覧(よこづないちらん)では、大相撲の歴代横綱を一覧する。
現役の横綱
[編集]代位 | 四股名 | 生年月日(年齢) | 初土俵 | 横綱昇進 | 優勝 | 所属 | 出身 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
73代 | てるのふじ はるお 照ノ富士春雄 |
1991年11月29日(32歳) | 2011年 5月 | 2021年9月 | 9回 | 伊勢ヶ濱部屋 | モンゴル |
歴代横綱
[編集]- 四股名/読み仮名の欄の太字は優勝20回以上の横綱を示す。
- 優勝の欄は幕内優勝の回数を示す。ただし、23代大木戸以前の「優勝」は幕内最高成績(優勝相当)の回数(常陸山、太刀山は優勝相当と幕内最高優勝の合計)。また、35代双葉山以前の時代は年2場所制。
- 連勝の欄は、各横綱の幕内においての最長の連勝記録。
- 勝率の欄に各横綱の幕内勝率を記載。
代位 | 四股名/読み仮名 | 出身地 | 横綱昇進 | 引退 | 優勝 | 土俵入り | 年寄名跡 | 連勝 | 幕内勝率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初代 | あかししがのすけ 明石志賀之助 |
下野国 (栃木県) |
不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | 京で仁王仁太夫を倒して日下開山の称号を受け、 これを以って初代横綱(江戸初の横綱)の根拠とされた。 文献等の資料が乏しく、伝説的な人物である。 |
2代 | あやがわ ごろうじ 綾川五郎次 |
下野国 (栃木県) |
不明 | 不明 | 不明 | |||||
3代 | まるやまごんだざえもん 丸山権太左衛門 |
陸奥国 (宮城県) |
1749年 | 1749年 (現役中に死去) |
不明 | |||||
[注釈 3] |
4代たにかぜかじのすけ 谷風梶之助 |
陸奥国 (宮城県) |
1789年11月 | 1794年11月 (現役中に死去) |
21回 | 63連勝 [注釈 4] |
0.949 | 実質的な初代横綱[2] | ||
[注釈 3] |
5代おのがわきさぶろう 小野川喜三郎 |
近江国 (滋賀県) |
1789年11月 | 1797年10月 | 7回 | 小野川 | 32連勝 | 0.917 | 18世紀最後の横綱 | |
6代 | おうのまつ みどりのすけ 阿武松緑之助 |
能登国 (石川県) |
1828年2月 | 1835年10月 | 5回 | 阿武松 | 18連勝 | 0.821 | 19世紀初の横綱 | |
7代 | いなづま らいごろう 稲妻雷五郎 |
常陸国 (茨城県) |
1829年9月 | 1839年11月 | 10回 | 33連勝 | 0.919 | 1828年7月に五条家免許 | ||
8代 | しらぬい だくえもん 不知火諾右衛門 |
肥後国 (熊本県) |
1840年11月 | 1844年1月 | 1回 | 湊 | 16連勝 | 0.762 | 歴代横綱の中で下位番付(関脇)に陥落した唯一の横綱[注釈 5]。 | |
9代 | ひでのやまらいごろう 秀ノ山雷五郎 |
陸奥国 (宮城県) |
1847年9月 | 1850年3月 | 6回 | 秀ノ山 | 30連勝 | 0.842 | ||
10代 | うんりゅうきゅうきち 雲龍久吉 |
筑後国 (福岡県) |
1861年9月 | 1865年2月 | 7回 | 不知火型 [注釈 6] |
追手風 | 16連勝 | 0.799 | |
11代 | しらぬいこうえもん 不知火光右衛門 |
肥後国 (熊本県) |
1863年10月 | 1869年11月 | 3回 | 雲龍型 [注釈 6] |
湊 | 16連勝 | 0.773 | |
12代 | じんまくきゅうごろう 陣幕久五郎 |
出雲国 (島根県) |
1867年1月 | 1867年11月 | 5回 | 陣幕 | 25連勝 | 0.946 | 江戸最後の横綱、1863年1月に五条家免許[注釈 7]、 | |
13代 | きめんざんたにごろう 鬼面山谷五郎 |
美濃国 (岐阜県) |
1869年2月 | 1870年11月 | 7回 | 鬼面山 | 23連勝 | 0.856 | 明治初の横綱 | |
14代 | さかいがわなみえもん 境川浪右エ門 |
下総国 (千葉県) |
1877年2月 | 1881年1月 | 5回 | 境川 | 26連勝 | 0.837 | 1876年2月に五条家免許 | |
15代 | うめがたにとうたろう 梅ヶ谷藤太郎 (初代) |
筑前国 (福岡県) |
1884年2月 | 1885年5月 | 9回 | 雷 | 58連勝 | 0.951 | 五条家と吉田司家から同時免許 | |
16代 | にしのうみかじろう 西ノ海嘉治郎 (初代) |
薩摩国 (鹿児島県) |
1890年5月 | 1896年1月 | 2回 | 井筒 | 14連勝 | 0.774 | ||
17代 | こにしきやそきち 小錦八十吉 (初代) |
上総国 (千葉県) |
1896年5月 | 1901年1月 | 7回 | 二十山 | 39連勝 | 0.832 | 19世紀最後の横綱 | |
18代 | おおづつまんえもん 大砲万右エ門 |
岩代国 (宮城県) |
1901年5月 | 1908年1月 | 2回 | 待乳山 | 20連勝 | 0.772 | 20世紀初の横綱 | |
19代 [注釈 3] |
ひたちやまたにえもん 常陸山谷右エ門 |
茨城県 | 1903年6月 | 1914年5月 | 7回 | 出羽ノ海 | 32連勝 | 0.909 | 優勝回数の内訳は優勝1回,優勝相当6回 | |
20代 [注釈 3] |
うめがたにとうたろう 梅ヶ谷藤太郎 (2代) |
石川県 (富山県) |
1903年6月 | 1915年6月 | 3回 | 雲龍型 | 雷 | 19連勝 | 0.862 | |
21代 | わかしまごんしろう 若嶌權四郎 |
千葉県 | 1903年1月 大坂相撲で の横綱免許 |
1907年1月 | 4回 | 若嶌 | 35連勝 | 0.737 | 優勝4回、35連勝は大阪相撲での記録 勝率は東京と大阪を合算したもの。 東京に限れば0.333、大阪加入後は0.920 | |
22代 | たちやまみねえもん 太刀山峯右エ門 |
石川県 (富山県) |
1910年6月 | 1917年1月 | 11回 | 不知火型 | 東関[注釈 8] | 56連勝 | 0.878 | 明治最後の横綱、優勝回数の内訳は優勝9回,優勝相当2回。 |
23代 | おおきどもりえもん 大木戸森右エ門 |
兵庫県 | 1913年1月 大坂相撲で の横綱免許 |
1914年1月 | 10回 [注釈 9] |
湊 | 28連勝 | 0.877 | 大正初の横綱、1910年大坂相撲が独断で横綱免許。 優勝10回、28連勝、勝率は大阪相撲での記録。 | |
24代 | おおとりたにごろう 鳳谷五郎 |
千葉県 | 1914年6月 | 1919年5月 | 2回 | 雲龍型 | 宮城野 | 14連勝 | 0.688 | |
25代 | にしのうみかじろう 西ノ海嘉治郎 (2代) |
鹿児島県 | 1915年5月 | 1918年5月 | 1回 | 雲龍型 | 井筒 | 14連勝 | 0.736 | |
26代 | おおにしきういちろう 大錦卯一郎 |
大阪府 | 1917年5月 | 1923年1月 | 5回 | 雲龍型 | 28連勝 | 0.881 | ||
27代 | とちぎやまもりや 栃木山守也 |
栃木県 | 1918年2月 | 1925年5月 | 9回 | 雲龍型 | 春日野 | 29連勝 | 0.878 | |
28代 | おおにしきだいごろう 大錦大五郎 |
愛知県 | 1918年5月 大坂相撲で の横綱免許 |
1922年1月 | 6回 | 雲龍型 | 朝日山 (後に返上) →大錦 |
11連勝 | 0.765 | 優勝6回、11連勝、勝率は大阪相撲での記録 初代~3代目を除く歴代横綱の中で最も連勝記録が少ない。 東京相撲の横綱・大関に歯が立たなかったことから 「歴代最弱横綱」と評されることがある。 |
29代 | みやぎやまふくまつ 宮城山福松 |
岩手県 | 1922年2月 大坂相撲で の横綱免許 |
1931年3月 | 6回 | 雲龍型 | 芝田山 | 15連勝 | 0.671 | 15連勝は大阪相撲での記録 優勝は大坂相撲で4回、東京加入後に2回 勝率は大阪と東京を合算したもの。 大阪に限れば0.803、東京加入後は0.566 |
30代 | にしのうみかじろう 西ノ海嘉治郎 (3代) |
鹿児島県 | 1922年5月 | 1928年10月 | 1回 | 雲龍型 | 浅香山 | 14連勝 | 0.691 | |
31代 | つねのはなかんいち 常ノ花寛市 |
岡山県 | 1924年1月 | 1930年10月 | 10回 | 雲龍型 | 出羽海 | 15連勝 | 0.792 | 大正最後の横綱 |
32代 | たまにしきさんえもん 玉錦三右エ門 |
高知県 | 1933年1月 | 1938年5月 場所後現役中 に死去 |
9回 | 雲龍型 | 二所ノ関 | 27連勝 | 0.770 | 昭和初の横綱 |
33代 | むさしやまたけし 武藏山武 |
神奈川県 | 1936年1月 | 1939年5月 | 1回 | 雲龍型 | 出来山 →不知火[注釈 8] |
13連勝 | 0.716 | 横綱在位中の連勝が最も少ない。 |
34代 | みなのがわとうぞう 男女ノ川登三 |
茨城県 | 1937年1月 | 1942年1月 | 2回 | 雲龍型 | 男女ノ川[注釈 8] | 16連勝 | 0.645 | |
35代 | ふたばやまさだじ 双葉山定次 |
大分県 | 1938年1月 | 1945年11月 | 12回 | 雲龍型 | 双葉山 →時津風 |
69連勝 | 0.802 | |
36代 | はぐろやままさじ 羽黒山政司 |
新潟県 | 1942年1月 | 1953年9月 | 7回 | 不知火型 | 羽黒山 →立浪 |
32連勝 | 0.773 | |
37代 [注釈 3] |
あきのうみせつお 安藝ノ海節男 |
広島県 | 1943年1月 | 1946年11月 | 1回 | 雲龍型 | 不知火 →藤島[注釈 8] |
20連勝 | 0.706 | |
38代 [注釈 3] |
てるくにまんぞう 照國萬藏 |
秋田県 | 1943年1月 | 1953年1月 | 2回 | 雲龍型 | 荒磯 →伊勢ヶ濱 |
17連勝 | 0.749 | 戦前・戦中最後の横綱、横綱昇進時には優勝経験がなかったが、在位中に優勝した。 |
39代 | まえだやまえいごろう 前田山英五郎 |
愛媛県 | 1947年11月 | 1949年10月 | 1回 | 雲龍型 | 高砂 | 13連勝 | 0.665 | 戦後(第二次世界大戦後)初の横綱 |
40代 | あずまふじきんいち 東富士欽壹 |
東京府 (東京都) |
1949年1月 | 1954年9月 | 6回 | 雲龍型 | 錦戸[注釈 8] | 16連勝 | 0.715 | |
41代 | ちよのやままさのぶ 千代の山雅信 |
北海道 | 1951年9月 | 1959年1月 | 6回 | 雲龍型 | 千代の山 →九重 |
16連勝 | 0.711 | 横綱審議委員会発足後、初の横綱 |
42代 | かがみさときよじ 鏡里喜代治 |
青森県 | 1953年3月 | 1958年1月 | 4回 | 雲龍型 | 鏡里 →粂川 →立田川 →時津風 →立田川 →二十山 |
17連勝 | 0.688 | 横綱審議委員会への諮問なしで昇進 |
43代 | よしばやまじゅんのすけ 吉葉山潤之輔 |
北海道 | 1954年3月 | 1958年1月 | 1回 | 不知火型 | 吉葉山 →宮城野 |
15連勝 | 0.668 | |
44代 | とちにしききよたか 栃錦清隆 |
東京府 (東京都) |
1955年1月 | 1960年5月 | 10回 | 雲龍型 | 春日野 | 24連勝 | 0.716 | |
45代 | わかのはなかんじ 若乃花幹士 (初代) |
青森県 | 1958年3月 | 1962年3月 | 10回 | 雲龍型 | 二子山 →藤島 |
24連勝 | 0.699 | 横綱審議委員会が「内規」を定めてから、初の横綱 昭和生まれ初の横綱 |
46代 | あさしおたろう 朝潮太郎 (3代) |
鹿児島県 | 1959年5月 | 1961年11月 | 5回 | 雲龍型 | 朝潮 →振分 →高砂 |
12連勝 | 0.635 | |
47代 [注釈 3] |
かしわどつよし 柏戸剛 |
山形県 | 1961年11月 | 1969年7月 | 5回 | 雲龍型 | 鏡山 | 15連勝 | 0.714 | |
48代 [注釈 3] |
たいほうこうき 大鵬幸喜 |
北海道 | 1961年11月 | 1971年5月 | 32回 | 雲龍型 | 大鵬 | 45連勝 | 0.838 | |
49代 | とちのうみてるよし 栃ノ海晃嘉 |
青森県 | 1964年3月 | 1966年11月 | 3回 | 雲龍型 | 栃ノ海 →中立 →春日野 →竹縄 |
17連勝 | 0.635 | |
50代 | さだのやましんまつ 佐田の山晋松 |
長崎県 | 1965年3月 | 1968年3月 | 6回 | 雲龍型 | 出羽海 →境川 →中立 |
25連勝 | 0.726 | |
51代 [注釈 3] |
たまのうみまさひろ 玉の海正洋 |
愛知県 | 1970年3月 | 1971年9月 (現役中に死去) |
6回 | 不知火型 | 19連勝 | 0.680 | ||
52代 [注釈 3] |
きたのふじかつあき 北の富士勝昭 |
北海道 | 1970年3月 | 1974年7月 | 10回 | 雲龍型 | 井筒 →九重 →陣幕[注釈 8] |
21連勝 | 0.668 | |
53代 | ことざくらまさかつ 琴櫻傑將 |
鳥取県 | 1973年3月 | 1974年5月 | 5回 | 不知火型 | 白玉 →佐渡ヶ嶽 |
18連勝 | 0.616 | |
54代 | わじまひろし 輪島大士 |
石川県 | 1973年7月 | 1981年3月 | 14回 | 雲龍型 | 花籠[注釈 8] | 27連勝 | 0.744 | 学生相撲出身及び本名を四股名とした初の横綱[3] |
55代 | きたのうみとしみつ 北の湖敏満 |
北海道 | 1974年9月 | 1985年1月 | 24回 | 雲龍型 | 北の湖 | 32連勝 | 0.765 | |
56代 | わかのはなかんじ 若乃花幹士 (2代) |
青森県 | 1978年7月 | 1983年1月 | 4回 | 雲龍型 | 若乃花 →間垣[注釈 8] |
26連勝 | 0.686 | |
57代 | みえのうみつよし 三重ノ海剛司 |
三重県 | 1979年9月 | 1980年11月 | 3回 | 雲龍型 | 山科 →武蔵川 |
24連勝 | 0.568 | |
58代 | ちよのふじみつぐ 千代の富士貢 |
北海道 | 1981年9月 | 1991年5月 | 31回 | 雲龍型 | 陣幕 →九重 |
53連勝 | 0.761 | |
59代 | たかのさととしひで 隆の里俊英 |
青森県 | 1983年9月 | 1986年1月 | 4回 | 不知火型 | 鳴戸 | 21連勝 | 0.597 | |
60代 | ふたはぐろこうじ 双羽黒光司 |
三重県 | 1986年9月 | 1987年11月 | なし | 不知火型 | 13連勝 | 0.694 | 歴代横綱の中で唯一、優勝経験が無い[注釈 10] | |
61代 | ほくとうみのぶよし 北勝海信芳 |
北海道 | 1987年 | 7月1992年3月 | 8回 | 雲龍型 | 北勝海 →八角 |
20連勝 | 0.693 | |
62代 | おおのくに やすし 大乃国康 |
北海道 | 1987年11月 | 1991年7月 | 2回 | 雲龍型 | 大乃国 →芝田山 |
19連勝 | 0.651 | 昭和最後の横綱 |
63代 | あさひふじ せいや 旭富士正也 |
青森県 | 1990年9月 | 1992年1月 | 4回 | 不知火型 | 旭富士 →安治川 →伊勢ヶ濱 |
24連勝 | 0.637 | 平成初の横綱 |
64代 | あけぼの たろう 曙太郎 |
米国 | 1993年3月 | 2001年1月 場所終了直後 に引退表明 |
11回 | 雲龍型 | 曙[注釈 8] | 16連勝 | 0.741 | 初の外国出身横綱(1996年4月に帰化し、現在は日本国籍) |
65代 | たかのはなこうじ 貴乃花光司 |
東京都 | 1995年1月 | 2003年 | 1月22回 | 雲龍型 | 貴乃花[注釈 8] | 30連勝 | 0.764 | |
66代 | わかのはなまさる 若乃花勝 |
東京都 | 1998年7月 | 2000年3月 | 5回 | 不知火型 | 藤島[注釈 8] | 14連勝 | 0.661 | |
67代 | むさしまるこうよう 武蔵丸光洋 |
米国 | 1999年7月 | 2003年11月 | 12回 | 雲龍型 | 武蔵丸 →振分 →大島 →武蔵川 |
22連勝 | 0.726 | 20世紀最後の横綱、1996年1月に帰化しており、横綱昇進時は日本国籍 |
68代 | あさしょうりゅう あきのり 朝青龍明徳 |
モンゴル | 2003年3月 | 2010年1月 | 25回 | 雲龍型 | 35連勝 | 0.796 | 21世紀及びモンゴル出身初の横綱 | |
69代 | はくほうしょう 白鵬翔 |
モンゴル | 2007年7月 | 2021年9月 | 45回 | 不知火型 | 間垣 →宮城野 |
63連勝 | 0.846 | 2019年9月に帰化し、現在は日本国籍 |
70代 | はるまふじこうへい 日馬富士公平 |
モンゴル | 2012年11月 | 2017年11月 | 9回 | 不知火型 | 32連勝 | 0.656 | ||
71代 | かくりゅうりきさぶろう 鶴竜力三郎 |
モンゴル | 2014年5月 | 2021年3月 | 6回 | 雲龍型 | 鶴竜 →音羽山 |
16連勝 | 0.621 | 2020年12月に帰化し、現在は日本国籍 |
72代 | きせのさとゆたか 稀勢の里寛 |
茨城県 | 2017年3月 | 2019年1月 | 2回 | 雲龍型 | 荒磯 →二所ノ関 |
18連勝 | 0.612 | 平成最後の横綱、21世紀初の日本出身横綱 |
73代 | てるのふじはるお 照ノ富士春雄 |
モンゴル | 2021年9月 | 現役 | 10回 | 不知火型 | 23連勝 | 0.643 | 令和初の横綱、平成生まれ初の横綱。2021年8月に帰化し、現在は日本国籍 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 江戸時代の横綱の人数や昇進順については異説も存在する。現在ひろく知られ、日本相撲協会でも採用している横綱一覧は、1900年に陣幕久五郎が富岡八幡宮に建立した「横綱力士碑」に基づくもの。本項もこれに倣う。初代から3代までは、歴史的に横綱という制度は存在しなかったとするのが通説である。この横綱碑では、寛政期の強豪大関 雷電爲右エ門が「無類力士」として別枠で顕彰されており、彼も横綱と同列に扱われる場合がある。
- ^ 現在の雲龍型、不知火型土俵入りが定まった型となったのは、それぞれの土俵入りの完成者である第20代横綱・梅ヶ谷(2代)、第22代横綱・太刀山以降。第10代横綱・雲龍から第19代横綱・常陸山までの横綱土俵入りの型は、原型又は現在の雲龍型、不知火型とは多少異なる雲龍型、不知火型。第4代横綱・谷風から第9代横綱・秀ノ山あたりまでは後の横綱土俵入りの原型となる型で横綱土俵入りをしていた。
- ^ a b c d e f g h i j 谷風と小野川、常陸山と2代目梅ヶ谷、安藝ノ海と照國、柏戸と大鵬、玉の海と北の富士は横綱同時昇進。それぞれ引退の早かった方に若い代数が与えられている(ただし谷風と玉の海の二人は現役中に死去)。
- ^ 谷風梶之助の63連勝という記録は一般に江戸本場所のみの63連勝を指すが、江戸本場所・京都本場所・大坂本場所まで含めれば98連勝となる。98連勝は現在(2021年時点)でもいまだ破られていない最多連勝記録である。
- ^ 当時は横綱が固定の番付として確立されておらず、あくまでも大関が最高位であったため、制度上は横綱からの陥落も在り得た。
- ^ a b 雲龍型の考案者は第11代横綱・不知火(光)、不知火型の考案者は第10代横綱・雲龍であり、現在新聞などで一般に記される考案者とは逆という考えが通説。
- ^ 横綱免許後本場所出場なし。
- ^ a b c d e f g h i j k 年寄襲名後に相撲協会を定年前に退職。
- ^ 大坂相撲での最多優勝回数。
- ^ 初代~3代、および優勝制度が無い時代の横綱を除く。
出典
[編集]- ^ 日本相撲協会 力士情報成績
- ^ "谷風梶之助" - デジタル大辞泉, 2010年11月1日
- ^ ZAKZAK(2018年10月9日)